初体験

 かなり揺れる荷車の上でしかもクッションも何も無い場所ではあるが、一定のレベル以上の痛覚が遮断されているために擦り付けられる背中も打ち付けられる尻も多少疼く程度にしか感じない。しかし何故かすぐ隣に座って自分を眺めてくるリフという女の子はもぞもぞと何度も姿勢を変えたりしている。分かっていて知らない振りというのも日本人的ではあるのだが、自分としては電車で年寄りが近くに来れば席を譲るタイプの人間だ。親切心と言うよりは非難の目を浴びたく無いという心もちではあるのだが、しかしある程度習慣化している心の動きに任せて中身の入っていない革袋を折りたたんで厚みを作り座布団代わりに置いた場所に手を向けて「どうぞ。」と声をかける。


 「ありがとう!お兄さん良い人だね!」


 「…どういたしまして。」(お兄さん…!)


 久しく聞かない響きに何とも言えない感情の疼きが生まれる。現実では40半ばの自分がお兄さんと呼ばれる事はあまり無い。子供相手であれば「おじさん」と呼ばれる年齢だ。

 「お兄さん」の響きを少し楽しんだ次の瞬間、自分の分身であるキャラクターを設定する時に20後半の年齢の肉体に修正した事を思い出す。少しの落ち込みと見栄を張って若作りした気恥ずかしさがこみ上げて来る。


 「お兄さん変わった服着てるね。どこから来たの?」


 「もの凄く遠い所からですよ。この服は私のいた所では普通なんですよ?」


 「そうなんだー。でもお兄さん遠くから来たのに何にも持って無いね。」


 「四次元に繋がったその袋から何でも出せるんですよ。」


 「よじげんってなに?」


 「不思議な所」


 「なんでも出せるの?」


 「なんでも出せます」


 「よくわかんないけどこの袋は凄いんだね!」


 子供の相手というのは経験が少ないが「なぜ?どうして?」の応酬だというのは知っている。なので適度な適当さを探りながらあまり考えずに返事をする。加えて御者を務めるキボクという老人が色々尋ねてくるので適当に返事をしているとリフが再び声をかけてくる。


 「お兄さん!袋の中みてもいい?」


 「良いですよ。」


 リフがお尻の下から革袋を取って中を覗き込む。


 「…なんにもない…」


 当たり前だ。それはただの革袋だ。


 「ちょっとかしてくれるかな?」


 リフから革袋を受け取り、中を覗きながら手を入れる。袋の中に管理者ウィンドウを表示して過去のプレイヤーのアーカイブから林檎を見つけて取り出す操作をする。革袋の中に出現した林檎を取り出してリフに「どうぞ」と言って渡すと目をまるくして驚いている。


 「すごーい!ほんとに何でも出せるんだー!」


 「本当にそりゃ凄い。あんた、魔法使いなのかい?」


 「いえいえ、魔法使いに見えるように練習した人の技ですよ。」


 (この世界の魔法使いは林檎を作り出せるのか?資料を読んだ感じだとかなり不便で暴力的な目的以外は使い勝手が悪いようだったがこの200年ほどで研究されたのか?)


 この世界においての魔法とは、人が持つ魔力と呼ばれるオーラのような物を自分の意志で変化させる技の事だ。秀でた特性が一人に付き一つか二つ、多ければ三つほどあるらしくその特性を伸ばす訓練をする事で効果を強く出来るが、一つの特性を伸ばすと他の特性は使えなくなっていく物らしい。魔力を火に変える特性と熱を操る特性を持つ者が、火に変える特性を訓練すると熱を操る特性が消えていく。どちらも使える状態ではたいした威力にならない。ただし、効果の大きさは生来の魔力量による所が大きい。10の魔力を持つ者が1年鍛えて魔力を1上げて行くと20年後には30の魔力を持てる。しかし100の魔力を元々持っているならば訓練しなくても二つの特性を50の魔力で使えるのだ。この生来の魔力量と持てる特性の種類や数はランダム性がかなり高く、しかもほとんどの人間はハズレ、つまり魔力は魔法と呼べる効果を発揮出来るほど多くなく、持っている特性も一つも無い場合がほとんどのはずだ。


 「そりゃそうじゃな。何百年か前の戦乱の時代に魔法使いは皆殺されたそうじゃし、魔道具の数は少なく貴重品らしいからの。」


 (この時代に魔法使いはいないのか?それに魔道具というのは資料で見た記憶が無い。)


