注文

 日が昇って早々に店を開ける準備をしながら男は大きな欠伸をする。

 本来ならば3軒隣に自分の店の数倍の大きさの薬剤店があり、男の店はいつも閑古鳥が鳴いていた。品揃えや宣伝で対抗しようと頑張った時期もあったが、数年もすれば諦めの気持ちが勝ってしまい、店を開けるのも昼前になるのが日常化していた。昔の馴染みからの注文が入るので細々と食つなぐ事が出来ていたが、店を大きくする夢はもう見なくなっていた。

 しかし数日前から3軒隣の薬剤店が急に店を開けなくなった。組合の会合でも急に店を放り出して主人達がいなくなる店が大量に出ていて対応に追われていると議題に上っていた。

 この事態は薬剤店だけでは無い。プスゲーフトのあらゆる分野で突如人がいなくなってしまったのだ。

 騎士団の話では数日前の夜に都市を出て行く人々が大量にいたという事だった。その後天使教なる集団の噂を聞いたが、この事態との関係までは誰も分からなかった。


 都市の産業において作る方も売る方も人が減ってしまった事で、店側としては品揃えは変わっていない。作られる製品が少なくなっても仕入れる店も少なくなったのだから一つ一つの店の品揃えはあまり変わらないと言う事だ。

 だが個々の供給量が変わらなくても全体の供給量が激減したのだ。この都市へ仕入れに来ている者達の需要に追いつけないという事態が発生している。


 男の店にも新規客が流れ込んで来るようになった。しかしこの通りに来る客の多くは3軒隣の店目当てに来る者が多いので、店が閉まっているのを知るとそのまま帰ってしまうか他の大きな店を探しにどこかへ行ってしまう者が多い。

 そういった人達を取り込むべく営業時間を日の出ている時間一杯にしろと妻に尻を叩かれて店の開店準備をしているが、何年も昼前まで寝ていた頭が中々目を覚ましてくれない。


 ショボショボする目を擦りながら戸板を外し、看板や小棚を出す場所を掃いて綺麗にしていると3軒隣の薬剤店に馬車が止まった。いくら店が開いていないとは言え店の真ん前に馬車を止めるとは非常識なと思ったが次の瞬間目を見開く。

 4頭立ての馬車の馬が全て軍馬だ。一般人が馬車に使うのは普通持久力が高くそこそこの筋力もあり、比較的安価な農耕馬で、伝文屋や騎士が乗るのは主に駿馬だ。駿馬は筋力はあまり無いが瞬発力があり足が速く、持久力もそこそこだがかなり高価だ。そして軍馬に分類される馬は筋力・持久力・瞬発力全てに優れているがとんでもなく値段が高いのだ。皇族や貴族ならば使っているのだろうが、この町で見る事はほとんど無い。それを4頭。

 馬車その物もかなり大きく豪華な造りをしている。色は黒を基調に落ち着いているが、装飾にはかなり手が込んでいるようだ。車輪や車軸周りには良く分からない機構も備わっている。しかし貴族や皇族の紋章は何処にも見当たらない。

 男が何者が現れたのかと思って見ていると、御者をしていた長身の男が下りて馬車の扉を開き、中から3人の男が出て来る。1人は見覚えのある騎士だ。この都市で門番をしている男で、都市に住んでいる者ならほとんどがこの男の顔を知っているだろう。第十二騎士団では部隊長クラスの男のハズだ。もう1人は白いシャツに茶色のズボンの若者だ。この男に見覚えは無かったがどう見ても金持ちな気はしない。最後に出て来た男は黒コートの中年男性だ。見た目はパッとしないが、服の仕立ては随分良さそうだ。おそらくこの男の馬車だろう。

 御者を含めた4人がしばらく話をすると、門番騎士が戸板をノックする事もなく隙間に剣を差し込んで無理やり戸板を外す。そして御者の男を残して3人は店に入って行く。

 豪華な馬車に乗って来てしかも騎士まで連れている連中が強盗と言う事も無いだろうが、それにしても随分と荒々しい。男は見ているだけのつもりだったが、いつの間にか箒を持ったまま馬車の近くまで来てしまっていた。

 店の中を覗き込む自分に気付いた御者の男が声を掛けてくる。


 「怪しいモンじゃ無ぇぜ。ヒッツリンド周辺の流行り病を治せる薬がここにあるかも知れねぇってんで調べに来たんで。」


 「この店はウチとおんなじで、薬剤店だよ?治療師が調剤するような治療薬とはちょっと毛色が違うんだけどねぇ。」


 「まぁこの店はちょっと特別だったらしいんでね。それに俺達が探しに来たのは治療薬じゃぁ無くて解毒薬なもんで。」


 「解毒?」


 男と御者が話している間に中に入っていた3人が出て来た。


 「ダメですね。治療師の扱う薬とは明らかに違う物ばかりでどれが何なのかさっぱりです。」


 「組合の人間の所にでも行って詳しい人間を………どちら様ですか?」


 黒コートの中年男性が見知らぬ人間がいる事に気付いて御者の男に尋ねる。


 「いや、知らねぇ人ですぜ。近所の人ですかい?」


 「あ、俺の事?ここの3軒隣の薬剤店の者なんだけども何事かと思って…。」


 「薬剤店!?ではここの薬の事が分かりますか?」


 「はぁ。まぁ。ウチも同じの扱ってるんで。」


 この店も男の店も金属用薬剤あるいは金属を使った薬剤の店だ。金属の加工や保存や塗装などに使う薬や、各種金属を使った薬などを扱っている。中にはそのままで劇薬となる物もあるが、そうでない物も持ち運びの便利さから濃縮されて劇薬並みの効果をもたらす物も多い。

