再会
気が付くと豪華な部屋で柔らかなソファーに座っていた。目の前のテーブルの上では高そうなティーカップの中の紅茶が湯気を立てている。向かいのソファーには黒コートを着た中年の男性が座っていた。隣には金髪の髪を頭の左右で縦巻きに垂らしたまだ幼さの残る女の子。中年男性の座るソファーの後ろには長い銀髪の美人と長身の男性が立ち、そして少し離れた所で銀のトレーを持った桃色の髪の女性が立っている。
訳が分からず視界に入る者達と部屋の中を目だけを動かして観察していると、向かいに座る中年男性が声を掛けて来る。
「初めまして。私は貴方達の世界を管理している者でアドと言います。少し伺いたい事があってお呼びしました。」
つい先ほどまで全身を苦痛に苛まれて正に死を目前に控えていた自分が今は身体に異常は感じない。そしてそこそこ大き目の家に住んではいたが、この部屋のように貴族が住んでいるのではと言う部屋は自分の家には無い。そして目の前にいる者達は誰一人知った顔は無い。混乱する頭では目の前の中年男性の言葉を理解するまでに多少の時間が必要だった。
「世界を管理………貴族様と言う事じゃろ、でしょうか?」
「いえ、貴族ではありません。あぁ、言葉は普段通りで構いませんよ。私はこの世界の外からこの世界を管理している者です。」
「神様…と言うことじ、でしょうか?」
「神では無いのですが、そう言う権限を持っている普通の人間と言った感じでしょうか。」
「神の権限………」
「貴方の死について色々とお聞きしたい事があり、お呼びしました。」
頭が追いつかない。と言うか落ち着いていようがどれだけ時間を貰おうが理解が出来る気がしない。これはもう現実では無いと思って話した方が良さそうだ。そして目の前の中年男性は確かに言った。「貴方の死について」と。やはり自分は死んだのだ。死後の世界の事など考えても分かる訳が無い。考えて何かを思いついたとして、何が出来ると言うのか。何せ死んでいるのだから。ならばもう話の流れに身を任せるしか無いのではないか。
神では無いと言いつつも死んだ自分を呼び出して話をする事が出来る人間など神と同じでは無いか。ならばそもそも逆らうとか相手を探るとかと言った事を考える事からして馬鹿らしい。何せ気に入らなければまた死の世界へと帰せば良いのだ。
諦めややぶれかぶれとは違う気がするが、今の気持ちをどう表現していいのかも分からない。とにかく相手は自分の死について聞きたい事があると言うのだから答えようと思う。自分としても良く分かっていない部分も多いながら記憶にある事は全て偽りなく答えようと思った。
紅茶を勧められ、喉を潤しながら順を追って話をする。流行り病に掛かる者が隣村にまで出た事で村から避難するように帝国の第十二騎士団が勧告にやって来た所から、妙な連中に押し入られて殴られ気を失い、その後意識を取り戻した後の自分の状態まで全て話す。
その後は色々と質問された事に答え、一通りの話が終わると目の前の中年男性は考え込んでしまった。
「アド様よぅ、色々とおかしな事になってるみたいですぜ。」
「ギーブンさんが調べてくれた話と症状は一致しますが、病気じゃ無いのかも知れません。」
「病気の元をまき散らしてる奴らがいるって事じゃないんですかぃ?」
「聞いた話を全て事実としましょう。どんな恐ろしい病気でも多少の潜伏期間というのが有るハズです。発症までの時間がほとんど無い。さらに発症から死までの時間が短すぎる。これは病気と言うより毒による症状と言った気がします。まぁ私も医者では無いので詳しいわけでは有りませんが、それでも決定的だと思えるのは押し入った者達がこの方が亡くなるのを確認せずにその場を離れている事です。致死率100%の伝染病など私は知りません。感染を恐れてと言う可能性もありますが、見張りも付けていませんでしたから。」
「怪しい者達が言っていた井戸などを染めると言うのはその毒でと言う事でしょうか?」
「かも知れません。水瓶の水は全て捨てるべきですね。井戸の水は汲み上げ続ければいずれ沸き出す水と入れ替わって毒も抜けるでしょうがしばらくは使えませんね。」
ソファーの中年男性とその後ろにいる長身男性と銀髪女性が色々と話し込んでいる。流行り病について調べているようだが、内容を聞く限り確かに神と言う感じでは無い。何が何やら分からない中で置いて行かれたような手持ち無沙汰の中、話に入らない少女を見る。
やたらと鮮やかな透き通った緑色の飲み物の上に乗った白い塊をスプーンで弄っているその少女はどこか虚ろだった。最初はもっとニコニコしていたと思ったが違っただろうか?
