第五章

関係

 立っていたハズの姿勢は目を覚ますと横になっていた。平衡感覚の相違から立ち眩みに近い感覚が僅かに残る。全感覚投入した世界から現実に戻るといつも感じる感覚になんだか馴染んで来てしまっている気がする。どうせならこの不愉快な感覚が消えて行く方向に身体が馴染んでいってくれると助かるのだが。

 直ぐ隣では誰かが呼吸する音が聞こえて来る。寝袋のチャックを降ろして上体を起き上がらせると胸の辺りに添えられていた手が滑り落ちる。

 隣に横たわる女性がゆっくりと目を開くのを確認して、溜め息を吐きながら言葉を掛ける。


 「だからなぜ君はベッドを使わない。私が床で横になっている意味が無いじゃないか。」


 「おはようございますぅ。だからぁ、部長ぉがベッドを使ってくれたら隣に寝ますよぉ。」


 全く同じやり取りをもう何度もしている。この土日のほとんどをアークの中で過ごして潰してしまったので、途中現実に戻っての休憩も何度も取っているが、毎回似たようなやり取りをしている。

 先にベッドでアークに全感覚投入したのを確認してから自分もそうしたとしても、休憩などで現実に戻るとこうなっているのだ。わざわざ隣に横になる為にまた戻って来ていると言う事だろう。


 「何度も言うが岡本君のその気持ちは勘違いだと思う。たまたま君が助かった原因を私が作ったとしてもそれは意図した物じゃ無いんだ。落ち着いて良く考えてみると良い。私が女だったら私のような男を好きにはならない。」


 「部長ぉ、何度も言いますけどぉ、よぉく考えた結果と自分の気持ちを確認した結果が今の私に部長を選ばせてるんですよぅ。それに私の好みは私が一番分かってますよぅ。」


 全く理解出来ない。故に全く受け入れる気になれない。冗談でしたと言ってくれる方がまだ納得出来る。しかし自分に自信が無さすぎじゃないかと問い質す声も頭のどこかから聞こえるが、不思議な程どうしても自惚れたり真面目に受け止めたりする気持ちが沸いて来ない。


 「部長ぉ、大事な事は一つだけなんですよぅ。私の事ぉ、お嫌いですかぁ?」


 「別に嫌いと言う訳では無いんだが…。」


 「じゃぁ、好きですかぁ?」


 「………どうだろう?」


 「大事なのはそこだけですよぅ。ちなみに私は部長ぉの事大好きですぅ♡」


 言っている事は正しい。確かに人が告白をしてそれを受け入れるかどうかとなれば、告白してきた人の事をどう思っているのか、重要なのはそこだけだ。

 確かにそうなんだが………


 (私は彼女を嫌いでは無い。どちらかと言えばだが好ましく思ってもいる。我儘ではあるが空気を読む彼女は決して自己中心的では無いし、彼女のストレートな感情のぶつけ方にも悪い感情は沸いて来ない。だがなぜこれほど受け入れたく無いのだ?)


 自分の気持ち、世間体、無職の自分、年齢差、様々な事が頭をよぎって考え込んでいると、原因である本人から声が掛かる。


 「大丈夫ですよぅ。その内バッチリ好きにさせてみせますからぁ。それよりお腹空きましたぁー。」


 随分年下に逆に気を遣わせてしまった気がして、申し訳ない気持ちが彼女の提案に突っ込みの言葉よりも受け入れる言葉を吐き出させる。


 「何が食べたいんだ?」


 「パスタが食べたいですぅ。カルボナーラかぁミートソースでぇ。」


 やたら手間の掛かる物であれば強制的に駅まで送ってやる所だった。ミートソースはどこまで凝るかによって手間が違うがカルボナーラなら比較的簡単に作れるだろう。

 生クリームを切らしているので牛乳と卵で簡単にカルボナーラもどきを作る事にして、料理をしている間に気になった事を聞いてみる。


 「そう言えばアークでプレイヤーがログアウトするとしたら記憶の石板に触れていないと出来ないんだったな。NPCに監禁されたり、毒や怪我で動けなかったりするとログアウト出来なくて、仮想現実内監禁とかになってしまうだろう。当時の運営はどうやってそれを回避してたんだ?」


