潜入

 全く透かしが無いのっぺりとした高い塀がかなり広い敷地を取り囲んでいて、日当たりの良い南側には鉄製の大きな門がある。

 門のすぐ横には人が一人通れるほどの扉があり、扉の前では受付なのか見張りなのか服装の整った大柄で肉厚な男が微動だにせずに立っている。

 そちらとは別に大通りから離れた位置の人目に付きにくい北側の塀にも勝手口と呼べる扉がついているが、こちらには外に立っている者はいない。しかし人の出入りはこちらの方が多い。

 正門と呼べる南側の出入り口を通って出入りする人間は一日に数人ほど、一方裏手になる北側の小さな勝手口を出入りするのは一日に20人以上だ。


 リテイ楼閣


 超が付くほど高級娼館として有名だ。一般人の収入でここに遊びに来れる者などいない。つまりはこの敷地に出入りするだけで、超が付く金持ちだと宣伝しているようなものだ。

 更にリテイ楼閣は7階建ての塔になっている。上の階に行くほど値段が跳ね上がり、より高級なもてなしを受けるのだ。

 それはステータスでもあり、また商売人にとっては交渉をスムーズにあるいは有利にする手段としても使える。しかし5階から7階までは特別な人間しかもてなしを受ける事は出来ない。普通に客として来てもそれらの階層は指定出来ないのだ。

 帝国中央の帝都とは言え、ここを出入り出来る財力を持つ人間はそれほど多くは無い。通うとなれば尚更だ。正門を出入りする人間の数の少なさがそれを物語っている。


 では勝手口を出入りする者達は?


 中で働く使用人でも無ければ物資を出し入れしている人足でもない。物資の出入りなどは正面の大門を開いて馬車ごと出入りする。使用人は住み込みの者がほとんどだ。

 つまり勝手口を出入りする者達もまた客なのだ。出入りを見られると困る立場の者、あるいは中でしている行為に後ろめたさのある者達が、人通りの少ない勝手口から出入りする。

 そして正門側の客も勝手口側の客も出入りするのはほとんどが夜の間だ。昼の間は物資の運び入れなど、出入りするのは商人など。


 今の時間は真夜中。と言ってももうしばらくすれば空が明るくなり始めるかも知れないという時間だ。流石にこのくらいの時間になると客の出入りはほとんど無く、もちろん商人なども来ない。

 しかしそんな時間に一台の馬車が近づいて来る。正門の前で止まったので、立ち番をしていた男が馬車に近づいて御者に声を掛けると、御者が木製の割符を差し出して来る。立ち番の男が受け取り、腰にさげた割符の束と合わせると三つ目でピッタリと合わさる割符が見つかる。

 立ち番の男が塀の中に声を掛けると馬車が二台並んで通れるほどの幅の正門が内向きに開かれ、馬車が敷地に入ると再び閉じられる。


 そしてその様子をかなり離れた場所から見ていた者達がいた。


 そして更にその全てを見ている者も…




 リテイ楼閣の敷地内には楼閣以外にもいくつかの離れや倉庫が建っている。物資の搬入などの場合は馬車は倉庫の方へ案内されるが、今入って来た馬車を敷地の案内役は楼閣のすぐ前に止めさせる。

 窓からそれを見て来客を察知した楼閣内の案内役が、正面扉を開いて客が馬車から出て来るのを待つ。

 御者が馬車から降りて馬車の扉を開くと出て来たのは目深にフードを被った人物だ。フード付きのマントで全体を覆っているので少し分かりにくいが、女性のような気がする。

 御者の男が先に立ってこちらに近づいて来るので、いつも通りの定型文で話しかける。


 「ようこそリテイ楼閣へ。この世で最高のおもてなしをご堪能頂けるよう、謹んでご案内させて頂きます。」


 「いや、俺達は客じゃねぇよ。商売の話に来た。ビグルさんと繋いでくれ。」


 「左様でございましたか。お約束されていた方ですね。ではご案内いたします。」


 そもそも約束が無ければリテイ楼閣の敷地内に入る事など出来ない。察した案内役がビグル、このリテイ楼閣という娼館の『地下部分』を任されている男の執務室と呼べる部屋の前へと案内する。

 楼閣内部の案内役が部屋をノックすると「お客様がお見えです。」と声を掛ける。間もなく「通してくれ。」と返事が返って来るので、部屋の扉を開いた案内役が入るように勧める。客の二人が部屋に入るのを確認すると静かに扉を閉めて、再び来客を待つべく楼閣の正面扉の前へと戻る。


 「お待ちしてましたよチールさん。何か問題が起きたらしくて、いつも取引している相手と連絡が付かな………その顔はどうされました?」


 「いやちょっと酔っ払いに絡まれちまって…。」


 「それは災難でしたな。そちらの方が例の品物を売って下さる方ですね。まぁとりあえずお座り下さい。」


 ソファーの対面に腰を下ろした3人が早速商談に入る。


 「以前の取引先と取引する予定だった日から既に5日経っています。いつも一度に少量しか売って貰えず、取引回数を増やして対応していたのですが消息が途絶えて連絡が付かないのです。薬の在庫が既にギリギリでもう何日も持ちません。裏の商品の躾には薬に頼った部分が大きくなりすぎていたので、早急に用意して頂きたい。」


