撃退

 モーゲンの町が間近という所で低い柵が置かれて道が塞がれている。周りには数人の騎士がいて、止まれと合図している。


 「許可の無い者を通す事は出来ないぞ。」


 「許可ならありますぜ。」


 ギーブンが丸めた書簡を御者台から差し出すと受け取った騎士が書簡を広げて目を通し、他の騎士達に柵をどけるように指示する。再び書簡を丸めるとギーブンへ差し出しながら声を掛けてくる。


 「グンバン団長に許可を得ていても、出る時は馬車の中の人間も含めて検査させてもらうぞ。」


 「そりゃそうだ。じゃ通らせてもらいますぜ。」


 モーゲンの町には取り囲む塀や柵は無い。代わりに町の一番外側の建物が繋がっているのだ。街道と繋がり、町の出入り口となる所は数か所大きく空いているが、それ以外は住居や馬屋や倉庫などが繋がった状態で並んでいる。森がある方角にだけ見張り台が立っている事から、野生の動物対策としての造りだろうか?それにしては出入り口に門も何も無い。その事についてはギーブンから回答があった。


 「昔は狼の群れなんかがいたらしいですぜ。けどもう20年以上ここらじゃ見かけなくなったとかで。」


 要するに平和ボケして対策をしなくなったと言う事だろうか。まぁどちらにしても門や柵では病や毒は防げはしないのだが。

 話している間にも馬車は進んで、町の中央の広場に出る。ここまで誰ともすれ違っていない。町に住人がいるとは思えないほど静まり返っていた。

 今回町で探すのは宿では無く治療院だ。帝国において治療院にはベッドと葉っぱを意匠化した看板があると言うのは予め聞いていたので探すがそれらしい看板は見当たらない。

 しかし代わりにあまり良い記憶が無い物が目に留まる。倒産した元我が社のロゴを意匠化したシンボルを掲げる建物。つまり教会だ。

 「ちょっと聞いて来ますぜ。」と言ってギーブンが御者台を降りて教会に入って行く。前回の事もあり、嫌な想像をしてしまうがギーブンは直ぐに出て来て再び御者台に上がる。

 治療院の場所が分かったらしく直ぐに馬車の移動を再開する。教会の中には数人が祈りを奉げていて、涙ながらに神に救いを求める者もいたと言う。

 おそらくはどのような救いであっても差し伸べる事が出来る者としては、心に疼きのような物も感じるが、救いを求めるのならば祈り求めるのでは無く努力し成し遂げるべきだと思っている。もちろん人間にはどうしようも無い事に対して祈りを奉げる事はあるだろうが、それこそ自分が軽々しくどうにかして良い事柄では無い。

 頭の中でそんな事を考えている間に目的地に着いたようだ。馬車が止まるとギーブンが扉を開いて「着きましたぜ。」と声を掛けて来る。


 「ではウルカンさん、オーベルさん、お願いします。」


 声を掛けられた同乗者が急いで馬車を降りて治療院へと向かう。女性3人には基本的に馬車から降りずにいてもらうつもりだ。ギーブンに声を掛けて2人で荷物を降ろし始める。

 ここで使うべく持って来た物は各種解毒に使われる薬剤が入った木箱が8箱、水の入った樽が2樽、食料の入った袋が3つ。馬車の後部に積んだ荷物と屋根の荷物置きに括りつけた荷物をそれぞれ降ろして治療院の前に積むとウルカンとオーベルが出て来る。


 「早速中に運び込みましょう。」


 「分かりました。ギーブンさんは井戸の汲み上げをお願いします。」


 「了解ですぜ。それであのぅ………例の件、お願いしますぜ。」


 ギーブンが近づいて小声で話す内容に了解の意を伝える。

 水を持って来ていると言っても馬車に積める程度で足りる訳が無いので予め井戸を最低1つは毒抜きする事をギーブンと決めていた。とにかく水を汲み上げ続けて沸き出す地下水と入れ替えようと言うのだが、体力的に辛いだろうからギーブンが1時間汲み上げる毎に1時間前の身体に戻して疲れる前の身体に戻すと言う案を言い含めてある。これならば何時間汲み上げ続けようが交代は要らないと言う訳だ。

