旅立ち

 ちら、ちら、と明かりがまぶた越しに目に入り、私はゆっくりと瞼を持ち上げた。

 明かりの正体は、木漏れ日だった。幾枚もの葉が風に揺られ、遥かな高みにある陽光を少しだけ通していた。

 私は、ゆっくりと上体を起こして、体を見た。幸いな事に、どこも変な事にはなっていなかった。が、

 「何、この服……」

 私は、見知らぬ衣服を身に纏っていた。

 上は赤いパーカー。下はベージュのズボン。靴は、空色のスニーカー。

 私は、立ち上がって、辺りを見回した。

 私がいたのは、森の中、雑木林で、足下は地衣類が覆っていた。そこまでは良かったが、

 「あれ……?」

 そこは、近所の雑木林ではなかった。

 「おかしいな……。師匠?ししょーう?」

 私は、体感時間で数ヶ月前からお世話になっている師匠と呼ばれる女性を呼んだ。

 少し待っても、返事は無かった。

 「……」

 私は、唇と顎を隠すように手を当てた。

 情報が少ないが、状況を整理してみる。

 

 ――まずは名前。私の名前は?……コギト。数え間違えでなければ十代。日本人の女。髪の長さは腰の少し上まで。  

 ――目が覚める前に何をしていたか?……朝、天気が良くて、外に出た。そこから先は、覚えていない。

 ――ここは何処か?……森の中。ただし、家の近所の雑木林ではない。見知らぬ森。ちなみに広葉樹と針葉樹が五分五分くらいの割合で生えてる。季節は周りの植物の状態と体感気温から、おそらく春の中頃。

 ――何が起こったのか?……わからない。

 

 「……駄目だ情報が少なすぎる」

 私はかぶりを振った。言葉に出した通り、自分の事と、辺りを見回しただけしか情報が無いからだ。

 「……埒があかない、かな。仕方ない、移動しよう」

 私は、歩き出した。

 

 「……もう少し、森の中で歩きやすいような服装はなかったのかなあ……いたっ」

 私は、茂みを踏み越えながらぼやいた。

 「……長袖なだけマシなんだけど、さ」

 長ズボンに刺さったトゲを抜きながら、もう一度ぼやいた。

 そうやってしばらくの間、時々刺さるトゲや枝と格闘しながら茂みを歩いていると、

 「おっ、ラッキ」

 道に出た。私は、上を見た。次いで、下を見る。

 「……あー、わかんないか」

 私の影は、木々や枝葉の影に紛れて見えなかった。影が見れれば、方角とか、大体の時刻とか、色々わかったのだが。

 「ま、とりあえず左右に伸びている道、ってことで……さっきから独り言多いな私」

 とりあえずそこで区切ってから、私は左右を見た。

 「……ん?」

 私から見て右の方の先に、灰色の壁が見えた。

 「なんだろ?」

 私は、壁のすぐ側まで行ってみる事にした。

 

 「こ、これは……」

 私は、屹立する壁を見上げながら、ぼそりとこぼした。

 壁は、かなりの長さと高さがあり、丸みもある事から、円形になっていることがわかった。

 壁伝い、左回りに回ってみると、やがて巨大な、しかし倒れている門が現れた。

 「ここ……城門って言えばいいのかな……?……入り口、かなあ?」

 私は、首を傾げながら言った。少し考えてから、

 「すみませーん、誰かいませんかー?」

 大声で誰かに尋ねた。返事は、なかった。

 「……すみませーん!」

 私は、もう一度尋ねた。やはり返事はなかった。

 「……仕方ない、か。……お邪魔しますよ」

 私はそう言うと、前のめりに倒れている門を踏み越え、城門をくぐった。

 

 「廃墟だな……」

 入るや否や、私はそんな感想を抱いた。

 前方に広がる街並みはことごとく何処かしら崩れていたり潰れていたりで、酷い所では家が縦に潰れ屋根だけになっていた。全体的に埃っぽかった。

 「何があったんだ……?」

 一度振り返って、こつ、こつと靴を鳴らしながら、廃墟の中を歩いていく。

 まっすぐ進み、右に曲がり、二度目の曲がり角を左に曲がった。予想通りと言えば予想通りだが、行くとこ出るとこ廃墟ばかりだった。歩きながら廃墟を見て、

 「特に崩れやすい構造って訳でもないし……それどころか、素人目にもコレ耐震性バッチリに見えるんだけど……」

 そんな感想を抱いた、その時だった。

 「ん?」

 前方に、赤黒い染みの中央に倒れている何かを見つけた。

 いや、あれは何かではない。あれは――

 「人だっ……!」

 私は、慌てて駆け出した。 

 

 私は、倒れている人間の側に慌てて駆け寄った。何か嫌な予感がしたからだ。

 赤黒い染みの中に倒れていた人間は、若い男だった。髪は私よりずっと短く、まだらに赤黒いシャツに、黒いズボンを履いていた。仰向けに倒れていた。

 赤黒い染みは、血の跡に見えた。

 「あ、あの、大丈夫ですか……?」

 駆け寄ってみたものの、私は、急に死体だったらどうしよう、という思いが浮き上がり、おそるおそる声をかけた。

 男は、ゆっくりと目を開けた。生きていた。

 「……誰だ、お前……」

 男は、掠れた声で聞いた。

 「えっと、私は、コギトと言います。一応、日本人です。……あの、大丈夫ですか……?」

 私は、自己紹介をしつつ、もう一度尋ねた。

 男は、私から少し目線をずらして、

 「ああ……。大丈夫じゃ、ないな……」

 それだけ絞り出した。

 「一体、この国で、何があったんですか……?」

 そう言ってから、私はハッとした。

 男は、乾いた笑みを浮かべると、

 「そうか……。これをまだ国と言ってくれるのか……。お前、何処から来た……?」

 私は、一度考えてから、

 「……わからないです。気がついたら、この国の近くにいました」

 正直に答えた。

 「……そうか……。……そうだ、お前、服は……?」

 「これ一着です……」

 「なら……そうだな、お前、今から言うことをよく覚えとけ……」

 私は首を傾げたが、すくに頷いた。

 「いいか……ここから俺の頭が向いている方に歩いていって、三つ目の曲がり角を左に、次の曲がり角を右に曲がると見えてくる赤レンガの煙突の家を目指せ……。そこに、俺の服と、武器を置いてきた。縦長の箱に入っている……俺の替わりに、有効に使ってくれ……」

 男はそう言うと、黙った。

 「え……?ちょ、ちょっと……?」

 私は何度か呼び掛けたが、ついぞ返事は返ってこなかった。

 死んでいた。

 

 私は、男に言われた通りに、男の頭の方に歩いていき、三つ目の曲がり角を左に曲がって、その通りの最初の曲がり角を右に曲がった。

 すると、男の言った通り、赤いレンガで組まれた煙突がある家が見えた。かなり頑丈に出来ているのか、ほとんど何処も崩れていなかった。

 「……」

 私は、家のドアに張り付いて、そっと開けてみた。

 しばらく待ったが、罠らしき物はなかった。

 私は、滑り込むように家の中に入った。

 家の中は、やはりというか、埃っぽかった。

 調度品が個人的にかなり素敵なデザインだったのだが、その全てが埃を被っていた。

 「えーと、縦長の、は、こ……」

 縦長の箱は、部屋の中を見回さずとも、すぐに見つかった。

 「んなあっさり……」

 唖然としかかったが、気を取り直して箱の前に向かう。

 箱は、前情報通り、縦長かつ木造だった。蓋は観音開きになっていた。

 「……開けてみるか。オープンザプライス、なんちゃって」

 私は、軽く茶化しながら箱を開けた。

 箱の中身は、カーキ色のジャケット一着に、白いシャツ四着。黒いズボン二着。丈夫そうなブーツ一足。その他諸々の衣類に、丈夫そうな大きめのリュックサック。その中でもひときわ目を惹いたのは、

