驚愕

 宿泊や野営をせずに移動を続けると言ってもずっと馬を走らせ続ける事は出来ない。馬が潰れては元も子もないし、乗り手も仮眠を取らなければ馬から落ちたり道を外れて馬を転ばせたりもするだろう。だがのんびりしてはいられない。薬が届くのが早ければその分助かる命が増えるのだ。


 最初に薬を届ける荷馬車の護衛と言う任務の話が出た時は他の騎士に任せるつもりだった。年老いた自分が今更功績を求める気持ちも無く、薬を狙う野党などそうそういないだろうし帝国騎士に囲まれた荷を狙う野党もそうはいないだろうから腕に不安のあるような他の者でも大丈夫だろうと思っていた。

 しかしその届け先を聞いて別件で思い至る事があり、かなり不純な動機でこの任務に名乗りを上げた。

 任務自体への気持ちは別としてもちろん最初から急いではいた。そういう命令であったし、事態も把握していたからだ。しかし徐々に目的地に近づくにつれて妨害されているのを確信して、気持ちも急ぎ始めていた。

 調子が悪い馬が出たり、荷馬車の車軸が折れたりと言った不測の事態がやたら多かったが、いよいよ目的地間近となると夜の闇に紛れるように黒く塗った紐が道に張られていたのだ。先頭が自分であった事で全員無事であったが、他の者であれば何人か巻き込んで馬毎転ばされていただろう。ここに来て速度を落として走らざるを得ない状況にイラつきながら周囲に気を配る。

 空が白み始め、ようやく夜目の利かない人間にも不自由無い視界が確保出来ると速度を上げるように指示する。もういつ町が見えてもおかしくない距離まで来ているはずだ。

 周囲を警戒していた目を遥か前方に向けると煙が上がっているのが見えた。日の出の時間に朝食を取る人間は多い。ようやく町に着いたと思い、僅かに緩みそうになる気持ちを再び引き締める。炊事の際に立ち昇る煙にしては太すぎる。


 「ワーグとモランの部隊は引き続き荷馬車の護衛。警戒は十分にせいよ。バジンの部隊はわしに付いて来い。」


 「「了解。」」「私の名前はバジナードです!」


 「細かい事言うとると女にモテんぞ。」


 荷馬車に合わせた速度で走っていた馬の腹を軽く蹴り込むと、愛馬が速度を上げる。みるみる後続が離されて行く中で10騎ほどが速度を上げて追従し、その先頭を走るバジナードに向かって叫ぶ。


 「団旗を上げさせい!」


 それを聞いたバジナードが後続に指示を出すと、直ぐ後ろを走っていた2騎が馬の横腹に提げていた騎槍(ランス)を取り出し、先端に鞘の様な物を取り付けるとそこに巻かれていた布を広げ、その騎槍を垂直に持ち上げ抱えると帝国騎士団の紋章がはためく。


 荷運び組が見えなくなる頃にはもう町の建物が視認出来る距離まで来ていた。煙はどんどん増え、そして建物の屋根が赤く輝き、そこから煙が立ち昇っているのが確認出来た。

 町の手前には簡素な柵が置かれ、その周りに騎士が数人。町を取り囲む形で周囲にも散開していた。


 「団旗持ちは2人づつ連れて左右から回り、散開する騎士達に火消しと民の保護を命じろ!言う事を訊かん奴は逆賊として斬って構わん!残りはわしと共に町の中心へ向かうぞ!」


