誰かがいらない恋愛ハーレム

城島 大

プロローグ いらないなんて言わないで



僕は目を覚ました。

身体を起こし、辺りを見回す。

勉強机にクローゼット。本棚には漫画本やら小説やらが差し込まれていて、床には小洒落たカーペットが敷かれている。

窓からの風景はこの部屋が二階であることを示しており、部屋の作りから一戸建ての家だということが分かる。

ゴミが散乱することもなく、定期的に誰かが掃除していることを伺わせる清潔な部屋。

なんてことはない。普通の部屋だ。

普通過ぎる部屋だ。


僕は頭を掻いた。

なんだろう。

何か、違和感がある。

僕の部屋はこんな普通の部屋だったか?


僕はベッドから起きてクローゼットの中を見た。

ハンガーに掛けられた服は様々で、特に目を引いたのは紺のブレザーとズボンだった。

まるで学生服だなと思って手に取ると、そのブレザーには校章がついていた。


「……」


僕は黙ってそれを戻し、姿見の前に立ってみた。

そこにいたのは、眼鏡をかけ、やせ細った若い男だった。


「……誰だこれ」


思わず口から出た感想に、違和感を覚える。

もう一度、じっと姿見を凝視した。

これは僕の姿。

間違いなく、僕の姿のはずだ。

毎日見る顔。いくら人の顔を覚えるのが苦手だからといって、自分の顔を忘れるはずがない。

うん、そうだ。これは僕の顔だ。

なんとなく、そんな気がしてきた。


ジリリリリ!!


突然の音に、僕はびくりと肩を震わせた。

慌てて目覚まし時計のアラームを止める。


「あーびっくりした。久しぶりに聞いたな、この音」


……ん?

僕は再び違和感を覚えた。

僕は学生だ。

……たぶん、学生なのだろう。

だって学生服がクローゼットの中にあった。

そうだ。僕は学生だ。

しかし、それなら目覚まし時計の音は毎日聞いていてしかるべきではないか。

なのにさっき、目覚まし時計のアラームを聞いて僕はどう思った?

久しぶり。久しぶりに聞いたと、そう思った。


「……おかしいな。寝ぼけているのか?」


僕がしばらく考えを巡らせていると、突然ドンドンと横にある窓を叩く音が聞こえた。

かと思うと、突然そこが開き、一人の女子学生が顔を出した。

ポニーテールの髪。少し勝ち気そうだが、面倒見の良さそうな母性が見て取れる。


「ちょっと、まだパジャマ着たままなの!? 早く学校行く準備しないと遅刻するわよ!!」


彼女はそれだけ言って、顔を引っ込ませて窓を閉めた。

僕は茫然としていた。

いきなり、おそらくは家族でもなんでもない女子が二階にある男子の部屋の窓から入って来て、世話焼きな母親のようなことを言って消える。

現実に、こんなミステリーが存在するのか?

そんなことを考えていると、再び同じ女性が窓を開け、ひょっこり顔を出した。


「ちゃんと朝ご飯食べなさいよ! あんた、あたしが言わないと全然食べないんだから」


ピシャリ

窓を閉める音が聞こえて、ようやく僕のフリーズが解けた。

その窓を確認すると、ほとんど擦れ合うような間隔で、隣の家の窓があった。


……まあいい。

考えても仕方のないことだ。

不審人物が丁寧にも教えてくれたように、どうやら僕は学校に行かなければならないらしい。

今やるべきことが分かったのだから、それをするために粛々と行動すべきだろう。

考察なら後でいくらでもできる。


僕は早速学生服に着替え、適当に身支度すると、そのまま家を出た。

無論、朝食は食べなかった。


◇◇◇


僕は生徒手帳に書かれた地図を目安に、自分が通っていると思しき高等学校へと向かっていた。

学生というのは楽だ。

制服という、決められた服があるのだから。

これが大人になれば、着る服というのをいちいち考えなければならない。何年も同じ服を着ていれば、知人なり何なりにみすぼらしいと評価され、服を買えと唆される。

まったく以て無駄な行為だ。

スティーブ・ジョブズも言っていたではないか。服を選ぶということにリソースを割くなんて、まったく以て馬鹿らしいことだと。


……しかし、なんだろう。


「キャ~!! 急に突風がぁ!!」


気のせいか。

いつもの風景とは違う気がする。

妙に騒がしいというか、周りが華々しいというか。

外の世界というのは、こんなにもうるさいものだったか?

