東北西南、北西東南 ~災害、そして事件~

 十二月二十三日。

 世間ではクリスマスイブイブとして親しまれるハッピーなこの日だが、去年までの俺には焦りと妬みと爆発衝動しか生まない、年内で四番目に嫌いな日だった。

 余談だが、嫌いな日の三位は十二月二十五日で、二位は二十四日だ。そして好きな日の一位はバレンタインデーの朝で、嫌いな日の一位はその日の夜である。


 だが、今は違う。俺は勝ち組に回ったのだ。

 最愛の女子からの連絡。買い物に付き合って欲しい。駅前で待ち合わせ。

 夢にまで見たセンテンスが、この一日にまとめて三つも転がり込んできた。


 ……もちろん、こんなメールが現実に存在するわけはない。これは、夢だ。

 万が一現実だったとしたら、ただの罠だ。

 だが、それでもかまわない。すべての道で孔明が扇を振っていようとも俺は行く。

 待っていろ、十河。例えどんな苦難が襲い掛かろうとも俺はお前の元にたどり着いてみせる! だから、たとえ何年かかろうともそこで待っていてくれ!


 ………………

 …………

 ……


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「で?」

「一時間もお待たせして本当に申し訳ありませんでした」


 クリスマス前、待ち合わせの定番と言えば駅前の巨大なクリスマスツリー。

 カップルがひしめくこの地にて、俺は昨日に引き続きすっぽんのポーズで地面に伏していた。


「……工事中のマンホールに落ちたのと野良犬に追いかけられたことはほぼ理解できたのだが、最後のやつが良く分からん。ポリバケツに頭から突っ込んで坂を転がり落ちたとはどういうことだ?」

「俺にも分からん。ただ一つ言えることは、今頃孔明はブランデーグラス片手に高笑いしていることだろう」

「そんな大物相手に無事で何よりだ。しかし使えん奴だな。これならサーバントに頼んだ方が……」

「これに懲りず、今後とも俺にご用命ください!」


 全力一杯、眉間に力を込めた真剣な表情を作って見上げる俺に冷たいため息が浴びせられる。

 この黒髪ロングのクールビューティーは十河そごう沙甜さてん。長年片思いを続け、つい昨日、ようやく仲良くなることが出来たクラスメイトだ。


 数多あまたの研究機関を抱え、その発明の数々で世界に名を馳せる才女。

 魔界では最大勢力の女王であり、この地上にあってもかしずく者は数知れず。

 でも、俺にとってはそれ以上に、


「……いや、そもそも無理を言ったのはこのあたしだ。しかも理由があるのに怒ったりして悪かった。できる事なら、当初の願い通り買い物の手伝いをしてくれると嬉しいのだが」


 そう、この底抜けなまでの優しさが十河の魅力なのだ。

 彼女は、誰にでも優しい。しかも、命を懸けてまで優しさを貫く。

 昨日だって自分が消えることを捨て置き、何かに困ったサーバント達を救ってあげようとした程だ。

 俺は十河が差し出す真っ白な手を、緊張と共に握って立ち上が


「いててててててててっ!」


 もとい、尻餅をついた。


「重ね重ねすまん。迂闊うかつだった」

「ああ、俺こそゴメン。痛かったろ」


 俺は自力で立ち上がり、改めて十河を見る。

 こんな田舎町では誰もが目をく真っ白なモッズコートに身を包んだ彼女は、面倒な罰とチャーミングな属性を抱えているのだ。

 すなわち、異性に触れると感電する体質と、ドジっ子という属性である。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 昨日の最後の失態のせいで、彼女は俺を恋人として認識していない。

