「名媛」は「凛凛」たる「夜」「蝶」となり「玻璃」の「幾千」「伝」て「結」ぶ「愛」 「沙」てんさんへ ~聖なる夜に~

 十二月二十四日。

 天使、悪魔、そして人間が住まうこの地は、平和で幸せなクリスマスイブを迎えていた。

 こうやって言葉にすると、普段は種族間のいさかいが存在しているように聞こえるかもしれないが、そういったものはまったく無い。

 もちろんケンカやいざこざの類は至る所で発生しているだろうが、その原因は人間しか暮らしていない地域のそれとまったく同じもので、差別や別種族への嫌悪という理由であることは皆無だ。


 ……だからこれも、身分や種族とは一切関係が無いことをここに示しておく。


「先日は誠に申し訳ありませんでした」

「何のことか分からないから謝る必要はない。だから何も気にせずとっとと出てけ」


 俺たちが通う、国立多羅たら高校。その正門から通りを挟んで正面に建つログハウス風の喫茶店『シャマイン』は、学校帰りの高校生に占拠されて一般客があまり寄り付かないというのが常だ。

 だが今日は、八人のお母さんと十人の子供達のために貸し切りとなっている。

 そう、この喫茶店の経営者主催、クリスマスパーティーの真っ只中だ。


 にぎやかな音楽。きらびやかな飾りつけ。暖かい料理と飲み物。

 カウンターと奥のテーブルでは母親ならでは、途絶えることの無い女子トークが花を咲かせ、中央に広く作ったスペースでは子供たちが走り回る。

 実に微笑ましく暖かな光景ではないか。


 ……まあ、すっぽんのポーズではそんな光景を見ることは出来ないのだが。


 俺がフローリングに平伏の姿勢から顔を上げると、サンタ服に身を包んだ女性のむすっとした横顔が映った。

 木椅子に深く腰かけて、ミニスカートのファーから伸びた真っ白な足を組んだ彼女の名は、十河そごう沙甜さてん

 黒髪のクールビューティーで、俺が長年片思いを続ける優しい女性。

 だが、優しい彼女だって怒る時は怒る。


「姫様、七色そらはしが何やらかしたか聞かせてくれませんか?」

「姫様のことを突き飛ばした時あれだけ拷問したのに。今度は何したのよあんた」

「俺も知りたいです、姫様」

「あたしは踏みたいです、姫様」

「姫ではない。殿下と呼ばんかばか者。そして勘違いするな、あたしは怒ってなどいない。もしも怒るようなことがあるとするなら、どこかのばかが同じ過ちを繰り返した時だけだろうからな」


 じゃあ怒ってますよね。というか、あれで怒ってない方がおかしい。

 何で俺は二日続けてエロネタ厳禁という女の子のパンツなど見てしまったのか。


 俺を囲んで仁王立ちするクワットロ・ペンキーネの視線が痛い。お前らは何でそう十河の事となると同級生にさえ容赦が無くなるんだ?


「姫様がそうおっしゃるならそうなんでしょうけど……」

「じゃあ七色。なんでてめえはバトルフィールドに土下座をセットしてからの謝罪フェイズなんだよ」


 言えない。昨日も可愛いパンツを拝ませてもらったとか死んでも言えない。


「怪しいな。何を企んでるんだ、お前」

「そうしてると、パンツが見えるから?」


 ちょ! おまっ!


「見えてないぞ! だから十河、そんな勢いでスカートの裾を引っ張るな歯ぎしりするな俺をにらむなフォークはテーブルに戻せ! 子供たちが驚くから!」


 NGワードのせいで昨日の怒りを再燃させた十河だったが、俺の指摘に咳払いを一つ入れながらフォークをテーブルに戻した。

 そしてクワットロ・ペンキーネに子供たちへのおもてなしを改めて命じて、こちらのやり取りに興味を示した何人かの目を誤魔化した。


 子供を使うのは卑怯だったかもしれないけど、でも実際、あんな姿を子供に見せるわけにはいかないからね。

 それにしても、さすがは三木みき。ぽわっとしてるくせにピンポイントで急所を穿うがってくるぜ。

 多羅高の『悪気はない暗殺者アサシン』という通り名は伊達じゃない。


 彼ら、一之瀬いちのせ二条にじょう、三木、四宮しのみやの四人は俺と十河のクラスメイトであり、十河と同族だ。そして自分たちの王である十河に、特に心酔する連中でもある。

