回収

 救出されてから一晩休んで動けるようになったものの、指先などに軽い痺れが残っているため、歩く程度に支障は無くても物を強く掴んだり細かい作業をしたりする時はまだぎこちない。

 しかも買い物中に出された茶に麻痺毒を盛られたので、調達するはずの品々がまるで買い込めていない。

 おまけに誘拐された時に取り上げられた剣も救出される際に取り返していない。予備の武器はあるが短刀なので、やはり長剣が欲しい。

 物騒な目に遭い、しかもこの都市ぐるみだと分かった事で早く去りたい気持ちはあるものの、ギーブンとしてはアド様が直接動いたからには既に事態は解決したと思っているため、犯罪集団から逃げたい気持ちよりも旅の準備を整えたい気持ちが勝る。


 身体から完全に麻痺毒が抜けるまでもう1日。更に馬車の回収と途中だった買い物を済ませるためにもう1日。計2日ここに留まる事を提案してみる。


 アド様としてはさっさとこの都市を離れたいのは分かるが、提案の理由も分かって貰えたようで考え込んでいる。結局2日の滞在延期が決定した。


 滞在中はアド様とリッカさんにリム嬢ちゃんは宿の部屋に籠るフリをして管理者の部屋で待機しながらこちらの様子を監視し、何かあればすぐ助けられるようにすると言う事で許可が出た。

 心配し過ぎとは言えない目に遭っているので文句も言えない。それにルーリィと離れないようにとも言われた。どうやらアド様の中でルーリィの信頼度がいくらか上がっているようだ。その分自分の信頼度が下がっているだろうが、起こってしまった事は仕方が無い。これからの働きで挽回するとしよう。


 解毒剤を飲んでいなければまだヨタヨタとしていたかも知れないが、既に普通に歩く程度は問題無い。しかし外出の許可がアド様から出ない。だが一つだけ急がなければならない事がある。馬車の回収だ。時間が経てば売り払われてしまうかもしれない。

 あれだけ立派な馬車だ。ここに来る時にもかなり目立っていた為、そう易々とは売れないだろう。値段もさることながら、何せ出所がバレバレだ。

 盗品を捌くのに一番大事な事は足が付かない事だ。商売人は情報が早い。この都市に豪華な馬車の一行がやってきた話はある程度広まっているに違いない。そんな中、その一行の馬車を売ろうと思ったら裏の仕事をする者達と渡りを付けなければ処分は難しい。

 しかしそういった連中と話をつけるのは本来時間がかかるもの。ならば馬車は麻痺毒を盛られた店か近い場所にまだ置いてある可能性がある。離れた場所に移動させたにしても店の主人の知っている場所だろう。

 早急に店の周囲を確認し、馬車が見当たらなければ店の主人を問い詰めなければならない。

 自分の失敗の尻拭いくらい自分でしておかねばルーリィの好感度が下がる一方だ。今のルーリィの好感度がアド様の信頼度と直結しているようにも感じるので、その準備もせねばならない。


 自分の事は良く分かっている。長身で顔もスタイルも中々良い方だと思うが、ルーリィはそんな所で人に惚れたりはしない。

 腕っぷしも弱くは無い。一般人相手ならばそうそう負けはしないレベルだが、どれだけ努力しても達人という域に到達出来るかは疑問だ。ルーリィとの稽古でも10本中2本取れれば良い方で、命がけと言うレベルでの戦闘になれば恐らく10回戦っても1回も勝てないだろう。とてもじゃないがルーリィを直接の危機から守ってやるとは言えない。なにせルーリィの方が遥かに強いのだ。

 だがギーブンはルーリィより遥かに長けた部分がある。情報収集能力だ。今回の天使教についてはその能力に自信を失いそうになったが、それでも自分が人より秀でたその能力を使い、事前に惚れた女を危機から遠ざける努力は怠れない。そしてアド様はこの能力にこそ期待しているはずだ。


 1日目は監禁に近い状態で休養させられている間に、予定を細かく決めておく。しかし真っ先に向かう馬車の奪還にどれ程の時間が掛かるか分からない以上、その後の予定もぼんやりとしか決められない。やきもきしながら時間が経つのを待ち、ようやく外出が許可された日になると、まだ太陽が昇りきらない薄暗い時間から出かける事にする。

 今回は最初から警戒している上に、ルーリィも同行している。余程の相手と人数でなければ襲われても大丈夫だろう。


 店に着く頃には太陽が完全に顔を出し、通りにもちらほらと人を見かけるようになる。前回は馬車で来たためにあっという間だったが、今回は徒歩だったため幾分時間がかかったが、まだ店は開いていない。

