屋敷の朝

 暖かく、清らかな日差しが黒いカーテン越しから藍色の絨毯じゅうたんを明るく照らす。

ダークブラウンの上質な寝台には藍色の布団に包まり、未だ目を開けない者がゆったりと眠っていた。

寝台のかたわらには寝台と同じ色合いで作られたサイドテーブルが置かれている。

その上には、持ち主がいつも丁重に扱っている二つのレンズがめ込まれた眼鏡が置いてある。


 ここはアンソニーの部屋。


 この部屋にはアンティーク調の家具や小物、辞典や外国文書などの難しい書物が並んでいる。

全体的に落ち着いた雰囲気があるシックな部屋である。


 しばらくして、部屋の扉を何者かが軽くノックした。

「おはようごさいます。お坊ちゃま、朝でございます」

執事のマットだ。

その声が届いたのか、布団の向こうからもそもそと動き始めた。

「……おはよう、マット」

起き上がったアンソニーは挨拶した。

「はい、おはようございます」

扉越しに深々とお辞儀するのが分かった。

「ご朝食の準備が整っております。一階の食堂にお越し下さいませ」

「わかった、ありがとう」

眼鏡をかけながら時計を確認する。

いつも通り午前8時きっかりである。

「それでは、失礼致します」

また、深く一礼し革靴の上品な足音が廊下から聞こえてきた。

いつも正確に起こしに来るマットのお陰で、アンソニーは同い年の青年が味わうけたたましいアラーム音に起こされた事は一度もないのだ。

 顔を洗うよりも先に、眼鏡のレンズを磨き始めた。

アンソニーにとって眼鏡は己の目となる物。

眼鏡を粗末に扱うという事は、己を粗末にするという事だと叔母のヘレナから教わった。

起きてすぐにレンズを磨くと、心が清々しくなり落ち着くのだと言う。

 完璧に磨いた後、アンソニーは部屋の扉を開けた。

扉の横にはワゴンがあり、丁度良く温められたぬるま湯と蒸しタオルが置かれている。

そして、タオルの横にはポットとティーカップがあった。

ワゴンごと自分の部屋へ運び、扉を閉めた。

 アンソニーは"お坊ちゃま"と呼ばれているが、使用人に何でも任せっきりではないのだ。

自分が出来る事は自分で行い、出来ない事だけ頼む事にしている。

これは、まだ幼い妹への気遣いに近いかも知れない。

 彼が妹のステファニーを溺愛しているのは誰が見ても一目瞭然だ。

彼女が望めばどんな願いも叶え、彼女の願いは何度も聞き入れた。

そんな彼が、まだ手のかかる妹の世話をさせる時間を自分に使うだろうか。いや、そんな事はあり得ない。


 それ程までに想いが、意思が強いのだ。


 朝の身支度を終え、ゆっくりと紅茶を飲み干しベストの上からブレザーを羽織った。

今日からこの屋敷の地図を正確に書くと決めているためか、自然と気合が入っている。


ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-


 鏡のように反射する白い食器を綺麗に並べ、曇り一つない銀食器を添えた後、ある一室で茫然と外の景色を眺めていた人物がいる。

 昨晩、狂気に陥った侍女のスザンナである。

あの音は……声は一体何だったのか。

未だに何もわからず、疲れていた頭と体は柔らかい布団に包まれるとすぐに活動を止めてしまった。

 あれからそのまま朝を迎え、今しがた食事の支度をし終えた所である。

共に準備をしていたマットはダスティンを始め、この屋敷の主人たちを起こしに行った。

ヒューは朝から顔を見てないが、彼が朝遅く現れるのは全員分かっている事である為、何も言う必要がない。

 まだ来ないのだろうか、食堂の横に設けられている配膳室で待ち続けている。

食事が冷めないよう、最適な火加減で温めながら待つ。


「もしかしたら、昨日のアレは悪い夢だったのかもしれない」


そう思うようにしている。

しかし、起きてからたまに見かけるのだ。


 黒いもやがかった何者かが


 今も自分の背後に立っているような、窓の外でじっとこちらを見ているような、はたまた天井から見下ろされているような感覚に陥っているのだ。

どうしてこう思ってしまうのか、自分でも全くわからない。

それでもお構いなしに視線は感じる。

それどころか、見えるのだ。

その黒い靄の中央に見える白く光るもの。


 らしきものが


 確かに自分へ話しかけているのを……

その動きは昨晩スザンナが脳裏に焼き付け、忘れられない程に聞いたあの言葉だと気づくのはあとどのぐらいだろうか。


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