 「そっちの事情は分かったけどよ、こっちとしてはヤバいもん作って売ってる以上は物を押さえて通報とかって事態には最大限警戒してぇって事なんで、キチンと信頼出来る取引先の証拠として薬使ってる所を確認しねぇと売れねぇって事なんでさ。」


 「分かっています。しかし地上側の従業員には地下がある事を知っていても、何をしているかは知らされていない人間もいます。地上階で誰かに会ったら表向き調度品や家具などの業者と言う事で伝えておりますので、その様にお願いします。では早速行きましょう。」


 本来はもっと警戒する所なのだろうが、かなり切羽詰まっていると言う事と、万が一この者達が何らかの機関から送り込まれた人間だとしても、地下には手練れの騎士すら取り押さえられるだけの力を持った部下が何人もいると言う安心感があった。


 リテイ楼閣の1階部分に接客用の部屋は無い。店と呼べる機能は2階から上で、1階部分には待機所や休憩室、大浴場、そして受付の奥には上への広い階段。しかしそれら明るく華やかに彩られた場所とは違い、何人かいる幹部の執務室が並ぶ廊下の奥には薄暗い地下へと続く階段がある。

 上へと昇る広い階段には真っ赤な絨毯が敷き詰められ、いくつもの光源があちこちに灯されて、夜でも明るく照らし出されている一方、地下への階段は石畳で狭く光源も無いためランタンを持って降りなければ真っ暗だ。

 石畳の螺旋階段を下り切った所には鉄で補強された分厚い扉が待ち構える。ビグルが声を掛けると、小さな覗き窓が開いて来訪者を確認した中の者が扉の閂を外す音がゴトゴトとした後に扉が開く。


 中に入るといくぶん広くなった通路の両側には鉄製の扉が並んでいる。それぞれの扉から獣の遠吠え様な、或いは悲鳴の様な様々な声が分厚い扉越しに微かに響いて来る。

 そして香を焚いたような甘い匂いと様々なものが混じり合った饐えたような臭いが漂う。


 「ここに並んでいるのは接客員の躾に使っている部屋です。現在4つの部屋で躾の最中です。接客員の食事にも薬を入れて与えておりますので、ご覧になられますか?」


 (接客員…って言葉を使うって事はこっちはハズレだな…。)

 「仕事の邪魔はしたくねぇんで、出来れば休憩中の接客員はいますかい?」


 「今は全員躾中なんですが…薬を使っているなら何でも良いと言うなら一級の商品が奥にあります。そちらへ参りましょうか。」


 (商品…こっちが当たりだな。)

 「宜しく頼んますわ。」


 両側に並ぶ扉が途切れて二回曲がった突き当りは鉄製の扉で行き止まる。今度は扉番はいないらしく、閂はこちら側についている。ビグルが閂を外して扉を開き、中に入ると四角い小さな部屋のそれぞれの壁に今開けた扉と同じような扉が一つづつ。今度はそれぞれ覗き穴が付いている。


 「右がここの商品を使う特別なお客様用の部屋で、左が商品の調整用の部屋。奥が商品を仕舞っている部屋です。奥の商品も薬を使っていますし、調整用の部屋に薬の残りが少しだけありますのでどうぞ気の済むようにご覧下さい。」


 「では奥の部屋から見させて貰うんで失礼しますぜ。」


 閂を外して奥側の部屋に入ると簡素なベッドが四つ並んでいた。光源はドアのすぐ横の壁に埋め込まれた蝋燭立てに太い蝋燭が立てられ、オレンジ色の光で室内を染めている。

 左の奥に洋服や小物が収納されているだろう棚と、椅子が一つ。他にはベッドの横にそれぞれ蓋の付いた桶があるだけだ。

 蝋燭の明かりで薄暗かった室内が、後を追って入って来たビグルの持つランタンによって明るく照らされる。

 ベッドの内二つには誰もいない。使われた形跡も無く、広げられた清潔そうなシーツにはシワ一つ無い。

 先に目に入った手前側のベッドには一人の女性がピクリとも動く様子無く座っていた。華奢な身体に端正な顔立ち、ランタンの光を反射して輝くような金髪とそこから顔を出す尖った耳。

 エルフだ。しかしその蒼い瞳に輝きは無い。部屋に入って来た者達にも目を向けずに足元を見ている。そして薄い夜着の裾から伸びる左脚の膝から下が無かった。

 部屋に入るなりフード付きマントの女性が速足でベッドに座るエルフに近寄ると首に触れる。指を伝って鼓動が伝わると大きくため息を吐き出す。そしてもう一つ奥のベッドに目を向けて息を飲んで動きが止まる。