 十河は彼らをサーバントと呼び、家では執事とメイドを、この店ではキッチンとフロアを任せているということだ。

 もっとも、今日の彼らは子供達にとっての優しいお兄さんとお姉さんと言った方がしっくりくる。

 皆がサンタ服のすそをちびっこに引かれて一緒になって遊んでいる姿は、俺の口元を自然とほころばせた。


「あいつら子供あやすの上手いなあ。……子供達、楽しそうでいいね、十河」

「十河は生憎あいにく欠品中だ。他の注文をどうz……なしかけるな」

「お前は行かないの?」

「あたしはよいのだ。きっと後で寂しくなるに決まっ……だから話しかけるな」


 ちっ、おしい。……でも今、変な事言いかけたな。

 何か言葉を飲み込んだ十河は、鼻息と共に椅子に深くかけ直した。

 その視線の先には、テーブルを挟んで彼女とは対照的な銀色のストレートヘア。

 多羅高校教諭にして十河の友、白鷺しらさぎ美嘉みかさんが座っていた。

 美嘉ちゃん先生に対して、十河は砕けた話し方をする。


「…………沙甜、大変珍しい。大好物のイチゴタルトを目の前に食べようとしない。伸びてしまう前に私が食べよう」

「伸びねーわよ。そしてこれを取ったりしたら、またあんたの国と戦争だからね」

「…………仕方ない。ではイチゴだけで我慢」

「そっちがメインでしょうが! ああもう、フォークを伸ばすなばか美嘉!」


 品位と威厳を常にまとう十河だが、太古からの友人相手だとそのかせが外れるようだ。話し方ばかりでなく、表情も豊かになる。

 対して、美嘉ちゃん先生は他の先生方、つまり天使達と同じで表情が変わることは一切無い。ガラス細工のような水色の瞳も正面を向いたまま動くことが無いので、見慣れている俺ですらたまに不気味に感じることがある。


 でも、俺たちの担任でもある美嘉ちゃん先生は人気者だ。

 発想がぶっ飛んでいて、会話がとにかく面白い。

 ……ああ、そうだ。


「なあ十河。昨日話してた友人ってやつ、美嘉ちゃん先生じゃダメなのか?」

「こいつはあたし自身みたいなものだから、ちょっと違うん閉店中だと言っている」


 そうなんだ、残念。でも、十河が言いたいこと、何となく分かる。

 彼女が欲しがっている友達って、同級生とかじゃなきゃ意味が無いんだろう。

 それはさておき、いいかげん頑固だなこのお店。

 よし、ここは搦手からめてから攻めてみよう。


「美嘉ちゃん先生もパーティーのお手伝いに来たの?」

「…………イチゴタルトと芝居。二つの目的」

「俺、何か手伝いたいんだけどさ、芝居の役とか余ってない?」

「…………なら、木の役を命ずる。イチゴタルトのお代わりを厨房から持ってこい」

「二つの目的混ぜるなよ! なにそのソクラテア・エクソリザ」

「…………それ、エクアドルの歩く木。お前は人生に無駄な事には詳しい。称賛」

「無駄じゃないぞ。十河も雑学詳しいよね?」

「だから話しかけるな。それにあれは観光ガイドの作り話ではなかっ……ごほん」

「…………お前は沙甜の怒らせ方も一流。大絶賛」

「すな」


 やれやれ、この搦手からめてはだめだ。なぜか十河が嫌がることを喜ぶからな、この天使。

 俺は覚悟を決めて、四つ折りにした紙を持って両手で差し出した。

 恥ずかしいけど、これを言わなきゃ男じゃない。


「昨日はデリカシーの無いことをしてごめん。でも、あれは十河に見惚みとれて話をちゃんと聞いていなかったせいだ。あんなことになったのは本意じゃないことを分かって欲しい。……俺は、好きな人が嫌がることなんかしたくない」