そして、こんなにも女性比率の高いものだったか?

辺りを見回すと、女、女、女。すれ違う人間全てが女性だ。しかも非常に若い上に美人だ。

いくらなんでも、確率的にこんなことがありうるのだろうか。


そんなことを考えながら角を曲がった時だった。


「わわっ!!」


誰かとぶつかり、僕は尻餅をついた。


「なにすんだよ! 痛いだろ! 前くらいちゃんと見ろよな!!」


なんだ、こいつは……?

僕がそう思うのも仕方のないことだと思う。

このショートヘアの女子高生。あろうことか、食パンを口にくわえているのだ。

通勤電車で化粧をしている女性が批判されている昨今、こんな一昔前の伝統を忠実にこなす子がいれば、近頃の若者は食べ歩きならぬ食べ走りをしていると、テレビで古臭いコメンテーターから文句を言われかねない。


「聞いてんのかよ! アタシに謝る気があるのか、それとも黙ってこの場を去るのか、ちゃんと答えろよな!!」


は?

なんだ、その妙に具体性のある問いかけは。

と、思った時だった。


周りの景色が止まった。

比喩でもなんでもない。文字通り、止まっていたのだ。

身体は動かせないながら、視線は這わせることができるらしい。それを駆使して奥を見ると、友人を驚かすためにその背中を叩こうとしている女子高生を発見する。その彼女の両足は、見事に宙に浮いていた。

それを見て、僕はようやく、時が止まってしまっているのだという非現実的な事実を確信することができた。

どういうことなんだ、これは。

僕がこの事態を論理的に解釈しようと頭を悩ませていると、ふいに頭の中にとある選択肢が過ぎった。



【あなたはどうしますか?】


 ダイ

☞素直に謝る

 文句を言う

 黙って立ち去る



……は?

自分が考えていることのはずなのに、僕は思わず心の中でそう言った。


なんだ、この三択。

なんで僕が取るべき行動が三つに限定されているんだ?