 オーベルが治療院が使っている井戸の場所は裏の馬屋の傍だと聞いてくれたので、それを聞いたギーブンは治療院の裏手に馬車で移動して、自分はウルカンとオーベルを手伝って荷物を運び入れる。

 治療院の中は患者だらけで足の踏み場もないほどだった。薬の木箱を運び込んだ部屋にも20人以上が横になっていて明らかに定員オーバーで全てを運び込む事は出来なかった為に廊下にも木箱を並べて置く。


 「私達が使う解毒薬は毒に侵されていない物が飲めば毒になるような薬が多いので、手当たり次第に試すと言っても、薄めて使って具合が良い方に向かう者を探すという方法になります。しかも既に体力的に厳しい者に使うには相当薄めて使うしかありません。間違った薬では追い打ちをかける事になってしまいますので。」


 「ではここに寝ている人達にそれぞれ別の薬を与えて経過を観察して絞り込むと言うやり方な訳ですね?」


 「そうなります。しかもかなり薄めて使う訳ですから症状が良くなるのも悪くなるのもハッキリと直ぐに分かると言う事は無いでしょう。」


 「時間が掛かるやり方しか出来ないと言うのは分かりました。とにかく急いで始めて下さい。」


 「私もお手伝いさせて頂きます。」


 ここは専門家であるウルカンとそれを手伝うと言うオーベルに任せるのが正解だろう。何か手伝いが必要な時は声を掛けて下さいと言い残して井戸の方へと向かう。

 井戸ではギーブンが汲み上げた水をなるべく遠くへ撒くと言う行為を繰り返していた。せめてポンプでもあれば早そうだが、残念ながらこの世界にポンプと言う技術は完成していないらしい。初期から与えた知識と創世からの年数を考えればポンプくらいは出来ていてもおかしくないと思わなくも無いが、それは現実世界で文明によって楽をする事に慣れた自分の我儘だろう。

 汲み上げるのも水を撒くのもギーブン1人でやるよりは、汲み上げる者と撒く者とで分業した方が効率が良い。そして疲れない身体で通常の5倍の筋力を持つ自分が汲み上げる役をするべきだろう。

 最初に断って来たギーブンに今考えた理屈ととりあえずやる事が無い事を告げると2人で井戸の水汲みを再開する。

 馬車からそれを見たルーリィが自分も手伝うと言って来るが、彼女にはリッカとリムを見ていて欲しいと伝えて断る。

 しばらく続けていると、包帯を巻いた左手から血が滲んでいた。ほぼ治っている筈だが、やはり完治していなければ皮膚が元の強度を取り戻していないのだろう。深く切れていた部分がパックリ開くと言う事は無いだろうが、酷使すればかさぶたが取れた時程度の出血はまだするのだろう。少し時間を戻して無かった事にするが、今後の事も考えて手袋をする事に決めた。

 周囲を見回してギーブン以外誰もいない事を確認してから管理者ウィンドウを使って黒皮の手袋を出現させる。黒のコートに黒皮の手袋とは何だか物騒な雰囲気を漂わせる服装になってしまったが、別に物騒な事をするつもりも無いので気にしない事にして作業を再開する。作業をしながらギーブンと今後について少し話しておく事にした。


 「今回は残念ながら宿でゆっくりと休む事は出来ないでしょう。この井戸も再び毒を投げ込まれる事が無いように見張っておく者が必要です。」


 「また来ますかね?」


 「来ると思いますよ。そもそも井戸は汲めばまた沸いて来るのですから定期的に毒を足さないと薄まって効果が無くなってしまいますから。」


 「薄まっても大丈夫なくらい最初に入れてたってーのは無いですかね?」


 「そこまで濃度の高い毒なら飲んで直ぐに効果が出てしまうと思うんですよ。そうすると水が怪しいと思われてしまうでしょうから、それを避ける為にも徐々に具合が悪くなるように調整しているのでは無いでしょうか?まぁ元々遅効性がある毒とかなら濃度が高くても問題無いのかも知れないですけど、どちらにしてもこの井戸が安全となった後に見張るべきでしょう。」


