突入・前編

 偵察に出ていた騎士団員の一人が仮の屯所として騎士団の半分が詰める酒場兼宿屋に戻って来る。貸し切りとなっているので中にいるのは騎士だけだ。店員には余分に金を払って出てもらっている。

 偵察の者が1階の酒場部分の一番奥で地図を広げて会議をしている集団の元へ足早に近づき、「協力者が中に入りました。」と報告する。テーブルの奥側で会議を仕切っていたクリアスがそれを聞いて頷く。


 「時計係に伝えろ。30分以内に合図が無ければ協力者が手間取っている証拠だ。更に30分待って突入する。各分隊はこれより相手に気取られない範囲で移動し包囲の準備に入れ。立場が上の者ほど真っ先に上手く逃げてくるだろう。外で包囲を担当する分隊にはくれぐれも取り逃がしが無いよう厳命しろ。副長は正面からの突入部隊の指揮を、私は裏からの突入部隊を指揮する。」


 テキパキと指示するクリアスは戦乱時であればかなりの活躍を見せただろう。しかし平和の続いた中で、くすぶっていた時間の長さの分だけ溜まった鬱憤が、今この瞬間晴れていくような気分に浸っていた。


 数日前にも騎士団の一つに盗賊団の討伐指令が下されたのだが、第三騎士団では無かった。自身の貴族家に自分の騎士団を推薦させた貴族の団長がいたためだ。

 荒事になるならクリアスの第三騎士団はかなり出動優先度が高くなっていたはずなのだが、実力を示す機会を一つ奪われたばかりでこういった機会にクリアスは飢えていた。


 貸し切った酒場兼宿屋では動員した騎士団全員は入りきらないため、もう一つ用意して半数の騎士を詰めさせている別の仮屯所の者達にも指示を伝えるべく人を出し、移動を開始する。


 騎士の装備は通常であれば隠密性が皆無だ。人通りの無い夜中では、集団どころかたった一人で動いてもかなり遠くまで鎧のガシャガシャという音が響くだろう。戦争などでの正面戦闘であれば問題にはならないが、今回のように街中で相手を逃がさない為にまず包囲しなければならない時は問題だ。

 しかし長年戦争が無い時代が続き、こういった事態にも対応出来るような装備が既に整えられていた。革鎧の上に金属プレートを張り付けたような形の全身金属鎧は、金属同士がぶつかったり擦れ合ったりする部分が一切無いように作られている。剣や盾、その他の持ち物がぶつからないように注意して動けば派手な音はしない。

 しかしそれでも集団で動くとどうしても察知されやすいため、なるべく足音をたてないように動く。


 リテイ楼閣まで通り二本手前の建物の影に隠れて様子を窺っていた偵察と合流して状況を聞くと、協力者の馬車が入ってからまだ動きは無いらしい。

 打ち合わせでは、30分ほどでバレイルの存在を確認した協力者が出てきて合図をくれた後に突入する予定だ。1時間で出て来なければバレイルを探すのに手間取っているか、既に使い切っていて見つけようにも存在しない可能性が高い。その場合は協力者が証拠を捏造する手筈となっている。

 あるいは協力者の正体がバレて捕まってしまっている、もしくは殺されてしまっていれば、それはそれで監禁や人殺しの罪に問える。

 他にも様々な事態についてあらかじめ保険をかけた計画ではあるが、バレイルが無ければ第三騎士団の評価が落ちるようにルアクト家が動く可能性が高い。その時はチールに損害に対する補填をさせてやろうとクリアスは考えていた。


 時計係が30分の経過を知らせてから既に15分以上が経過しているが、協力者が出て来る気配は無い。

 最もスマートな手順が最初から失敗した事に、クリアスは心の中で軽く舌打ちをしながら後15分経過した時点で正門側の部隊に突入するように指示を出し、自分達の部隊は裏口の方へ回り込む。


 しばらくすると正門側から大きな声を出しているのが聞き取れる。副長が正門で番をしている者に開門を要求しているのだろう。リテイ楼閣内の者に伝わり、正門側に注意が向くのを待つと言う意味と、裏の勝手口側から逃げて来る者がいれば待ち伏せると言う意味で声がしてもしばらくの間は動かなかったが勝手口が開く様子は無い。

 あまり時間を置いても正門側との連携が取れない。重要人物がのこのこ裏口から出てくるのを捕まえる、という可能性を早々に諦めて突入の指示を出す。分隊二つに裏口から出て来る者や塀を乗り越えて逃げる者がいないか見張るように指示して、自分は突入部隊と合流すると、既に戦闘用の大きなハンマーや斧を持った者達が裏口の扉を破壊していた。


