WhenXII、WhereIII、WhoVI-IV・I・IV、WhatII・IX、WhyVIII・IX、HowIX・IV

 十二月三十日。

 ウェヌス・アキダリアが建つ緑の丘は、波打つ芝生が風の形状をくっきりと浮き上がらせていた。


 冬に茂る芝は、夏の手入れが大変と聞く。

 きっといつもの四人組が汗水たらして面倒をみているのだろう。


 その甲斐あって、緑の海に浮かぶ鈍色にびいろの空、その水平線上に浮かぶ白亜はくあの洋館という、壮大なスケールの西洋油彩画をこの日本で堪能できるのだ。


 そんな異国情景の中には、一人の登場人物がいた。


 絵の雰囲気に相応ふさわしく、東洋の香りを完全に排除した水色の瞳と白銀のストレートヘア。

 白いレースの日傘を片手に持ち、ともすれば暗いイメージを感じるこの絵に華やかなアクセントを付けている。


 洋服も、冬の凛とした空気を余すことなく伝える、見目麗しいサンタコス。

 彼女がガタガタと乱暴に引いているのは、ゴミを紐でくくりつけた子供用のソリ。


 胸を打つ景色を台無しにする変な女と鉢合わせた俺は頭を抱えていた。


「…………なにやつ。不審者、排除」


 俺達のクラスの担任、美嘉ちゃん先生が、ソリの紐をがりがりと引きながら空手のポーズをとっていた。


「おととい自分の車に乗せた教え子へのセリフじゃないと知れ。それより、なんだその格好」

「…………あわてんぼうのサンタクロース~♪」

「うん、慌てすぎ。三百六十日も早く来てどうする」

「…………まちがえて、ごみを持ってきたー」

「一旦グリーンランドへ帰れよ、サンタ。十分間に合うからさ、サンタ」

「…………では、せめてこれを。一年間エロい子にしてた七色そらはしへ」


 そう言って、サンタは俺の手にプレゼントの紐を優しく握らせてくれた。


「ごと渡すんじゃねえ。ゴミの回収終わっちまってるだろ、迷惑だ」

「…………違う。学校の焼却炉。全て焼く」


 ああなるほど、よく理解できた。ただの職権濫用か。


「持ってかねえよ? 十河そごうを待たせてるんだ」

「…………ご褒美もある。この衣装もゴミ」

「すまん。なにが褒美なのかまるでわからんのだが」

「…………燃やせばすっぽんぽん。帰りの私は、ちょっとダイタン」

「間に合ってます」


 俺は十分後にパトカーのサイレンが聞こえても相手にしないと心に決めながら、ソリの紐を美嘉ちゃん先生に突き返した。


 だが、この天使は日傘を閉じて目の前に掲げたまま受け取ろうともしない。


「…………私の歌、聞いた、七色そらはし

「さっきのサンタの歌か? ちょっと上手くて驚いた。それよりこれ、自分で持ってけよ」

「…………世に、私の歌を聞いた記憶のある者はいない」

「え? 人間が天使長の歌を聴くのはあかんの? 記憶消される?」

「…………そんなルール、無い。私が恥ずかしいから、七色の命を消すだけ」

「個人的なジェノサイドかよっ! あぶなっ!?」

「…………違う。これは、ジャッジメント」


 音が後から襲い掛かってくるような鋭さで、日傘が俺のこめかみをかすめた。

 恐れおののく俺の目を、天使の、ガラス玉のような瞳が捉えたまま離さない。


「…………安心するといい。一瞬で終わる。言い残す言葉、聞こう」

「い、言い残すって……、そんな……」

「…………遺品も、親族へ届けておく」

「遺品?」


 俺が今持っているものと言えば……、財布、携帯、紐、ソリ。


「ごみソリをよそんちへ送りつけるな!」


 俺は天使長の顔面に、クリスマスプレゼントをぺちんと叩き返した。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 エントランス・ホールは、まるで夜逃げの準備中といった有様になっていた。


 半透明のコンテナは整然と積み上げられているものの、その量たるや百をゆうに数えることが出来る。

 コンテナに収まらない、テントのような袋や鉄パイプなんかも大量に積み上げられているが、一体何の騒ぎだ?


