最初にきっぱりと断られた。部長自身もログインしてすぐに殺されてしまったと言うし、かなり不愉快な思いもしたらしい。ではなぜまたアークの世界に行こうとするのかと言う問いには苦笑いのような物が返って来た。部長自身も言葉に出来ない思いなのかも知れないが、ここは押すべきと判断して正当性と妥当性が見いだせるような理由を探すと一つ思い出す。


 「私も会社でログインした時に作ったキャラを持ってるんですよぉ。可愛い私の分身を使わせて下さいよぅ。」


 どのゲームでもキャラクターを作ると言う最初の作業にとても時間をかける人は多い。

 その世界に降り立つ自分の分身、それは理想を投影したものだったり願望を表した物だったり様々だが、サービスが終了したゲームのキャラクターだからと言って、その後運営に好きにされて何とも思わないプレイヤーはほとんどいないだろう。

 キャラクターメイキングにはかなり時間をかけたキャラクターがアークの中には確かにあった。降臨して僅か3日分ほどの時間しかプレイはしていないのだが…。


 しかしこの言葉には効果があったようだった。渋々と言った感じで部長も了承してくれた。しかしここで問題があった。アークの世界各地にある神殿の中に記憶の石板と言うのがあり、プレイヤーがログインすると最後に触れた記憶の石板の前に現れるのだ。同時に通常、プレイヤーは記憶の石板に触れていないとログアウト出来ないという不便な設定があった。緊急ログアウトは所持品の喪失と言うリスクがあるのだ。

 部長は管理者権限を持っていて、好きな所に現れる事が出来るらしいが自分のキャラクターにはそんな特権は無い。部長が操作すれば管理者権限を貰えるが、「君に権限を与えると何をするのか想像出来なくて怖いから。」と言って権限は貰え無かった。

 最初に合流する為には部長に迎えに来て貰うのが早いが、部長は降臨する前に中でする事があるので自分のいる所に私を連れて来たいと言う事だった。

 しかしその操作が分からないので少し時間がかかるかも知れないらしい。操作が分かったらメールで知らせて、それからログインという段取りになった。

 アークの中は5倍に加速されている。そのおかげでそれほど待つ事は無いだろうが、そのせいで現実と直接回線を繋いで会話をする事は出来ない。しかしメールを送る事なら出来る。それを知らなかった部長にそれを教えた自分の必要性を抜け目なくアピールしておいて二人はログインの準備に入る。


 部長のベッドの上には寝袋が広げてあったが自分は全感覚投入型ゲームのトータルの利用時間がかなり長いので寝袋は必要無い。

 部長は寝袋をベッドから降ろして自分は寝袋を使うので、私にはベッドを使うように勧めてくれたが、ベッドはかなり大きいサイズの物だったので一緒で良いと言ったが断られてしまった。

 クリスタルユニットを稼働し、パルスマーカーを装着した部長は直ぐに寝袋に入ると「少し待っててくれ。」と声を掛けて眠ったように動かなくなる。

 それを見た自分の心の中に淫らな感情が沸き上がる。


 (あぁ…部長ぉ…無防備過ぎますよぉ………今ならチューしてもバレないじゃないですかぁ。襲われちゃいますよぉ…。)


 大量に放出される脳内物質に抗えずに興奮状態となった理香が、寝袋に覆いかぶさって唇を重ねようと顔を近づけるが、寸前でピタリと止まる。


 (…ダメよぉ…部長とのファーストキスが、部長の記憶に残ら無いなんてぇ。)


 やはりロマンチックな状況で濃厚なファーストキスを部長の脳裏に焼き付けてやるのだ、と決めてそっと部長の上から身体をどかせる。

 しかし興奮した感情の疼きが収まらなかったのでせめてこれくらいはと、ベッドの上の毛布を床で横になる部長の寝袋の隣に敷いて、そこに身体を横たえると手を部長の寝袋の上に添え思い返す。


 最初に面接で部長と初めて会った時には何とも思っていなかった。パッとしない見た目。でも丁寧で穏やかな口調。それくらいの印象しかなかった。




 昔から可愛い恰好をするのが好きだった。その欲求はどんどんエスカレートしていったが、他の人からどう見られているのかはあまり気にしない性格だった。

 高校時代には胸も大きくなって、異性からチヤホヤされる事が多くなり、そのせいで同性からは嫌われる事が多かった。勝手に取り巻く男子の中に好きな男子がいる女子からは、毛虫の様に嫌われて嫌がらせなんかもされたりしたが、自分としては好きでも何でも無かったので告白をされても断ると、それを理由にまた嫌がらせを受けた。


 同性にうんざりしていた大学生時代の終わりに、しつこく口説いて来た男性と付き合ったりもしたのだが、卒業間近になって結婚を前提にという話が出た。口調が優しくて嫌いでは無かったし、それまでに彼が自分を口説いた様に、そこまでしてもその人と付き合いたいなどと思った人もいなかったので、まぁいいかとOKしたのだが同棲を始めた途端に本性を現した。

 優しかった口調は荒くなり、亭主関白と言う言葉を体現したような行動に出たのだ。同棲は僅か4日で終わりを迎えて婚約も解消したが、人に対する不信感は強く根付いてしまった。


