誘拐
外に出ると既に昼を過ぎていた。どこかで食事をするべきかと思い、ルーリィに聞いてみるが、彼女はこの都市の地理にそこまで詳しく無いらしい。
ならば選択肢は二つ。散策しながら食事が出来る店を探すか、泊まっている宿に戻るかだ。しかしのんびり散策しながら店を探していては食事はいつになるか分からない。食事という言葉を聞いて目を輝かせるお嬢様がいては、そういう訳にはいかないだろう。
建物が規則正しく並んでいない区域なので、来た道を戻るのも一苦労だった。
泊まっている宿はそれほど高い建物でも無く、目印となるような物が見えない。何だか良く分からない道に入り込んでしまったりしていると、前方から女性が騒ぎ立てる声が聞こえてくる。
「何ですかあなた達は!通して下さい!………誰か!誰かーー!!」
ルーリィと顔を見合わせると、声がした方へと向かう。
「きゃぁ!!」
悲鳴が聞こえて来たが、助けなければという思いと巻き込まれたく無いと言う思いは正直言えば半々くらいだった。
相手の人数や状況がイマイチ分からないので、曲がり角の手前で忍び足になり、角からそっと覗いてみる。
道の先では黒に近い赤い色のローブを着て、フードを目深に被った3人が、倒れた女性を大きな袋に詰め込んでいる所だった。体格からすると3人とも男性のようだが、顔が隠れているので確信は無い。
小声でルーリィに状況を説明して質問する。
「助なければいけない状況に見えるんですが、こういう場合普通はどうするんですか?」
「一般人であれば、騎士の詰め所に連絡するでしょう。この町ならば自警団のいる教会でしょうか。ですが私一人でも何とか出来ると思います。」
「私の力を使いますか?」
「袋に詰められた女性が危ない時はお願いします。」
こういう場面で大の男が華奢な女性一人に任せると言うのも情けない話だが、いざとなったら加勢する心構えだけはしておいて、成り行きを見守る。
ルーリィは細剣を抜くと角を曲がってゆっくりと近づき、まだ気づいていない3人に声を掛ける。
「まだ明るいうちから何をしている?どう見ても悪党が人攫いをしているようにしか見えないこの状況を説明出来るなら、ぜひ聞かせて貰えないだろうか?」
3人は返事をせずに帯に刺した短刀を抜いた。全員がフードの奥の顔に覆面をしていて、何とも言えない不気味さを持っていた。
抜いた短刀はヌラヌラと不自然に光を反射していて、何か塗られているようだった。
袋に入れられた女性は動かない。死んでいるのか、気絶しているのか、あるいは短刀に塗られた何かで眠っているか麻痺しているのか。
そう言えば肉体の損傷によって死亡する事は無効化されているが、眠りや麻痺といった毒が使われた場合どうなるのか。睡眠を必要としない設定が効果を発揮すれば睡眠薬などは効かないはずだが、麻痺毒はどうなるか分からない。
ルーリィに万が一があった時に、助けに入って一撃で麻痺して動けないのでは意味が無い。しかし設定を探す間も無く相手が動き出した。仕方なく世界を減速する準備だけはしておく。
ちなみに時間を止めると言う選択肢は無い。
以前決闘をした時に、終わった後の決闘相手が殺されそうになった為に、それを止めようとして時間を止めると自分も動けなくなったのだ。
設定をいじって自分の身体の時間だけを動かすと、まずは何も見えなくなってしまった。
この世界でも現実同様に、光源の光を反射して物を見る方法が採用されている。そのため時間が止まってしまうと光も動かなくなり、反射光が目に届かなくなるのだ。しかし真っ暗な中でも管理者の操作ウィンドウはこの世界の光とは関係無く見える。最初景色が見えていたのは何故かを考えると、おそらく視覚への刺激を受けた状態で時間が止まっていたために、静止画としての映像が見えている状態で固定されていると理解し、その後再び僅かな時間動かす事で視覚への刺激を与え、その状態で自分の身体の視覚刺激のみを停止して見えるようにしたが、動く事は出来なかった。周りの空気も固定されてしまっていたためだ。
自分の形にくり抜いた透明なガラスの中にいるような状態で、自分の肉体の弾力分身動きは出来るが、移動どころか指一本動かす事は出来なかったのだ。
つまり自身で戦う事になれば、やはり一番効果のある方法は世界を遅くする方法だった。
しかし結局準備は無駄だった。半身に構えたルーリィが高速でフェンシングのような突きをして、その後素早く元の位置に戻ると、3人の内2人が短刀を落としていた。
2人とも左手で右手を押さえ、血を流している。
結果から予想すると、突きで1人の手を突き刺して、引きざまにもう1人の手を斬ったのだろうか?