向かいに座る中年男性が、ついまじまじと少女の顔を見つめてしまった自分に気付いて視線を追い少女の方を見ると複雑な表情で少女の頭を撫でる。
「嫌な事を思い出させてしまいましたね。別の部屋で待っていて貰うべきでした。すいません。」
少女は無言のまま中年男性に抱き着いて動かなくなった。中年男性はその頭を撫で続け、しばらくの間沈黙が続いた。
中年男性の胸の中で動かない少女が深呼吸をした。それを合図に頭を撫でていた手が少女の背中をポンポンと軽く叩くと少女がようやく離れる。
中年男性は桃色の髪の女性に少女を別室に連れて行くように言うと2人が部屋を出て行く。
「お待たせして申し訳ない。こちらの聞きたい事はあらかた聞き終わっているので本当にただ待たせてしまっただけなのですが、貴方の方から聞きたい事などがあればどうぞ。」
その言葉を待っていた。話の最中もずっと心に思っていた事をようやく切り出せるタイミングだ。
「わしの妻は…フィリアはここにいるんじゃろうか!」
「貴方の奥方はここにお呼びしてはおりませんので、今いる所にそのままおられるハズですよ?」
「ここは死後の世界とは違うんじゃろうか?」
「あぁ、いえ、違います。ここは貴方の世界の外側にある管理者の為の空間です。」
「そうじゃったか………フィリアはここにはおらなんだか………。わしもこの後死後の世界へと戻されれば会えるじゃろうか?」
「………貴方は我々に貴重な情報をくれました。そのお礼と言う意味でも正直に答えさせて頂きます。貴方がこの後死んだ状態へと戻っても亡くなった奥方に会うのは無理だと思います。なぜなら死んだ人間の身体は物体として世界に残り、時間を掛けて分解され世界に溶け込んで行きますが、精神活動を処理していた記憶エリアは直ぐに別の処理に使われて、以前の記憶を残してはいないでしょう。ログでは残っているでしょうが、生きている時に使われていた処理領域はもう別の何かに使われていると思います。技術者では無いのでその後の詳しい使われ方はハッキリとはお答えしかねますが。」
「良く分からなんだが………死んでも…会えんと言う事だけは分かりましたわい…」
「残念ながらそうなります。」
「そうか………会えんか………」
あれ程待ち望んだ死がどうでも良い物となった瞬間だ。だが生きていても妻に会えない事は変わりない。やり残した事は無い。やりたい事も無い。そして最後に望んでいた事ももう叶う事が無いと知った。
妻を亡くして心に空いた穴を埋めてくれる希望が何も無い事を知った空虚な気持ちが他の全ての感情を失わせる。もう全てどうでも良い。死が消滅であるならば、自分の全てが消える事でこの気持ちも消える事だろう。
「多少の好き勝手もこの場所だけでならアークに影響は無いでしょう。」
中年男性が意味の分からない事を呟いた後に、妻の事を聞いてくる。妻の外見や性格などでは無い。いつ亡くなったのか、正確な日付や時間。どこで亡くなったのか正確な場所。どういう理由で亡くなったのか正確な理由などだ。それらに答えると黙り込んでしまう。
「妻がどうかしましたじゃろうか?」
沈黙し、全く動かなくなった中年男性がちょっと気味悪くなって声を掛けるが反応は無い。代わりに後ろに立つ長身男性が話しかけて来る。
「まぁちっと待ってなって。俺の想像じゃ多分あんたに良い事が起きるぜ。」
長身男性の隣で銀髪美人も頷いている。何もしていないと時間は長く感じるものだが、それにしても中年男性の沈黙は長かった。30分か1時間か、時間が分かる物が何もない部屋でひたすら待っていると突然中年男性は伏せ気味の顔を上げ、銀髪美人の方を向いて話しかけた。
「ルーリィさん、彼の左手側に出て来る女性を支えて座らせてあげて下さい。」
「承知しました。」
銀髪美人が移動すると、自分の隣に光の粒が集まり瞬く間に人の形を取る。次の瞬間には色が付いて1人の老いた女性が現れる。銀髪美人がその人を支えて自分の隣に座らせるとその女性はゆっくりと目を開いた。
見覚え有るその女性はキョロキョロと辺りを見回し、自分を見つけると微笑みながら久しぶりに聞く馴染みの声を聞かせてくれた。
「私、ちょっと寝ちゃったかしら?凄いお部屋に連れて来られちゃったみたいだけれど、どういう事か教えて頂けます?」
記憶の中の妻と何一つ変わらない。幻だとしてもこれほど嬉しい事は無い。この目の前の幻は病気で伏せて日に日にやつれていった妻では無く、まだ病気になる前の顔色を保っていた。何も言葉にする事が出来ずにそっと肩に触れる。