 しかし違和感を感じて周囲を見回す。商店の並んだ通りの半分以上が既に店の戸板を外したり、店の前を掃除したりと開店準備に入っている。

 それもそのはず、冬を前にした今のこの時期この都市で商売する者にとっては繁忙期のはずだ。本格的に冬になっても客が全くいなくなると言う事は無いだろうが、それでも客足は激減する事が予想出来る。稼げるだけ稼いでおかなければならない時期に、のんびりしている商売人が生き残れるとは思えない。なのに太陽が顔を出す時間になっても開店準備にすら入らない店の多さに異様さを感じた。


 (何かおかしい…。)


 天使教に生贄を差し出す店と言う事で、出来れば開店後人の目のある所で話がしたかったが、一向に開店準備にすら入る気配が無い店を見て計画を修正する。

 店の横には大きな木製の扉があり、その中に馬車を何台か入れられるようになっている。商談中に通りの邪魔にならないように店側が用意しているスペースだが、ギーブンももちろんここに馬車を入れて商談をしていた。

 中からの様子を思い出すと、この扉の閂は横にズラして差し込むタイプでは無く、扉についた鈎に上から棒を乗せるタイプの物だった。

 こちらに注目している人目が無い事を確認すると自然な動きで扉に近づき、抜いた短刀を扉の間に差し込んで上へズラす。

 扉の向こうでガランと閂が落ちる音が響くのを聞くと素早く扉を人が通れる分だけ開いて滑り込む。

 その後、扉を大きく開いてルーリィが堂々と入って来るのを見て、その方が返って怪しまれないだろうと思い何も言わないでおく。


 第一目標だった馬車は目の前にあった。馬は外されているが、隣の馬屋に繋がれているのが見える。葦毛の4頭が我々の馬車の馬だろう。葦毛の馬はそこそこ珍しい上に4頭も揃っていればまず間違いない。

 馬の世話がされていた様子はあるが、飼い葉桶は既に空だ。昨日1日休んでいる間も放置されていたのかも知れない。とりあえず馬の健康状態はまだ大丈夫な様子を確認すると、第二目標へと目を向ける。

 店の主人はアド様から旅の準備資金として預かった金貨を入れた革袋を、麻痺毒入りの茶を飲まされ動けなくなった自分から盗っていったのだ。馬車の値段と比べれば微々たるものかも知れないが、やはり出来れば取り返したい。

 しかし店の静まりようがただ事では無い雰囲気だ。閂を落とした音に反応して誰かが出て来る気配も無い。店がたまたま休みと言う事も無いだろう。ここの他にもいくつかの店で話をしたが、この時期に休む店は無いと言う事だった。それに通りの様子を思い出すと、ここだけでも無さそうだ。

 とにかく第二目標奪還の為に、この駐車スペースと店とを繋ぐ勝手口へと向かう。そして半ば誰もいない事を確信する。戸締りどころか半開きだったのだ。いくらなんでも有り得ない。中に入ると真っ暗で、明るくなった外との差もあって良く見えない。しかしハッキリと人の気配が無い事だけは分かる。


 (アド様の取った行動で、天使教関係者が都市から慌てて出て行った可能性もあるか。)


 そうならば馬車を置いて行ってくれた事はラッキーだったが、旅の資金として盗られた金貨は持っていかれたかも知れないと思い溜め息をつく。

 しかし一応は探す事にする。盗品一切を置いて行った可能性もゼロでは無い。あの時、革袋を盗った店主がその後階段を登って行くような音を聞いた。動けなかった為に目で確認は出来なかったが、とりあえず階段を探す事にする。

 目が暗がりに慣れて来ると、店舗部分の奥に商談用のテーブルがあり、その後ろに更に店の奥へと続く通路がある。布が掛けられていて奥まで見えなかったが、その先に階段があるのだろう。

 布をめくって奥へと進むと、右手には小さな台所、更に奥の右手に扉、更に奥には上へと続く階段があった。迷わず階段へと進むと、2階は扉が1つだけだった。鍵はかかっていなかったため、そっと開いて中へと入る。様々な物が雑多に置かれ、部屋のハズだがうず高く積まれた物が避けられた部分が廊下の様になって店の正面の方向へと伸び、奥に扉が見える。

 奥の扉にも鍵はかかっていなかった。中に入ると小さなベッドが1つと引き出しの付いたテーブルに背もたれのある椅子、そして洋服ダンスらしき棚。

 部屋に入ってすぐ目に付いたのがテーブルの上に置いてある革袋だ。全部で3つあるが、その内の1つに見覚えがある。中身を確認すると、金貨が何枚か減ってはいるがほぼそのまま残っている。