 「緊急ログアウト審査プログラムってのがあるんですよぅ。緊急ログアウト申請って言うのが出せるんでぇ、それを出すと状況の分析をしてくれる自立プログラムがぁ、申請者が自力で記憶の石板に向かえるかどうかを審査してぇ、無理だと判断されたらどこからでもどんな状況からでも即座にログアウトさせてくれるんですよぅ。」


 現在の法律では仮想現実に全感覚投入するゲームで自由にログアウト出来ないのは監禁罪と類似の罪として引っかかってしまう。記憶の石板に触れないとログアウト出来ないと言うのはハッキリ言ってギリギリだ。プレイヤーの自由な行動が保証されない限り一般公開の許可が通るとは思えない。

 死んでしまえば記憶の石板で復活するのだから、閉じ込められても死んでしまえばログアウトは可能だと思っていたが、先日の事件の時のように身動き出来ない状態であれば自ら死ぬ事も出来ない。

 一般公開されていたゲームな訳だから、その辺りをどうやってクリアしたのか気になていたが、何だか先日の事件で色々頭が疲れていてヘルプで調べる気にもならなかったので、手っ取り早く岡本君に聞いてみたのだがなるほど納得だ。

 プレイヤーがウィンドウを操作するのには別に身体を動かす必要な無いのだから意識さえあれば操作出来る。仮にキャラクターが意識を失うエフェクトが掛かるような状態だったとしても実際に意識を失う訳では無い。何も見えなくなり身体も何も感じなくなり動かす事も出来ないと言うだけで、真っ暗な中でウィンドウの操作だけは出来るハズだ。

 岡本君はアークが運営されている間にプレイした経験があるのだから、さすがにその辺りは良く知っている。聞いた方が早いと言うのは正解だったようだ。


 「状態異常はどうなんだ?ログアウトしたら毒や病気は消えたりするのか?」


 「消えないですよぅ。死んだら健康な状態に戻りますけどぉ、持ち物全部無くなっちゃいますからねぇ。」


 「復活したら裸なのか?」


 「まっさかぁ。初期に選択したぁデフォルトの衣装になっちゃうんですよぅ。部長ぉのエッチ♡」


 小突いてやりたかったが、左手は火にかけているフライパン、右手はクリームソースを混ぜているしゃもじ。どちらで小突いてもシャレにならないと思い、小さな苛立ちを飲み込む。

 出来上がった料理を前に手を合わせて「頂きます。」と言うと現実の腹を満たすべく手と口を動かし始める。すると今度は岡本君の方から話を振って来た。


 「部長ぉ、まだアークの中を見て回るんですよねぇ?」


 「そのつもりだ。」


 「私もぉ御一緒したいですけどぉ、明日からまた仕事なんですよぅ。」


 「それは仕方が無いだろう。」


 「一緒に住んでも良いですかぁ?」


 想像の範疇の遥か外側から持ち掛けられた提案に咳き込み、危うく鼻からパスタが飛び出しそうになるのを耐える。「何をいきなり」と言おうとするが咳が止まらず言葉が出せない私に岡本君が言葉を続けてくる。


 「お家賃払いますしぃ、家事もちゃんとしますからぁ。」


 ようやく咳が収まり、切れた息を整えながら何とか言葉を発する。


 「君は、もうちょっと、考えてから、物を言いなさい…ハァ、ハァ、…」


 休日はいつでも来て良いと言う約束をさせられて、晩御飯後に岡本君を駅まで送る。今回土日に彼女は早朝から夜までずっと私の家に入り浸っていた。その間アークの中でも外でも彼女は常に私に交際を迫る、もしくは求婚するスタイルを貫いている。さすがに彼女の本気さは伝わってきた。


 (いずれは、いや、近いうちにはちゃんと考えて答えるべきなんだろうな。)


 現実ではもうしばらく頭を使いたく無かったが、そうもいかないようだと思いながら帰路につく。

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