触る事が出来る。
飛びつくようにきつく抱きしめる。人の目など気にもならないが、妻が困ったような声を出す。
「今日は随分身体が楽なのに、そんなにされると苦しいですよ。」
ハッとして腕を緩めるが離しはしない。離す事が出来ない。込み上げるようにでは無く、自然と流れ出るように涙が溢れてくると、ようやく感情が追いついたように嗚咽を漏らして泣く。目の前の中年男性は死後の世界は無いと言った。だが神の奇跡は今ここで起こして見せてくれた。絶望との落差があり過ぎて何も思いつかない。
どれくらいそうしていたか分からないが、気が付くと妻と2人だけになっていた。背中に回された手が優しく背中をさすってくれている。長い時間そうしてようやく幾分落ち着いて来た心が、子供のように泣きじゃくっていた自分に気が付いて気恥ずかしさが込み上げて来る。
ゆっくりと腕をほどいて今度は妻の顔をじっと見つめる。すると妻が口を開く。
「あなたのそんな顔見た事無い。それに何だかお痩せになったかしら。大丈夫?」
「あぁ………あぁ………大丈夫じゃ。大丈夫なんじゃ。」
ようやく顔が笑顔を作れるようになったが涙は止まらない。死ねば再会出来ると信じていた。再会すれば何を話すかもずっと考えていた。しかし再会が叶った今何を話せば良いのかまるで思いつかなかった。しかし一頻り泣いて落ち着くのを見計らって話掛けて来たのは妻の方だった。
「さっき出て行った人達はどなた?ここはどこで私はどうしてここに?」
「わしも死んでしまったらしい。あの黒コートの男が世界を管理する者だと言っていた。アドとか言う名前じゃったか。」
成り行きを話す間、妻は黙って聞いてくれていた。その間ずっと表情は穏やかだったが、殴られた事や酷い症状の中で自分が死んだらしい話の所で眉を顰め、そっと頬に手を添えて来る。
「もう少し…穏やかな最後だと嬉しかったのだけれど。」
「最後にお前に会えたなら、それまで拷問されていたとしてもわしは幸せ者じゃ。」
そう言うと妻も涙をこぼして言葉を紡ぐ。
「わたしの最期まで一緒にいてくれてありがとう。あなたの最期まで一緒にいてあげられなくてごめんなさい。」
「お前は最期の時は辛く無かったのかい?わしが気づいてあげられなかったんじゃないのかい?」
「わたしは大丈夫。」と言う妻を再び抱きしめ、そして再びお互いを労り感謝する言葉を掛け合うと、喜びの気持ちが止まり始めていた涙を再び溢れさせた。
「ここでならしばらく暮らしてくれても構わないのですが?」
たっぷり時間を空けて戻って来た黒コートの中年男性の言葉を断る。
「せっかくじゃが、もう未練は無いんじゃ。最後の願いも叶った。人はいつか死ぬ。死んだ後にこうして妻と過ごせた奇跡には感謝してもしきれんが、いつまでもと言う訳にはいかんじゃろう。ただ一つだけ頼みがある。手を煩わせて申し訳無いんじゃが、わしの亡骸は妻の墓の隣に埋めて欲しいんじゃ。」
正直に言えばもうしばらく妻と過ごしたいと言う気持ちはもちろんあった。しかし自分達が死んでしまっている事実を知った上でこれ以上ここに留まり続ける事が怖くもあった。死を受け入れられなくなるのではないか?醜い気持ちが沸き上がり醜悪に喚き散らす姿を妻に見られてしまうのではないか?妻に自分のそういった姿は見せたく無い。そして何より妻自身も死を受け入れている。ならば自分も共に穏やかに最期を迎えたい。
満たされた死とは何と幸せで贅沢な最期だろうか。これまで世界中で死んでいった者達全ての中で、自分ほど幸せな最期を迎える者など他にはいないだろうと思える。まぁそもそも死んだ後にこうして人と話す機会を持つ者などいないのだろうが。
「分かりました。長い間お疲れさまでした。最期は横になって眠って頂きますのでこちらへ。」
豪華な館の中を移動してベッドのある部屋へ案内される。ベッドは2つあるが、十分な大きさがあるので1つのベッドで2人並んで横になる。手を繋いで妻に最後の言葉を掛ける。
「わしと一緒になってくれてありがとう。」
「どういたしまして。こちらこそありがとう。」
柔らかなベッドの上で微笑み合うと、「いつでもどうぞ。」と声を掛ける。すると中年男性から合図として最後の言葉が発せられる。
「あなた方とお会い出来て良かったです。頼まれました件は必ず全うしますので安心して下さい。では、さようなら。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます