心を込めて

ガリュー

第1話

 夕陽が病院の床を橙色に輝かせていた。彼女の病室はこの通路の一番奥だ。いつも通り僕はそこを歩いていた。と、ふと聞き覚えのある声が聞こえた。大きな病院には不釣り合いな小部屋からだ。思わず耳をそば立てた。

「残念ですが…あと…3か月の命でしょう」

「えっ…?」

「いや、そんな…」

この声は陽子の両親…?陽子は僕の幼馴染みであり、彼女でもある。僕の思い出にはいつも陽子が一緒にいた。幼稚園の遊びの時間も、「夫婦」と言われ続けた小学校高学年の時も。男子顔負けの―――というと怒られそうだが―――陽子は負けん気の強い女子だった。中学生になり、急に「女」を意識してしまうようになった。気がつけば、互いの両親公認の仲だった。幼い頃から聞いていた陽子の両親の声はよく分かる。でも今のは耳が疲れてたんだろう。入院してから少しやつれた印象はあったが、いつも楽しそうに笑っていた。余命3か月なわけが…。

 とにかくいつもの顔で、いつもの声でいつも通り話せばいい。何回も言い聞かせ、彼女の病室に入る。

「やほ!」

いつもの陽子が目の前にいた。

「悠介くん、いつもありがとうな!大した男だ!」

と、腕を組んで低い声でおどけてみせる。

「誰だよ!…でさぁ」

「ん?」

「もし今ひとつしかやれることがないとしたら、何やりたい?」

「何を急に!」

確かにそれもそうか。

「そうだなー…。和紙作ってみたい!」

「和紙!?」

今度は僕が驚く番だった。

「うん、小川和紙!『一枚に心を込めて小川和紙』ってあったじゃん!あれやってみたかったんだー!」

僕も陽子も埼玉郷土かるたを知っていた。もっとも、一世代前のものであるが。

「あっ、そう…」

「何その顔は?」

「いや、めっちゃ意外で。なんでそのひとつに和紙なのかな、って。『もう一回試合に出たい!』とかじゃないの?」

「それは乙女の秘密!」

陽子がいたずらっぽく笑う。僕はこの笑顔が好きだ。

「ったく、じゃ、また来るわ!」

「うん、じゃあね!」

病室を出ると、陽子の両親が青い顔で立っていた。

「悠介くん。いつもありがとうね。」

お母さんはぎこちなく笑顔を作って言った。

「いえいえ、また来ます」

軽く会釈してその場を去った。きっといつも通りだ。大丈夫、大丈夫。

 帰りのバスに揺られながら、小川町のことを調べてみた。埼玉県の中央に位置し、かの「しまむら」もここの呉服店が発祥らしい。和紙作り体験も意外とすんなりできそうだ。陽子の両親にこの話を伝え、承諾をもらえた。医師も緊急連絡先を教えてくれたそうだ。

 小川町までは少し遠いということで、陽子のお父さんが車を出してくれた。順番を待つ間、職人の手捌きに釘づけになり、あっという間に自分たちの番になった。手助けもあり、作業はトントンと進んだ。陽子も花の位置に悩みながらも楽しそうに飾り付けていた。30分くらいで体験が終わり、乾燥のため後日郵送となった。

 陽子を送った後、僕を家まで送ってくれることになった。

「今日はありがとう。」

「いえ、僕も楽しかったので」

「それならよかった。陽子が悠介くんにはわがままを言ったようで。悪かったね。陽子はきっと悠介くんを心から信頼しているんだと思う」

そして覚悟を決めたように、また口を開いた。

「実は…陽子はあと3か月の命なんだ。」

重苦しい空気が車内を漂い始める。

「そう…だったんですか…。」

としか言えなかった。あの日聞こえた内容が本当だった。勘違いではなかった。改めてそれが、現実として立ち塞がった。その後はお互い言葉を交わさないまま、家の前に着いた。

「ありがとうございました。」

「いやいや、ご両親にもよろしく伝えてね」

 3カ月半が経ったある日、ついに陽子のお父さんから連絡が来た。陽子は宣告よりも2週間長く生きた。でもあの無邪気な笑顔には会えない。考えれば考えるほど熱い想いがこぼれ落ちていった。

 僕はお通夜に参列した。陽子は穏やかな顔をしていた。それだけが救いだった。

「悠介くん」

陽子のお父さんだった。

「はい?」

「君に渡したいものがあるんだ」

内ポケットに入っていた封筒を僕に手渡した。「悠介へ」と書いてある。

「ありがとうございます」

家で封筒を開け、中を見ると、そこにはあの和紙が入っていた。

「Dear 悠介。

こうやって手紙を書くのは初めてだね。でもきっと最後でしょう。

私が残り生きていられる時間が短いのは、誰に言われなくても分かりました。みんなの笑顔がぎこちなくて、硬くて。特に悠介は一生懸命に表情を作ってくるから毎回面白かったです。人を騙すならもっとうまくやりなさい!

悠介が『もし今ひとつしかやれることがないとしたら、何やりたい?』と聞いてくれたとき、すごく嬉しかった。こんなやせ細っちゃった私をまだ見捨てずに優しくしてくれて、好きでいてくれて、ありがとう。

この紙は、まぎれもなくこの前の小川和紙です。この和紙に挟んだ花、何か分かりますか?これはサクラソウです。私たちがよく知るあの県花です。花言葉は「青春の喜びと悲しみ」。短い人生だったけど、悠介と一緒にいた時間は本当に楽しくて、一秒一秒が大切な時間でした。きっと面と向かっては言えないだろうから、この手紙に託しました。一枚一枚丁寧に仕上げられる和紙に、心を込めて。

悠介にはこれからもきっといい出会いが待っていると思います。だから、もうひとつ花言葉を贈ります。それは「運命をひらく」です。私のことを忘れないでいるのも嬉しいけど、そんな悠介だからこそ、運命の人と幸せになってください。私より可愛くなかったら化けて出てやるからね!あっちで待ってます。 From 陽子」

 もうこみ上げるものを止められなかった。字が震えている。一生懸命書いたことがありありと伝わってくる手紙だった。陽子の気持ちが和紙に込められていた。僕は陽子が生きられなかった明日を、未来を、生きなければならない。

 いつの間にか、朝日が相も変わらず熱く照り始めていた。

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心を込めて ガリュー @ak_20161114

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