 店内にかかるクリスマスの音楽と子供の笑い声のおかげで、人目をはばからずにキザな言葉を言えた。

 言った後から、心臓に激痛が走るほどの鼓動が響く。


 十河はちらりと俺に視線を向けた後、溜息と共に美嘉ちゃん先生をにらみつけて、


「こらあんた、そんな笑い方すんな。彼はまじめに言ってるの」

「…………笑ってなどいない。気のせい」

「あんたの考えてることなんか全部分かる。どんだけ一緒にいると思ってんのよ。いいから謝れ」

「…………笑ってなどいない」


 ほんとに笑ってないんだけど、十河にはわかるんだよね。


「笑われても構わないから。だからケンカしないでくれよ」

「うるさい。七色のためじゃない。お前を馬鹿にされているようで腹が立ったあたし自身のためだ」

「う、嬉しいこと言ってくれる。やっぱり優しいな、十河は」


 ようやく店のシャッターを開けてくれた店主に微笑みかけると、彼女は眉間に作った皺を緩めながら長い黒髪を掻き上げて、


「まったく仕方のない奴だ。だが、まだ許してやった訳では無いぞ」

「おお。分かった」

「連日の失態だ。あたしの心をお前と向き合わせたいのなら、もっと励むことだ」

「ああ、だからありったけの想いを込めてこれを作った」

「……作ったということは、暗号か。今日はレトリビューション・チェーンがすでに外れているのだが」

「そういわずに、解読してくれ」


 俺の懇願に、しぶしぶと言った体で十河は手を伸ばす。

 透明感のある、白い、細い指。

 そして俺の手から取った紙をテーブルに広げると、


「……おお」


 感嘆という評価を下してくれた。



 名媛めいえん

 凛凛りんりんたるよる

 蝶となり

 玻璃はりの幾千

 て結ぶ愛


 沙てんさんへ



「…………」

「だから噴き出すなあんたは! 綺麗な歌じゃない!」

「…………恥ずかしくないお前。異常」

「うるっさい! いいものはいいの! ったく」


 そうか。今の身じろぎ、笑ってたのか。

 まあ、美嘉ちゃん先生じゃなくても噴き出すと思う。俺だって他人事だったら指を差して腹を抱える。

 だから頑張れ、俺。穴に入るにはまだ早い。


「七色。名媛とはずいぶん古風でいいな。あたしなどには過ぎた言葉とは思うが」

「そんなことないぞ。有名で、ゆかしい。十河に一番ぴったりな表現だと思う」

「ゆかし…………、そ、そうか。ありがとう」


 これはばっちり効いたようだな。照れくさそうに髪を掻き上げた時に見えた十河の真っ白な耳が、ほんのり赤い。

 恥ずかしいほどこてこてにして正解だった。


「気に入ってくれた?」

「……水晶は、子供達か?」

「そうそう」

「子供たちを巡り、愛を運ぶ蝶か。うん、美しい」


 満足げな笑顔。

 もちろん、その表面はクールな仮面で覆われている。でも俺は、少しずつ十河の表情が把握できるようになってきた。

 そうか、十河が美嘉ちゃん先生の表情を読むことが出来るのもこういうことか。


「そう言ってもらえてよかったよ。今日は一日、ふてくされたままにさせちまうところだった」

「ああ、ひとまず許してやる。というか、怒ることに慣れていなくてな、疲れたからいい加減やめようと思っていたのだ」

「な、なるほど。今後は怒らせないように気を付けます」

「うむ、期待しよう。お前も丸まってないで隣に座れ。……おい」


 十河が手をかざしながら四宮に声をかける。紅茶を持ってこいとの合図だろう。

 四宮は手を繋いでいた子供の頭を優しく撫でた後、十河に恭しくお辞儀をしてから厨房へ向かった。


 子供たちの広場では、お遊戯のようなものが行われていた。

 歌に合わせて踊るなど、一番大きな五年生の子にとっては恥ずかしいだろうと思ったが、一之瀬が面白おかしく踊るので、つられて夢中で踊っている。

 お母さんたちも座ったままで、一緒に踊りながら笑っていた。


 ようやく背筋を伸ばして見ることが出来たその光景は、魔法がかかったようにきらきらと輝いていた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 十河の隣の席。