 リテイ楼閣の敷地は裏口から入ると左右を倉庫と離れに挟まれて更に奥に楼閣の裏口らしき扉が見える。倉庫と離れの探索をする部隊と別れて楼閣の裏口に取り付く。こちらの扉は引けば簡単に開いた。狭い通路の左右には扉が並び、少し奥で横道があるが更に先では奥が明るくなっている。


 「1階の占拠が最優先!通路の分かれ道や要所には4人待機し、誰かを追う時も決して単独で追うな!」


 作戦を立てる段階で決めていた事を再確認して突入するが左右の扉や横道の通路からは誰も出て来る気配が無い。楼閣の裏口や分かれ道にはそれぞれ人員を配置してそのまま奥へと進むと正面玄関のホールに出る。正面玄関は閉じられていたが、その前に数人集まって狼狽している。裏口からの侵入者に気づいて狼狽は驚きと恐怖に替わる。


 「第三騎士団団長クリアスだ。リテイ楼閣にはいくつかの重罪に対して嫌疑がかかっている。騎士団が調査する間、抵抗する者は切り捨てられる事も覚悟せよ。」


 玄関前にたむろしていた内の何人かがヘナヘナと座り込む。立っている者に玄関を開け放つように指示すると、その後責任者の所へと案内させる。


 案内されたのは先ほど通って来た裏口への通路で、横道に入った所から楼閣内の様々な役職者達の執務室が並ぶらしい。最も奥まった所にある部屋が総責任者の部屋と言う事だが更に奥にも通路が伸びて、薄暗い中を更に闇を深くして地下へと続く階段が見えている。

 とりあえず階段の方は無視して総責任者の執務室と案内された部屋の扉を、ノックも無しに開こうとするが開かない。ハンマーを持った騎士が前に出て扉を破壊すると、ドアの前に何人か待機させて、クリアス自身は団員を引き連れて真っ先に踏み込んだ。

 しかし中には誰もいなかった。低いテーブルの両側に数人掛けのソファー。壁際には本棚が並び、中は書類がギッシリと詰まっている。そして一番奥に高級そうなどっしりとした机の上にも書類が山積みになっていて、机の椅子が置いてある近くにはまだ湯気がたつカップが一つ。窓は開くが格子状に細くタイプで人が逃げ出せるような幅は無い。

 クリアスは剣を抜いて警戒しながらゆっくりと奥の机に近づく。「隠れているなら出て来い。」と声を掛けるが返事も無ければ机の向こうで誰かが動く気配も無い。回り込んで机の反対側を見ると誰もいない。剣を鞘に納めると団員にこの部屋の調査を指示して自身は玄関ホールに戻る事にした。


 玄関ホールでは正門から突入した副長の部隊が既に到着し、楼閣の外壁から逃げる者がいないか監視する者達と、敷地内を捜索する者達を覗いて正門突入部隊の残りの騎士が揃っていた。

 地下と上階どちらを調べるかと考えた時、クリアスの経験や先入観は地位や身分が高い者ほど上にいるものだと判断させた。貴族の邸宅だろうが帝城だろうが皆そのようにしているためだ。地下にいるのは罪人、身分の低い者、そして食料や備品だ。

 チールという男から得た情報でも、リテイ楼閣は上階ほど高価なもてなしを受け、そして上階で接客をする者ほど美しかったり元の身分が高い者だったりすると言う事だった。ならば話にも出た貴族の令嬢もかなり上階の担当だろう。

 貴族の令嬢を救う騎士、という自らに最も相応しいと思える役割を実際に経験するべく上階の探索を優先することにしたクリアスは、7階建ての楼閣の各階を調べる人員を揃えてまず2階へと上がって行く。


 4階まで調べ終えるが例の貴族令嬢は見つからなかった。それぞれの階層には騎士団を数人づつ残して引き続き探索を命じてあるが、おそらく見つかるまい。

 と言うのも2階から3階、3階から4階へと上がった時に感じた豪華さのレベルアップが5階に上がった瞬間には段違いだったのだ。5階以上が特別というのが明らかな造りをしている。壁も天井も床も扉も調度品も一流だった物が超一流へと変わる。

 大貴族である父の屋敷に勝るとも劣らない見事さだったが、クリアスにとってはそこまでの驚きは無かった。

 更に調べを進めるが結局6階まで調べ終えても貴族の令嬢はいなかった。当たり前と言えば当たり前だ。貴族がこんな所に身をやつすなど、そうはあるまい。いや聞いた事が無い。

 バレイルを見つけた合図も無かったのだから、チールの情報もひょっとしたらあまり正確では無かったのかもしれんと思いながら最上階の扉を開く。


 そこは今までとは更に格の違う部屋だった。6階までは上がって直ぐの扉を開くとその先は通路でいくつかの扉が並び、一番奥が更に上へと外壁沿いに向かう螺旋階段への扉となっていた。

