Requiem

四月朔日 橘

Requiem


 足元にできる黒い水溜り。ジワリジワリと広がるそれはまるで世界の果てなき混沌を表したような、そんな感覚だった。

 手に持つ大きな黒い細身の、男の身長程ある片手剣を意識して身体の中に仕舞うと、すぐ横にある壁にズルズルと凭れかかった。充満する空気のせいか、はたまたこの身に掛けられたふざけた呪いのせいか。

 居心地と気分の悪さに悪態をつきたくなった。内心で息をつきながら、暗闇を見上げた。

 後少し歩けば、外に出れる。しかし、男はそれを望んでなかった。この場で今すぐ呪いによって身を焼かれたかったが、この身に掛けられた呪いはそんなありきたりで生易しいものでなかったな、と気づく。

 気だるい身体を叱咤して、立ち上がって洞窟謂わばダンジョンの外に出た。数時間振りの新鮮な空気に身が浄化される気がしたが、それもやはり気のせいで。

 中の、どす黒く重苦しい空気を思い出してそっと瞳を伏せた。

 ――――亡き、彼らを弔うように。



 高度魔技術学園「アルティフィリカ」。ここは自身に備わる魔力を駆使して戦闘技術に特化するための全寮制学校である。巷では「戦闘狂育成学校」という、何とも言えぬ名をつけられているがあながち間違ってはいない。

 何のために人は魔力を持ち、何のためにそれを使えるようになるのか。

 その話は一昔前に遡る。かつて、人々は魔力など持たずに行きていた時代があった。しかし、海を挟んだ大陸を支配する魔物が海を渡って現れたことにより、人々は呆気なくその命を散らしていった。

 その時に突然変異として生まれ、魔力を初めて持ったのがこの世界の英雄であるアルティフィリカ。

 彼の学園の名は、その英雄の名から取られた。

 アルティフィリカは自身に備わる魔力を人々に与えていった。そして、武器を作り、手に持ち、魔物達を次々となぎ倒して行った。

 それが、魔技術と呼ばれる始めの所以である。

 それが一昔前であり、現在は魔物はこの大陸にも蔓延るようになっている。

 魔力を持つ人間は魔物にとっては格好の餌である。つまり、言うなれば彼らが人間を襲うのは餌であるから。


「……お前さ、何なの」


 と、朝から喧嘩を売られている俺は「アルティフィリカ」の魔剣術科4年のスレイトラ・アシュレイ。「アルティフィリカ」は8年制であり、現在折り返しの学年である。歳は……17ってことで。

 かくいう俺は上級生に囲まれているという明らかリンチみたいなことになっている。つか、知らねぇよ、これ俺のせいなのかよ?と思うくらいの疑問だ。

 何故こうなっているか?簡単な話、俺がとある上級難易度の魔物討伐に選ばれたからだ。

 学園にはギルドから指定討伐依頼が来る。特に難易度の高いものをX、簡単なものをAとしている。今回俺が行くのは難易度H。上から数えて3番目に高い。


「普通は上級生に回すなよなぁ?」

「実力が足りてないから選出されなかったんだろ」


 何て事実を言ってやれば顔を赤くさせて怒鳴り散らしてくる。本当に煩い、鼓膜破れるから。俺だって好きで選出されたわけじゃねぇっつーの。

 あの理事長……また俺のこといいように使いやがって。本当にやめてくれ。大げさに溜息を吐きたいが上級生の手前、それは避けた。

 実力主義なこの学校では理事長が高難易度の討伐依頼を割り振りする。別に理事長と顔見知りだからとか、仲がいいからとかそういうのは関係なしに総合評価で決められてしまう。

 ……ちなみに俺は前者だ、単なる顔見知りであって別に理事長とは何もない。そんなお決まりの展開なんてないからな。そんな面倒なことなんてないからな。


「テメェ生意気なんだよ! 大体、4年のくせして討伐難易度Hとか死にに行けって言われてんだよ!」


 僻みなのか罵倒なのか、どちらも同じか。まあ、普通はそうだろうけど。けど、総合評価なんだよ。4年のトップである連中らと俺が今回の討伐依頼をことなんか、コイツら知らないだろ?俺は嫌だから、行きたい奴が居たらどうぞどうぞと喜んで譲る。が、しかし。