 勧められたせいとは言え、ここに腰かけたのは迂闊うかつだったかもしれない。

 感電の危険性。目の前に座るいじめっこ教師。そして何より、未だ俺に疑念を抱いているクワットロ・ペンキーネからの刺すような視線。


「十河、肩を回すなら慎重に頼む。ぶつかりそうで怖い」

「これだけ長い時間怒っていたことなど無いからな、肩が凝ったのだ。……そうか。七色、肩をもんでくれないか? いや、手を乗せているだけで良いのだが」

「俺の手が真っ黒焦げになるわ」

「残念。お前に触れている時くらいの電気ならマッサージに良さそうだと思ってな」

「びりびり具合が十倍違うんだって。俺の面白リアクション見てれば分かるだろ?」


 十河は、そうだったな、などと気楽に笑っているが、勘弁して欲しい。

 お前の肩こりが消えるのと引き換えに俺の命が凝り固まる。

 それに、目をつぶって自分の肩を揉みほぐす王女の姿が珍しくて新鮮だ。もっと見ていたい。


 だがその時、そんな無防備を待っていたとばかりに美嘉ちゃん先生のフォークが十河のイチゴタルトを狙って伸びて来た。

 それに対して十河は、超反射で自分のフォークを構えて応戦する。

 この子供じみたフェンシングを見て、誰が信じることなど出来ようか。

 今まさに、魔界の王と天使長が刃を交えているということを。


「…………沙甜、叱ることはあっても怒らない。なぜ七色にはそのような態度」

「いや? 今、十分怒ってるんだけど?」

「…………七色を怒る理由。興味がある」

「正直なこと言うと、なんでこんなに怒ったのかあたしにも分からないのよ」

「…………お前が分からないのなら、それは恋愛感情なのかもしれん」


 金属が織りなす軽快な音が、鈍く剣呑けんのんなものに変わった。

 フォークの歯と歯を絡ませ、ぎぎぎと鍔迫つばぜいをしながら互いの目をにらみ、先の先を取るための高度な読みが交錯する。

 この『タルト上空の戦い』。人類は手をこまねいて見ることしかできないのか。

 ……だがそこに、一人の勇者が立ち上がる。その名も、俺。


「四宮~。先生にタルトのお代わり持ってきてくれ」


 あっさり終戦した。

 両国トップによる固い握手。

 その手を、二人して俺にも向ける。しないよ、握手。


「先生、十河が分からないなら恋愛感情かもって、どういう意味?」

「…………私と沙甜は、愛情を理解していない」


 は? 急に何言い出した?


「あたしと美嘉は、長年、愛情について研究しているのだ」

「……ろまんちっく。じゃなくて、え? 愛情が分からない? 研究?」

「ああ。人類しか知り得ない感情に、あたしたちは興味がある。あたしも美嘉も、兄弟愛についてはそれなり理解できるようになった。あたしは、友情という物を理解できているが美嘉には理解できていないようだ。そして親子の愛情という物は美嘉は理解できているが、あたしはまったく分からん」


 なんだそりゃ。

 ……いや、愛情を知らないなんて思えないんだけど。

 二人とも、誰にでも親切だし。愛に溢れてると思うよ?


「そして恋愛感情については二人揃って未だによく分からん」

「待て待て。確かに天使達が恋愛したって話しは聞いたことないけど、悪魔の皆なら普通に恋愛してるだろう?」

「それは、転生の際にすべての記憶を封印されて、人間の手によって育てられるから感情が芽生えるのだと思う。……多分、だが」

「十河は違うの?」

「あたしと美優みゆ飛鳥あすか。三人の王は封印されん。我々には自分の配下を監視するという任務があるのでな。まあ、あの二人は恋愛感情を理解していそうな気がするが」

「…………ゆえに、沙甜が分からないなら恋愛感情。そう思った」


 大真面目な顔で俺を見る二人と俺との間に、妙な距離感が生まれた。

 生まれて初めて実感した種族の違い。

 四宮が運んできてくれた紅茶とタルトの甘い香りが、不安な幻想をさらに掻き立てていく。


 恋愛感情が分からない。そういえば、視聴覚室でもそう言っていた。

 俺は、なんて返事したんだっけ。

 たしか、分からないなら俺が教えてやるって……、ん?