人間が取るであろうアクションなんてほとんど無限なのだから、わざわざこの三択に絞り込む必要などない。

というか、色々とツッコミどころがあり過ぎる。


……まあいい。

いや、全然よくはないのだが、まあいいということにしておこう。

この時が止まったような状況を、僕の空想世界の出来事だと仮定しよう。窮地の際は異常な集中力を発揮して周りがスローに見えるとかいうアレだ。アレと同じだと仮定しよう。

何故女子高生への対応でそんな集中力を発揮しているのかとか、そういうことを考えても仕方がない。起きたものは起きたものだ。

僕はそう考えて、この場で最善の行動を選択することにした。



 ダイ

 素直に謝る

 文句を言う

☛黙って立ち去る



僕は彼女のことを無視して立ち上がり、さっさとその場を去った。

スカートがはだけてこれみよがしに曝(さら)け出されている下着など、まるでお構いなしにだ。

これが大人の余裕。常人の行動だ。

そっちからぶつかって来たんだろと文句を言ったり、ごめんなさいと下着をガン見で赤面しながら謝ったりはしない。

女の子と喧嘩をしても最終的に女子集団にリンチにされるだけだし、後者に至っては警察を呼ばれかねない案件だ。


それになにより、僕はこういう非現実的なハーレム漫画のような展開は大嫌いなのだ。

こっちの気分もお構いなしに胸やら尻やらを見せつけられても不愉快でしかない。そんな世界で暮らしたいと思う人間は、年中AVを見るかキャバクラにでも行けばいい。


「きゃっ!」


そんなことを宛所(あてど)なく考えていたからだろうか。

今度は角でもないのに女子高生とぶつかってしまった。

しかも今度はぶつかった彼女を押し倒すような形になってしまうという体たらく。

まったく。本当に今日は何なんだ。僕の日常は、もっと平穏で静かなものだったはずなのに。

しかし、アレだな。この地面は妙にやわらか──


目の前にいるのは、童顔で大人しそうで、しかしスタイルの良い三つ編みの女の子。

僕の手は、その巨乳の女の子の胸をわしづかみしていた。


「……」


……なるほどな。

ああ、そうかい。よーく分かったよ。

ここまでベタな展開を踏まされないと気付かない僕も馬鹿だった。

いや、むしろ気づきたくなかったと言うべきなのかもしれない。

滅茶苦茶な推理を披露して真実をその通りに捻じ曲げる、あの恐ろしい名探偵を打ち倒して数か月もしない内に、再びこんなことに巻き込まれるなんて。

僕は確信した。


これは……呪いだ。


「いやああああああ!!!」


彼女の叫び声と僕の頬を打つビンタの音が、むなしく響き渡った。


◇◇◇


状況を整理しよう。

どうやら、僕はまた何かしらの呪いに足を突っ込んでしまったらしい。

しかし今度の呪いは、規模もかなり大きなもののようだ。

何よりもまずこの身体。

これは明らかに僕の身体ではない。そしてあの家も、この学校も、僕が普段過ごしている場所ではない。

僕はダイという20歳を超えた成人で、仕事がないとはいえ世間的には作家を名乗れる存在だし、何より手のかかるうるさい同居人がいる。

それらが丸々なくなるなんてことはあり得ないのだ。


しかし、それを思い出すのに多少の時間が掛かるくらいには、この世界はよくできていた。

この身体やこの世界があまりにも自分と馴染み過ぎていたため、どちらが本当でどちらが夢なのか、この時まで判断がつかなかったくらいだ。

とにかく、この呪いは今までよりもずっと強大だということは間違いないだろう。

なにせ、まさしく世界そのものを作ってしまったのだから。


さて。ここで一度、呪いというものを再定義してみよう。

呪いはおそらく、個人の欲求を解消するために存在する。そしてそのためなら、どんな無茶でも叶えてしまう力がある。

前回も、名探偵になりたいという欲求を持つ女性がそれを叶え、どんな推理だろうと真実を捻じ曲げて正解にしてしまうという恐ろしい呪いとなった。

あの時は名探偵が呪いの発端で、その名探偵が主人公だったわけだが、どうやら今回の主人公は紛れもなく僕のようだ。

なら、僕が呪いの発生源なのかというとそうではない。

何故なら僕は、恋愛ハーレム系の物語が死ぬほど嫌いだからだ。


一人の男性に盲目的に恋をするという自己主張の欠片もない女性陣の行動には一切共感できないし、古典ギャグ的な無理やり感満載のサービスシーンの応酬には吐き気すらしてくる。


以前、2chか何かのスレッドで『ドラゴンボール』の孫悟空と『ToLoveる』のリト、どちらになりたいかという議論が行われたことがある。

僕はもちろん、どちらもノーだ。

死にかけるまで誰かと戦いながら強くなるなんてお断りだし、あんなにベタベタと気易く触ってくる女子に囲まれる生活なんて考えただけでもぞっとする。


……そう。

僕はハーレムは嫌い。それは間違いない。

だからこの呪いの発生源は僕ではない。

となれば、犯人は決まっている。

僕が選ぶべきパートナーであり、この物語のもう一人の主人公。

ヒロインだ。


そこまで分かれば話は簡単……と思いきやそうではない。

何故なら、この世界には──


「いてっ!」

「あ、ほらもう。だから動かないでって言ったのに」


僕は今、保健室で隣の家に住むヒロイン候補に治療してもらっていた。

もしこの物語に読者という存在がいるのなら、何故彼女がヒロイン候補だと分かったのか不審がるだろう。


今まで見ないように見ないようにしてきたのだが、そういうわけにもいかないようだから白状しよう。

この世界では特定の女性のすぐ横に、奇妙なピンク色のゲージがあるのだ。

そしてそのゲージを、僕はこの短時間で三つも見かけた。

つまりどういうことか。

この世界には、ヒロイン候補なるものが複数いて、真のヒロインが誰なのか、まるで分からない仕様になっているのだ。


「どうしたの? なんか塞ぎ込んでるけど」

「いや、別に……」


先程ぶつかった女子に対する選択で大幅にピンクのゲージが下がったところを見るに、どうやらこれは好感度を表しているようだ。

一定値まで溜まっているゲージが僕の選択によって上下する。それがこの物語における大枠のルールらしい。


ちらと、僕は彼女の横にあるゲージに目をやった。

そこにはご丁寧なことに、このヒロイン候補の名前が書かれてあった。

普遍的隣家(ふへんてき りんか)。どうやらこれが彼女の名前らしい。

しかし、この読者に優し過ぎる名前。妙な既視感があるな。


「というかさ。なんで先に登校しちゃうわけ?」


急に声のトーンが変わった。

探りを入れているような、緊張と照れと、若干の怒りが篭(こも)った声だった。


「も、もしかしてさ。あ、あたしと一緒に登校するの。嫌になっちゃった……とか?」


僕は今、何かを試されている気がする。

そんな直感めいた僕の考えに呼応するように、再び時が止まった。



【あなたはどうしますか?】


 ダイ

☞そんなことない

 ああ、そうだよ

 お腹痛いんでトイレ行って来ていいですか?