 そんな貨物の小山の上で、黒髪ロングのクールビューティー、十河そごう沙甜さてんがクワットロ・ペンキーネに指示を飛ばす。


 今日の彼女は指揮官にふさわしいアーミールック。そして、だぼだぼなフライングジャケットの裾ギリギリからは十河の代名詞でもあるミニスカートが覗く。


 こういう時の彼女は頼もしく、凛々しく、美しく、そしてちょっとお茶目だ。


「コンポラはこれで全部か!」

「いえ、あと三十!」

「では残りのコンポラもエントランスへ運んでおけ! からでも使い道があるからな! 一条はコンポラを用途分けできているのか?」

「いえ、それは運搬を終えてから始めようと……」

「分別を優先しろ! えっと、あとは……」

「コンテナだ、コ・ン・テ・ナ!」


 俺が突っ込みを入れながら皆に近付くと、揃って口に指を一本立ててにらみつけてきた。

 その様子に気付いたクールな指揮官が、素早く皆を見回す。


 だが彼らはそれより少し早く、我関せずと言った表情で黙々と動き出した。


「年末大掃除か?」

「おはよう、七色。いきなり恥ずかしいところを見せた」

「このあいだ説明したろう。それを恥ずかしいとは呼ばん」

「たしか……、萌えだったか?」

「違う。あざーすだ」

「あざーす。よし、覚えた」


 十河は照れくさそうにしながら小山から下りようとして、そして元の体勢に戻って腕を組んだ。


「……降りられん」

「じゃあどうやって上ったのさ」

「これではまるで木の上の子猫。……おい七色。これが前に言っていたフラグというものか? 萌えるか?」

「これはお約束の方だ。だが安心しろ、ちゃんと萌える」


 四人組も作業の手を一瞬だけ止めて彼女を見上げ、くすくすと笑いを零す。


 それに気づいた十河は上半身だけで素早く振り向いたが、既に彼らはせっせと作業していた。

 だーるまさんが、ころんだ。


「……七色、降ろしてはくれまいか?」

「それほどの高さじゃないけど、飛び降りるのは怖いよね」

「下から見る高さとは違うのだ。自分の身長分、高く感じてしまう」


 十河はそう言いながら少ししゃがんだのだが、俺の目線に気付くとフライングジャケットの裾を引っ張って水色の何かを隠した。


「気にしすぎ。見てないって」

「……うそだ。なんだそのにやけ切った顔」

「うそじゃない」


 お前との、今日までの経験を舐めないで欲しい。

 こんなの見えたうちに入らない。


「ちょっとお前、傍まで来い」

「ってことは、何か降りる方法を思い付いたんだな? ……まさかお仕置きじゃないよね?」

「おっと、ストップ。そこですっぽんだ」

「任せろ、得意なんだ」


 俺がうずくまると同時に、固い靴底が電撃と共に甲羅に乗った。


 攻撃エフェクトが床を這い、心臓が一瞬止まったような感じがしたけど、これくらいなら大したことは無い。

 口調は冷たいけど、それほど怒ってないみたい。


 しかし、いつから感情で痺れ具合をコントロールできるようになったんだっけ?


「なあ十河。もう少し穏便おんびんな降り方は無かったのか?」

「罰と問題解決、一石二鳥ではないか。さあ、とっとと立て。ついてこい」


 俺達にとっては慣れたやり取り。

 俺は悲鳴どころか文句ひとつ漏らさず立ち上がって十河の後を追う。


 だが、皆が俺を見る表情に気付いて、自分の過ちに気が付いた。


「俺がお前のパンツを見て感電するまでの流れって、やっぱり世間ではおかしな事みたいだ。みんなが、初めてギャル語を聞いた時の徳川家康と同じ顔してた」

「電撃の方は普通なのだがな。貴様のエッチな目が異常なのだ」

「エッチは普通だぞ? 電撃がおかしい」

「じゃあ、そこは妥協してやるからお前は頭がおかしいことを自覚しろ」


 会話の中に登場した「エッチな目」と言う単語。

 どうやらこれは、偉大な王に献上するにはちょっと不適切な物らしい。


 俺は、背中に感じる視線が殺意を帯びたものに変わり始めたことを悟ると、十河を追い抜いて足早に廊下を進んだ。


 なんだよ。お前らだって、お尻の側からチラチラ見てたじゃないか。

 俺ばっかりお仕置きなんて不公平だ。


 そんなことを思いながら十河へ振り向くと、いつものクールな無表情が俺の目を見つめていた。


 それだけいつも見てくれているんだ。

 俺の目がどこを見ているか、簡単に分かるよね。


 彼女が俺をいつも見てくれるから、怒られることになるわけで。

 ……今後、お仕置きの際には、むしろ喜ぶようにしよう。


 多少残っていた理性が耳元で警笛を鳴らしているが、俺はそうすることに決めた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「……今日は美味い物を食べようと言ってなかったか?」

