第4話 猫アレルギー

 朝、起きるとトーストと目玉焼き、サラダもあった。それらがダイニングのテーブルに並んでいた。どこをどうやってサラダができたのかと思う冷蔵庫の中身だったが、玉ねぎをスライスしたサラダで、あぁ。確かに玉ねぎはあったかもな。と感心した。

「出過ぎたまねしてすみません。でも親に放っておかれたので、家事は一通りできるので。」

 なるほどな。そこも一緒なわけか。そう思いながら席につくとトーストを手にとる。

「あの…いただきますを一緒にしてはダメでしょうか。」

「は?」

 目が点になってトーストを皿に戻した晶に、遥は恥ずかしそうにうつむいた。その言動に本当に小学生じゃないんだろうかと疑ってしまう。

「あの…。小さい頃に、みんなでいただきますをするのが夢で…。」

「それ学校でやってただろ?」

「そうですが…。朝食ではやったことありません。」

 それ重要なのか…と嫌なことが顔に出ていたらしい。すみません。いいんです。とうつむいた。面倒くせーガキだ。

「いただきます、すればいいんだろ?」

 ほらやるぞ。の声に、ぱぁと顔を明るくして手を合わせて待っている。

 クソッ。なんでこんなまねごとに付き合わされなきゃいけねーんだ。

「いただきます。」

「いただきます。」

 ほんのり温かくなる胸の辺りに、こいつに感化されちまったのかと、自分の胸を疑った。


「じゃ俺は出るから。なんか買ってくるか?」

「はい。じゃ適当にご飯になりそうなものをお願いします。」

 あの…。とまた言いにくそうな遥は、なんでもないです。と与えられた部屋に行ってしまった。

 まぁ一応は鍵の使い方なんかは教えてあるし、何かあったら出かけるか。いや…男に会ったら困るから家から出ることはないな…。そう思ってマンションを後にした。


 事務所に行くと直樹がガッカリしたような顔で晶に口を開いた。

「休めって言って休むようなやつじゃないとは思ってたけどよ。」

「バ〜カ。せっかく休めって言われたんだ。休むけどよ。文句も言っておきたくてな。」

「あぁ。昨日は遥ちゃんが側にいたんだろ?」

 ったく。分かっててあれだ。人が良さそうな顔に周りは誤解してるだけで、直樹は案外腹黒いと晶は思っていた。腹黒いくらいが付き合いやすいんだがな。

 直樹も言いたいことがあったようで、晶よりも先に話し始める。

「別に女嫌いでも構わないが、この風貌で独身だと色々と仕事がしづらいだろ?

お前もそう思ってんだろ?」

 そう言われ肩をたたかれても、まぁなとは素直に言えなかった。

 直樹の言いたいのはイケメン弁護士は顔でお客が来るのに女嫌いじゃ商売にならないって言いたいだけだ。挨拶代わりによく言われてる。お前がもう少し女性に愛想笑いの一つでも出来ればなと。

 直樹の言い分は置いておいても、確かに仕事相手に「女性が苦手なあなたに何が分かるんですか?」と言われて「分かりたくもない。」とは言えずに困ることはある。

 人並みに女の人と人付き合いができれば、そういう面も改善されるかもしれない。しかし…だ。

「あんな見ず知らずのどこのどいつか分からんやつを…。」

「ちゃんと調べたよ。アキに丸投げで住まわすのを頼んだんだ。このくらいはするさ。」

 チッ。やっぱり食えないやつ。そういう仕事は早い。直樹は調べた資料を出して、ザッと目を通す。

「普通の家庭だが、両親は離婚してる。それでどちらにも面倒を見てもらわずに、母方のおばあちゃんの家で暮らしてたみたいだ。ただそれもおばあちゃんが亡くなってどうにもならなくなったようだ。」