……さて。

この選択はどうすべきかな。

ヒロインが呪いの発端で、ヒロイン候補の中からその人物を探し出すというのが僕の目的なら、別に好感度なんて無視してしまってもいいような気がする。

しかしどうだろう。

事はそんなに簡単ではないのではないか。


仮にヒロイン……分かりにくいので犯人と呼ぶことにしよう。犯人は、僕と結ばれたいが故にヒロインという座に鎮座しているはずだ。

ということはつまり、他のヒロイン候補は本来的に邪魔な存在であるはずで、そんなヒロイン候補と仲良くなれば、前回の名探偵同様、恐ろしいことが起きるような気がする。

しかし今、僕は犯人が誰なのか知らない。つまり、誰の好感度を上げればいいのか分からないのだ。


……どういうことなのだろうか。

犯人からすれば邪魔でしかないヒロイン候補がいるのもおかしいし、自分が犯人だと名乗り出てこないのも妙だ。

僕と結ばれることが目的ではないのか……? でも、ならどうしてこんな世界を──


「なによ、黙っちゃって。そんなに言いたくないならもういいわよ」


僕ははっとした。

いつの間にやら選択肢が消え、普通に行動できるようになっていた。

なんてことだ。時間制限まであるのか。


「はい、これで治療はおしまい。もう女の子に変なことしちゃダメよ」


そう言って、彼女はさっさと立ち上がってドアの取っ手を掴んだ。


「あ、おい」

「それと、……あたしたちの関係も、もうおしまい」


彼女のゲージが一気に下がり、ぴしゃりとドアが閉まった。


……ええ!?

なんだこれ。まるで既定路線の恋人だったような顔をしていたけど、僕達付き合ってたわけじゃないよね!? 勝手に朝に起こしに来て、勝手に登校について来てただけだよね!?


僕は文字通り頭を抱えた。

まずいな。まるで向こうの考えが分からない。

恋人という関係の何が難しいかというと、こういうところにある。

相互理解というより、相互認識か。本来人間であるならば認識がズレるのは当たり前なのだが、恋人関係ではそれが致命的になる。

そこをうまくするには譲歩であったり理解であったり、とにかく解決策を講じるべきなのだが、感情が絡む問題は総じてすれ違いを生む。


そして何より厄介なのは、僕が恋愛経験ゼロなので、この考察が当たっているのかどうか判断しようがない、ということだ。

恋なんて、この世で唯一と言っていい理屈で解決できない問題だ。

それをよりによってこの僕が解かされるハメになるなんて。


……いや違う。

今考えるべきは誰が犯人なのかだ。

でもそれを考えるためにも、ヒロイン候補の好感度は一定の割合で確保しておかないといけないし……。


「あーもう!!」


僕は頭をぐしゃぐしゃとかき乱した。

考えるべきことが多すぎて、頭がうまく回らない。


「ひゃっ!」


妙な声がして、僕はそちらに目を向けた。

カーテンが閉ざされたベッドから、半身を出してこちらを見つめる少女が一人。

さっき僕が胸を掴んだ子だ。

横にあるゲージを改めて確認すると、大人シ読子(おとなし よみこ)と書かれてある。

ああ、文学少女かと僕は納得した。


「ご、ごめんなさい。あのその、盗み聞きする気はなくて……」


パニックになっているのか、ぶんぶんと手を振って僕に弁解している。


「……その手に持ってるもの、消毒液だよね。さっきの転倒でどこか怪我をしたの?」

「あ、いえ……。その、いきなり叩いちゃったから、その……」

「ああ、僕にくれるつもりだったの?」


彼女はぎこちない様子でこくりと頷いた。


「正直、少し驚いた。女性からしたら、恨まれても仕方ないことをしたと思っていたから」


僕はにこりと笑った。


「ありがとう」


それを見て、読子の顔が真っ赤になった。


「あ、あのあの。~っ! ほ、本当にごめんなさいでしたあああ!!」


彼女は保健室から逃げるように去って行った。


……ん?