 適任者がいないらしいのだ。この討伐依頼は4年までに受けさせたい依頼内容らしく、その割には難易度がバカみたいに高すぎるのだが、トップ達でもギリギリのラインらしい。

 なんつー鬼畜度。つまりはアレだ、死にに行けって言われてるようなものだ。それでもトップ達がこの討伐依頼を受けたのは自分達の自尊心プライド故だろう。下らない。

 ちなみに俺には自尊心プライドなんてものはないがついでに拒否権もなかった。つまりは強制、死にに行けと。

 依頼の中身はそれこそ洞窟ダンジョンに行ってみなければ分からないが、Hクラスだし相当だろう。


「……だったら?」


 生憎、俺は死ぬつもりなんて毛頭ないけど。昔、知り合いと難易度Xに入った時には本気で死を覚悟したがその知り合いが強すぎて死を免れた記憶がある。てか、アイツ1人でその洞窟ダンジョン攻略しやがったし。俺いらなかったじゃん、と攻略後に言えば「付き添い」なんていけしゃあしゃあと言いやがって。

 なんてことを思い出して、上級生を見る。俺の回答が意外だったらしく、目を丸くしている。


「別に死ぬつもりないんで」


 一緒に行く奴らが死んでも、俺だけは生き残る。生き残れる、その理由がある。酷く残酷で、酷く非情に思えるその理由がある限り、俺は死ぬことはない。

 先輩方に踵を返して教室に戻る。確か、今から討伐に行くんだっけか。精々何もなきゃいいけど。何ていう俺の勘は残念なくらいに当たらない。必ず何かしらがあるのだ。特に今回は難易度H……そのレベルは、正直一回の生徒には計り知れない程だろう。

 なのに放り込むとか……絶対、ここの教師おかしいわ。


「アシュレイ君!」


 教室に足を踏み入れた瞬間、誰かに名を呼ばれた。……あー、はいそうですか。俺、あんたのこと嫌いなんですけどね。

 そこに居たのは煌めくマロンブラウンのロングウェーブの女。

 名前をミリルーシェ・ウィレ・カルドリエ。俺と同じ学年で、総合評価トップクラスの世間知らずのお嬢様だ。本当にウザい。コイツ、自分が中心に世界回ってると思ってんだよな。んなわけあるかよ、頭お花畑なのかよ。て思うくらいに、てか頭お花畑だ思う。


「アシュレイ君も同じ班なのね!」


「……そーですね」


 特段、あんたらに興味なんてないっつーの。生きて帰ることが優先だから、俺はそんな人間だ。ちなみにトップクラスの奴らは全員科が違って居たはずだ。

 ちなみにトップはこの女を含めて5人。

 そこの頭お花畑女は魔術化、この女ベッタリな脳筋バカは魔体術科、誰とも話さない無口メガネは魔知識科、頭お花畑女を嫌悪している泣き虫は魔猟銃術科、頭お花畑女と適度に距離を保っている胡散臭い笑顔の腹黒は魔獣術科だ。そして、俺が魔剣術科。

  学科は全部で6学科あり、全学科揃っている。


「ミリル!」

「ランディック!」


 来た、頭お花畑女が大好きな脳筋バカ。これでも魔体術という魔力を全身に行き渡らせて驚異の身体能力を司る超接近戦のバカだ。

 ちなみに俺は魔剣術科だから、剣を生成しその剣に自身の魔力を宿して使う中距離戦特化型。まあ、近距離戦もいけるが遠距離は無理だ。

 遠距離はこの頭お花畑女が所属する魔術科だろう。その名の通り、魔力を術に変えて攻撃するタイプであり、俗世間にはよく知られている。


「あ? んだよ、テメェもいんのか」


「……好きで来てるわけじゃねぇ」


 好きで来てたら単なる戦闘狂だろうが。誰が戦闘狂だ。あくまで生きて行く手段の1つで俺はここにいる。……就職先は、先程出てきた知り合いの元だ。ぜってぇこき使われることは間違いなしだが、衣食住はもらえるのでいいだろう。


「テメェは居なくても平気だぜ、何せ俺がいるからな!」

「そーかよ」


 脳筋バカに前線は任そう。俺は後方支援でもしてよ。取り逃がした雑魚の処理とかその辺やろう。てか、やりたい。楽だし。後2人……魔猟銃術科と魔獣術科の奴らが居ただろうから、そいつらを前線にでも行かせておけばいいと思う。わざわざ俺が前に出ずとも平気だろう。