 とは言え俺の気持ちにちゃんと向き合うと宣言してしまった手前、まずは友達としてお試し期間を設けてくれた。


 だから二人で買い物と言っても、一緒に歩くことを楽しむ様子も無く、目的の場所へとわき目もふらずに進んでいった。

 その場所とは、駅ビルの正面に建つ、この界隈では最大の本屋だった。


 俺も本好きが高じて図書委員になったほどなので、ここにはよく足を運ぶ。店員さんとも顔馴染み。

 だから俺たちが入店するなり、エプロン姿の皆さんは美女とへちゃむくれとを交互に見比べ続けることしかできないメトロノームになってしまった。


「失礼だなおい」

「どうした?」

「改めて俺の容姿が不細工だということを認識した」

「……そうか。お大事に」


 よく、美人と歩くと優越感に浸ることが出来るとか言うやつがいるが、実際にやってみろってんだ。劣等感しか感じないよ。

 俺は入り口に付き物の平棚に置かれた週刊誌から、『情報という海に潜むウソ』なる煽り文句を目で拾って思わず共感を得た。よし、買ってやる。


「ほう、七色そらはしは経済誌など読むのか」

「たまにね。活字なら何でも好きだから」


 活字の目的は、人を操作することにある。

 読んだ人にどう考えて欲しいのか。それによって世界をどう変えたいのか。

 活字と活字、行と行の間、ここに潜むベクトルを探し出すのが実に楽しい。

 だからこそ、メディアに踊らされるなかれ。この手の雑誌は、俺達をあらん方向へ操縦してしまう恐るべき力を秘めている。だが俺は、簡単には踊らない。


『ぽんちょ浜松のモテ会話・連載第三回 ~否定から始めればあの子もメロメロ~』


「…………ほんと?」

「それも買うのか。だが、できれば後にして欲しいのだが」


 ごもっとも。俺は雑誌を元のところに戻して、慌てて十河の揺れる黒髪を追った。


「目当ての本があるのか?」

「ああ、子供向けの本を十冊ほど見つくろう。七色には意見と運搬を頼みたい」

「児童書。……クリスマスプレゼントか」

「そうだ。毎年クリスマスイブに、近所の子供を集めてあたしの喫茶店でパーティーを開催しているんだ」

「へえ! いいね! 凄いじゃないか!」


 そんなこと、思いついても実際にやるにはなかなか至らないものだ。

 俺が手放しで褒めると、十河は珍しく照れた様子で、


「そ、そんなに大したことはしてあげることが出来ないのだがな。ご馳走にケーキ、お芝居や歌、一緒に遊んであげて、最後にプレゼントだ」

「大したもんだよ! 俺も手伝いに行っていいか?」

「七色がいいのなら、是非ともお願いしたい」

「店って、学校の正面にある『シャマイン』だよな。何歳くらいの子が来るんだ?」

「小学校の二年生から五年生まで。リストはここに」


 十河がポケットから出したメモ紙を覗き込むと、十人ほどの名前と性別、年齢が書き込んであった。

 これは、それぞれに適した本を探す必要がありそうだ。

 大変そうだけど、わくわくしてきたぞ。


「よっし! じゃあ皆が気に入るようなとびっきりの本を探そう! いくぞ十河!」


 俺は児童書のコーナーへと走り、十河を待たずに棚をチェックし始めた。

 このあたりは、『絵で見て学べる』シリーズか。パスだな。

 勉強を匂わす本は、夢が無い。表紙を見ただけでわくわくするような本が、きっとどこかにあるはずだ。

 そんな本を探すために再び駆け出そうとした俺だったが、コートのフードを捕まれたことでその一歩目を空振りした。


「くびっ!? ……げほっ! なにすんじゃい。あと、少し電気来たぞ」

「『偉人シリーズ』か。……気に入った。ここで選ぼう」

「え? ……そ、そうだね。確かに子供にはそういう真面目なものが……」


 うーん、俺は子供のころ伝記って嫌いだったんだよね。でも、十河が気に入ったのなら同意してあげた方が……、


 はっ!


~否定から始めればあの子もメロメロ~


「……いや、却下だ。俺もクリスマスに伝記をプレゼントされたことがあるが、がっかりしたもんだ。男の子には冒険物、女の子にはお姫様。表紙は可愛くて、ドキドキするような挿絵でいろどられた魅力的な本にするべきだ!」


 言っちまった。

 正直、十河の案でもいいと思うのだが、モテ会話術というものを試してみたくなったのだ。

 でも女子って、こんな形で意見を否定されたら怒り出すんじゃないのかな?