「……それって、恋愛をしたことないから分からないだけなのでは?」


 俺の言葉に、顔を見合わせたまま固まる天使と悪魔。

 卵が先か鶏が先かにも似た問答になったせいで、思考を混乱させてしまったか。


 俺だって、恋愛感情なんて正しく理解してないよ。

 恋愛するまでは、誰だってそうなんだ。

 でもこの二人、完全にゼロの状態から研究して把握していったから難しく考え過ぎてるだけなんじゃないのか?


「だから、誰かと付き合ってみたら理解できるんじゃないだろうか」

「そんないい加減な気持ちでお付き合いできるはずなかろう。そら……、ごほん、相手に失礼だ」


 なるほど、そういうことか。

 だとすると、恋愛感情の研究が納得のいく答えを出すか、はたまた十河のまじめな貞操観念が緩むか、いずれかでないと俺はこいつと付き合えないのか?


 ……でも、ちょっと分かるな、十河の気持ち。

 真面目で誠実な奴ほど、恋人はできにくいものだ。

 

「…………よし。沙甜は、一之瀬と付き合う。それを私が観察」

「なんであいつと!? あんたって奴はほんっと……」

「電気痛っ! 暴れるな、落ち着け十河。ほら、タルトが伸びちゃうぞ?」

「七色からも言え! お前があたしと付き合いたいのだろうが!」

「もちろん俺が付き合いたたたたたたた! 肩を揺するな! 離れて!」

「…………なるほど、理解。だからそんな恥ずかしいものを書いて来た」


 そう言ってテーブルに顔を向ける美嘉ちゃん先生にならい、俺達もテーブルを見る。

 そこには、俺が持ってきた暗号の紙が置かれていた。



 名媛めいえん

 凛凛りんりんたるよる

 蝶となり

 玻璃はりの幾千

 て結ぶ愛


 沙てんさんへ



「恥ずかしく無い。今度これを馬鹿にしたらただじゃ置かないから」

「…………すでに名前で呼ぶ関係。だからかばう。理解」


 名前で? ああ、それは、


「そういえば。……おい、失礼じゃないか七色。ものには順序という物があろう。それに、好きな相手の名前もまともに書けんのか。甜の字は……」

「交際を許してくれたら沙甜さんと呼びたいと思ってるけど、それまでは苗字で呼ぶつもりだよ?」

「ではなぜ。…………なるほど。そこが鍵か」

「書いた方がいいよ。はい、シャーペン」


 十河は俺がポケットから出したペンを取ると、黙々と暗号解読を始めた。

 ひらがなを漢字にし始めてるけど、逆だよ逆。

 相変わらず、謎に向かっている時の十河は美しい。

 俺は自覚するほど緩んだ顔で彼女を見つめた。


「…………そこに書いてあること、七色が今日、沙甜に伝えたいこと」

「うん、そう。……俺ね、十河の気持ちわかるんだ。恋愛とか、俺のこととか、良く知ってからじゃないと付き合わないって気持ち」


 一瞬、十河の筆が止まったように見えた。

 だが再び走り出し、とうとう漢字にルビを振り始めた。

 あと少し。


「だから、その日が来るまでどれだけかかろうとも待ってるつもり。俺は十河のそばにいて、十河が笑顔になる言葉をいつでも伝えたい。……って、聞いてた?」


 美嘉ちゃん先生は俺に返事もせずに、文字が書き込まれていく紙を見つめていた。

 そしておもむろに顔を上げると、二つ目のイチゴタルトにフォークを入れ、


「…………実に良いクリスマスイブ。そうは思わないか、沙甜」

「ちょっと後に……、そっかそもそも漢字がカッコでくくられてるからこれだけ読めばいいのか。めい……えん……りんりん……」

「…………こちらこそ。I wish you a merry christmas」

「違うわよ。だれがメリーなんて…………、言ったわね」


 十河は再び暗号に向き直ると、漢字の上にローマ字を書き込んでいった。

 そしてローマ字の頭文字に丸を付けて、最後に「沙」の上に書かれたSを丸で括ったところで筆を置いた。


「正解だよ。今日は十河に、これを言いたくて」

「……ああ、あたしからも。……メリークリスマス、七色」


 揺れる黒髪を少し傾げながら恥ずかしそうに微笑む十河を見て、俺は思った。

 多分、今俺達が感じているものが、恋愛感情なんじゃないかな。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 十河が謎解きを終えた後、俺も子供たちの広場に飛び込んだ。