「あたしもそれを望む。だから、七色次第になったわけだ」


 俺は、いつぞや通されたキッチンで、十河からエプロンを被せられた。

 そして自分は、テーブルに置いたメイド服を確認している。


「手伝う気はゼロなのね」

「何を言う。手伝うぞ?」

「だって、歌う気満々じゃない」

「無論だ。応援歌のレパートリーを増やしておいた」


 仕方がないので、それは楽しみと返事をしながら冷蔵庫を開いた。

 そこに並ぶのは、存外大量の食材たち。


 しかし、こいつは本気で料理を手伝うって日本語を勘違いしている。

 家庭科の実習で習ったとでもいうのか?

 五.ここで何人かの生徒は、野菜を切っている人にラブソングを歌います。


「使っていい食材、どれ?」

「驚くなよ? 全部使って欲しいのだ」

「驚いた。食い切れるわけねえだろ」

「ははは、冗談だ。だが、そこにある物は好きに使っていい」


 まさに年末大掃除。

 でも、こいつは渡りに船というやつだ。


「それでは、ちょっと着替えて来る」

「待ってくれ、十河。今日の俺は鬼の教官だ。何としてでもお前とご飯を作る」

「だから着替えてくると言っている。これを着ないと歌えないではないか」


 そんな真面目な顔だと勘違いしそうだけど、言ってる事めちゃくちゃだからね?