 なんて考えていたら、他の奴らも来た。どうやら洞窟ダンジョンに行く準備はできているらしい。

 周りと会話しないがその膨大な知識量で洞窟ダンジョンのルートを決める魔知識科のアイレム・カルツィオルト。

 頭お花畑女が大嫌い過ぎて顔を合わせるだけで泣きだす魔猟銃術科のフィルティレ・ザリス・ネルシアン。

 いつも肩に小さなフェレットのような魔獣を乗せて胡散臭い笑顔が怪しい魔獣術科のメゼル・サンノリード。

 このメンツで洞窟ダンジョンに潜るのは初めてだ。特に経験を積んでるのは俺と笑顔が胡散臭すぎるメゼルだが。

「お前ら、大丈夫だよな! 総合成績がトップのお前達なら簡単にこなせるはずだ!」


 教師の言うことがこれか。今から俺らに死にに行けと言っているお前が言うことか。

 内心で軽く呆れながらその話を聞き、ようやく洞窟ダンジョンに向かうことになる。

 難易度H。舐めてかかれば痛い目を見るに違いないこの洞窟ダンジョンだが、俺はどこか底知れぬ不安と違和感を感じていた。

 難易度が高ければ高いほど、その奥に潜む魔物はバカみたいに強いし、手強い。

 ただ、それだけではない何かを、得体の知れない何かを感じていたからこそこの違和感が拭えない。


「どういう編成で臨む気だ?」

「カルツィオルト君!」


 脳内お花畑女が読んだのは魔知識科のアイレム。彼はあの女に呼ばれてキョトン、としていたがああ、と頭の中で構築していたであろう編成をスラスラと読み上げる。

 頭の中、マジでどーなってんだ? というくらいに各個人の癖や攻撃パターン、能力値を上手く組み合わせて作り上げた編成で、前衛は脳筋バカのランディックと笑顔の胡散臭い魔獣術科のメゼル。

 中は魔猟銃術科の泣き虫フィルティレと頭お花畑女のミリル。

 後衛は俺とカルツィオルト。この編成で臨み、調整していくらしい。

 化け物かよ、と思うほどだ。まあ、さっさと終わらせて帰れたらそれに越したことはないんだけどな……。

 この憂いは、というより俺の嫌な勘というものは当たって欲しくない時ほど当たってしまうらしく本気で嫌な予感しかしない。

 洞窟ダンジョンに踏み入れてみれば、充満するのは濃く、黒い禍々しいくらいの重い空気だ。訓練されていなければ、すぐに倒れるだろう。

 一般的に、この重苦しい空気は瘴気と呼ばれている。発生源さえ絶てばどうとにでもなるが、害はある。

 人は瘴気に当たり過ぎれば魔力が上昇しすぎ、制御が効かなくなる。そうして暴走した結果、命を落とす。

 特に、魔力量が多ければ多いほど、当てられると危険な状態になるのだ。


「じゃあ、防御魔術詠唱なんてかけるね! 『エ・セルティ・リウォラ……』」


 頭お花畑女の声が洞窟内に響く。つか、それ洞窟ダンジョンに入る前にかけるもんだろ。何で忘れてたんだよお前。とか、もはや突っ込む気にもなれず。

 黙ってその長ったらしい詠唱を聞いていた。まあ、魔術科くらいしか詠唱なんてしないが。他のところは……魔獣術科は使役魔獣を呼び出す時に名前を呼ぶくらいか。

 魔剣術科は魔力を体外に出して剣を生成するがカッコつけたい奴は「出でよ! 」とか言ってた奴がいた気がする。

 あまり興味がないから視界の端に入れていた程度だが。


「どうだ?」


「もう少し先に行けば沢山いるぞ」


 ウジャウジャと居そうだな。カルツィオルトはジッ、と奥を見据えている。コイツは瞳に強化を掛けて奥の様子を見ているそうだ。

 まあ、何とも器用な事をする。俺だったら勘で動くな、確実に。勘で動く他にすることはない。その方が楽だろ。


「うおっしゃぁぁ! とっとと潰していくぞぉ!」


 煩い奴が元気なもので。後衛は特にすることがないだろうから、大人しくしてよう。そう決めた俺だったがこの後に誰がその先のことを知っていたのか――――。


 カルツィオルトが言っていた通り、ウジャウジャと居る魔物共だったが先頭を走る脳筋バカと胡散臭い笑顔の魔獣使いにとっととやられていた。

 泣き虫銃使いと脳内お花畑女は中距離から魔物をどんどん倒していき、俺と無口な知識人は後ろからただ傍観。何つー楽な仕事だこと。

 脳筋バカが身に染み込んだ体術を駆使して魔物をぶっ飛ばし、飛んできた魔物は笑顔の胡散臭い魔獣使いが召喚した、大きな黒い獅子と茶色い豹がおこぼれと言わんばかりに食いつく。


「暇だな」

「本当は、お前を前衛にしようと思ってた」

「は?」


 いきなり何を言い出すんだコイツは。片手に剣すら生成してない俺にとんだ爆弾発言吐いてくれたな……?