 そしてこいつを怒らせると……。


 俺は昨日植え付けられたばかりのトラウマに促され、いつでもすっぽんにトランスフォームできるよう腰をかがめて身構えた。

 だが、十河はその端正な顔を俺に寄せ、ちょっと興奮しながら、


「よいものだな、ちゃんと意見されるというのは。あたしも七色の意見に賛成だ。夢のある作品を選ぼう」


 などと、彼女にしては随分熱のこもった返事をしてくれた。


 そのまま本棚を巡り始めた十河は、表情と身のこなしはいつも通りクールで流麗なのに、口元は今にも歌いだすのではと思えるほどにこやかだった。

 そして呆気にとられて立ち尽くす俺の目を、ちらりちらりと見ては照れくさそうに髪を掻き上げ、


「七色に頼んで正解だった。お前、頼りになるんだな」


 …………ぽんちょ浜松やべえぇぇぇ。


 たった一つ否定しただけで、一気に十河との距離が縮まった。

 たしか連載は三回目だったな。バックナンバーも取り寄せよう。


 すっかりご機嫌な様子の姫様は、一冊、一冊と手にとっては首を捻りつつ本の海を練り歩く。そして本棚の向こうに回って姿が見えなくなると、声をかけて来た。


「さあ、お前も探すのを手伝ってくれ」

「そうだな。とは言えそんなに大変なわけでは……、うん。この辺だろう」


 俺は児童書の棚を奥へ進み、平積みのハードカバーを手に取った。

 島と宝物。愉快なキャラクター達。

 古典的な児童文学にはいつの時代にも通用する名著が多い。この店なら品ぞろえもいいし、きっと皆に似合う本を探し出せるだろう。

 そう思いながら何冊か吟味していると、

 