「今日はマイクの代わりに包丁を握ってもらう。お前に、肉と野菜を切らせる」

「教官とやら、聞いて欲しい。料理というものはそこからが問題なのだ。切るくらいなら、ギリなんとかなるやもしれんが……」

「ならば、まずはこれを解読せよ」


 俺は、ポケットからいつものように紙を取り出して十河に渡した。



WhenXII

WhereIII

WhoVI-IV・I・IV

WhatII・IX

WhyVIII・IX

HowIX・IV



「今日の暗号は5W1Hか。普通に考えれば、ここに一つの文章が浮かび上がるのだろうが……、いや、当て字だな。今回は簡単そうだ」

「今までで一番簡単で、一番難しい」

不穏ふおんな表現だな」

「ああ、頑張れ。俺は料理の準備を始めておくから」


 冷蔵庫から肉を取り出して、いつものようにぶつぶつと独り言を始める十河の様子を窺う。

 すると、紙を持ったままキッチンから遠ざかっていく彼女の背中が見えた。


 無意識なのか意図的なのか。

 いずれにせよ、そんなに料理がいやなのね。


「「何を」が「肉」か。「どうして」が、「履く」? 「どのように」が、「櫛」。……ふむ、分からなくなってきた。当て字ではないのか? 「どこで」が、三では読めない」


 そう、簡単な所は簡単。だけど、難しいところはかなり難しい。

 俺は十河の表情がころころ変わるのを楽しく眺めながら、今度は野菜を選んでアイランドキッチンに並べていった。


「うん、読めた。肉を、焼く。そして串。答えはバーベキュー。どうだ?」

「確認すればよかろう」


 俺はお約束タイムに入ったことに気付かないふりをして、彼女のことを見続けた。

 そしてそろそろ雷が落ちるかなというタイミングで、クールな無表情に笑みが広がっていく様を目の当たりにした。


「ふっふっふ。七色、破れたり!」

「何だ急に」

「いつもいつも、貴様にはこのパターンであたしの貞操を汚されてきた。もはや貴様は向こう一世紀分、あたしの下着を見て来たのだ」


 それだけ見せてくれるなら、何世紀分でも前払いしてくれそうだな。

 今日も期待しておこう。


「だが! 今日のあたしには必殺技があるのだ! 見ておけ! じゃなかった、見るなよ?」


 ややこしい指示を出された俺が見ている前で、十河はどや顔でジャケットのファスナーを少し下ろして、袖から腕を抜いた。


「ふふっ、どうだ!」

「どうだと言われましても」


 十河はジャケットの中で腕組みをしているようで、バストサイズがとんでもないことになっている。


「……ああ、分かった。プールの着替えみたいなことをするのか」

「正解! さあ、あたしの有り余る智謀の片りんを、そこで指を咥えて見ていろ!」


 十河は大きく息を吸って口を閉じると、ジャケットの中に頭を突っ込んだ。

 プール繋がりなんだろうけど、息を止める必要はないでしょうに。


 そしてしばらくもぞもぞ動いていたかと思うと、ぷはあと顔を上げた。

 ……その顔が、なぜか俺を恨みがましくにらみつけている。


「……暗くて見えん」

「あたりまえだ」


 十河は再び息を吸ってからジャケットの海へ飛び込んで、今度はさっきより大胆に動き出す。


「智謀ねえ。……なあ、十河。策士、策に溺れるって言葉、知ってるか?」


 これは、いつもの比じゃないよ。

 ジャケットの裾からちらちらと覗く水色。

 まるっと見えるよりも、はるかに強烈じゃないか。


 しかも、それをとがめる相手は視界がゼロとかなんたる見放題。


 だが俺の目は水色よりも、そのすぐ隣に見える赤い文様もんように釘付けになっていた。


 右の腿、その付け根に巻かれた赤い連鎖。

 あの刺青のような文様がレトリビューション・チェーンか。


 初めて見たけど、ずいぶんセクシーな意匠いしょうなんだな。


「ぷはあ! やっと確認できた。まだ残っているな……。正解ではないのか?」

「あ……、ああ、そうね。これは全部が読めないと正解とは言えないから」

「全部。……Whenと、Whereと、Whoか。Whenは十二時ということだな?」

「うん、正解。後の二つが難しいと思う」


 十河はジャケットの中で腕を組み、俺の顔を見ながら考える。

 こうなると、目線を下げるわけにはいかない。


 俺は凝視したい気持ちを押さえながら、赤いガーターのような模様と水色の三角形を視界のぎりぎり隅に置いた。


「Who。誰。六引く四、一、四。そして場所は見当もつかん。み、さん、みっつ」

「その二つはね、当て字じゃないんだ」

「なに?」

「十河が問題を作る気持ちになると解けると思う」


 そんな俺の言葉に、十河が予想もしないほどの食い付きを見せた。


「あたしが……、あたしが!? 暗号を作るのか!」

「えらい勢いだけど、まさか作ってみたかったのか?」

魚鳥木ぎょちょうもくの時にな、そう感じていたのだ。……そうか、まず答えがあって、それを暗号にすると考えるべきだったんだな」

「ちょっと違うぞ。答えにしたい文章とのすり合わせがポイントなんだよ。候補をいくつも考えて、それに当てはまるか試行錯誤するんだ。昨日の数式みたいにね」


 俺の説明に、十河はしきりに頷いて返事をすると、


「場所は想像がついた。バーベキューと言えば、裏の河原のことだろう」

「そう。あそこを答えにしたかった」

「III……、河原……、ああっ!」


 おお、場所が分かったか。

 