 呆気に取られながら、隣の無口な知識人を見る。カルツィオルトは俺の方にチラリと視線をやって、また前を向く。


「だが、後ろで良かったようだ」


「……。」


 俺の編成は正解だった。そう言ったカルツィオルト。正解、ね。そんなこと、生きて帰れるのならばどうだっていいことに過ぎないんだけど。と、内心で思っていた、その時。


「……っ、離れろ!」


 カルツィオルトの鋭い声が響く。弾かれたように脳筋バカは下がるが、笑顔の胡散臭い魔獣使いはその場に居るだけ。……どうした?


「メゼル!」

「ご苦労様です、メゼル」


 ここは、最下層の一歩手前。順調に行き過ぎていたから、ちゃんと把握してなかったが大分瘴気が濃い。

 その中、顔には見えないが全員立っているのもやっとなくらいだった……俺と、メゼル以外は。

 なのに、メゼルはそこに平然と立っていて。呼ばれた名に顔を上げる。そこに居たのは、青白く髪は霞んだ灰色の髪の男。


「まだ出てくる時間じゃないですよ」

「おや、そうでしたか?」


 一見普通に見えるが違った。奴は、魔族だ。魔力を持つ人間よりも遥かに強く遥かに多い魔力を持っている。それが分かったのだろう、カルツィオルトの顔色は悪い。にしても……


「サンノリード君?」

「うん?」

「その人だ……」


 頭お花畑女の声が途切れる。その直後、ぐしゃりと音がした。脳筋バカが頭お花畑女を恐る恐る見て――――悲鳴を上げた。が無くなっている。あの音はあの女の頭が地に落下した音だった。


「煩い小バエ共だね」

「そうですね」


 メゼルの冷たい、感情の無い声。口元に浮かべるのは無感情な冷笑。瞬時に理解できたのは、いつだった感じたことのある死への恐怖――――。それを理解した俺はメゼルから距離を取るために飛び退いた。


「は、なななんだぁ?」

「そこの君も消してしまおうか」


 そう言われて脳筋バカにも魔族の手が向けられたが、ジュッという魔族の手が焦げた音によって阻止された。撃ったのはあの泣き虫だ。それをメゼルは気に食わなさそうに、感情の無い瞳で見ている。


「僕の、邪魔をするんだ?」

「サ、サンノリードさん! 目を覚ましてください……!」


 この中じゃ、確かに一番仲がよかったか。だが、所詮はその程度らしい。フィルティレに向けて使役している魔獣を容赦なく放つ。その瞬間、視界に入ったのは赤い飛沫。脳筋バカがいつの間にかあの魔族に突っ込んでいったらしい。バカだろ、とか思うが瀕死の状態の奴に何もできない。

 傍から見たらとても非情に見えるだろう。だが、そうなのだ。俺は非情で自分だけが生き残ればいいと思っているから。


「ランディック君!」


 カルツィオルトが叫ぶ。そして、俺を見る。俺より身長が低い奴を見下ろす形になるが仕方ない。掠れた声で、何でですか、と。脳筋バカの耳をつんざく声が響き、ゴトリと鈍い音がした。


「何で助けなかったんですか!!」

「お前が行けばよかったんじゃないのか」

「僕には人を助ける力なんて……」


 ビュッ、と頬に生暖かい何かがこびりつく。目の前で舞うは鮮血なる紅。目を見開いた状態で、微かに動いた口は「……なん、で」と。首元を裂かれたカルツィオルトは崩れ落ちて。俺の足元にじわりじわりとアカを蔓延させる。黒い靴に着く、紅。水音が耳に響く。

 フィルティレとメゼルの攻防戦はあっけなく決着がついた。メゼルの放った使役魔獣を撃つのを躊躇ったフィルティレが首を噛まれて死んだのだ。噛まれたというよりかは引きちぎられたと言った方が正しい。それは一般人が見るに堪えられない無残な姿だ。