 考え込もうとしていると馬車が止まる。前を行く騎士が馬を止めて手で静止の合図をしている。どうやら合流では無さそうなので人の反応は待ち伏せだったのかと思って地図を表示すると既に人の反応が後ろにもいくつも出ている。視界には入らなかったので隠れて通り過ぎるのを待ったのだろう。

 騎士の隊長格と思しき人間が馬車に馬を寄せて声をかけて来る。


 「前方に怪しい集団がいますが、戦いになれば勝てたとしてもあなた方を護りきれるかは不安な所です。距離があるうちに我々だけで相手を確認し、敵であれば掃討してきます。」


 「全員で行ってしまうのですか!?」


 「敵であった場合は相手の方が数が多いですから。万が一我々を抜けてこちらに来るようであれば街の方へ逃げて下さい。追撃しますので時間を稼いでくれるだけで結構です。」


 「分かりました。ご判断に従います。よろしくお願いします。」


 (後ろから別動隊が襲ってくる事を伝えるべきか…?)


 しかしそれが分かっているという事に対する適当な言い訳も思いつかない。顔を動かさずに視線だけ向けた目を凝らしてもそこにいるはずの相手の姿は確認出来ない。間抜けなやつがチラリとでも身体の一部を見えるようにしていてくれれば良かったんだが相手の隠れ方は完璧だ。

 とりあえずの方針が決まるまでは『ありのままの世界を見る者』というスタンスで行く事にした自分としては想像がつく展開ではあるがありのままのこの先を見てみる事にしよう。そう決めると努めて別動隊の方を見ないように視線を外す。


 騎士達が街道の幅一杯に横一列になって進んでいくのを見守る。かなり進んだ先で「何者だ!なぜ道を塞いでいる!」などと叫んでいる。相手は普通の声量で返答しているらしく何か言っているとしか分からない。その後騎士から叫び声が上がる。その内容はだいたい予想通りの内容だった。


 「全員抜刀!…突撃!」


 騎士達とおそらく野党であろう者達が戦闘を開始すると、後ろの繁みの中から、そして木の上から予想通り野党の別動隊がこちらに向かって全速で走って来る。

 足音を忍ばせるでもなく普通に走って来るバタバタとした音に振り返るとたった一人で後ろの荷馬車に乗っていた行商人と聞いた男がぐにゃりと倒れる所だった。それと同時に行商人の馬車をすり抜けてこちらを間をおかずに取り囲む野党達。槍を持った二人は取り囲むやいなや御者を務めたキボクに槍を突き立てている。

 暴力や殺人、事故ですらも大きなものには遭遇した経験が無く、若い頃の喧嘩といっても子供の頃ですら人と殴り合いになった経験が無い自分としてはこの場で唯一死亡どころか怪我すらしない身と分かっていても足がすくんで身体が震えるのを止められない。



 初めて体感する圧倒的暴力。圧倒的殺意。そしてそれを微塵も躊躇しない圧倒的悪意。



 何も考えられないまま自然とリフを庇うように動いてしまう。馬車の下から黄色い歯を剥き出しにしてニヤニヤ笑いを浮かべる男が向ける剣先から目が離せない。

 そして足音も無く走り寄って来ていた男が身軽な動きで車輪からさらに荷車の淵へと足を掛けて飛び上がる『トトッ』という音で視線が剣先から音の発生源の方へと引き剥がされる。

 するとどう動いているのか分からないような回転を空中でしながら迫る男がもう目の前だ。僅かに胸を押されるような感覚がして見おろしてみると短剣の柄が胸から生えている。


 (刺された!?コイツ凄い!!)


 などと思ったが次の瞬間には殺された芝居をせねばと頭を切り替えて、全身の力を抜いて横向きに倒れ込む。自分にしか見えない管理者ウィンドウを開いて『生命活動エフェクト』をOFFにする。

 先ほどこちらに剣先を向けていた男が「あ、この野郎!」などと叫んだ後に荷車に上がり、リフを抱えて降りた後に先ほど私に短剣を刺した男が胸から短剣を引き抜いた。

 短剣を眺めた後にこちらを見ているのが視界の端で分かる。

 眼球を動かさないように気をつけていると『物理的肉体損傷の無効(肉体有・即時修復)』の設定を思い出す。慌てて『物理的肉体損傷の有効(死亡無効・修復停止)』を選択すると、動かないように頑張るのもしんどいので開いたままの管理者ウィンドウを操作して、キャラクター制作などに使える部屋に意識を送る事にする。いわゆるログアウトした状態に似ているが身体は元の場所に置いたままだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る