僕は自分の発言に違和感を覚えた。

こんなことを言う奴だったか? 僕は。

まずいな。なんだかこの世界の空気に毒されている気がする。


僕はもっとクールな人間だったはずだと自分に言い聞かせながら、教室に向かおうと立ち上がった。

授業開始までの猶予を確認しようと腕時計に視線を落とし、思わず眉をひそめる。


「なんだこれ」


この時計はデジタル式なのだが、そこには今の時刻など表示されていなかった。

00:13:43

そう表示された時計をじっと見ていると、まるでタイマーのように時間が減っていく。

タイムリミット? しかしそれにしてはあまりに時間がシビアだ。

……よく分からない。

よく分からないなら、そこに思考を割くのは非効率的だ。

僕はさっさと教室に向かうことにした。


◇◇◇


近くにいた教師に聞きながら学校の中を彷徨い、ようやっと自分の教室を見つけて中に入った。

ガラリとドアを開けると、あらびっくり。

都合の良いことに、ヒロイン候補が全員その教室にいた。


ちらと僕を見て顔を逸らす隣家。読書に没頭して僕に気付いていない読子。

それにあと二人。今朝ぶつかったあの子。ゲージの下に表示されている名前によると、マッハ・走流乃というらしい。お笑い芸人かよ。

僕などまったく眼中にないようで、体育会系らしき女子集団と大声で談笑している。


そしてもう一人は、同じく集団の中にいる茶倮茶倮不良絵(ちゃらちゃら ふりえ)。こっちはこっちで暴走族のニックネームみたいだ。

文字通りチャラチャラした子で、爪が異様に長いしスカートは短いし、制服はわざとらしくはだけさせている。自己主張の激しい長い金髪と無駄に腰に巻いたブレザーは、学生服という縛りの中で自己主張するためには必須のオシャレなのだろう。

じっと彼女のことを見ていると、ふいに目が合ってしまった。


「なに見てんのよ」


そう言って僕を睨みつけて来る。

あの視線はガチで僕のことが嫌いな目だ。


「えぇ? もしかして、不良絵見て欲情してんじゃない? もっと胸元見せてあげたらぁ?」


キャハハハと甲高い声が響き渡る。


「ダッサイ癖にアタシと付き合えると思ってんの? 本当に身の程知らずね」


僕はまじまじとゲージを見た。

本当にこいつがヒロイン候補か? 僕に惚れるところをまったく想像できないんだが。


「ちょw 何も言い返せないしww 草食系でももうちょっと喋るじゃん?」

「細胞系みたいな?」

「キャハッハハハ! 超ウケる~」


何が?

……駄目だ。こういうノリには本当についていけない。

以前、一人で焼き肉屋に行ったときのことを思い出す。

異様にうるさい集団がいて、どんな話で盛り上がってるのかと思えば「ウェ~イ!」としか喋っていないことに気付いて戦慄したことがあった。

チンパンジーの方がもう少しまともなコミュニケーションを取っているだろと思ったものだ。


「……本当になんもしゃべんないのな。マジきめぇ。さっさと消えてくんない?」


隣家が立ち上がる。

その顔からして、どうやら僕のことを庇おうとしているらしい。僕はそれを手で制した。


しかし、このヒロイン候補というのは、どういう基準で選ばれているのだろうか。

隣家はともかく、他の女子は僕との接点などまるでなかったように思える。登場した時からゲージがあったことを考えれば、フラグ……つまり僕のことを好きになったからヒロイン候補になった、というわけでもなさそうだ。

……最初から、彼女たちがヒロイン候補になることは決まっていた?