「七色。ちょっと来てくれないか」


 抑えたトーンの声とは対照的に、大発見をしたと言わんばかりの顔を本棚の端から出した十河が手招きをしている。

 何だろう。俺は彼女の元まで近づき、そして一冊の本を手渡された。


「すごいぞ。あたしの希望とお前の意見、両方を満たした本を見つけた。まず、表紙が可愛い」


 そう言って、得意気に鼻を鳴らす。


「どれどれ。おお、ほんとに可愛い……………………な。スク水幼女が」

「エジソンだ」

「はあ?」

「偉人シリーズだ」


 俺は十河が指差す棚のポップに、確かに偉人の文字を見つけた。見つけたが、


「偉人ラノベシリーズ!? 天才なの? バカなの?」


 キャッチコピーも凄いな。『あの偉人を擬人化!』ってなんだよ。

 もはや擬人化って単語の意味が実家を離れて新しい人生を満喫してるじゃないか。

 俺は、頭を抱えながら説明した。


「いいか十河。これは小学生が読む物じゃない。小学生を好きな大人が読む物だ」

「なんだそれは? でも、お前がいいと言っていた冒険ものだぞ?」

「まあ、確かにタイトルは大冒険とうたっているが」

「あとは挿絵でドキドキするかどうかだ。確認してみてくれ」


 切れ長の目をキラキラさせている十河に促され、俺は仕方なしにクライマックス辺りのページを開く。


「どうだ?」

「なんでエジソンが大蛸に剥かれて絶頂よさこいな挿絵が入っとるのか訳わからん。あ、あたいの豆電球がー! じゃねえ。却下」


 まあ、挿絵でドキドキはしたけどね。こんど買おう。

 俺はエジソンをニュートンとライト姉妹の間に戻し、不服そうにむくれる姫様を児童文学のコーナーに促した。


「このあたりがいいと思うんだけど」

「では、今度はあたしが確認してやろう。気に入らなかったら却下してやる」


 そんなことを言われて、下手な作品は渡せない。

 慎重に吟味のうえ、小学生の頃読んで感動した覚えのあるタイトルを手渡した。


「姫と王子が表紙にあるということは、女の子向けか」

「男の俺でも感動した作品だ。その時は、なんで俺は小国の姫に生まれなかったんだろうって悔しがったほどだ」

「ははっ。それは楽しみだ」


 十河は丁寧に表紙をめくり、冒頭から目を通していく。

 その長いまつげが上下に揺れ、しばらくするとページを捲る音が軽やかに響く。

 彼女が真剣に読書する姿は想像の範疇はんちゅうを超える美しさで、気付けば俺は食い入るように見つめていた。

 氷の彫刻を思わせる、滑らかな白い横顔。そこから流れる絹のような黒髪が肩を滑ると、彼女はそのひと房を細い指で掬い取り、つやっぽい仕草で耳に掛けた。


 ……鼻血でそう。


「確かに、夢がある。ドキドキする。たった数ページ読んだだけなのに、あたしは光の森を歩く裸足の少女になっていた」

「俺は鼻血の少年になっていた」

「台無しだばか者。何の話だ」


 いかん、意識を奪われてたから、ついうまいこと言っちまった。天才か。

 十河はちょっときつい表情になったが、それもすぐに解け、


「だが、さすがあたしに意見できる男が推した作品だ。素晴らしい。これをプレゼントすれば間違いなく喜んでくれるだろう。さあ、次だ」

「お、おう。任せとけ」


 あたしに意見できる男、とはハードルが随分高くなってしまった。

 でも、普段では考えられないほど柔らかい表情になった十河を見ていると、心から俺を信頼してくれていることがよく分かる。

 嬉しい。その信頼に応えてあげたい。そしてぽんちょ浜松まじやべえ。


 俺達は、子供のリストを見ながら一人ひとりに似合いそうな本を選んだ。

 すべてのプレゼントが決まるまで随分と時間を要したが、お互いが納得できる本を選んでいる間、十河は普段のクールな仮面を外して楽しそうに笑っていた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 プレゼントを抱えながらの帰り道、十河の提案で俺達は少し遠回りをして小さな公園のベンチで休んでいた。

 冬とは言え、午後の西日がぽかぽかと心地いい。


 店を出てからも十河の機嫌はかなり上々だ。

 仕草や会話の中に、はしゃぐ気持ちが見え隠れしている。


「……だから米国人は金を出しながら、これをあげるからパンツは勘弁しろと言ったのだな。うむ、何度考えてもよくできている。そしてお前の推理通り、見事にあたしはその言葉を口にしたわけだ。本当に素晴らしい」

「よせやい。あんなクイズ思い付けたの、ほんと偶然だよ。同じことやれと言われても絶対に出来ない自信がある」

「それでも、あの時はできた。そしてこれからも、あたしが困った時には助けてくれると信じている」

「……お、おう。そうか」


 十河はつややかに光る唇を笑顔に結び、切れ長の目で俺を捉えて離してくれない。

 やばい。持ち上げられすぎ、可愛すぎ。思考が暴れて何が何だか分からない。

 動揺、パニック、てんやわんや。俺は今、口座番号と金額を書いた紙を渡されたら間違いなく振り込む。

 どうしたらいいか分からないので、とりあえず膝の上の本を脇に除け、コートの内ポケットから財布を取り出した。せめて手持ちだけでも。


「ん? おい七色。なにか落ちたぞ?」


 財布を出した時に、四つに折った紙が膝に落ちた。

 おお。三時間前の俺グッジョブ。ナイス話題提供。


「そ、そうそう! 今日も謎を一つ作って来たんだけど」

「お。いいな。是非見せてくれ」


 俺は差し出された手に触れないよう慎重に紙を渡し、財布を胸元にしまってから大きく息を吐きだして心を落ち着かせた。

 本屋でこいつの意見を否定してからだ。あそこから、何と言うか、俺の風が吹いている。

 嬉しくて舞い上がりそうな気分ではあるが、こういう場合にどうしたらいいのかまるでわからない。

 がんがん攻めるべきなのか。防御主体で行くべきなのか。


「災害、そして事件。東北西南、北西東南」


 十河は紙に書かれた文字を口に出して読むと、ベンチから立ち上がって歩きながら考え始めた。

 さっき本を真剣に読んでいた時と同じ表情。凛々しくて、楽しそうで。

 彼女の表情を見ていたら、攻めるとか守るとかどうでもよくなってきた。

 俺は、この美しい女性を楽しませてあげたい。一緒に楽しみたい。


「さあどうだ。読めるか?」

「……実に楽しいな! お前の作る謎は、さっき選んだプレゼントのようだ」

「えっと、どういうこと?」

「あたしをドキドキさせてくれるのだ。この方位、何を表しているのやら。そして前半部分。これはヒントなのか、はたまた問題そのものなのか」


 十河が弾むような声を上げる。そして太陽にくるりと正対した後、そこから少し時計に回って指をかざしながら「西!」などと確認する。

 皆が知っている凛々しくクールな女性ではない、俺しか知らない彼女の姿。

 なんたる独占感覚。


 でも、こいつ昨日もペンキ缶を見事にやっちまったことだし、こんなハイテンションだと転ぶに決まってる。

 俺もベンチから立って身構えておこう。


「東! 北! 西!」

「はしゃぐな回るな。またやっちまうぞ? ご期待しちゃうぞ?」

「失礼な奴だな。あたしの運動神経を過小評価するか」

「ごめんごめん、回ってていいよ。でも運動神経クラスの平均くらいじゃないか?」

「ばか者。ならばそこで見ているがいい。南! 北! 上!」

「過大評価でした!」


 準備していたから間に合ったようなものだ。

 俺のヘッドスライディングは、足をもつれさせて空を指差しながら倒れる十河の座布団としてかろうじて役に立つことが出来た。

 滑り込んだ時にるであろう手の痛み、打つであろう腹の痛みは想定通り。

 だが、背中に想像していた重さはほとんどなかった。

 理由は単純。そんなものを感じる暇がなかったからだ。


「いだだだだだだだ! でで電気っ! 早く離れっ!」

「う、うむ」


 十河が立ち上がると感電が止まり、叫び声の為に吐き切っていた息をようやく吸うことが出来た。

 しかし今更だけど、俺は身じろぎ一つできなくなるほどの電撃を浴びているのに、こいつは結構普通に動けるんだな。感電具合が十倍違うんだったっけ。

 そんな理不尽を感じつつ立ち上がった俺を、姫のまじめ顔が待っていた。


「済まなかった。柄にもなくはしゃぎ過ぎた」

「いいって。それより「上」ってなんだよ。面白すぎ」

「見ている方向をつい、な。……今は、七色」

「照れくさいからそういうこと言うな」

「……下」

「お礼もいいから。それより怪我は無いか?」

「お前の手の平以外はどこも」


 そう言われて、俺は両手を広げて確認する。

 確かに右手親指の付け根辺りに結構大きな擦り傷が出来ていたが、この程度で済んだのなら良かろう。


「お前は、自分が怪我を負っているにもかかわらずあたしの怪我の心配を先にした。これは、称賛に値する」

「大げさだな。十河に怪我が無いならそれで充分だ。良かったよ、役に立てて」

「……良くない」

「え?」


 転んで冷静になったのか、いつものクールな仮面とシリアスなオーラが再び彼女を包み隠す。

 いや、それよりもっと暗い雰囲気。これは……、落ち込んでいるのか?


