出発
プスゲーフトの高級宿屋の一室に現れると止まっていた時間が流れ出す。この世界で眠りにつく予定の時刻から時間の倍率を上げ、この世界で起きる予定の時刻で時間が止まるようにしてあった。
この方法は最初はかなり頻繁に使うつもりだったが、馬車で移動中などは使わない事にして、主に睡眠中であろう時間だけを飛ばす事にした。
と言うのも以前に馬車で移動中に騎士に絡まれるという事件があった。その時はたまたまリッカが馬車の御者をしてみたいと言い出した事がきっかけで私もその場にいたが、あの時私がいなければ色々と都合が悪い事態になったかも知れない。
もちろんギーブンとルーリィだけだった方が上手く事を治めた可能性も高いが、この馬車にはギーブンとルーリィだけしか乗っていないという話が広まっても困る。
プスゲーフトの都市内でこの馬車と乗っている人間に興味を持つ者が多いというのは実証されているために、やはり後々の事を考えると移動中、誰かの目に触れる可能性が低い時でもキチンと乗り込んでいた方が良いだろう。
だがそうと決めるとまた問題が持ち上がる。リッカの不在だ。彼女はこの馬車に乗って一緒に都市に入っている。出る時にいなければ当然この都市に残っている事になる。
(眠っている事にして身体だけ再現した人形でも担いで馬車に乗せる所を見せるか?)
早く移動したいならその方法がベストな気もするが、天使教の脅威が完全に無くなり、かつ自分達について妙な噂が広がらないと言うのであれば急ぐ必要は無い。
いや、逆にそれらを確認する意味でもうしばらく滞在するべきなのではとさえ思えてくる。
だがそうも言ってられない事情が出来た。ハッキリとどうとは言えなくても警戒するに足る理由が昨日ギーブンから告げられた。
考え込んでいる私の顔を、しゃがみ込んで下から覗いて来るリムに気が付いて頭を撫でると「おはよう。」と声を掛ける。日の出前のまだ早朝なので、ふんわりとした白い夜着のままで、髪もセットされていない。今日の服装や髪形をどうするのか尋ねるといつも通りの返事が返ってくる。
「いつもの!」
リッカがいれば即座に部屋にやって来て、あれこれ着せ替え人形よろしくファッションショーのモデルのような扱いをされているだろう。本来なら部屋割りは男部屋と女部屋だったのだが、リムが一緒の部屋と言って聞かなかったので仕方なく同じ部屋にいるのだ。
最初はリッカが猛抗議したが、リムについては私が保護者という立場なのだからやはり自分の目の届く範囲に居させるべきかと思ってリッカを説得した。
自分は管理者権限を使って一瞬で準備が終わるが、リムについては髪のセットや着替えも躾と言うか勉強と言うか、とにかく知って覚えるべき事だろうと思い、管理者の部屋の屋敷にいるメイドを呼び出す。髪のセットの時は良いが着替えに立ち会うのはマズイだろうと思い、メイドと入れ替わりに部屋を出るとまだ日が昇っていないため薄暗い廊下にはギーブンとルーリィが立っていた。
昨日の買い物の時にギーブンが領主の娘と会っており、その時にこの都市を出るなら早くした方が良いと忠告じみた事を言われた為に、今日の出発はなるべく早い時間にすると決めていたのだ。
「リムの準備が出来たら出発しましょう。リッカさんが不在ですので、変装させたメイドを乗せます。」
「出る時ゃ金は取られねぇですから門で人数を確認される事もねぇでしょうよ。」
ギーブンは買い物をした日に色々と情報も集めて来た。都市の様子が随分変わっているらしく、現在のプスゲーフト内では商売をしている店が6割ほどになっている。しかも都市の住人が激減しているそうだ。その為開いている店は大混雑で商品も奪い合うように無くなっているらしい。
そんな中でも必要な物を必要な分だけ手に入れてくるギーブンの商才は中々の物だろう。仲介屋などをしなくても普通に商売で食っていけるのではと思う。
だがそんな事よりもギーブンが手にした情報では、どうやら領主が自前の騎士団を集めて都市に送る準備をしているという話を聞いた。何の為にと言う所までは分からなかったが、昨日ギーブンが会った領主の娘の言葉から都市の出入りが規制される可能性が高いと見て出発の時間を早くしたのだ。
昨日ギーブンが帰ってから直ぐ出ると言う選択もあったが、ギーブンが方々で様々な情報を集めるのに時間が掛かったらしく、帰って来たのは夕方だった。これから日が暮れようと言う時間に慌てて出て行くのもあまりに不自然なので、今日の早朝出発と言う事にしたのだ。元々今日出発とは予定していたが、時間はゆっくりで構わないと思っていたが変更だ。
ただでさえ注目を集めている馬車でこれ以上人々の記憶に残る異様な行動を取りたく無かった為ではあるが、この半日の差は意外と大きいかも知れないと思っていると、ギーブンから声が掛かる。
「帝都から出る時用に貰った通行手形にゃ第三騎士団団長の署名がありますんで、万一怪しまれるような事になっちまったらまた団長様に借りを作る事にするんで大丈夫ですぜ。」