 「これ、剣、かな?」

 私は、剣らしき物を手に取った。柄頭は銀色の、穴が開いた楕円形で、柄は黒い革が巻かれていた。鍔は四角く、刀身は、黒革の鞘に納められ、鞘に付いた幅が広めの革紐で鍔の上を通して止められていた。

 私はおもむろにそれを手に取ると、ボタン式の留め具を外して、剣を少しだけ抜いた。

 「おお……」

 少しだけあらわになった一目で業物とわかる銀色の刀身を見て、私は思わず感嘆の声を出した。

 その時だった。

 

 カタ、カタ

 

 「ん?」

 私は、物音がした方に振り向いた。    

 そこには、カタカタ揺れるカンテラがあった。

 「……」

 揺れは段々と激しくなり、やがて、スッ、と浮かび上がった。

 「……!?」

 カンテラは、私目掛けて一直線に突っ込んできた。

 「わっ!」  

 私はかがんで避けた。直後にゴロゴロと転がり、カンテラと距離を取る。

 立ち上がってカンテラを見ると、再び私に突撃せんと準備しているカンテラの姿が見えた。

 「……!」

 私は、スッと構えた。左足を前に半身になり、カンテラを待ち構える。

 カンテラは、再び私目掛けて突っ込んできた。

 「ハアア……フッ!」

 私は、軽く腰を落とすと、素早く飛び上がり、そして、  

 「ディエエエエエエエエエエイ!」

 気合いと共にカンテラにかかと落としを叩き込んだ。

 カンテラは叩き落とされ、ガラスが使われている部分が割れて使い物にならなくなった。

 私は、しばらく割れたカンテラを見下ろしていた。 

 「……何だったんだ……」

 何とかそれだけ呟くと、辺りを見回した。他の物が動き出す気配はなかった。 

 警戒して動けない状態が続いた、その時だった。

 

 ……こっちにきて……


 「っ!?」

 男の子とも女の子ともつかない声が響いて、私は、慌てて辺りを見回した。が、人の姿はなかった。

   

 ……こっち、こどもべやに…… 

 

 「子供部屋?」

 私は、異口同音に繰り返した。

 「……奥の部屋かな?」

 私は、暖炉の側を横切り、その側にあった通路に向かった。

 

 ……そう、そっち……

 

 声が大きくなった気がした。私は、通路の一番奥のドアの前に立った。

 

 ……そう、そこ


 大分はっきりと聞こえるようになった声に導かれるがまま、私はドアを開けた。

 

 そこは、言われた通り子供部屋だった。が、

 「うあ……」

 その部屋の中央には、骸骨が転がっていた。

子どもの骸骨で、女の子の人形を抱き締めていた。

 「……ホント、何があったんだ、この国……」

 『それは……』

 「っ!?だれ!?」

 声は、子供部屋の中から聞こえた。私は辺りを見回したが、誰もいなかった。 

 『あの……足下です』

 「え、足も、と……」

 目線を落とすと、骸骨の、ぽっかりと開いた眼窩と目が合った。

 「まさか、骸骨とか……」

 『そうです』

 「……そう」

 『うん』  

 「……」『……』  

 

 「で、どうして骸骨が喋っているの?」

 骸骨の前に座った私は、骸骨に聞いた。

 『わたしにもわかんない』

 骸骨は、あっけらかんに笑いながら言った。男の子とも女の子ともつかなかった声は、いつのまにか女の子のそれに変わっていた。

 「そ、そう……あの、さっき何か言いかけていたけど、何を言おうとしていたの?」

 『何があったんだ、この国って、言ってたよね。……それを説明しようと思って』

 「そっか。……じゃあ、説明してもらえる?」

 『うん。……って言っても、早々にこの部屋に隠れちゃったから、少ししか話せないけど』

 骸骨は、そう前置きしてから、この国に何が起こったのかを話し始めた。

 