世界を減速してはいない。そしてルーリィを加速もしていない。それでもこのような事が出来るとは恐れ入るが、それほどの実力を持たねば生き抜けなかったと言う事だろうか。
ふと、管理者の部屋に匿っている2人のエルフを助けた当初の姿を思い出し、その強さが悲しい物のように見えてしまう。
だが今回の一件ではその強さのおかげで管理者の力を何も使わずに解決できた。
と思ったのも束の間、背中にチクリと僅かな痛みが走る。振り向くと角の先で人攫いをしようとしていた連中と同じ恰好をした3人組が短刀を持って立っていた。
急激に力が抜けていく感覚に、自分の身体を支える事が出来ずに倒れてしまう。そして赤黒ローブの一人がリムを後ろから腕を回して捕まえるが、リムが「やっ!」と言って暴れると腕から抜け出し、私の方へと走り寄って来る。リムの見た目で腕力で捕まえようとしたのだろうが、リムが本気で暴れれば大人が片腕で捕まえられる訳が無い。しかしその後ろでリムを捕まえていた赤黒ローブが短刀を振りかぶるのを見た瞬間時間を止めた。
全てが静止した時間の中で動かせる物がある。私自身の思考と管理者権限の操作だ。
落ち着くまでたっぷり時間を取り、まずは自分の麻痺を解除する操作だ。自分の身体を麻痺させられる前に戻すのが一番手っ取り早いと思い、身体の状態を1分前に戻す。
そして次に時間の減速の準備をして、時間停止の解除と同時に減速を開始する。
ゆっくりとリムへ振り下ろされて来る短刀を防ぐのに、寝転がった状態からなら足を使う方が良さそうだと判断して、短刀を握る手を目がけて全力で蹴り込む。
ゆっくりとひしゃげて行く赤黒ローブの指と、蹴りを入れた方向へと飛んで行く短刀。しかし蹴り飛ばした短刀が回転しながら飛んで行った為に、最初の回転で足が少し切れてしまう。再び麻痺状態になってしまうだろうが、減速された時間の中では麻痺毒がまわる前に身体の時間を戻す事が出来る。
そうして2度目の麻痺を治しつつ起き上がりながら、残り2人の様子を見ると残念ながら残り2人も短刀で武装している。しかし、どうした事か2人に動きが無いので1人目同様に短刀を持つ手を狙う。
今度は失敗しないように、短刀の刃の横腹の部分を力を込めて指で挟み込みながら、もう片方の拳で相手の指を殴りつける。
するとようやく最後の1人が動き出し、ゆっくりと背中を向けて逃げていく姿勢を取った。
これで武器を持つ者は残らないと思い、減速していた時間を元に戻す。
「逃げろ!無理だ!」
真っ先に逃げた者の声に従って、利き手を潰された2人も後を追って逃げていく。ルーリィの方を見てみると、そちらも片が付いたようだ。
ルーリィの相手だった赤黒ローブの内2人が一瞬で武器を失うのを見て、一番奥にいたリーダー格らしい人物が一言「退け」と声を掛けるとルーリィ側の3人も逃げて行った。
「後ろの連中に気づけずに申し訳ありませんでした。後を追いますか?」
と言うルーリィの問いに、やめておくように返事をする。袋の中の女性の安否が先だ。
女性は腕を浅く切られており、薄く目を開けているものの、言葉は話せないようだった。ピクピクと痙攣していて動く事も出来ないらしい。
もちろんこんな所に置いて行く事は出来ない。だが騎士の詰め所も場所が分からない。ならば自警団のいる教会だろう。
「あなたを教会に連れて行きます。その後治療が出来る人を呼んで貰いますので、しばらく辛抱して下さい。」
そう女性に声を掛けるとおんぶをする。リムが人攫い達が取り落とした短刀を拾っている。手を斬らないよう気をつけてと声を掛け、ルーリィには周囲の警戒をお願いすると教会目指して歩き出した。
教会に女性を預けて訳を話し、治療と保護を任せると宿に戻って食事をした。
授業を聞いて教会を出た時は少し都市を見て回ろうかと思っていたが、とてもそんな気分にはなれなかった。
宿泊している部屋に集まってルーリィと話してみるが、あの人攫い達の正体は見当が付かないと言う事だった。
ギーブンとリッカが戻るのを待ち、今後の予定について修正するべきか話し合おうと考えていると、『ポーン』とメールの着信音が自分にだけ聞こえてくる。
視界に半透明のメールアイコンが浮かんでいるのでそれを選択すると、差出人はリッカだった。そして内容を見て思考が止まる。
―― 部長!私、攫われちゃいました! ――
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