「まさか、漢字だったのか! お前はどうしてそう突飛とっぴな発想ができるのか!」

「そっちは序の口。最後のが、超難問だ」

「ふむ。誰が。……あたしはお前と二人で食事がしたいのだが……、ふむ」


 十河は再びジャケットに袖を通すと、ポケットから暗号の紙を取り出した。

 そして遠目に見たり、逆さにしたりと唸り続ける。

 ヒントを出したいけど、ここは我慢だよね……。


「ちょっと頭を休めるか……、ん? 七色、いくらなんでも食材を出し過ぎだ。二人でどれだけ食べる気だ?」


 十河は肩を回しながら、俺の前にずらりと並んだ食材に目を向けた。

 なんと、こんなものがヒントになるとは。気付け気付け。


 俺はちょっとだけわざとらしく、口を両手で塞いでみた。


「言えない理由があると言う意味か? ……まさか!」


 十河は慌てて暗号の紙を広げて、いつものクールな表情を浮かべる。

 いや、いつもより眉根が寄っているかな。


「そもそも答えが違っていたとは……、バーベキューだものな、二人ではなく、六人だろう。ならば最初の六は人数……」


 もう、答えは口にしてる。後はたどり着けるかどうか。


「問題を作る時、あたしならどうする? VとXとIを使って、六人と言いたい場合……、にん。人。NIN…………はっ! 分かった!」


 彼女が叫ぶと同時に、さっきから丸見えだった腿の赤い文様が、生き物のようにほどけて消えていった。


「IとVをNに見立てたのか! WHOは、六-NIN、六人が正解だ!」

「つまり?」

「十二時に、川で、六人が、肉を、串で、焼く! どうだ!」


 十河が慌ててジャケットに頭を突っ込むと、水色パンツがすっかりあらわになった。

 ドジっ子と言うより、ちょっとバカな子のようで微笑ましい。


 まあ、今日は散々拝ませていただいた情けだ。その最後のサービスは丁重に遠慮しておこう。


「……なあ、七色」

「ジャケットの中で、もごもご言われても」

「こうしていないと、お前を串刺しにしそうなのでな」

「バーベキュー大会のスペシャルゲストってわけだ」

「あたしにまるで見えないのに、貴様からは良く見えて、最後に七色が八つ裂きになるものなーんだ?」

「声で察しなさいよ。後ろ向いてるから」

「……おお、分って来たではないか。今日は褒めてやろう」

「それは謹んでお断りさせていただく」


 さすがにそれを受け取るほど厚顔無恥ではない。

 いや、うそ。

 バレた時が怖い。


「なるほど、すべて合点がいった。確かに切るだけならあたしにもできる」

「ああ、それっぽく切って、串に刺すだけだ」

「今日こそあたしがあいつらに振舞うのだ。野菜と肉はあたしが切るぞ」

「全部一人でやる気か?」

「お前が知らぬのも仕方のないことだが、これでもあたしは料理好きなのだ」


 俺達は顔を見合わせて笑った。

 そしてエプロンと包丁を俺から受け取った十河は、楽しそうに料理を始めた。


 今日はすべてが、いつもと違う。


 料理が苦手な彼女が、笑顔で野菜を切る。

 あれだけ無表情だった彼女が、笑顔でお肉を切る。

 そして俺はあれだけパンツを見たのに、笑顔で八つ裂きにされていない。


 今日はすべてが、いつもと違っていた。

 ……だからだろうか。俺は、何かを予感し始めていた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 この寒空の下でバーベキューというのもどうかと思ったが、意外にもみんなは喜んでくれた。