そこに何か意味があるのだろうか。


「なんなのよ、さっきから! じっとこっち見て何もしゃべんねーし。マジきめえな。ホント、マジきめぇ」


ボキャブラリーの少ない奴だな。


「悪い。別に何でもない」


そう言って僕は通り過ぎようとした。


「はあ!? なによそれ! ずっとこっち見てた癖に何言ってんの!?」

「本当に何でもないんだから仕方ないだろ。それとも何か? 嘘の理由でも言えばいいのか?」

「うっわ。言い訳してる~。きっとホントに不利絵見て欲情してたんだよ。キャハハハ!」

「どうでもいいけど、その笑い声止めてくれないか。耳に劈くんだよ」


なんだか同じようなフレーズをCMで聞いたような気がするなと思いながら、僕は自分の席に座ろうとして、それがどこなのか知らないことに気付いた。


「なぁ不利絵」

「は!?」

「僕の席がどこか知らないか?」


不良絵は明らかに狼狽していた。

なんなんだこいつは。

絡んで来たと思ったら消えてと言い。消えようとしたら文句を言い。挙句普通に話しかけたら狼狽する。

やはり女子高生というのは意味不明だな。

まあ、女子高生と喋ったのは今日が初めてなんだけど。


「ちょっと!」


隣家が僕に走り寄り、こっそりと耳打ちした。


「この子達、色々噂が絶えないヤバイ子達だって知ってるでしょ!?」

「マジか」


最悪だな。

あいつをオトすということになったら、裏社会の人間に喧嘩を売らなくちゃいけない可能性もあるのか。


「あんたの席はあそこ。さっさとその寝ぼけた頭をちゃんとしなさい!」


何故怒られるのか理解できないが、僕は礼を言って自分の席へ向かった。

その時、不良絵の口からぼそりと漏れた言葉を、僕は幸か不幸か聞き取ってしまった。


「……アタシとしゃべって物怖じしない奴……初めてだ」


は?

思わず見ると、彼女の頬が若干赤くなっている。

チークじゃないのは、化粧に疎い僕でもよく分かった。

僕は愕然とした。

嘘だろ。あれで惚れるなら、逆に何をすれば惚れられないのか分からないぞ。


……まあいい。

犯人を見つけるためにも、好感度はできるだけ確保しておいた方がいいのだ。正直そんなこと全然考えてなかったけど、結果オーライだ。

とにかくこれから──


「こらぁダイィ!! アタシへの挨拶がまだでしょうがあああ!!」


突然飛び蹴りをされて、僕は机を巻き込みながら倒れた。


「最初に会った時教えたでしょ! 学校に来て一番にすることは、この暴力彩芽(ぼうりき あやめ)さんに挨拶することだって!!」


脇腹に突き刺さった蹴りは、ダイレクトに肋骨に響いた。はっきり言って滅茶苦茶痛い。

僕は黙って立ち上がった。

暴力とかいう女の前に立つ。そこにはヒロイン候補の象徴であるゲージがあった。

彼女は、少し驚いた様子で僕を見ている。


もういい。

もううんざりだ。

ヒロイン候補? 知るか。僕は何よりも平穏を望む人間だ。こんな鬱陶しい奴らに囲まれて生活なんてできるか。


「僕に関わるな」


僕は冷酷に、そう言い放った。


「僕は君のことが嫌いだ」


暴力が目を見開く。

そのまま、僕は彼女を素通りして教室から出ようと歩いた。

どうせ作られた世界だ。授業なんかサボって家でネットでもやってよう。

その時だ。

廊下に出ようとした僕の腕を、誰かが掴んだ。


暴力だ。

懇願するような目で、僕を見つめている。


「くどいぞ。僕は──」

「お願い。アタシを嫌いにならないで」


あんな飛び蹴りをかましに来ておいてよく言う。

僕はあきれ果てて言葉も出なかった。

そのまま無視して歩こうとして──


「主人公に嫌われたら、アタシ……ヒロインじゃなくなっちゃう」


ぴたりと、僕は動きを止めた。

こいつ、今何て言った?

主人公? ヒロイン?


「ちょっと待て。君はこの物語のキャラクターだという自覚が──」


僕の言葉が止まった。

ごくりと、思わず息を飲む。

暴力彩芽。長い黒髪で、ところどころ癖っ毛がついているかわいらしい女の子。



その子の目から、真っ赤な血が流れていた。



「あ、ああ」


彼女の横にあるゲージにヒビがはいっていく。

それに呼応するように、流れ出る一筋の血液が二筋になり、三筋になり、ごぽごぽと大量に流れ出ていく。


「あ、あああ。あああああ」


鼻から、耳から、口から。至る所から血を流し、彼女は僕にしがみつこうと手を伸ばす。


バリィン!!


そんな音をたててゲージは粉々に砕け散り、彼女は白目を向いて地面に倒れ伏した。


はっきり言おう。

僕は舐めていた。

これが呪いと分かっていながら。エゴというものがどれほど残酷か分かっていながら。

僕はそれを、理解していなかったのだ。


この世界は恋愛ものでもハーレムものでも、ましてやミステリーものでもない。


僕は忘れていた。

この物語のジャンルはいつだって、ホラーなのだということを。


その時、ピ、と音をたてて、時計がゼロを差し示した。



【この物語にいらないキャラクターは誰ですか?】


ダイ

☞普遍的隣家

 大人シ読子

 マッハ・走流乃

 茶倮茶倮不良絵




プロローグ 完

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