 『……ここは、国だったの』

 「……廃墟になったのは……?」

 『ほんの一月前。……一月前の朝、この国を真っ黒い雲みたいな影が覆ったの』

 「……影」

 『続けるね。その影は、雷みたいなのをたくさん落としたの。それからはあっという間だった。お家は、雷が落ちたら崩れて、雷に当たった人は、消えちゃったの』

 「……」

 この子が見た惨劇を、正直、私は想像しにくかった。ただ、尋常じゃない出来事があったのは、確かなのだろう。

 『わたしは、お父さんとお母さんに、子供部屋に隠れてなさいって、言われて、それで隠れたの。でも……お父さんもお母さんも、それっきりかえってこなかったの』

 「そっ、か……。寂しかったろうに……」

 『うん、さびしかった』

 「そっか……」

 『あ、あのね』

 「なに?」

 『おねえちゃんが、どうしてここにいるのかも、せつめい、するね』

 「……え?」

 『おねえちゃん、ここ、どこなのかわからないんでしょ?』

 「う、うん。気がついたら、森の中でね……」

 『おねえちゃんね、帰ってきたの。この星に』 「え……?いや、だって、私が生きていた世界は、こんな場所、なかったけど……?」

 『おねえちゃん、元々はこの星の人だった人がお父さんなの』 

 「……初耳」

 『その証拠に、今、私達、話せてるよ。……あのね、本棚から、絵本、取って読んでみて』

 「絵本……?」

 私は、膝立ちで歩いて小さな本棚の前に行き、そっと、絵本を取り出した。埃を払って、開いてみる。

 絵本の文字は、アルファベットの上下左右を逆にしたような文字だった。見たことない文字だったのだが――。 

 「よ、読める……」

 『ね?』

 「……私がこの世界出身かどうかは、ひとまず置いといて、これなら読み書きに苦労する事はなさそうだね……」

 『……あの』

 「……どうしたの?」

 私は、振り向きながら聞いた。  

 『お願いがあるの』

 「……私に出来る事なら」

 『あのね……。私の代わりに旅に出て、あの黒い雲の正体を突き止めて欲しいの。なんだかね、半年で何とかしないとまずい気がするの』

 私は、片眉を上げた。

 「あ、それなら、私これから旅に出ようと思っていたの。……好都合、ね」

 『そ、それじゃあ……』

 「うん。私が師匠の所に帰る方法を探すのと同時平行に黒雲の正体、突き止めるよ」

 多分それが――

 「多分それが、今の私の出来る事だろうから」

 

 翌日。

 うっすら明るくなった世界の中で、私は着替え始めた。

 赤いパーカーから、白いシャツに。

 ベージュのズボンから、黒いズボンに。

 その上からカーキ色のジャケットを着た。

 「荷物は……残してないね。……携帯食料も、大丈夫だね。近くの国までの地図も持った。……よし」

 最後に、ベルトを締めようとして、

 「あ、ジャケットに通す穴が付いてる……」

 それに気づいて、ジャケットにベルトを通した。何かを入れるポーチをベルトに付けて、剣帯を左腰の辺りに取り付ける。

 「……」

 私は、黒革の鞘に納められた剣を手に取った。刀身を少し抜き出して、それを少しの間見つめた。

 「……よし。今日からお前はシルバーバトンだ」

 剣に名前を付けて、剣帯に通して腰に吊った。  

 家を出る前に、振り返って、

 「いってきます」

 そう言って、家を後にした。

 

 子供部屋の骸骨の元に、コギトの声が届いた。

 骸骨は、

 『いってらっしゃい……コギトおねえちゃん。……もう聞こえないかもしれないけど、餞別があるんだ。歌……ワンフレーズだけだけど……』  

 そこで区切って、歌い出した。

 

 time is flow ……


 それだけ歌うと、骸骨は、形を崩した。

 灰になった。

                 ―続く―


 

 


 

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