 指示を出し終わると柵がもう近い。前方にたむろする数人の騎士に向かって簡潔に叫ぶ。


 「第九騎士団副団長クメイ、陛下の勅命により推参!反抗する者は逆賊と知れ!」


 慌てふためく騎士達をよそに、速度を緩める事なく柵を飛び越える。町の外側に近い民家はもう焼け落ちる所だったが、その先で惨劇は続いていた。


 燃える家から出て来る者を再び盾を使って押し込んだり蹴り入れたりする騎士。


 窓から飛び出して逃げていく者を弩で射貫く騎士。


 火だるまになって転げまわる民に剣を突き立て、止めを刺す騎士。


 使える主の命に従って剣を振るうのが騎士と言うのは分かっていても、そこにはあってはならないと思える光景しか無かった。

 町の中心の広場まで駆け抜けると再び町の入り口で叫んだ口上を大声で叫び、続けて更に大声で指示を叫ぶ。


 「火消しと民の保護を命じる!この町を救うと言う命は陛下の御意思である!未だ凶行に及んでいる者達にも伝えよ!」


 慌てふためく騎士や逃げ出す騎士、指示に従う騎士と反応は様々だったが見回すと1人クメイの方を見たまま呆けている騎士がいた。


 「そこの貴様!指揮官はどこじゃ!」


 呆けていた騎士がビクリと身体を痙攣させた後にノロノロと腕を持ち上げて1本の道を指差す。


 (こいつに詳しい場所を聞くよりは行って見つからなければそこらのヤツを捕まえて聞いた方が早そうじゃな。)


 考えると同時にもう行動していた。馬の手綱を操って騎士の指差した道へと馬の顔を向けさせると強めに横腹を蹴り込む。乗り手の意志を理解した馬が即座に全力で走り出すと、追従していた他の騎士達も慌てて追いかける。

 途中で民に剣を向けていた騎士の横をすり抜ける際に頭に蹴りを入れながら更に馬を走らせると、少し大きめの建物が見えた。

 建物の前では大柄な騎士が巨大な盾を背負い、両手で扱うような大きな剣を地面に突き立て、そこに両手を乗せて建物の方を見ながら仁王立ちしている。他にも3人の騎士がいたが、その男がやはり目立つ。おそらく指揮官はこいつだろうと当りをつける。

 建物は石造りだった為、建物その物は燃やされてはいなかったが周りに樽や木箱が置かれて火を点けられ、木製の窓板などが燃えている。そして正面の扉は既に破られていた。

 中で何が起きているのか想像出来るので、手早く話をつけなければならない。


 「第九騎士団副団長クメイである!陛下の勅命によりこの町を救いに参った!直ちに凶行を止めさせよ!」


 馬の近づく音には気付いていたと思われるが、微動だにしなかったその男がようやくこちらを向く。


 「俺はウィラント公爵家にお仕えする騎士だ。俺に命令出来るのはウィラント公爵家の者のみ。俺に言う事を訊かせたければウィラント公爵家の者からの命令書でも貰って来い。」


 そんな事をしていてはこの町は皆殺しだ。そしてそもそも公爵の命が皇帝陛下の命より上のハズが無い。会話が成り立たない者だと理解しつつ最後の警告を口にする。


 「つまり逆賊と見て良い訳じゃな?」


 そう言いながら鍔の無い刀を抜いて相手に向けると、大柄な騎士が地面に突き立てた剣を抜いて右手一本でブンと振る。


 「知らんな。俺にとっての逆賊とは公爵様の命に従わぬ者の事だ。」


 さらに大柄な騎士が背中の盾を外して手に持ち替えながら周囲の騎士に命じる。


 「お前ら!窓が焼け落ちてるのが見えんのか!挟み撃ちの好機だろうが!さっさと窓から入って中で手こずってる奴らに加勢して来い!」


 他の騎士達は皇帝陛下の命に背く事に抵抗を持てるマトモな思考が残っていたらしく狼狽えていたが、大柄な騎士の大声で叫びながらの指示に渋々と窓へと向かう。


 「やれやれ、時間を掛けてはおれんようじゃからな。手早く済ませるぞ。」


 そう言いながら馬を降りて大柄な騎士の前に立つ。


 「こちらが5人もおるのに豪気じゃな。じゃが相手はわし1人じゃから安心せい。第九騎士団副団長クメイじゃ。」


 そう言いながら右手に持った鍔の無い刀を左手に持ち替え、真っ黒な刀身の切っ先に近い部分を右手で摘まむような形で掴み、胸の辺りで水平に構える。


 「俺は全員一度に掛かって来ても構わんぞ。ウィラント公爵家にお仕えする騎士団の団長を務めるグンバン、だ!」


 言いながら右腕を持ち上げ、言い終わると同時に力任せに相手の左肩から右の脇腹へ抜ける軌道で剣を振り抜く。

 しかしグンバンが剣を振り始めると同時にクメイは柄を持つ左手を持ち上げ右手を下げて刀を斜めに構え、振り抜かれるグンバンの剣の軌道に合わせて刀を滑らせる。

 シャリーンと甲高い綺麗な音色が響くと同時に、クメイを切り裂いて地面に叩きつけられるハズのグンバンの剣の切っ先は地面スレスレを横に流れていく。そしてクメイは両腕を広げた格好で静止していた。