 しかしこの最上階は扉を開くと最上階がまるまるワンフロア全てが一つの部屋だった。そろそろ空が白み始めているが、まだ室内を明るく照らすだけの光量は無い。室内を照らすのは、何本も立つ柱に取り付けられた燭台に立つ蝋燭の明かりだけだ。

 奥の方には天蓋付きの大きなベッドがある。部屋の中央辺りにはソファー代わりに大きなクッションがいくつも転がっている。そこに沈み込んで座っている人影が一つ。


 クリアスは毛足の長い絨毯が敷き詰められた広大な空間に足を踏み入れる。ゆっくりと人影に近づくが反応は無い。やがて相手の顔がはっきりと見て取れる距離まで近づくと、ようやく気づいたように顔をクリアスへ向ける。琥珀色の瞳には輝きは全く無い。こちらを見ているはずなのに何処を見ているのか分からないような目をしたその人物は口元だけを微笑む形に歪ませる。それはひどく歪で普通なら不気味さすら感じる表情だろう。しかしそれでも彼女は美しかった。

 ゆっくりと立ち上がると、瞳と同じ色の腰まで伸びた長い髪がサラリと流れる。身に纏っているのはハッキリと身体が透ける薄布で出来た夜着一枚だけだ。そして身体中に金の装飾品を身に着けているが、一つだけひどく違和感を感じさせる物が首に嵌められていた。分厚く装飾性の無いその首輪には文字が彫り込まれていた。


 ―――― ルネア・セルブロ ――――


 クリアスは感じた事の無い感情に支配されて動けずにいた。立ち上がった彼女は歪な笑顔を浮かべたままクリアスに近づくとその手を取ってベッドへと誘うが、クリアスが動かなかった為に手が伸びきった所で止まってしまう。何の感情も表さない目で彼女が振り返った所でようやくクリアスが動く。

 手を離し、その場で片膝を突いて首を垂れるとクリアスは謝罪した。


 「帝国の秩序を保ち、人々を苦しみから救い、守るのが騎士の務め!我が騎士団が本部を構える帝都内で長きにわたる苦しみから、あなたを今まで救い出せなかったのはひとえに私の不徳の致すところ! …申し訳ありませんでした…。」


 生まれて初めて切ない思いで息を呑んだ。生まれて初めて心からの謝罪をした。そして生まれて初めて心から愛しいと感じる人に出会った。

 片膝を突いた姿勢から動けずにいたクリアスの耳に、かすかに衣擦れの音が聞こえた。ハッとして顔を上げると彼女のお腹が目の前まで来ていた。間もなく彼女の両腕がクリアスの頭を包み込む。

 おそらく彼女は何かを思ってそうしたのでは無い。虚ろなままの瞳がそう語っている。

 ここでの接客としてこういった場面にも対応しうる教育や躾、もしくは暗示を施されていたのかもしれない。

 しかし今まで満たされていない事に気づきもしなかった部分が満たされて行くような感覚にクリアスは抗う事が出来ず涙を流す。

 今まで自分が求めていた物が何だったのかようやく理解した。父に認められたかったのは、そうすれば母が喜ぶと思ったからだ。そして母を喜ばせれば愛情を注いで貰えると思っていた。しかし父も母も自分を愛してはいなかった。父にとって男児とは家督を継いで家の財産を守り増やす為だけの存在で、母にとって息子とは父に取り入る道具でしかなかった。そんな家庭で生まれた自分がひたすらに求めた物は愛情だったのだ。

 だが愛情とは与えられる事を求める物では無く、自身の内から沸き上がり大切な人に奉げるものだという事を初めて理解した。そして初めて自身の内から沸き上がり、ただ一人奉げたい存在がいる喜び。そしてその存在が長い間残酷な境遇に晒され、それを助けられる立場と実力を持った自分が何もしていなかった事への悔恨。

 どうする事も出来ずにただ項垂れる自分を抱きしめ続けてくれている存在を一刻も早くこのような所から連れ出さねばならない。その思いがようやくクリアスの身体の束縛を解く。

 力無く抱きしめてくれていた腕を壊れ物を扱うようにそっと丁重に解くと立ち上がり、マントを外してルネアの身体を覆って隠す。

 そして後ろを振り返ると最上階まで同行してきた数名の騎士達が、さきほどまで自分がしていた様に片膝を突き首を垂れていた。


 「皆に通達しろ!ご婦人方は丁重に扱え!決して無礼は許さん!そして…店の人間を一人も逃すな!!!」


 立ち上がった騎士達が敬礼をするとすぐさま階下へと降りていく。ルネアと二人きりになったクリアスが出来るだけ優しい口調で語りかける。


 「あなたを絶対に正気に戻してみせます。以前の皇帝陛下も治療の末に正気を取り戻された。大丈夫です。」


 そう語りかけ、「失礼します。」と言ってルネアを丁重に抱きかかえると階下へと向かった部下達と同じ方向へゆっくりと歩き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る