 子供たちは、生きのいい新入りをさんざんおもちゃにして楽しんでくれた。

 そしてパーティーは、美嘉ちゃん先生とクワットロ・ペンキーネによる劇をもってつつがなく締めくくられた。


「楽しかったな! また遊ぼうな!」


 美嘉ちゃん先生からプレゼントを手渡され、一人ずつ子供が店を出ていく。

 俺はクワットロ・ペンキーネと一緒に並んで、店の扉を出たテラス席からみんなのお見送りだ。

 木の階段を、お母さんに手を引かれながら降りる子供たちは皆、大事そうにプレゼントを抱えてテラスの俺達に笑顔を向ける。


 そんな子供たちを、十河はすこし離れた所から見つめていた。

 俺が慌てて駆け寄っても、彼女の目はいつものクールさをたたえたまま子供たちから離れることは無かった。


「なんで声をかけないの?」

「……寂しくなってしまうと思ってな」


 そういえばさっき、そんなこと話してたな。


 最後の子供が階段を下りていく。階段の下にはゲストの皆さんが待っていて、最後に改めてテラスに並ぶ俺達にお辞儀をしてくれた。


「アリとキリギリス」

「さっきやったお芝居?」

「悪魔は人に快楽を与えて堕落させる。それに乗ると、破滅を招く。人間の子供に必要な教育だ」

「ん……、そう、かな」


 十河の声は少し冷たい物を含んでいた。

 それを敏感に感じ取ったのだろう、四宮が心配そうな顔で振り返ると、他の皆もそれにならって俺達を見た。


「我々は、人が真面目に正しく生きるために、忌避きひされるべき象徴でなければならないのだ。あの芝居は、その辺りを教えている。……あたしは、毎年あの子たちに嫌われるために、このパーティーを開催するのだ」


 主の言葉に、四人が慌てて何か言いたそうにしたが、すぐに黙り込んでしまった。

 魔族として、主の考え方に同意するべきと考えたのか。

 でもさ、


「恋愛の話といい、子供のことといい、なんでも難しく考え過ぎなんだよお前は」


 俺を見つめる氷の女王。その表情からは、心の内がまるで見えてこない。

 でも、分るさ。

 目から入る情報なんて、まったく必要ない。


 こんな時は、デコピンだ。


「いたっ」

「いってえ! 指先って感電するとまじいてえ!」

「自分でやっておいて……、そ、それより何をするかばかもん!」

「ばかもんは十河だ。さっきの話、そんな寂しそうな顔で言ったって説得力ねえ」


 俺がため息で結ぶと、クールな無表情が目を見開き、そして予想通り、寂しいものに変わった。

 王だから。悪魔だから。

 我慢してたんだな。

 ……でも。


「俺が、そんな顔させっぱなしの男だと思うなよ?」


 触れるだけで折れてしまいそうな白くて細い十河の手を、俺は強く握り締めた。

 電気が痛いよ。でも、こんなの十河の胸に痛みに比べたら。


 そしてテラスの手すりまで強引に十河を引っ張り出して、道路を歩く後姿に向けて大声を上げた。


「おおい、みんな! また遊びに来な! そしたら、このお姉ちゃんが遊んであげるから!」

「こ、こら、貴様……」


 痛みでマヒする手で、抵抗する姫の顔を手すりから乗り出させるには至難だった。

 だが、すぐに俺が求めていた声が遠くから届く。


「ほんと? お姉ちゃん、こんど遊ぼうねー!」

「絶対だよ、キレイなお姉ちゃん!」

「お姉ちゃん、またねー!」

「お姉ちゃん、キレイだから大好きー!」

「ありがとー! またねー!」


 これだけ離れていてもよく分かる。小さい体全身で飛び跳ねて、自分に愛を運んでくれたクールな蝶に、その喜びを伝えているのだ。

 そして十河の体から抵抗する力が消えたかと思うと、今度は驚くほど身を乗り出したので慌ててその腰を掴んだ。


「あ……、ああ! いつでも来るが良い! ……待っているからな! 待っているからな!」


 手の痛みが脳天に突き抜ける。

 でも、この手を放しはしない。

 もっと身を乗り出して、お前の顔を見せてあげてくれ。

 ……きっと、泣き顔になっているだろうけど気にするな。子供たちには、笑顔に見えていることだろうから。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「い……、痛かった……」