「なぜ調子に乗るあたしをいさめなかった。一度は危ないと言ったのに、なぜすぐに引いたのだ」

「あ、ああ。楽しそうだったからな、つい」

「お前は、本屋ではあたしにちゃんと意見してくれたではないか」


 それは俺の本意ではない。ぽんちょのせいだ。

 でも、


「意見されるのが嬉しかったのか? どういう意味さ」

「……あたしは、恵まれているのだ。魔族の者は皆、とても良くしてくれる」

「うん」

「だがそれは、同時に不遇でもある。あたしは皆に意見されることが無い。どんな意見でも通ってしまう。これでは、思考が堕落する。まさに悪魔らしく、な」


 十河はいつもの無表情で顔を上げ、俺を見つめた。

 助けて欲しいのだろうか。慰めて欲しいのだろうか。


「あたしは、これでも皆に優しく接しているつもりだ。あたしに非は無いはずだ。それでも距離を置かれ、不必要な遠慮をされるのは、きっと王という立場が問題なのだろう。だがあたしは、王をやめることなどできんのだ。どうしろというのだ」


 それにしても、なんでも意見が通ることが苦痛とは。共感はできないけど、これこそ彼女が高潔な証。俺が惚れる理由の一つ。

 どんな言葉をかけてやればよいのか皆目見当がつかないが、ここは素直に同意して愚痴を聞いてあげよう。

 ただ、間違いなく言える。共感できない以上、俺に解決策は見つけられない。


 十河は何も悪くないのにな。

 そこから始めて、彼女が抱えている物を吐き出してもらえばいい。そう思って口を開いた時、またしてもあの呪文が頭に浮かんだ。


~否定から始めればあの子もメロメロ~

 

「……そ、それは、十河が悪い」


 なに言い出したよ俺っ!

 バカじゃないの? せめて理由を考えてから否定しろよ!


「そうか。……そうか! やはり、お前は他の者とは違うのだな。あたしは今、最高に幸せだ」

「それは……、なに、より、です。よかっ……、た」

「で?」

「ん?」

「とぼけるな。あたしのどこが悪いのだ?」


 必死に考えたけど無理! 時間稼ぎも限界だ!

 ええと、十河の悪いところ、悪いところ……、


「……おいこら。まさか、とりあえず否定したらあたしが喜ぶとでも思ったのか?」

「そ、そんなんじゃないぞ! ど、どこが悪いかと言うと……」

「ああ」

「…………皆の幸せの為に…………、それを苦痛とも思わないで……」


 そうなんだよ。

 こいつは、自分のことは二の次。いつも誰かの為に行動している。

 王である以上に、皆の友達でありたいという気持ちがまっすぐ伝わってくる。


「いつも困ってる人を助けていて……」


 だから、こいつに悪いところなんか無いに決まってる。悪いのはきっと、強烈であるがゆえに毒でもある、王のカリスマだ。

 ……万事休す。

 もう、誤魔化しようもない。がっかりされてしまうが、正直に謝ろう。


「ごめん。十河に悪いところなんて無いよ。……だから俺みたいに、いつも誰かに迷惑かけて生きてるような男が、お前に意見なんか言うのは間違ってると思う」


 やはり、昨日のようにはいかなかったな。

 正直に謝ったけど、いくらなんでも十河が悪いなんて嘘をついたんだ。きっと呆れていることだろう。


 うなだれる俺の目に、十河の真っ白な指が映った。

 その指が、俺のコートのそでをちょこっと握る。

 腕に痺れが走るが、痛いと言う程ではない。これは、おしおきの序曲のつもりだろうか。


 俺は恐怖を感じながらも、十河の怒りゲージはどんな塩梅あんばいなのか、表情から読み取るためにちらりと顔を覗き込んだ。


「…………へ?」


 そこには照れくさそうに、しかし笑みを浮かべた最愛の人がいた。


「……なるほど。皆は、そんな風に考えていたのだな。やっとわかった」


 あれ?


「そうか。……まさか、悪いところが無い、それが悪いところだったとは。自分の為に動き、非も見当たらない。そんな者に、誰も意見など言えるはずは無いのだな」


 あれれ?