 剣を流されよろつきながらも、そのまま剣を斬り返して横薙ぎに払おうとグンバンが足を踏み込んだ瞬間に呻きながら動きが止まる。そして左手に持った盾を離して目を覆う。


 「目玉は勘弁してやるわい。そんなに深く斬っとらんからじっとしとれば直ぐ血も止まるじゃろ。」


 グンバンが左手を擦り付けて血を拭うが、その事で余計に血が溢れ出す。眉の下辺りを横一文字に斬られた為に、血が流れれば直ぐに目に入ってしまう。

 左手で傷口を押さえながらも、おそらくは声を頼りに横薙ぎに振り抜いて来た剣が再び刀の上を滑る。

 先ほどと同じくシャリーンと言う音色が響くと今度はグンバンの剣は斜め上へと逸れ、同時にグンバンの手から剣が離れて飛んで行く。同時にグンバンの右手の親指が無くなっている。


 「騎士としての使命感によってまだ向かって来ると言うなら、わしも次は手加減せずに首を飛ばしてやるわい。じゃがただ負けを認めたく無いだけでわしに挑むつもりなら30年ほど鍛錬してから出なおせぃ。」


 グンバンが唸りながら片膝を突くのを見て部下に指示を出す。


 「まだ中で頑張っとるのがおるんじゃったら助けに行くぞ。」


 「30年経ったら副団長はもういないんじゃ…。」


 「わしゃ後40年は生きるつもりじゃ!」


 軽口をたたく部下に言い返しながら建物に向かおうと1歩踏み出した瞬間、窓枠を砕きながら飛び出す影があった。

 目を向けると2人の騎士がまとめて放り出されたようだ。どちらも死んでいるのか気を失っているのか、ピクリとも動かない。下敷きになっている方の騎士の状態は詳しくは分からないが、上に仰向けに倒れている騎士の状態は酷かった。折れた剣を持った手甲はひしゃげてマトモな形で手が収まっているようには見えない上に、手首が有り得ない角度に曲がっている。そして鎧のお腹の辺りがかなりへこんでいる。

 騎士が飛び出して来た窓の方に目を向けると腰の高さ程にある窓の下の壁が弾けるように壊れ、同時に再び影が飛び出す。想像通り再び騎士だ。今度の騎士は兜がひしゃげている。中身が無事かどうか微妙なひしゃげ具合だったが、指先がピクリと動くのが見て取れたので命の無事だけは確信したが鎧の脛の部分も手の形にひしゃげていて、意識を取り戻してももう戦えないのは明らかだった。

 そして壊れた壁から姿を現す人影が一つ。背は少し高め。体格は細身。黒いコートを着て黒い手袋をした手には折れた剣を持っている。顔は男前とは言えないが、不細工と言うほどでもない。取り立てて特徴の無い男だった。

 男が周囲を見回し、折り重なる2人の騎士の所で男の視線が固定される。そしてこちらの事をまるで無視して放り出された2人の騎士の元まで早足で歩いて行くと、上の騎士の腕を掴んでポイと横に放る。全身金属鎧を着た騎士を片手で放るとは恐ろしい筋力だ。そして下敷きになっていた騎士の前で、手に持った折れた剣を振り上げる。


 「いかん!」


 ほんの数歩と言う距離だった為に何とか間に合った。グンバンの剣を逸らしたように両手で刀を構えて身体を割り込ませるスペースが無かった為に、刀が痛むのは嫌だったが地面に斜めに突き立てて折れた剣の軌道を逸らす。

 しかしどれだけの力が掛かっていたのか、地面に突き刺さった刀の切っ先は大きく沈み込み、手に持った柄には途轍もない重みが伝わる。そして刀の上を滑るハズの折れた剣は厚みの半分ほどまで刀に斬られて重なったまま止まっている。

 そして至近距離で男の顔がぐるりと自分の方を向いて、物静かな口調で自分に問いかけて来る。


 「貴方も敵ですか?」

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