その辺りの心配事は自分で何とかしようとするよりもギーブンに任せる方が穏便に済むだろう。適材適所だと分かっていても心配してしまうのはこの世界の管理者としての責任がどうとか言うよりは、長年管理職についていた事による職業病に近いかも知れない。
ギーブンは対外的には部下と言う設定だが、この世界に関しては私よりもはるかに先輩だ。もっと信頼して任せるべきだろうと心の中で反省する。
「ギーブンさんの判断にお任せしましょう。よろしくお願いします。」
しばらく待つと勢い良く扉を開いてリムが元気良く出て来る。こちらを向くとくるりと一回転してスカートの端を摘まんでお辞儀をする。女の子がこういう行動をした後にどういう言葉を掛けるべきかはリッカとのやり取りで既に承知している。
「今日も可愛いですよ。」
そう声を掛けるとリムが嬉しそうに笑う。せっかく出て来てくれたがまだ準備が残っているので部屋の中へと入ると髪型をセットする道具を片付けていたメイドがお辞儀をしてくる。
目の前に対象がいて尚且つ知られて困る人間も周囲にいない時にわざわざこっそり管理者ウィンドウからコマンドを送る必要は無いので、しばらくリッカの代わりとして同行してもらう事を言葉にして伝える。
しかしここから先の作業は管理者ウィンドウからしか出来ない。リッカのアカウントのデータからログアウト時の外装データをコピーして目の前のメイドのデータに張り付けると、あっという間に見た目がリッカへと変わる。
「彼女にリッカの代わりをしてもらいますが、中身は元のままなので臨機応変な対応は難しいでしょう。なるべく彼女に人を近づけないようにして貰えますか?」
「承知しました。それにしても…変装どころかどう見ても本人ですね。」
「俺達のそっくりも作れたりするんですかぃ?」
「出来ますけど頼まれてもしませんよ?」
「そりゃ残念。」と軽い返事をしてきたが、質問をしてきた時のギーブンは随分真面目な顔をしていた。何か考えがあるのだろうかとも思ったが考え込んだり話し込んだりしていては早起きが無駄になる。全員の準備が整ったのを確認して早速出発する事にする。
日も登らない時間からの出発だが宿の人間は1階のフロント的なスペースに陣取っていた。宿泊代や食事代は1日分を翌日に払うシステムなので前日の分をまとめて払って外に出ると、ギーブンがもう馬車を用意してくれている。リッカに変装したメイドに一言も喋らせる事無く馬車に乗り込めた時点で一段落と胸をなでおろす。
さすがに開店している店もまだ無い時間帯で、メインとなる大通りに人の姿はほとんど無い為、都市に着いた時とは真逆で最も外側の門までスムーズに辿り着くが、都市に入った時とは様子が明らかに異なっていた。
都市内を巡回する者は来た時と変わらずいなかったが、門には物々しい装備を整えた騎士が何人も集まっていた。入って来た時に料金を徴収した騎士のようなだらしない顔つきの者は一人もいない。そもそも人数がまるで違う。4、5人程だった門の騎士は今10人以上に増え、皆が一斉にこちらに注目している。
ギーブンはまるで慌てた様子も無く騎士達に馬車を近づけて行くと、数人の騎士を通り過ぎるが門の手前で馬車を止められる。騎士の一人がこちらをいぶかしむような目付きで近づいて来る。
「何かあったんですかぃ?」
「異教徒が罪を悔いて領主様に告白文を送って来たそうだ。それを読んだ領主様より都市の住民の出入りを規制するよう第十二騎士団に依頼が来た。よってお前達を出す事は出来ない。」
「俺達ゃこの都市に住んでるモンじゃねぇですぜ。帝都から来たモンですよ。」
「天使教に関わりのある可能性の有る者はとにかく都市から出すなというご命令だ。」
「俺達ゃ関係ねぇですって。騎士団との関わりの方ならありますがね。帝都を出る時にゃ騎士団から通行証出して貰ったくれぇなんですぜ。ほら、これそん時の通行証。」
胡散臭そうに通行証を手に取って調べ始めたその騎士が『ぎょっ』と言う表現を形にしたような表情を作る。
帝国で交通を管理するお役所でお金を払って通行証を買うと貰える物では無い。第三騎士団の刻印に加えて団長の刻印も入ったそれを両手に持って恭しくお辞儀をしながら返して来る騎士の態度の豹変ぶりが、時代劇で木っ端役人がいぶかしんでいた相手がもの凄いお偉いさんだと分かった時の態度と重なる。
普通に真面目に仕事をしている者ならば態度を変える必要など無い。時代劇で見るあんな役人などそうはいない。そんな風に思っていたが、実際は時代劇が中々に忠実に人というものを表現していたのかも知れない。などと思っている間にも先ほどの騎士が号令を出すと、道を塞ぐように集まっていた騎士達が両脇に綺麗に並んで整列し道を空ける。
「機会があったらクリアス団長にはまたお礼をしねぇとですねぇ。」
ギーブンの言葉に頷く私を乗せた馬車は悠々と門を潜り、堀に掛かった端を渡り、そして次の町へと向かって走り出した。
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