第一章 異変の国
露払い
「今日は夕日が綺麗だ……」
城壁の門番を務める若い男が、燃えるような夕日を眺めながら呟いた。
世界は、日を沈ませ、夜の帳を降ろそうとしていた。
「おい!新入り!そろそろ交替だぞ!」
隣にいた若い男の先輩である中年の男が言った。
「あっ……そう言えばそうでしたね」
「そうでしたね、じゃねえだろ。あまりボーッとするな」
「……すみません」
「ったく……ん?」
不意に、中年の男は目を細めて首を突き出した。
「どうしたんですか?」
「……どうやら、このまま交替まで待つって事にはならなそうだな」
「えっ?」
「……まだ見えないか?こっちに向かってくる人影が一つ」
中年の男が、若い男に言ったその時だった。
「すいませーん!今から入国って出来ますかー?」
遠くから、やや低めの女性の声が届いた。
「
女性、と言ったが、正確には背が高い十代中頃の少女だった。端整な顔立ちで、髪は長く、鴉の濡れ羽色という表現がよく似合う艶やかな黒髪だった。杏仁形の大きな目と瞳、小ぶりだがよく通った鼻筋、薄めの桜色の唇が目を惹いた。
コギトと名乗った少女は、カーキ色のジャケットを着て、黒いズボンと、丈夫そうなブーツを履いていた。ポーチが沢山付けられたベルトの左腰には、一振りの剣が差されていた。
「嬢ちゃん、まさか一人旅かい?」
中年の男が、まさかとは思うけどとでも言いたげな口調で聞いてきた。
「え?あ、はい、そうですけど……どうしてですか?」
「……あのなお嬢ちゃん、国の中じゃねえんだぞ?盗賊なんかに襲われても文句は言えねえぞ?」
中年男は、呆れた様子で言った。
「ああ、言われてみれば一度集団に襲われましたね」
「おいおい……」
「返り討ちにしたんですけどね」
「……」「……」
若い男と中年男は、揃って絶句した。
「?え、何かマズイ事言いました?」
「いや……何でもない。おい、新入り」
中年男は、そう言って若い男を小突いた。
「あっ、はい!えと、何日程ご滞在を希望しますか?」
「えっと、そうだなあ……五日で」
「五日間ですね。わかりました……。あっ、そうだ、武器は何かお持ちですか?」
「この剣と……ナイフを何本かと鉈を」
「わかりました、それらはそのまま持ち込んでもらってかまいませんよ」
「ありがとうございます」
「では、入国審査は以上となります。我が国へようこそ!」
若い男は、やりきった笑顔で言った。
「お金の工面ができて良かった……」
コギトは、ほっとしたように呟いた。
コギトは、シャワー付きの安めの宿をたまたま路地裏で見つけ、そこに泊まる事にした。今は、借りる事が出来た二階の部屋にいた。
「金貨四枚に銀貨八枚、銅貨二十枚、あと紙幣が四種類、それぞれ五枚ずつ、か……。まさか紙幣より貨幣の方が価値が高いなんてね」
コギトは、ベッドに広げたお金を数えて、溜め息混じりに呟いた。
「……」
不意に、コギトは天井の角を見つめた。どこか悲しげな表情だった。
「……悩んでも、仕方ないか。彼らも承知でやって来たんだろうし。……夕飯食べに行くかー」
コギトはそう言うと、この国で買った小さめの財布にお金をかき入れた。立ち上がって、夕食を摂るために一階に降りていった。
翌日。
コギトは、まだ日が昇らない内に起床した。
軽く伸びをして、準備体操を軽く行う。
「さて……」
小さく呟くと、格闘の訓練を始めた。一通り動いてから、『シルバーバトン』と呼ぶ剣を手に取った。鞘から抜かずに構える。
「シュッ……ヘアッ」
小さく小さく気合いを発しながら、室内で剣を振る訓練を行う。
それも終えると、コギトは『シルバーバトン』を置いて、代わりに薄いトレーを持って洗面台に向かった。トレーに水を張って、その上に念のため先に水をかけておいた砥石を置く。水を張り、砥石を乗せたトレーを持って、コギトは『シルバーバトン』の前に座った。トレーを置いて、鞘を留める紐に付いたボタンを外し、『シルバーバトン』を抜いた。
「さて……」
コギトは、幾分か切れ味が落ちてしまったであろう『シルバーバトン』を研ぎ始めた。
「ん……。いいかな。刃も引いてないみたいだし……」
コギトは、研ぎ終えた『シルバーバトン』をためすがめつ眺めて、納得の言った感じの表情で言った。鞘に納めて、ボタンを留めて剣がすぐには抜けないようにする。
直後、ゆっくりと国の真上目掛けて昇り始めた恒星が、部屋の中を照した。
「眩しい……」
コギトは呻くと、着替えを持って洗面台に向かった。シャワーを浴びて丁寧に汗を流した。
「湯船には……つからなくていいか」
独り言を言って、体を拭いて服を着替えた。
トーストに目玉焼きと少なめのサラダといった朝食を摂った後、コギトは一応『シルバーバトン』を左腰に差して、買い物をしに市場にやって来た。
市場は、それなりに賑わっていた。右にも左にも、様々な店が商品を並べていた。
「色々あるなあ……」
コギトは、紙幣でも最も価値の低い物二枚で買った、何かの鳥の肉のような物の串焼きをかじりながら歩いていた。
「目移りしそうだ……」
串焼きを丁度食べ終えた時に、そんな感想を抱いた。
その時だった。
三人の男が、コギトの前に立ち塞がった。
三人共にそれなりに屈強な体つきで、三人共に下卑いた笑いと視線をコギトに向けていた。
「……あの、すみません、通してください」
コギトは、それに気付いていないフリをして言ったが、男達は通そうとしなかった。
「よお、ねえちゃん。ちょっとそこの路地裏でお話しねえか?」
一番左にいた男が、ニタニタと笑いながら言った。他の二人も、似たような気持ち悪い笑みを浮かべる。
「……別に何もする事がなかったので良いですけど……」
「んじゃ、決まりだ。ねえちゃん、前歩きな」
「……」
コギトは、言われるがまま先頭に出て歩き出した。すぐ目の前にあった路地裏に入り、少し進んだところで、ゆっくりと振り返った。
「……で?何の用ですか?」
コギトがそう言うと、男達は一斉にゲラゲラ笑いだした。
「こっ、こいつ……状況まるでわかっちゃいねえ!」
笑いを堪えながら、男の内、最初に一番右にいた男が言った。
コギトは、男達がひとしきり笑うまで待った。
「はー……ねえちゃん、笑わせてくれたお礼にいい夢見させてやるからよ、大人しくしろよ……」
「お断りします」
コギトは、バッサリと断った。
「あ?」
「もう一度言いますか?お断りします」
「……てめえ!」
最初に一番左にいた男が、殴りかかった。
コギトは、無言で歩み寄った。そして、
突然腰を落として、がら空きだった男の鳩尾に深々と右ストレートを突き刺した。
「げぼっ……」
左の男は、拳を打ち出す寸前の体勢のまま、後ろに崩れ落ちた。泡を吹いていた。
「くそっ!」「このアマっ!」
残った男二人が、同時に突っ込んできた。
コギト達が路地裏に入るまでの一部始終を見ていた八百屋の男は、
「ああ……あの嬢ちゃん、終わったな」
そう呟いて仕事に戻ろうとした直後だった。
ドズッ! バァン!ドタグキョッ!
何かが崩れるような音と折れるような音がない交ぜにされた音が路地裏から響いた。
「んなっ……」
八百屋は、路地裏の入り口を見た。いつの間にか、周囲の注目がそこに集まっていた。
路地裏から、男三人を三十秒で叩きのめしたコギトが出てきた。
一身に集まる視線を気にする素振りも見せずに、ただ、
「携帯食料と手袋買いにいこう……」
と、あくび混じりに言って、その場を去った。
路地裏には、鳩尾を陥没させて泡を吹いて仰向けになった男と、同じく仰向けに、こちらは鳩尾が陥没していない状態で男二人が倒れていた。
「コギトさんだっけ?アンタ、話題になってたよ。大の男三人をあっという間に蹴散らしたって」
夕食を渡しながら、宿の女将が言った。
「そうですか……」
コギトは、半ば後悔している表情で返事をした。
コギトが泊まっている宿は、一階が受付兼食堂となっていて、主人が受付を担当し、女将が厨房で料理を作っていた。
「あ――あ……。やっちゃったなあ……正当防衛とか、あるのかな、この国……」
コギトはそう言いつつ、 コンソメスープを飲んだ。
「うん、おいしい。……まあ、どうにでもなるでしょ、うん。それより今は目の前のご飯ご飯」
コギトは、無理矢理自分に言い聞かせるように言うと、夕食を食べた。
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