 まあ、その理由は簡単だったのだが。


「姫様が切ったお野菜!」

「生でもいいけど、焼いてからだよ、三木」

「姫様が切ったお肉!」

「生はダメだよ、それ豚肉だからね、一之瀬」


 ウェヌス・アキダリアの裏手、丘の先を切り取るように流れる小川のほとりに建てられたバーベキュー小屋。

 そこで俺達は、季節外れのイベントを楽しんでいた。


「炭なんか使ったことないや。美味いの?」

「ああ。素材の中まで火が通る。直火じかびと違って表面を焼き過ぎる心配がない」


 真面目な二条が説明しながら、炭を煙突みたいに組んでいた。


 ちょっと男子としては炭の使い方とか覚えたいところだけど、こいつは温厚な物腰のわりに、作業の邪魔をすると説教が始まるからたちが悪い。


 俺が手も口も出さずに見守ることに決めた時、三木が野菜の串を生で齧りながら近付いてきた。


「七色君、今日も姫様に暗号のプレゼントしたの?」

「ああ。気に入ってくれてたよ」

「じゃあ、もう一個作って! そこにお肉とか隠して、皆で探そうよ~」

「十河と同じ発想だな。宝探しじゃないぞ」

「何が違うの? 宝が埋まってたら楽しいと思うのに~」


 俺はこの聞き覚えのある会話を知る、もう一人の顔を見た。

 だが四宮に教わりながらバーベキューソースを調合している最中だったようで、話を聞いていない。


「それさ、十河が教えてくれた俺の夢なんだよね」

「へぇ。叶うといいね。宝探しする時はあたしも呼んでね?」

「ああ、分ったよ」

「何の約束だ? 姫様の目の前で浮気とは感心せんな」

「俺にそんな度胸ねえよ。暗号で宝探しやろうって話」


 四宮に説明したら、その隣で嬉しそうにはにかむ黒髪の女の子が、多分指定された量以上のマスタードをソースの中に絞り出していた。

 照れるなら、もうちょっと味の薄い調味料の時にしてくれ。


「面白そうだな。姫様から聞いて、私も興味があったのだ。何か謎をひとつ披露してくれ」

「芸じゃねえ。それに、お前のご主人様がやきもちやきだから無理。左手をご覧ください」

「そうだ! あいつの暗号はあたしのだ! 取るな!」

「も、申し訳ございません姫様」

「姫じゃない!」


 おろおろとする四宮と、むくれたままマスタードを投入し続ける十河。

 そこに一之瀬がなだめに入ったが、十河はさらにふくれっ面をヒートアップさせながらタバスコの大びんを手にした。


 やれやれ、仕方のない奴だ。

 俺は未来を見据えて、野菜の串を生で齧り始めた。


 ……十河と二人だけの時間も大切だけど、こうやって皆でご飯の準備をするのは楽しいものだ。


 さらに三木もなだめに入ると、なんとか十河の機嫌が直ったようだ。

 だが、そこで何か事件が起きたようで、四人が調味料をがさがさとかき回す。


「何やってんの? 今更マスタードの入れ過ぎに気付いた?」

「いや、そうではないのだ。マヨネーズが見当たらない」

「そのソース何でも入るんだな」

「いや、マヨはただの薬味だ。豚肉にはあれが一番」


 とんだお姫様だ。まあ、同意はするけど。


「姫様、私が取ってきます。他に足りない薬味はありますか?」

「落ち着け四宮。マヨネは薬味に分類しないだろ」

「ここ、ウェヌス・アキダリアではこれが常識だ。覚えておけ」

「ストライクゾーン広いな、薬味。だったら暗号に入れる余地あったかも」


 俺が暗号と口にしたら、全員が揃って顔を向けてきた。

 そんなに興味があったとは。でも、ここは俺じゃなくて……。


「なあ十河。お前が暗号を披露する機会ができたぞ?」

「ああ任せておけ。ええと紙は……、無いから、これでいいか」


 十河は炭を一本手にすると、地面にガリガリとローマ数字を書き始めた。



 VIII・IX・III



「さあ! これを何と読む?」

「八、九、三、ですか」

「やくざ」

「三木はすげえなあ。感心するよ」

「わはははは! 今の話の流れなら、薬味だろうが! そうですよね、姫様!」

「ああ、正解だ」


 三木と四宮が拍手で称える。

 しかしそこでドヤるのは一之瀬の仕事だと思うぞ、姫様。

 俺は自慢げに胸を張る十河の隣に並んで、Iの字を右に書き足した。


「こうやって一つ足すと違うものになるってネタも考えたんだけどね」

「ほう、白菜に化けるのか。面白いが、それはバーベキューに向かんだろう」

「だから却下したんだ」

「はいはい! あたしも思いついた!」


 今度は三木が炭を持ち、白菜の下に何か書き始めた。