 「じゃ丁度馬屋の横に付けた馬車から見えますから、ここじゃ馬車を宿にするって訳ですかい?」


 「女性陣をどうしようか考え中です。流石に馬車に寝泊まりしてもらう訳には…。」


 「治療院の中には空き部屋は無いんですかい?」


 「足の踏み場もありませんよ。荷物も隙間を見つけて置いて来たと言った感じです。」


 馬車の中で5人が寝ると言うのは可能ではある。交代で見張りをするので寝るのが4人ならば尚更問題無いだろう。だがそれは広さに置いてと言うだけだ。

 現実で言うならば、女性を男性とごちゃ混ぜで車に寝泊まりさせると言うのはやはり気が引ける。


 「そうですねぇ………馬車の窓を全て閉じて、夜の間は女性陣には管理者の部屋で寝泊まりしてもらいましょうか。」


 「俺も女に生まれりゃ良かった…。」


 「それならば私も見張り組に入れて下さい。」


 突然話に入って来たルーリィの提案を断る言葉が浮かばない。正直に言わせて貰えば女性にはちゃんと風呂に入り、柔らかなベッドの上に敷かれた綺麗なシーツの上で寝てもらいたい。だが今までの付き合いで、それを正直に言っても聞き入れて貰えないだろう事は分かっている。溜め息まじりに承知するが、但しを付ける。馬車で休憩する順番の時は管理者の部屋で風呂に入ってゆっくり休む事を条件にした。


 初日に井戸の水を桶で掬えない所まで汲み上げ、水位が戻った後に夜を徹して同じ事をもう一度繰り返した。深さから見ても毒の濃度は1/100以下になっているハズだ。

 ルーリィがその水を使ってみると言うのをギーブンがそれなら自分がと言って止め、ギーブンが井戸の水を飲んでみるが、特に身体に不調の兆しが無いので治療院の者達にも使い始めている。しかし解毒作用のある薬の発見にはまだ至っていない。

 そしてモーゲンに到着してから2日目の夜中、ギーブンと2人で井戸の番をしている時に井戸に近づいて来る者がいた。

 ランタンも使っているが、なるべく物陰を無くす為に配置しているので馬屋の壁に掛けてあり、井戸周辺は焚火を焚いて明るくしているが、薪もモーゲンでは残りが乏しくなりつつあるので大きな火を焚き続ける事は出来ない。

 その大きくは無い炎に照らされて現れた人影は、茶色のシャツに同じ色のズボン、皮手袋をして腰には騎士の直剣。足音を忍ばせる気配も無く堂々と近づいて来るその男は、ハッキリと顔が分かる所まで近づくと挨拶をしてくる。


 「こんばんは、俺はサシュー。ウィラント公爵様に仕える騎士だ。あんた達が井戸の番をしてるって聞いてな。勤務が終わったんで手伝えないかと思って来たんだ。」


 「ありがとうございます。ですが大丈夫です。ちゃんと交代要員もおりますので。」


 「いやいや、町を救いに来た人達の手助けをしたいんだ。気兼ねなく俺の事使ってくれ。」


 そう言って井戸に近づくサシューにギーブンが回り込み、片腕を伸ばして通せんぼをする。


 「あんた、何年前にウィラントの騎士団に?」


 「今年で3年目になる。何でそんな事を?」


 「そいつぁおかしい。俺ぁ以前の職業柄、去年以降に採用された騎士じゃなきゃウィラント公爵家の騎士の名前は全員覚えてんだが、あんたの名前は知らねぇなぁ。」


 するとサシューは全く表情を変えず、姿勢も変えずに腕だけを目にもとまらぬ速さで動かすと、ギーブンが小さく呻いて後ろにさがるが同時に頽れそのまま力無く倒れる。

 サシューの手には抜かれた得物が握られているた。それは直剣の鞘から抜かれた短剣だった。鞘の長さは1m弱ほどあるが、中の刀身は30㎝も無かったのだ。そしてサシューがくるりと振り返って先ほどまでと変わらない口調で話しかけて来る。


