第16話 眠れない

 夜。ダイニングで仕事に没頭している晶の近くで遥は座っていた。どこかに行ってしまわないか監視されているような嫌な気分だったが、不安定なのかもしれないと大目にみることにした。

 12時をまわる時計を確認して「子どもは寝た方がいい」と遥の頭をグリグリした。少し不満な顔に変わった遥を見て、フッと笑った。

「子どもじゃなくても寝た方がいい。もう部屋に行けよ。」

「アキは…寝ないんですか?」

 もっとやっておきたい仕事があったが晶がここで起きていては眠れないのかもしれない。仕方なく「じゃ俺も寝よう」と席を立った。

 部屋の前までついてくる遥にうんざりした顔を向ける。

「お前の部屋はあっちだろ?」

 下を向いたまま何も返事をしない。こいつ俺のこと本当に男と思ってないんだな。今更ながらに思い知らされる。まぁ俺としてもクソガキだが…。冷めた視線に下を向いていた顔が上げられて潤んだ瞳と目があった。

「眠れないんです。」

「そりゃ昼にあんだけ寝ちまえばな。」

 晶の呆れた声に首を振る。

「夜が…一人がこわいんです。」

 だからって俺と寝るとでもいうのか。寝るって…。ドクンと早まった鼓動に、だから俺には男のサガとかそういうものは…。と心の中から動揺を追い出す。下を見るとチビの頭が見えて、こんなクソガキに何を思ってるんだか…と嘲笑した。

 それにしたって部屋で寝るのはまずいだろ。仕方なくリビングに引き返した。

 指差してソファに座るように指示するとひざ掛けをかけてやった。さすがに夜にはこれじゃ冷えるか…。

「自分の部屋の毛布を持ってこい。」

 その言葉に理解したらしく、ピコンと任命されたロボットの様な動きをして毛布を取りにいった。だから、なんだよ。あの動きは…。遥のたまに出るロボットみたいな動きに笑うと、俺もどうかしちまったな…とソファに座った。

 遥が奮闘しながら毛布を持って戻ってきた。チビの遥には普通のサイズの毛布が余りあるほどに大きい。それをソファに丸くなった遥にかけるとまだ不満そうな顔をした。

「アキはどうするんですか?」

「寝るまでここにいれば不満はないだろ?」

 これ以上は無理だという固い意志を感じたのか、遥は何も言わなかった。

 一人の夜が嫌だなんてどこまでガキなんだか。

「やっぱり猫でも飼った方がいいか?」

 毎晩こんなのに付き合わされたらたまらない。返事の代わりにスースーと規則正しい息遣いが聞こえてそちらを見ると気持ち良さそうな寝顔がそこにあった。本当に眠れなかったのかと疑いの眼差しを送る。それでも寝たことに安堵すると自室に戻ってスマホを手にした。


 晶は電話をかけていた。相手は直樹だ。早くかけたかったが、ずっと遥に付きまとわれて電話できずにいたのだ。

「悪いな。寝てたか?…いや。電話でいい。」

 変な時間帯にかけた電話に大事な用だろうと直樹が気を利かせて会おうかと言った。しかし電話の方が都合が良かった。確かに早く聞きたい内容だったが、顔を合わせて話す自信がなかった。

「…共依存って知ってるか?知ってるよな。」

 直樹は知っているはずだ。直樹が勧めてきた本に書いてあった内容だ。そして女に対しても、育ってきた家庭もまともな直樹なら正しい判断ができると思った。

「なんだ。それがどうした?」

 少しホッとした声が聞こえた。もっと大変なことが起こったと思ったらしい。しかし晶にしたら重要なことだった。

「ハルが…。俺が、ばあさんみたいにどこかへ消えてしまわないかって。」

「ハッ…。」

 笑いかけた声が電話の向こう側で止まった。

「ハハッ。笑えるのは俺もだ。でもそれはよくないんじゃないかと思ってな。」

 前に心を蝕んだ時とは違う心持ちだったが、遥との関係性が危ういものなのではないかと不安を感じた。

「それはお…。」

 男と女なんてそんなもんだろ。と直樹は言いかけてそれを言ってしまった方が晶にはまずいことを思い出す。男と女とは思っていないんだった。こいつ。

「なんだよ。」

「いや…。お前と遥ちゃんに信頼関係ができている証だろ?共依存なんて言葉にしようと思ったらなんだってそうだと思えるだろうが…。」

 そうなのだろうか…。信頼関係…。

「例えば俺とアキは共依存だと思うか?」

「まさか!気持ち悪いぞ。直樹。」

 思わず呆れた声が出る。

「でも俺がハワイに移住することが夢だったんだって言ったらどうする?」

「それは…。」

「困るだろ?仕事は?事務所はどうするんだ?とか。」

「まぁ。」

 正直、言葉に詰まった。直樹がどこかへ行ってしまうなど考えたことはなかった。

「俺たちは…というか俺はアキを信頼してる。それは揺るぎない。」

「バカ。俺もだ。 」

 フッと声が漏れる。たまに直樹は真っ直ぐに気持ちを言うからタチ悪い。そんな憎まれ口を心の中に浮かべつつも温かい気持ちになった。

 電話の向こう側で「あぁ、サンキュ」と小さく聞こえた。

「だから不安や心配を感じない。でも遥ちゃんとは信頼関係を築いている途中だろ?だからじゃないのか?」

 信頼関係を築いている途中…。黙る晶に直樹は続けた。

「俺が見る限りではいい関係だと思う。そんな病的な感じはしなかったぞ。」

 そうか。病的…。確かに病的ではないんだろうか。

「誰かを失ったり不安な時は誰かにすがりたくなるのは普通じゃないのか?それと共依存とは別の話だと思うぞ。」

「そうか。そうだな。整理できたみたいだ。助かったありがとう。」

 珍しく素直な晶に直樹は別のことを思って口を開いた。

「アキ。遥ちゃんにありがとうって伝えてないだろ。」

「は?なぜそういう話になるんだ。」

 また面倒くさい、直樹が楽しんでるだけだろうと不機嫌な声が出た。

「当たり前のことを感謝した方がいい。遥ちゃんが不安なら余計だ。」

 陽菜によく言われるとは言わないでおいた。男と女だとまだ気づかない方がいい。面倒な2人だ。しかし盛大に愉快だった。

「とにかく助かった。ありがとな。」

 プーップーッと電話は一方的に切れた。

「あいつ遥ちゃんに「ありがとう」なんて言えるのか?」

 そうつぶやくとクククッと笑い声が漏れた。

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