 877



「ローマ数字じゃないんかい」

「だって知らないもん」

「ふむ……、三木よ、これはバナナか?」

「そうです! 姫様正解!」

「ああ、これなら焼くと美味しいよね。……どした、二人して苦い顔して」

「焼いちゃヤダ~」

「ああ、まずそうだ」

「美味いんだって!」


 俺が周りに同意を求めるが、王が却下した物を臣下が肯定するはずもない。


「バナナは焼かずにデザートとして頂こう。あたしはこちらの方がいいが」


 I・V


「それも焼いたらおいしいって知ってる?」

「焼いちゃヤダ~」

「ああ、まずそうだ」

「ちきしょう! 二条だけが頼り! 美味いよな!」


 俺は作業を終えたばかりの二条に助けを求めたが、こいつはうまいこと話題を変えて逃げに入った。


「同じ焼くなら、シシトウならどうだ? まあ、ローマ数字では書けないがな」

「そうだね。ローマ数字は四千以上が無いからね」

「無いの?」


 三木が驚いた顔で見守る中、俺は「877」の下に「DCCCLXXVII」 と書いた。

 すると四宮も寄ってきて、


「七色、それも暗号か?」

「八百七十七って書いたんだよ」

「お前はこういうの詳しいな。何の役に立つというのだ?」

「そんな呆れ顔で言わんでくれ」

「あたしも書けるぞ?」

「姫様は本当に博識ですね。有用な知識と存じます」

「四宮の中で、俺と十河の価値の差な」


 俺が四宮をにらみつけると、こいつも負けじとにらみ返してくる。

 そんな俺達を見て、皆は大声で笑い出した。


 寒空の下、同級生六人。

 俺が早く勇気を出していれば、こんな楽しい時間をもっとたくさん過ごすことが出来たのに。


 卒業までの三か月。こんな風に笑い合う機会はあと何度あるのだろうか。

 俺は少し切ない気持ちになりながら、黒髪の女の子を見上げた。


 ……やっぱり、十河も同じ気持ちでいてくれたようだ。

 その眼もとには、少しだけ涙が滲んでいた。


「さて、では作業に戻ってくれ。四宮にはご苦労だが、マヨの調達を頼む」


 十河の号令で、四人はバーベキューの準備に戻った。

 彼らの機敏な動きに俺のような感傷はない。


 二条がコンロに炭を並べて、一之瀬が洗った金網を乗せる。

 その一之瀬に三木が食材を手渡している間に、二条がソースと刷毛を取って来て三木のそばに置く。


 声もかけずにこの連携。俺が呆気にとられて見ていたら、肩を軽くビリビリと叩かれた。


「凄いだろう? 彼らは、あたしの自慢だ」

「うん。俺があそこに混ざったら邪魔になるだけだ。同級生の凄いところを見るとへこむなあ……」

「お前だって凄い。ローマ数字を一文字ずつに分けたのは、あたしへの配慮だろう」

「そうだね。十河が知らないかもって思ったから」

「やはりな。愛情がこもっている。お前が作る暗号は素敵だ」

「そんな大層な物じゃないけど」


 川の字とNの字のトリック隠しでもあるわけで、そこまで立派な話ではない。

 俺はしゃがんだまま、まるで一つの機械のように動く三人を見つめていた。


「他に、思いついた数字はあったのか?」

「ああ……、そうだね。どうしても入れたかった数字があったんだけど、これも似たような理由で諦めた。読めなきゃ意味がないと思って」

「どうしても入れたかった? ぜひ聞きたいな。それはなんだ?」

「……DCCCXXXI」

「ん? もう一度頼む」


 十河が炭を手に取ろうとしたので、俺は代わりに地面へ書いてあげた。


「八百三十一。ああ、それも刺さないとな」

「俺の愛を串刺しに!?」

「何を言っている。野菜が愛?」

「………………ああ、ほんと。野菜だね」

「変なやつだな」


 あぶな……。そうか、気付かなかった。Whyをこれにしないでよかった。

 やっぱり、十河でも知らないことがあるんだな。


「あるいは、別の読み方があるのか?」

「じゃあ、問題です。八つの文字で書けて、三つの単語でできていて、一つの意味になるもの、なーんだ」

「山ほどあろう」

「雰囲気で答えてよ」

「雰囲気。…………やき にく たべたい」

「……正解」

「本当に変な奴だな」


 音と香りが、バーベキューの開始を告げている。

 そんな楽しい雰囲気の中で、俺は苦笑いを十河に向け続ける事しかできなかった。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「さっきの暗号、正解じゃないだろう」