 とにかく金属関係の薬剤ならこの店で聞けば何でも揃うという様な店だ。取り扱う種類はとんでもなく多い上、人間に使う物もそうでない物もある。知らない人間が扱える訳が無い。

 この黒コートの中年男性の一行が解毒薬を探す為に連れてきたのは治療師だけで、それ以外の人間は皆そういう方面の専門知識を持つ者はいないと言う。ならばここは薬剤店を営む男の出番だ。


 「まぁこの店で売ってる物でウチに無い物は無いハズだ。店の大きさで多少負けてたって品揃えじゃ負けないからな。」


 薬剤店の男がそう言うと、黒コートの中年男性が自分を通り過ぎた先に視線を送る。


 「多少………ですか。」


 自分の店に目を向けてからのその発言に男は即座に頭に血が上る。


 「なんだぁ!?店の大きさが品揃えを表すとでも言うつもりか?こっちはこの店が出来る何十年も前からの老舗なんだぞ!この都市で扱ってる薬剤でウチが用意出来ない物なんて無いんだよ!!そもそもよそ者が解毒薬なんて物をこの都市の薬剤店で探すんだったら薬害対応局の人間でも連れて来るのが常識ってもんだろうが!!」


 「失礼な事を言ってしまいました。申し訳ない。ところで薬害対応局と言うのがあるんですか?」


 「そんな事も知ら無いのか?」


 金属を使って塗料や薬などを作る時に、劇薬となったそれを身体に浴びてしまったり目に入ったりと様々な事故に対応する為に、この都市で元々は治療師だった者達が対応を長年研究してきた組織で、局員はこの都市で作られているあらゆる薬剤が人に及ぼす毒性とその対応や解毒に詳しい者達だ。


 「その方達にはぜひ協力して頂きたいですね。薬害対応局と言うのはどこにありますか?」


 「そりゃそこの騎士さんが知ってるだろう。そもそも何で最初に教えてやらなかったのか不思議なくらいだ。」


 「申し訳ない…思いつきませんで………。」


 「どちらにしても薬剤の調達も必要です。貴方にお願いしても大丈夫ですか?」


 「他の店で出来る事でウチの店で出来ない事なんて無いね。」


 「ではこの都市で手に入る薬の中で解毒薬として使われるあらゆる種類の薬の調達をお願いします。それぞれの量もそれなりに欲しい所です。」


 「濃縮液なら場所はそんなに取らないだろうけど………全部…かい?かなりの金額になるよ?」


 「それは後からウィラント公爵か帝国から支払われるでしょう。」


 白シャツの男の言葉を即座に否定する。


 「帝国や貴族の支払いの約束なんて何の価値も無いな。そう言うのに泣かされた商売人がこの都市にどれだけいると思っているんだ。全種類それなりの量を揃えろって言うなら前金だけでも費用の半分、金貨100枚くらいは貰わないとな。」


 「そんな金額を即座に用意出来る訳が無いでしょう!」


 薬剤店の男と白シャツの男が現実の生活と人としての良心を武器に言い争っている中で黒コートの中年男性は馬車に乗り込む。

 薬剤店の男はそれを見て中年男性が諦めて馬車を出すように指示するのかと思ったが、中年男性は皮の袋を持って直ぐに出て来た。

 そしてその皮袋を薬剤店の男に差し出して言う。


 「金貨300枚が入っています。確認しても良いですが、薬の調達を急いで下さい。出来れば昼くらいまでに。」


 「昼!?………」


 紐を解いて袋の口を開けると黄金の輝きが溢れ出す。薬剤店の男が金貨でこの枚数を見るのは初めてだが、確かに300枚程はあるだろう。


 「まぁ、金を用意してくれたなら文句は無い。普通の店なら厳しいだろうけどウチに頼んで来たからには昼までに何とかしてみせよう!」


 「では後ほどまた来ますので薬の用意をお願いします。我々は薬害対応局の方に協力を求めに行きましょう。」


 急いでいるのが良く分かる素早さで4人が馬車に乗り込むと直ぐに御者が馬を走らせ、みるみる遠くなっていく馬車を眺めながら薬剤店の男は立ち尽くす。

 馬車が見えなくなっても立ち尽くしたままの男は皮袋の重みで腕が疲れてくる頃に我に返ると、フラフラと自分の店の方へと歩き出す。歩調はどんどん速くなり、最後は駆け込むように自分の店に飛び込むと奥へ向かって叫んだ。


 「かーちゃん!かーちゃん!大変だ!!すげーデカイ仕事貰っちまった!!」


 すると奥から男と同世代の少しふくよかな中年女性が出て来て叫び返す。


 「あんたのデカイ仕事は聞き飽きたよ!良いから早く店の準備しなさいよ!!」


 「今度はすげーんだって!!前金で金貨300枚貰った!!!」


 「はぁ!?」


 男が皮袋を渡すと、中を覗き込んだ妻が目を丸くする。さらに事情を聞いた妻は顔を青くして叫ぶ。


 「あんたじゃそんなの無理に決まってるじゃないか!こんな大金ぽんと出すような相手を怒らせたらどうなる事か…。あんた!組合長さんとこにこれ持ってって組合の皆に協力してもらって来な!」


 「組合長とは昨日の会合でケンカしたんで頼み辛いよ…。」


 「どうせ皆酔っぱらってて覚えちゃいないよ!良いからさっさと行ってきな!」


 叩き出すようにして男を店から放り出し、慌てて路地を走って行くのを見送った妻が呟く。


 「せっかく大きな仕事掴んだんなら、たまには男前なとこ見せとくれよ。」

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