 そして倒産した例の会社に就職が決まり、働き始めるとまた学生時代を繰り返すかのような事態が待っていた。

 そのゲーム制作会社の女子達の間では、部署毎にある程度のグループを作って派閥が既に出来ていた。

 しかし人事部は女性がほとんどいなかった。自分以外は一人だけで、最初に仕事を教えてくれた上司の女性も、昇進と同時に広報へと異動になったため、部署内でたった一人の女性となってしまった。


 孤独感はあまり気にならなかったし、服装自由な会社だったので可愛い恰好を社会人になっても楽しめると言うのは嬉しかった。

 しかし男性の取り巻き的な人達がいくらか出来て来ると、また学生時代と状況が似た物になっていった。しかし学生時代とは違い、会社勤めと言うのは定年まで恐ろしく長い年月があるのだ。

 嫌がらせがいよいよ本格的な実害が出るような物になり始めて、会社に来るのが憂鬱になり始めた頃だった。


 いつもギリギリの時間に出社していたが、たまたま早く出社した時の会社の1階で、エレベーターの扉が開くのを待つ人混みの中、声を掛けてくれたのが部長だった。

 「ずいぶん可愛らしい服装で出社するんだな。」と声を掛けてくれた部長は、入社してから知ったのだが、部長と言う肩書以上に社内に影響力を持っていた。


 とにかく顔が広くて、そしてスカウトで連れてくる人材の質がもの凄く高いのだ。部長が連れて来た人達は各部署で重要な仕事を任されていたり役職に付いたりしている。あまり社内で良く思われていない人事部の中にあって部長だけは別格扱いだった。しかし部長は役職や持っている影響力を笠に着て偉そうにしたりはしない。

 部長とのこのやり取りは、出社時間で人がごった返す1階のエレベーターホールで行われた為、瞬く間に社内に広まった。部長が服装を褒めた相手を服装を理由に貶すと言う事が出来なくなったのもあるだろう。それから社内の嫌がらせはピタリと止んだ。


 始めは部長を利用していただけだった。休憩時間などを一緒に過ごすのを見せる事で、下らない嫌がらせをしてきていた人達を牽制した。しかし一緒にいる時間が長くなるにつれて、部長の口調、仕草、行動、何もかもから優しさが滲み出ている事に気づいた。


 思い返せば学生時代に婚約した相手は、口調は優しかったものの仕草や行動で自分本位な性格がちょくちょく顔を出していた。それを見抜けなかったのは自分の未熟さではあるが、その経験のおかげで部長の本質的な優しさが良く理解出来た。


 (自分の部屋にいる時よりも安らげる、この人の隣にずっといたい…。)


 その気持ちに気づいてからは早かった。とにかく一緒にいる時間を増やした。とにかく部長の事を調べた。その為の行動は何でもしたし時間を惜しまなかった。そして会社が倒産して上司と部下で無くなった今、ようやく部長の部屋に入れて貰える所まで来たのだ。

 ここで焦って今までの努力を無駄には出来ない。今こそ調べに調べた部長の性格を上手く誘導して、ガッチリ心を掴むのだと決意を新たにしているとメールの着信音が耳に届く。


 (絶対に負けない。NPCになんて部長の心は渡さない………。)


 「部長ぉ…愛してます。」


 呟いてグリアパルスの無線機の形をしたアイコンを選択し、出て来たアークのアイコンを選択する。


 そして部長の部屋だった視界が切り替わった。


 アークにプレイヤーがIDとパスワードを入れてログインすると、最初に自分専用のキャラクター選択空間に出る。その時の自分の姿はログアウトした時のキャラクターだ。

 真っ暗な空間に半透明のウィンドウがいくつか浮かび、その向こうに自分のキャラクターが浮かび上がっている。

 最大10体まで作れるキャラクターは、1体しか浮かんでいない。つまり今の自分と同じ姿のキャラクターのみが浮いている。

 全体的にスリムな体形だが出る所は出ている。しかし豊満とか妖艶という雰囲気を出すほどでは無い。真っ白な肌に綺麗に整った美しい顔立ちと緑色の瞳。そしてやたらと目立つ明るいピンクの長い髪は、左右を三つ編みにして、後ろに束ねたポニーテールの根元をその三つ編みで巻いている。

 しかし肉体の端正さに比べて服装は地味めだ。真っ白なブラウスに明るい茶色のフレアスカートと革のブーツ。キャラクター制作時にいくつか選択出来る初期装備と言うやつだ。


 当時、オシャレを楽しむ気満々でキャラクターを作ってログインしたのだが、降り立った街はその時もう夕暮れだった。神殿から出て、暗くなっていく街を見て回っていると、人通りが無い路地に入ってしまった時に突然襲われて殺されてしまったのだ。

 神殿で復活したものの、初期配布されていた金貨も奪われてしまい、その後も何か出来ないかと多少もがいてはみたものの、結局何も楽しい事は出来なかった。

 苦い思い出に多少不愉快になるが、今度は管理者権限を持った部長が守ってくれると思うと二つの意味で楽しみだった。


 「今度はオシャレが楽しめそぉ。しかも愛する部長がナイト様♡」


 つぶやくとすぐさま浮かんでいるウィンドウの中の『降臨』を選択する。

 切り替わった視界は、薄暗い中で石板だけが置いてある神殿の一室では無く、かなり豪華な調度品が飾られ、低いテーブルを囲むように、ゆったりした柔らかそうなソファーが置かれた部屋だった。

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