 バーベキューの後片付けを終えて、皆は屋敷に戻ったのだが、俺は河原に残った十河と静かな時間を過ごしていた。


 耳には、せせらぎと十河の声が届く。

 目には、物悲しくも風流を感じる景色と十河の横顔が映る。


「正解だって。ちゃんとレトリビューション・チェーンが外れたろ?」

「そちらではない。831の読み方の話だ」

「ああ…………、照れくさいから、その話はあとで」


 英語圏では有名な使いまわしだとネットで読んだのだが、よく考えてみたらお堅い十河が気にするような話題じゃない。彼女が知らなくても当然だ。


 俺は恥ずかしくて十河の顔を見ていることも出来ず、川と木々が織りなす景色に逃避していたのだが、この姫様は強引に迫って来た。


「あとで? 後なんかないぞ。今教えろ」

「うわ、近い! 顔を覗き込むな! 髪が当たってめちゃめちゃ痛い!」

「我慢しろ。八文字で、三つの単語、一つの意味。それは何だ」

「あ……、I LOVE YOUです」


 髪がかかった部分から走る痛みと恥ずかしさのせいでひきつった顔。

 まさかこんな表情で愛の告白をする羽目になるとは。


 だが十河は顔を赤くして、嬉しそうな顔で自分の胸元に指を添える。

 そこは、俺からのプレゼントが下がっている場所だ。


 そろそろ体の至る所が悲鳴を上げているのだが、こんなに嬉しそうにしている彼女を突き飛ばすわけにはいかない。


「今日は強引だね。後なんかないとか言ってさ……」

「……七色は、急な話とか、急な展開とか、どう思う?」


 離れて欲しくて話題を振ってみたんだけど逆効果。

 十河はさらに近付きながら俺の肩に手を添えて、突き放すために必要な腕の自由を封じてきた。


「わわわ、悪いことじゃ無なないと思う。俺はわわ苦手だだけど」


 呂律ろれつが我ながら面白い。

 さすがに感電に気付いてくれた十河は、苦笑いを浮かべながら名残惜しそうに俺から身を離す。


 ……本当に名残惜しそうに、最後まで俺の肩を手放すことを躊躇とまどいながら。


「あたしも、急な変化は苦手なのだ。できればゆっくりと変化していきたい」


 悠久の時を、遅々とした変化で成長する彼女。

 それはまるで自然の変化のように、人の目に留まることもなく移ろいゆくものなのだろう。


「だが、そんなあたしの願いを聞きもせず、土足であたしの聖域に踏み込んで、時計の針を強引に回してしまう男が現れた」

「それは……、ごめんなさい」

「謝るな。……あたしは、良い変化だと思っているのだ。……もっとあたしを、変えて欲しい」


 普段は、俺の目をまっすぐに見ながら話す十河が俯いたままだ。

 彼女の照れくささが俺にも伝染して、目をどこに向けていたらいいのか分からなくなってしまった。


 時は止まっているのだろうか。それとも流れているのだろうか。

 川は流れ、一時も同じところに留まっているはずが無いのに、ただその場で上下しているだけのよう。

 白波が刻む激しいリズムに、鼓動が同調して早鐘のように打ち始めた。


「変化……。そ、そういえば、友達が欲しいって言ってたよな。砕けた話し方をすると、もっと親しみやすくなるかも」

「この口調は、王としてしかるべきものだ。簡単には変えられん」

「王である責務は、その行動で十分示していると思うから安心して。……俺には、たまに砕けた話し方するじゃないか」

「えっと…………、こ、こんな感じ?」

「そう、それ。親しみやすくて……、すっごく可愛い」

「かわ……っ!」


 ようやく目を合わせることができた十河は、もはやクールビューティーという異名を仮面ごと脱ぎ去っていた。

 照れくささと嬉しさに満ちた表情が、砕けた口調と共に、ありのままの姿をさらけ出している。


「七色は……、あたしの中の扉をいくつ開く気…………なの?」

「ほんと可愛い。なんで今までそうしゃべらなかったんだよ」

「う、うるさい! 今度それ言ったら、元の口調に戻ると知れ!」

「戻ってる戻ってる」


 俺が笑いかけると、十河も不器用な笑みを零した。


 でも、それをバカになんかできないよ。俺の方が不器用に、ひきつった笑い方をしてるはずだ。


 さっきから、心臓がパンクしそう。

 どれだけ体験しても慣れることなんかない。


 大好きな子が隣で笑っているなんて、どうしたらいいのかまるで分からない。

 

「七色は。本当に素晴らしい男だ」

「それだけは無いかな。他人に言えないようなマイナス点がいっぱいあるし」

「正直に見せて欲しい。それを含めて七色だ。あたしは否定しない」

「正直に、ね。まずそれが下手くそかな。俺は十河と違って、嘘をつくことあるし。……もちろん、いい嘘としてつくわけだけど」

「変に着飾るのは愚かし……、だ、だめよ。正直な方がいい」


 早速、口調を変えようと頑張ってるな。


 彼女は、どれだけのあいだ貫いてきたのか見当もつかないその生き方を、俺の言葉をきっかけに変えようと努力している。


 俺だって、見習わなきゃ。


「わかった。見栄を張ったり嘘を言ったりしない。最後に一つだけ嘘を言って、それで最後にする」

「変な嘘は、嫌だぞ」

「……俺は、十河と付き合いたく無い」


 さっきまで着飾って笑いを作っていたのが噓のよう。

 俺は心からの笑顔で、彼女を見つめることができた。


「……あたしだって、たまには嘘をつかせてもらおうかな」

「なにそれ。変な嘘は、嫌だぞ」


 十河は、黒髪を風に吹かせたままに、長い沈黙を作った。

 やがてぎこちなかった笑顔が柔らかいものに変わり、一つだけ涙を零して、


「あたしは、お前と付き合わないと決めた」


 そう言って、俺の手を握り締めた。


 細い、白い指が俺の手を包んで震えている。

 変化への恐怖か、矜持きょうじへの背徳によるものか。

 でも、安心して欲しい。俺がいつでもそばにいてあげるから。


 そんな思いを込めて、彼女を抱きしめた。

 力加減など分からない。なにせ初めてのことだし、全身が痺れて感覚なんかまるで無いからね。


 心臓が爆発しそう。

 これは電撃によるものか、大好きな子を抱きしめたら普通にこうなるものなのか、分からない。


 ……分からないことだらけだけど、一つだけは言える。

 君との恋は、きっとこんなことの連続なんだろう。


 まさに命がけの恋が、今日、始まった。



 続く。


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