デス将棋
杞戸 憂器
ショウギの開始
目が覚めると知らない国で知らない女と知らない部屋にいた。
字面だけなら素敵だ。大学の夏季休暇を利用して、遥か遠く極東の島国に来た甲斐があった。ラブロマンスの香りがする。
しかし、現実に俺が嗅いだのは両足に繋がれた鎖の鉄臭さで、起きたのはベッドの上ではなく剥き出しのコンクリートの床だった。
夢でないのは頭痛で分かった。
身体を起こして周囲を見回す。どうやら俺は部屋の角に転がっていたらしい。窓も扉も見当たらない。現実感のない灰色の空間。全面がコンクリートのようだ。広さは6平方メートル程度で、よく見ると天井や壁に四角い隙間がある。こちらからは開けられそうにない。地下牢なのかもしれない。
部屋の中心には小人の机のような木材が鎮座していた。
両端にそれぞれ台のようなもの。
そして、その向こう側、自分との対角線上には女が倒れていた。
女は俯せだったが、首筋から覗く皮膚と赤味がかった髪を見るにヒスパニック系だろう。顔見知りには一人もいない。
自分と同様に両足に錠が嵌められて、鎖は壁の留め金に繋がっていた。自分の鎖を引っ張ってみたが、外れる気配は微塵もない。
「うぅ……頭痛い、ここどこ?」
女の身体が動き、呻き声のような愚痴が漏れた。
まず安堵したのは、それが英語だったことだ。日本語はガイドブックに記載された最低限の挨拶しか出来ないし、相手がアフリカンース語やズールー語を話せるとは思えない。意思の疎通ができるのはありがたかった。
「貴方は誰? え、ちょっと、これ鎖?」
質問するのか現状を把握したいのかはっきりしてほしい。そう思いはするものの、こちらだって何が何だか分からない。多少早く目覚めたおかげで精神的に優位を築けはしたが、そんな僅かな差に意味はないだろう。
「俺はネルソン。ネルソン・マディシ。あんたこそ誰なんだ」
「私はイザベラ。ね、これってひょっとして誘拐? うち結構貧乏なんだけど」
「誘拐かどうかは分からない。俺もたった今、目が覚めたんだ」
「ホントに? えぇ~、ドッキリとかじゃなくて? 今なら怒らないけど」
イザベラは喋りながら足首に繋がった鎖を外そうともがいた。こちらと同じなら、留め金を壁ごと引き千切るような怪力でもなければ不可能だろう。
「あの、一応聞くんだけど、犯人貴方じゃないよね? 私が苦しんでいる様を特等席で見ながら楽しんじゃおう的な」
そういう映画があったな、と思い出したが今は口にしない。
「冗談じゃない。俺だって被害者だ。見ろよ」
慌てて鎖をじゃらじゃらと鳴らす。
「良く似合ってるじゃない」
「人種差別に賛成か?」
「いいえ。差別と誘拐犯の黒人が嫌いなだけ」
「俺は犯人じゃない。あんたと同じ被害者だ」
「ならいいんだけど」
まだ半信半疑のようだ。そっちだって立場は同じなんだぞ、と思ったが争っても仕方ない。
「誰かー! 誰かいませんかー!」
イザベラが声を張り上げた。この状況に突然置かれて、泣いたり喚いたりしないのはすごいな、と素直に思った。感心して見ていると、イザベラは黙ってこちらを睨んだ。お前もやれ、という意味だろう。もっともな意見だ。
「助けてくれー! 閉じ込められているんだ! おーい!」
大声で叫んだが、内心無駄なことは分かっていた。誘拐、異常な部屋、そして鎖。俺たちをここに押し込む資金も労力も並大抵ではない。この程度は想定済みだろう。
「もう何なの!? どうしてこんなことに!? 治安の良い国じゃなかったの!?」
ひとしきり助けを呼んだイザベラの喉は潰れそうになっていた。俺も声が枯れかけている。あらゆる空気振動はコンクリートに吸収されて後には何も残らなかった。
「落ち着けよ。何もないってことはないはずだ」
「どうしてそんなこと分かるの!?」
「それは」
言葉に詰まる。躊躇したのだ、それが現実になるのを。
「俺たちを閉じ込めた奴が、何もしないわけないだろ」
目線をゆっくりと落とす。
きっと俺もイザベラも、無意識に話題にするのを避けていた。この無機質な灰色に囲われた部屋の中心にある、唯一異質な物体の事を。
俺たちを鎖に繋いだ人間が、意図をもって置いたとしか考えられない。
「あれ、何に使うものか分かる?」
「さっぱりだ。一人用の机かな」
「左右の台は?」
「さぁ。燭台に似ているが」
思い付きで言ってみたが、蝋燭は見当たらない。
「引き出しは……ないみたい」
「ああ、こっちからも見えない」
「上の面に、線が引いてあるわ」
立ち上がって確認する。そこで初めて分かったが、鎖は思ったより長かった。部屋の中心にある謎の木材の手前まで伸びる。歩み寄り、木材を眼前にして座ることができた。手も届く。イザベラは警戒して動かないが、お互いギリギリまで接近すれば手が繋げるだろう。
木材には確かに黒い線が格子状に引かれていた。数えたら9かける9で、合計81マスが存在した。よく見ると、マスは精密な正方形ではない。俺から見て縦に少しだけ長い。
「81という数字に覚えはないか?」
「日本の国番号がそうね。空港でこっちの友達に電話した時に使ったから覚えてる。関係はなさそうだけど」
イザベラが自嘲気味に言った。
「元素番号の81はタリウムだが、これも多分違うな」
「貴方、化学者が何か?」
「ハイスクールで習うだろ」
「習うのと覚えてるのは違うのよ」
悟ったような顔でイザベラは言った。
「他に思いつくものは?」
「そうね、81……掛け算の勉強に使うとか? 日本のカリキュラムでは9の掛け算までを覚えるらしいから」
「化学は駄目で、どうして日本の教育カリキュラムには詳しいんだ」
「友達がこの国で小学校の教師をやってるの。よく愚痴を聞かされてる」
「掛け算ね……木材の上というのが気になるな」
「えーっと、ほら、きっと昔の貴族が使った古美術品なのよ」
しばらく幾つかのアイデアを出し合ったが、やがて想像力が尽きて沈黙が訪れた。今、何時なのだろう。いつもなら尻ポケットに入れているスマホは、当然のように抜かれていた。腹具合からすると昼過ぎあたりだが、確かめる方法がない。
ややあって、頭の奥底から湧きあがった思い付きが不意に口をついてでた。
「ゲームに使うのかもしれない。ほら、チェスみたいな」
チェスは8かける8で64マス。この木材は似たようなゲームの盤なのかもしれない。きっとそうだ。俺は確信した。イザベラも納得したように目を見開く。
「言われてみれば、こういうの、どこかで見たことあるような……」
「正解デス」
突然、天井から声が響いた。機械音声だ。
反射的に上を向く。
「今日ハ君タチニ
機械音声は淡々と続けた。
「一時間以内ニ将棋ヲ指セナカッタ場合、死ンデモライマス」
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