「ありがとう。本当にありがとう。七色と出会わなければ、あたしはこんな簡単なことにも気付くことが出来なかった」

「……………………そう! それ!」


 さすがに思うわ。俺、ばちが当たった方がいい。


「さっきの俺みたいにさ、誰だってお前には嫌われたくないんだよ。だから意見しろと言われても、やっぱり遠慮しちまう」


 十河は、ちょっと怒った表情になった。

 袖もさっきまでより強く握られて、ビリビリも少し強くなる。


「嫌ったりなどせんぞ。皆が七色のように意見してくれれば、先ほどのように素晴らしいプレゼントを準備することも出来る。あたしは、そんな意見が欲しいのだ」

「それをそのまんま、皆に言えばいいんじゃない? でも、今の言葉じゃ俺ならまだ遠慮する。最後だけ変えると、十河がほんとに欲しいものが手に入ると思うよ」

「何と言えばいいのだ」

「だからあたしは、そんな友達が欲しいんだ、って言えばいい」


 そう、彼女は自分が欲しいものを分かっていなかっただけだ。

 彼女が求めていたものは、友からの意見などではない。

 意見してくれる友だ。

 ……つまり、寂しかったんだ。


 十河からのビリビリが、また少し強くなる。

 そして彼女は俺を見つめながら、嬉しそうに涙を一つ零した。

 王女のくせに涙もろい。王女のくせに皆と対等に付き合いたい。王女のくせに、お互いに意見し合えるような、ケンカできるような友達が欲しい。

 こいつは、そんな普通の女の子だ。


「やはり……、やはり七色は、あたしを助けてくれた。心から、感謝だ」

「お……、ど、どういたしまして」

「それに引き換え、あたしは情けない。まるで幼子のようではないか」


 十河は俺の手を放して、また落ち込んでしまった。

 さすがにこれはぽんちょに言われずとも。


「いいや。俺にとって十河は、凛々しくてクールで、誰にでも優しいお姉さんだ」

「そ、そう言ってもらえると、助かるが……」

「だからいちいち落ち込んでちゃだめだぞ、お姉ちゃん!」


 あ、しまった。ちょっとキモい。

 だが、姫にはそれが刺さったようだった。


「ふふっ。なんの真似だ、それは? ありがたい申し出だが、二人も弟はいらん」

「え? 弟さんいたの? 会ってみたいな」

「それはできん。トップシークレットだ。もし七色があいつに会うようなことがあったら、その時はお前に大きな災難がもたらされるであろう」

「ええ? なんだよそれ。詳しく……」

「待て。災難で思い出した。謎を解いておかないと」

「おいこら。教えろ」


 十河は手に握ったままでいた紙を再び眼前に広げた。

 傾いた西日の中でも白を主張する、そんな肌が眩しい彼女の真剣な表情。

 でも今は、少しだけ赤くなった目元が温かみを与えてくれている。


 姉の話をしたら、すっかりいつもの調子を取り戻したようだ。

 落ち込んでいる十河を助けてあげることが出来て、本当にうれしい。

 そして、否定ってすげえ。


「勘違いか。災害、そして事件だった。災難と書いてあったように思え……、いや? 東、北、西、南。…………さいなん」

「お? どうやら解けたようだな」

「……音読だったのか。とうほく……、いや、倒木。倒木災難だ」

「正解だよ。じゃあ事件の方は?」

「北西東南。…………僕、斉藤なん?」

「とんだ事件だな。記憶喪失かよ斉藤」

「違うのか。なら……、北斎、盗難か。火事場泥棒のようなものだな」


 俺が笑顔で首肯しゅこうすると、氷のようだった十河の表情が柔らかく解けた。

 今日一日で、一体どれだけ新しい十河を見つけることができたことか。


「七色と出会えた。謎も解けた。長らく悩んでいた悩みも解決できそうだ。あたしはこんなに晴れ晴れしい気持ちになったことなど随分久しい」

「それは何よりだよ、お姉ちゃん」

「ふふっ。なら姉として、何か礼をせんとな。……下着以外で」

「あはははははは! あれは答えへの誘導だって!」

「うむ、分かっているぞ。安心しろ」

「まあ、見たくないと言えばウソになるが」