 「ちゃんと生きてますよ。死んでは腐って使えませんからな。しかし中々の上物でしょう? 今の時代、五体満足なエルフはもう手に入らないでしょうが、左脚以外は完全なエルフは今でもウチの目玉商品ですよ。まぁもう一体はかなり昔にほとんど壊されてしまいましたが…奇特な客がいるかも知れませんから維持だけはしております。」


 一つ奥のベッドにもエルフがいた。横になり上からシーツを掛けられて枕にのった頭だけが見えている。しかしその光景は異常過ぎた。

 銀色の髪をしたそのエルフであるはずの人物の耳は切り取られ、片方の瞼は縫い付けられて開かないようにされていたが、もう片方の瞳は手前のエルフと同様に全く輝き無く天井の一点を見つめていた。

 そしてシーツの下の膨らみは枕と同じくらいの大きさしか無かった。


 フード付きマントの女性が立ち上がり一つ奥のベッドへとよろめきながら近づくとベッド脇で跪く。そしてフードを取り、更に中で被っていたターバンも取ると銀色の長い髪が流れ落ち、耳がある位置から尖った先端が顔を出す。


 「私です………わかりますか………?」


 腕を伸ばして手の先で首に触れる。震える指のせいで鼓動は分からなかったが温かいぬくもりが生きている事を知らせて来る。そして次の瞬間には嗚咽を漏らして泣き崩れてしまった。

 それを見て御者役でチールと呼ばれた男が片手を額に当てて「あちゃー」と声を出して上を向く。そしてこの場にいたもう一人の男も声を上げる。


 「完全で損傷の無いエルフ! しかも正気を保っている!! 凄い!凄すぎる!!  ……市場で買えば一体いくらの値が付く事か!!! チールさん、あなたの物なのか!? ぜひ売ってくれ! 望む額だけ用意…!」


 興奮で顔を赤くして詰め寄るビグルの頭頂部に組んだ両手を力いっぱい落とす。力を無くしてもたれ掛かって来るビグルを寝かせると呟く。


 「男に寄り掛かられても嬉しかねぇぜ…。おいルーリィ、気持ちは分からんでもねぇが作戦が台無しだぜ。どうすんだよ。」


 しかし返事もせずに泣きながら耳や手足を失ったエルフに抱き着く相棒を見て、自分で何とかするしかないと諦め、チールという偽名を使っていたギーブンはランタンを持ってそっと部屋を出た。

 エルフ達の寝室をを出ると『調整用の部屋』と紹介された方の部屋へと向かう。閂を抜いて中に入ると所狭しと並んだ数々の器具や設備が部屋を狭く感じさせた。一般的には拷問に使われる様な物が多く、しかし何に使うのか見当も付かない様な物もあった。

 それらには目もくれずに目的の物を探す。壁沿いに引き出しのある棚が並び、硝子の扉の付いた棚には薬品が入っていると思われる瓶や壺が並ぶ。瓶の中に一際目を引く真っ赤な液体が僅かに入った物を見つけ取り出す。空のカップと水瓶を見つけて水を入れたカップの中に自分で持ち込んだ薬品を入れてかき混ぜるが何も変化は無い。しかし更にその中に瓶の中の赤い液体を一滴垂らすとカップの中の水は真っ黒に変わった。


 (当たりだな。これで何とか国から追われるって可能性は消せたな。後は脱出方法の計画修正だが…あの調子じゃエルフ達を置いてって訳にゃいかなそうだ…。)


 部屋を見渡して何か使えそうな物は無いかと探すが、脱出の役に立ちそうな物は見当たらない。もう一つ部屋があるのを思い出してそちらへ向かう事にする。

 部屋を出て反対側の『お客様用の部屋』へと向かう。閂を抜いて部屋に入ると他の二つの部屋とは明らかに雰囲気が違っていた。一回り広く天井も高い。床は毛足の長い絨毯が敷き詰められ、そして奥には天蓋付きの大きなベッドがある。右側の壁沿いに服や帽子を掛ける場所があり、その下には四角く編まれた蓋つきの籠が三つ。大きな鞄ほどの二つの籠の内一つには何も入っていない。もう一つには女性用の衣装がいくつかと手拭いが数枚入っている。最後に人が入れるほどの大きな籠には毛布やシーツが入っていた。


 (使えるか? 行き当たりばったりは趣味じゃねぇんだがなぁ…。)


 エルフ達のいた部屋に戻ると、まだ泣いている相棒の頭に床に落としたターバンを再び乗せながら話かける。


 「二人とも連れてくんだろ?ならしっかり働かないといけねぇぜ。さぁ仕事の時間だ。」


 そう声を掛けられてルーリィがようやく立ち上がって涙を袖で拭うとギーブンに尋ねる。


 「ごめんなさい。私のせいで脱出も救出も最初の計画を使えなくしてしまった…。もう一度何か手を考え直さないと。」


 「そいつについては一応考えたんだが、どのみち行き当たりばったりだぜ。」


 とっさに思いついた計画の変更をルーリィに語って了解を取ると、早速二人は動き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る