 一応他の袋も確認するが、全て硬貨の入った袋だった。泥棒になる気は無いので他の袋はそのままにしておく。

 事情は分からないが、とにかく目的の物が全て放置されていた為あっさりと回収出来たので胸をなでおろす。

 だが長居は禁物だ。どういう理由で店から出て行ったのかは分からないが、盗品とは言え金貨すら置いて行く事態だ。ここに留まっていれば碌な事にならないのは目に見えている。しかし自分の分の革袋の中の金貨だけでも一般人からすればかなりの量だ。慌てていたとしてもそれを置いて行くと言うのはわざと置いて行ったのではないかと思う。ならばここにはもう戻るつもりが無いのかも知れない。

 とにかく目的は達成された。馬屋に戻り、馬車を動かせるようにしてさっさと出て行く事にする。


 馬車が店には無い事も想定していただけに、時間にかなり余裕が出来た。今後の予定を最小限から修正していろいろと考えながら馬車に馬を繋いでいると、駐車スペースへの扉から中に入って来る者がいる。

 長い黒髪に抜群のスタイルを強調するドレスを着た艶めかしい美人だ。そしてその人に付き従って入って来たのは、鉄の仮面で顔を覆い、後ろから燃えるような赤髪を垂らした鎧姿の女性だ。


 ルーリィは入って来る前から気付いていたのか、扉が動く前から扉の方を向いていた。にも拘らず入って来た2人を見て驚いていた。

 ルーリィの知り合いだろうか?と思っていると、向こうから声が掛かる。


 「あら、貴方達はこの店の新しい従業員かしら?この時期お休みは無いと思っていたのだけれど、店の主人に来客を伝えてくれるかしら?」


 「いえ、俺達ゃここの従業員じゃねぇもんで。預けてた馬車を引き取りに来ただけなんで店の主人がどこにいるのかはちょっと分からねぇですわ。」


 「と言う事は留守なのね。」


 腕を組んで寄せた胸の谷間に埋まった腕が顎まで伸びて、傾げた小首の先まで伸ばした人差指が柔らかい唇に沈み込む。ルーリィに惚れていなければ即座に口説く事を考える艶めかしい仕草だ。

 しばらく考え込んだ黒髪の女性は唐突にギーブンに視線を戻すと更に話しかけてくる。


 「ところで良い馬車ねぇ。どこで手に入れたの?」


 「これは俺達の主人の持ち物でして。どこで手に入れたのかは俺達にも分かんねぇです。」


 「そう…。ちなみに貴方達の主人の名前、教えて頂けるかしら?」


 「………アド様です。」


 「…知らないわねぇ。家の名前は?」


 「アド様は『アド』でフルネームですぜ。」


 「そう。貴族じゃ無いのねぇ。」


 「そう言うあんたの名前を伺ってもかまわねぇですかい?」


 「私?オリアンナ。オリアンナ・ウィラントよ。いつか機会があったら食事でもしましょうと貴方の主人に伝えておいてくれるかしら?それじゃ、私今日は忙しいのでこれで失礼するわ。それと貴方達、この都市を出るつもりなら早くした方が良いかも知れないわよ。」


 そう言うと手をひらひらさせながら黒髪の美人が出て行き、続いて赤髪の鉄仮面女が出て行く。

 ウィラントと言えばこの城塞都市を含めた地域一帯を治める公爵の名だ。アド様の名前を素直に出すかどうかは賭けだったが、その賭けの結果はどうやら大勝ちか大負けになりそうだ。咄嗟に偽名を使う事も考えたが、馬車とセットで偽名が知れ渡ると厄介だと思ったのだが、また今後の展開が読めない心配が一つ増えた気がする。

 色々と考えながらふと隣を見ると、2人が出て行った方向を見つめ続ける相棒の姿が目に入った。


 「どっちか知り合いだったのか?」


 「いや………赤髪の仮面女、気配がまるで無かった。おそらく私よりも強い。」


 ルーリィの強さは良く知っている。そのルーリィがハッキリ自分より強いと言う者が存在するとしてもそう出会う事も無いだろうと思っていた。

 しかしギーブンはそんな人物を従える黒髪の美人の方にこそ何か違和感の様な物を感じた。彼女はあまりに自然で普通だった。貴族らしい偉そうな雰囲気も無い。平民を見下す雰囲気も無い。それなのに親しみを感じるような雰囲気も無かった。

 思い返すと彼女の不気味さが増す。考えるのを止めると本来の目的である買い物へ向かうべく、ギーブンは再び手を動かし始めた。

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