「ばあさんが亡くなったのはいつ?」

「今年の夏。それであの男性恐怖症で生きづらかったんだろうな。」

 会った時を思い出す。たぶん野宿続きでホームレス同然の生活をしていたんだろう。

「ばあさんの家は。」

「親が売払ってる。遥ちゃんはハタチを超えてる。普通の扶養義務はないが、あの状態で働けないんだ。親に扶養義務を求めることは可能だ。」

 鬼畜な親だな。そこも俺と同じか…。

「ハルはそんなこと求めてないだろ。」

 ネクタイを緩め、ふぅとイスに腰をおろした。

「ハハッ。ハルにアキか…。春夏秋冬だな。それにどっちも男か女か分からない呼び方だ。アキらしい。」

 そんなことまで気づく直樹に、長い腐れ縁はこれだから困るとまたため息をついた。

「どうするかはアキに任せるさ。法的手段を取れることはできるだけ調べておく。必要なら声をかけてくれ。」

 あぁ。と言って直樹とパシッとハイタッチする。これだから長い付き合いは…と笑みを浮かべた。


 事務所を出ると本屋に向かう。もともと休むつもりなのにスーツなのは、何も直樹を騙すためではない。ワーカーホリック気味の晶は私服を持っていないのだ。

 本屋では過呼吸の本や、心理学の本を手に取る。いくら勉強好きが高じて弁護士になったとはいえ、自分の専門分野ではない専門用語の羅列には理解に苦しむ。

 パラパラと見ただけで何冊か優しそうな本を手に取っては元の棚に戻した。

 結局、何も買わずに食材の買い物に向かった。


 買い物を済ませ、マンションのドアを開けるとグレーの何かが足元を通った。

 にゃお〜んと鳴いたそれはグレーの毛並みの猫だった。

「おい。ハル…お前か。」

「はい…。すみません。」

 部屋の奥から声がした。晶の声色から猫を入れてはダメだったことを察したようだ。

「今から猫と外に出ます。」

 急いで猫を抱っこして出ようとするハルの首まわりの服をつかむ。猫と同じグレーの部屋着がふわっとこちらに戻ってきて、中身も一緒に戻った。

「おい。外に出て男に会ったらどうするんだ。」

「大丈夫です。早めに見つけて逃げますから。さっきもグレちゃん迎えに行った時にそうしました。」

「はぁーちょっと待ってろ。」

 また面白がられることが目に見えていたが、仕方なく直樹に電話した。


「晶くん家に私一人で行くなんて…。」

 そうつぶやきながら陽菜は1階で晶のインターホンを押す。

「開ける。」

 ぶっきらぼうな声がして、扉が開いた。中に入って扉を閉めると、ウィーン、ガチャンとオートロックで鍵がかかった。

 部屋の真ん前までいくエレベーターに乗って、降りるとドアが開いた。

「悪いが早く持ってってくれないか。」

 そう言った晶の足元から、にゃお〜んと可愛らしい猫がお出迎えしてくれた。

「直樹が大笑いで電話してきたから何事かと思ったわ。大丈夫。ちょうど飼いたいって言ってた知り合いがいるの。」

 そう言って抱き上げると持ってきた猫用のキャリーバックに入れた。その後に「遥ちゃんは大丈夫?」と心配そうに聞いた。

「まぁ。」とだけ言って「悪かったな。このためだけに。」と言うと扉を閉めてしまった。

 呆然と立ち尽くす陽菜はつぶやく。

「ここ何日かで晶くんとの一生分を話したんじゃないかしら。」


 ハルはソファーの端に小さくなって座っていた。

「なんだ。昨日眠れなかったのは、あの猫が心配でか?」

 首を振るが、きっとそのせいだろう。寂しそうに見える。

「すみませんでした。猫アレルギーとは知らなくて…。部屋中をコロコロしました。あとで掃除機もかけますから…。」

「別に猫アレルギーじゃない。」

「でもさっき…。」

 猫はかゆくなると言っていた。

「猫は女みたいだから嫌なんだ。あのすり寄ってくる感じ。俺の中で猫は女と同じカテゴリーだ。」

 また黙る遥に晶が声をかける。

「なんでも直樹の奥さんの知り合いが飼うらしい。今度遊びに行けばいい。奥さんに礼も言いたいだろ?」

 晶の言葉にやっと笑顔を向けた遥を見て、やっぱり面倒なやつだ。と思っていた。


 陽菜は猫を預かって家に帰る途中、直樹に報告の電話をしていた。

「晶くん猫アレルギーなんて大変だったわね。」

 電話の向こう側で直樹がまた大笑いしている声が聞こえた。

「ハハッ。アキは猫アレルギーじゃないよ。」

「え?でも…。」

「猫を引き取りに行った時に目が赤くなったり、かゆそうにしてたか?」

 そういえば嫌そうにはしていたけど、かゆそうとか、目が赤いなんてことは…。

「ただ女みたいだから嫌いなだけさ。」

「そんなにも女嫌いなのね。」

 あまりにもすごい女嫌いっぷりに、陽菜はふぅとため息をついた。

「ハハッ。陽菜も気づかないのか?」

 まだ直樹は楽しそうな声だ。

「何を?」

「女みたいな猫はダメなのに、女の子の遥ちゃんとは住んでるんだぜ。」

 陽菜は指摘されて気づくと目を丸くした。

「でも遥ちゃんのことは大丈夫って。」

「アキも気づいてないのさ。あいつ頭いいんだか、バカなんだか。」

 クククッとまた直樹は楽しそうに笑った。

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