「七色ぃ! てめえ、見直した!」

「やるじゃないあんた! かっこよかった!」

「ああ、最高だよお前」


 俺が十河からよろよろと離れると、四人組がもてはやし始めた。

 嬉しいけど、照れくさい。こういうの慣れてないからどうしたらいいか分からないんだよね……って、


「誰じゃい頭をぐしゃぐしゃ撫でとるのは!」

「え? ご褒美だよ~。これやると、喜んでくれる人多いから」

「三木か……。俺のでこは事務所NGだからやめてくれ」

「可愛いよ、でこ。さすがは多羅高の前頭葉!」

「その名が嫌だから事務所に頼み込んでNGにしてるんだ!」


 もみくちゃにされながら横目でちらりと十河の後姿を見ると、未だに遠くへ手を振りながら手の甲を顔に当ててこすっていた。

 泣き顔を皆に見せるわけにはいかないんだろうな。

 こんなに泣き虫なくせに。


「十河、分かったか? 悪いことの象徴として悪魔という存在を教えるって言ってたけどさ、それとお前達とは全く別物だよ。あの子供たちも、お母さんだって、お前たちを嫌う訳がない。だって、お前があの子たちをこんなに好きなんだから」


 俺が声をかけると、十河は目元を赤くしたまま振り向いた。

 その顔には王としてのクールな仮面が張り付いていたが、俺をじっと見つめているうちに、また涙が流れてしまった。


「ばか者。勝手に来訪の約束などしおって。男の子が来たら遊んでやることが出来ないではないか。感電させてしまう」

「ほんとだ。厄介だな、お前の罰」

「その時はお前を呼ぶから、どこにいても三分で来い。男の子の相手は、お前だ」

「ああ、任せろ」


 十河は俺の返事に笑みで返したせいで、溜まっていた涙がまた溢れてしまった。

 そして柔らかい表情のまま近付いて、俺の手に触れようとして慌てて引っ込めた。

 さすがに、これに気付かないほど鈍感じゃない。

 俺はコートに手を潜り込ませながら差し出すと、十河はえへへと、珍しい声を上げながらそでを掴んだ。

 うん。こういうビリビリなら悪くない。


 などと思っていたら、背中から誰かに抱き着かれたので十河の腕を振りほどいてしまった。

 俺はその災厄に首だけ向けて、


「またお前か、三木! こら、密着すんな! 手を握るな!」

「七色君は、ほんとよくやったー。よしよしよしよしよしよし」

「だからさ…………、ん?」

「むー!」

「「「「「むー?」」」」」


 その場にいる全員が、王の口から出るはずのない音を聞いてオウム返しで確認してしまった。

 主を崇拝する四人組は、この異常な事態に表情をこわばらせている。

 だが俺だけは、頬をパンパンに膨らませている十河を見て、思わず突っ込んだ。


「まさか、やきもちなのか?」


 破裂音が聞こえてきそうなほどの紅潮。

 真っ白な十河の肌が俺の言葉で一気に色を変えると、


「み、三木はちょっとこっち来い!」


 三木の手を引いて、テラスをずんずんと進みだす。

 でも、三木が手を離さないから俺まで連れていかれるんだが。


 テーブルを二つ越えたところで、やっと二人分の重みを牽いていることに気付いた十河が、振り返りながら声を上げた。


「七色! お前はついてくるな!」

「姫さ……、きゃあ!」


 十河が急に立ち止まったもんだから、三木が激突。

 二人でもつれ合うように転んでしまった。


 俺も三木に手を引っ張られて転び、ウッドデッキに鼻を打ち付ける。


「ぎゃん!」


 いだい! 昨日殴られた鼻を!