「…………絶対に見せん。その一言で、今日の貴様の評価はプラスマイナスゼロになった。礼の話も霧消したと知れ」

「厳しいぜお姉ちゃん」


 ありゃりゃ。でも怒り顔の後、ニヤリと意地悪そうな顔に変わったところを見るとそこまで怒ってはいないみたいだ。

 とは言え、エロネタ厳禁だな。十河は真面目なんだ。


「では、行くとしようか」

「待って。さっきのが人類初の謎かどうか分からないんだけど」

「ふむ。確認しよう」


 そう言うと、十河は俺から一歩下がり、モッズコートのファスナーを掴んだ。


「お前は知らんのだったな。あたしにはいくつか罰が課せられていて、そのうちの一つが、人類が解明したことの無い謎を解き明かすという物だ」


 そしてファスナーを下げると、中から女の子らしい服が顔を出す。

 可愛すぎ。似合いすぎ。

 なんだこのクオリティー。もう、他のことなんか考えられない。


「その罰を明示するものが、腿の付け根をまるで締めるように描かれた赤い文様もんようだ。これはレトリビューション・チェーンというもので、一つ謎を解き明かすと消える。そして十二時間後に再び現れ、そこから二十四時間以内に次の謎を解かねばならんという訳だ」

 

 相手は悪魔の王。マンガやアニメでしか見たことの無いゴシックな服がコートの中から現れると思っていたが、それほどごついものではなかった。

 とはいえ、俺なんかが一緒に歩くのは失礼なほどおしゃれ。

 黒のブラウスは白いレースの襟が特徴的で、赤に黒いチェックのスカートに付いた段々フリルとおそろいのようだ。


「今日は研究機関からの報告がまだ入っておらん。だから、今消えていればさっきの暗号解読が人類で初ということになる。……レトリビューション・チェーンの場所はさっき言った通りだからな、お前は目を閉じていろ」


 ティアードスカートって言うんだっけ。段々の付いたアイドル風のスカート。

 妙なフェチと自分でも思うのだが、俺は女の子がスカートの裾を握っている姿が好きなのだ。そう、そんな感じにフリルの付いた裾を掴んだりすると最高。


 ……いや、誰もそのままめくれなんて言ってないよ?


「んがごわにゃっっ!? …………にやってんだおまっ!!!!!」

「ふむ、消えているな。……って、なんで目を開けているんだ貴様!」

「だって! スカートが可愛かっ……、怖い! その目はヤバいよお姉ちゃん!」


 ノータイム・即爆発の眼光を放っていた十河は、しかしそのエネルギーを盛大なため息に変換した。

 そしてこめかみを押さえて頭を振りながら、


「貴様は本っ当に呆れた奴だな。許してやるから、せめて見てないと言ってくれ。貞操を二度も汚されたことを自覚したら、理性が崩壊しかねん」


 なんと。普通は怒りに任せて非難するところだろう。

 これこそ王の貫禄。こんな俺にも慈悲深い。

 俺はお詫びと尊敬と、感謝の念を込めて……、


 はっ!


~否定から始めればあの子もメロメロ~


「…………ピンクに黒いリボンが可愛かっごげぶおあっ!」


 習慣という物は恐ろしい。

 今日、何度もやっていたせいでついしちまった。


 また、習慣という物は恐ろしい。

 触れられたことによる電撃にすっかり慣らされたようで、俺は痺れすら感じることがなかった。

 まあ、顔面に食らったパンチが俺の体を宙に飛ばすほどだったので、その衝撃の方が遥かに上回っていたせいかもしれないのだが。


 そして、習慣という物は恐ろしい。

 地面を数回転した俺は、砂埃の中からすっぽんとして現れた。


「何か、最後に言いたいことは?」

「お姉ちゃん怖い」

「南、東、西。北、南、西」

「…………………なんとうざい。僕、何歳?」

「正解」


 俺は正解したじゃないか。

 一瞬で、おそらく人類が誰も解読していないであろう謎を解いたじゃないか。

 その褒美として、お仕置きを勘弁してもらえると嬉しいのだが、どうだろうか?


 ……もちろん、俺の願いはされた。



 続く。



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