 「こんなに簡単に見破られるとは思ってなかったな。彼は以前何を?」


 「彼は少し前まで仲介屋をしていました。」


 「なるほど、それなら納得出来る。」


 会話の間に管理者ウィンドウを操作して、予めショートカットに設定していた機能を起動すると同時に焚火の炎の揺らめきがゆっくりとしたものになる。

 この機能を使っている時に話しかけて来られると、会話を聞き取るのにじれったい思いをするが、相手はそれ以上話をするつもりが無いのか、こちらに向かって歩き出していた。


 挨拶した時と表情は何も変わらない。ゆっくりしたその動きも襲い掛かって来ると言う動きでは無く普通に歩いて近づいて来る動きだ。

 人を襲う事をこれほど自然に遂行しようとする人間を目の前にして背筋をゾッとしたものが走る。


 近づくサシューの短剣を持った右腕だけが他の部分の数倍の速度で動く。もちろんそれでもゆっくりとした動きではあるのだが、世界を遅くしていなければどれほどの速度で攻撃されているのか分からない。

 サシューは短剣の刃を横にしてこちらの左胸目がけて突き入れて来る。明らかに心臓を狙っている。肋骨の隙間に刺し込む為に刃を横にしたのだとしたらこれがプロの仕事と言う物なのかと妙な所で感心しながら刀身を見ていると、その刀身はぬらぬらと液体で濡れて光を反射していた。天使教の人達が持っていた短剣を思い出してギーブンが倒れた理由が分かり、これはかすり傷もダメだなと思って見ていると刀身に反射して人影が映る。いつの間にか馬車の屋根に短剣を持った別の人影が立っていた。


 刀身に映り込む人影を見る限り、飛び降りて襲って来る気配はまだ無い。目の前の相手をどうにかしてから振り向いても間に合いそうだ。


 サシューが右腕を伸ばし、足りない距離は踏み込みで埋めて短剣を突き立てようとするその伸びきった右腕の肘を殴りつけようとすると僅かに右腕が逃げようと動き出す。

 減速された時間の中ではこちらの反応は人間が対応出来る速度を遥かに超えているハズだ。そして増強された筋肉で打ち出される拳も粘るような空気をものともせずに高速で打ち出されている。それに反応するとは驚きだが、やはりこちらの動きが勝る。

 多少逃げようとずれる肘を筋力で無理矢理軌道修正して追いかけながら全力の拳を肘に叩き込むと、サシューの肘が本来の稼働域を外れて逆向きに曲がって行く。そして同時に叩きつけた自分の左拳がメキメキと砕けて行くのが分かるので、身体の時間を戻して修復しながらサシューが手放してしまった短剣を空いている右手で掴むとその短剣でサシューの太ももを浅く切りつける。

 ズボンの下に何か着こんでいないかを切りつけた部分を見て確認した後に後ろを振り向くと、馬車の屋根の上の人間が飛び降りようとして片足を空中に踏み出している所だった。

 落ちて来るまでまだ時間がありそうだったので、サシューの方を確認すると剣帯の内側から左手で串のような物を取り出していた。

 まだ剣帯に半分ほど隠れていたその串を治した左手で取り上げた後に放り捨てて、握りしめた拳をサシューの左手に叩き込んで砕く。

 そして再び馬車の屋根から飛び降りて来る人影に顔を向けると手に持っていた短剣をこちらに投げる所だった。何も持っていなかった左手は後ろに回されているので背中側に予備の武器でも持っているのだろう。

 ゆっくりと飛んで来る短剣を待ち、手の届く所まで来たので掴み、今度は相手が落ちて来るのを待つ。そして足が顔の高さまで落ちて来た所で両手の短剣を相手の両足の甲に突き立てて離れた。2人を視界に捉えられる位置に移動しながら一度周囲を確認するが、他の敵は見当たらない。再び2人を視界に捉えて様子を見るが、馬車の屋根から飛び降りた敵は左手に持ったもう1本の短剣を投げる前に倒れ込む。サシューも動く様子が無いのでギーブンの身体の時間を戻して麻痺を抜くと時間の減速を解除した。


 「お役に立てねぇで面目ねぇ。」


 「いえ、ギーブンさんがウィラントの騎士団全員の名前を憶えていてくれたおかげですよ。おかげで井戸を守れました。」


 「ありゃ嘘ですぜ。流石にウィラントの騎士団全員の名前なんて覚えちゃいませんよ。カマかけてみただけなんで。」


 「どちらにしてもファインプレーでした。」


 「なんです、そりゃ?」


 「良い仕事をした相手を称賛する言葉ですよ。」

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