 でも、俺よりも二人の方が痛い思いをしているかもしれない。

 俺は慌てて顔だけ上げた。


「大丈夫か二人と……、もおおおお?」


 もつれ倒れる、二つのサンタ服。

 その赤いスカートがいい感じにめくれ、三木のペパーミントグリーンと十河の高級そうな赤い何かが目に飛び込む。


 ……その時、俺の思考と心拍が止まった。


 もう三日連続だ、慣れた反射の十河が、自分と三木のスカートをひっぱってそれを隠すと、さっきまでのテンションを引きずって珍しく甲高い声で怒り出した。


「お前は! お前という奴は! 鼻血を出すほど興奮したのか? そうなのか!?」

「鼻血? ……おおう、ほんとだ。でも違う! これは床にぶつけたせいだ!」


 俺の必死の弁解を聞きながら、盛大なため息をついて十河が立ち上がる。

 その表情には、いつもの王の威厳が再び宿っていた。


「今回は、あたしがやっちまったせいだ、仕方あるまい。とは言え、毎度毎度貴様の前で……、いや、まてよ。……よし、これで確かめてやろう」

「なにを?」

「貴様は、あたしを本気で好いているのだな?」

「うん」

「三木にくっ付かれて、あれだけ鼻の下を伸ばしていたのにか?」


 え。

 俺、伸びてた?

 まあ、あれだけ密着されたら、男ならそうなっちゃうのかも。

 てことは、それでむくれたのか?


「では問おう。あたしと三木、どちらの下着を見たのだ? 普通は気に入った方に目が行くものだろう」


 ちょ……。ま、まてまてまて! 考えろ、急げ!

 緑って言ったら、絶対怒る。

 赤って言ったら、三日連続ログインボーナスで殺されるかも。


「どちらを見た。赤か、緑か」


 どう答えるのが正解? ねえ、誰か教えて!


「正直に言え」

「…………メリークリスマス」


「ふ…………、ふふふっ! この……、ただのスケベ野郎!」


 なんと、三択すべてが不正解とは。なにこの無理ゲー。

 だが俺は、なんとか被害を最小に留めることに成功していた。

 顔面に振り下ろされた靴は空を切り、仕方なく背中を踏みつけての電撃。

 俺はすっぽんになって、責め苦に耐え続けた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「お前達、今日は手伝ってくれてありがとう。ねぎらいになると良いのだが、朝一番で贔屓ひいきの店のケーキを買っておいたのだ。皆で食べようではないか」


 パーティーだけでなく、スタッフへの慰労会も準備していたとは。

 十河は、誰にでも優しい。

 その優しさは王の義務から発せられているのかと感じたことがあるのだが、きっとそうじゃない。この数日で、十河のことが分かって来た。

 彼女は、友達として等しく、皆と苦楽を共にしたいのだ。


「姫様、いつの間に? それなら頼んでくだされば俺が準備したのに……」

「そうです。なにも姫様が買いに行くことなどないのに」

「ばかを言うな。お前たちに驚いて欲しくて準備した物を、お前たちに運ばせてどうする。あと、姫ではない」


 そう、十河は王だ。

 …………優しい王様だ。


 テラスの床を軽やかな足取りが鳴らす。喫茶シャマインは、クリスマスパーティーの二次会に突入だ。

 ……俺を置いて。


「さて、七色。いつまでそうしている気だ」

「あ、ああ。でも……、怒ってない?」


 俺はすっぽんのポーズから頭をもたげる。

 十河の表情はニュートラル。

 さっきは手に取るようにわかった彼女の心が、今はまるで読み取れない。


「あたしは寛大なのだ。そもそも今回の一件はあたしのせいで起きたことだし、もう怒ってなどいないぞ?」

「よ、よかった。まだ怒ってるんじゃないかと心配して……」

「怒ってないから、とっとと帰れ」

「怒ってるじゃないか!」

「ふふっ、冗談だ。さあ、あたしたちも行こうか」


 そう言って、彼女は優しく微笑んでくれた。

 眩しい笑顔の後ろでは、ツリーのイルミネーションが静かに瞬いていた。



 続く。

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