第二章

休憩

 目を開くと、日が落ちて薄暗くなった部屋の見慣れた天井がぼんやりと見える。夕飯時ではあるが腹は減っていない。

 しかし両親の長年の躾の賜物か、夕飯時には夕飯を食べるべし。という意識から窓のカーテンを閉めて部屋の明かりを点けるとキッチンへ向かう。

 クリスタルユニットに全感覚投入する前にタイマーでこの時間に米が炊けるようにセットしてあった炊飯器から僅かに湯気が上がっている。適当なおかずと味噌汁を作り食べ終わるとシャワーを浴びる。

 その後部屋のパソコンのスリープを解除してメールボックスを確認すると、メールは5件着ていた。3件は利用しているウィルス対策ソフトや登録しているサイトからの宣伝だ。残り2件は元部下からだった。

 件名だけで読む必要性を感じない宣伝メールは無視して残り2件のメールを読む。1件は最後に転職の世話をした元部下からのお礼のメールだった。もう1件は…


 「また彼女か…。」


 ほぼ毎日のようにメールを送って来る元部下が一人だけいるのだ。しかも内容はどうでも良いような事か、もしくは運転手のお願いだ。

 今の時代、自動運転である程度の範囲は免許を持たない人間でも車での移動は出来るのだが、やはり全ての道を網羅して移動可能という訳では無い。そして法的にも国道と各都道府県道以外の自動運転での侵入は駐車時と特別許可された道以外は許されていない。それにやはりこの時代でも車の値段は安く無い。

 しかし彼女の転職先でも以前と同じくらいの給料は貰えるはずだ。そろそろ言っておくべきと返信メールを作る。



 ―― 無職のおじさんをこき使おうとせずに、そろそろ免許を取って車を買うか、運転手をしてくれる彼氏を作ったらどうだ? それと私はもう部長ではない。 ――



 作ったメールを送信し、コーヒーを入れようと立ち上がるが、すぐに『ポーン』というメールの着信音が聞こえる。目をモニターに向けると今送ったばかりのメールにもう返信が着ている。

 件名が無題のままのメールを開くと内容は一言だけだった。


 ―― ニブ長 ――


 (意味が分からん。)





 クリスタルユニットに人が接続していない状態であれば、内部の時間経過は最大で現実の9999倍に出来る。しかし人が接続している状態であれば最大でも10倍以上には出来ないようにされているはずで、ゲームなど一般公開されている物であればもっと最大倍率は低く、5倍ほどに制限されている。

 と言うのも感覚処理の加速は脳への負担が大きいためだ。アークのクリスタルユニットも初期状態で起動すると時間経過が400倍に設定されていたが、私の接続と同時に自動的に5倍に落ちている。

 しかし内部で15時間過ごせば現実には3時間経過しているわけで、食事やトイレや家事その他のためにそうそう長時間現実を離れているわけにはいかない。

 家事と身支度を終えて午後8時半に再び全感覚投入する前に、現実時間の0時には通知が来る設定をして再びアークにログインした。


 クリスタルユニットに再び全感覚投入した私の横でリムが自分を見上げているのに気づいて「お待たせ。」と声をかけると「ぜんぜん待ってないよ?」と返事が来る。

 それもそのはず。自分がログアウトして現実に戻る時にクリスタルユニットの時間経過処理を停止しているので、リムからすれば「少し待っていて下さい。お待たせ。」と声を掛けられたように感じているはずだ。

 それでも現実に戻って過ごした時間だけ待たせた感覚が「お待たせ。」と声を掛けさせたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る