 しかし、俺もメゼルも。この惨状と化した場所で何も思ってなかった。魔族は不思議そうに俺を見る。片手には今の一瞬で作り上げた剣。いつかの光景を思い出して、嗤う。


「君は、何者ですか」

「……質問の意味が分からないが」

「この空間に居ても平気だとは……メゼルと似ているのですか?」

「……どういう意味だ」


 何を言ってるんだ、この魔族は。訝しげに眉根を寄せればその隣に居たメゼルが口を開いた。


「僕は彼に育てて貰ったんだ」

「……。」

「僕は森に捨てられた孤児でね、彼が気まぐれでも拾ってなかったら死んでいたんだ」


 こうなるのか。哀れに思う。過去を懐かしんで話すメゼルに。本当に可哀想だ。そうならなければならなかったに。


「アシュレイ、君もじゃないのか?」

「いや、」


 全然違う。俺はだから。世界に助けられた思えとは違うんだ。今更、この身の運命は受け入れている。


「そうか、なら邪魔だね」


 容赦なく魔獣を放ってきたがに躊躇いのない俺はそれを切り捨てて切り裂く。メゼルが瞳を見開いていた。アカが伝う剣。いつぶりかの感覚に呑まれそうになる。剣を振るい、血を落として間合いを詰める。


「くっ……!」


 メゼルの懐に入る直前に放たれた黒い獣は切り捨てる。頬にアカの飛沫が飛ぶが気にしない。いつだったかはこうしてアカにまみれていることが常だった。そうしてないと、生きていく理由にならなかった。生きるために殺してきた、この手はすでに深い深い血の色に染まっている。

 メゼルの胸を一刺しした。ごふっ、と彼が吐血する。肉を裂くのは一瞬の出来事。真横に薙いで、切り裂く。常人の力じゃ無理だろう。胸を覆う胸骨と肋骨をも砕かなければならないのだから。

 異様な音がする。魔族はただ静観しているだけだった。魔力を注いで骨を砕く。最後にメぜルが呟いたのは、「死にたくない」だった。

 崩れ落ちた彼を無感情に見遣る。そして、魔族に視線を向ける。響く拍手。それは単なる余興でしかなかったらしい。


「あんたも、」

「メゼルは中々いい駒だったんですよ」

「……そうか」


 世界に捨てられた俺なんかよりも、俺なんかよりもずっとずっと幸せだっただろうに。世界が選択したのは、魔族に拾われて育てられること。


「何しに来たんだ」

「私ですか?面白いことを聞きますね」

「答えないのか」

「ならばお答えしましょう」


 魔族の男はニヤリと嗤った。所詮はそうだと思っていた。


「単なる暇つぶしです」

「暇つぶし」

「ええ、世界の強者である魔族はか弱い人間が見にくい争いをするのと殺しあいをするのがす……?」


 言葉が消える。胸に刺さった剣を見て、嗤った。俺は魔族の男を刺した。ただ、それだけのことだった。


「何をしてるんです?こんなことをしても……」

「『消えろ』」

「っ……!!」


 言霊を発する。この世界ではいくら魔族が強者であっても、意味を持った言霊には勝てない。人の発する言葉は形だけであって、言霊でない。そこに目的が、明確な、強い意味があってこそ言霊として成す。


「きさ、ま……!」

「俺はこの世界に嫌われてる存在でな」


 ならば、嫌われて縛られているのなら逆に使ってやろう。そう考えた。この世界に存在している限り、使えるモノは何だって使う。いずれは朽ちて果てていくのだから。


「さようなら」


 魔族が耳を劈くような声を上げて消えていく。いつか見た、塵となって。下ろした手に持つ剣はアカというよりも最早血に濡れすぎて黒くなっていた。

 周囲は血塗れで、誰も息をしていなかった。生き残ったのは俺だけだった。剣から落ち行く雫をそのままにする。

 剣を引きずって歩く。言霊を使った影響で身体が重い。この世界に縛られている俺は何かを使う度に反動が来る。厄介だが仕方ない。これが定められた運命なのだから。


『貴様が背負うのは永遠の業だ――――この世界の重き哀しみと、貴様がこの世界に存在するという罪を貴様の魂が朽ち行くまで背負い苦しむがいい……!』


 木霊するその言葉。手に持つ大きな黒い細身の、身長程ある片手剣を意識して身体の中に仕舞うと、すぐ横にある壁にズルズルと凭れかかった。

 定められた運命は、残酷なくらいにそれを現す。運命に逆らっている俺はどこまでもそれを見ていかなければならないのだろう。

 洞窟ダンジョン内に充満する空気のせいか、はたまたこの身に掛けられたふざけた呪いのせいか。

 居心地と気分の悪さに悪態をつきたくなった。内心で息をつきながら、暗闇を見上げた。

 後少し歩けば、外に出れる。しかし、男はそれを望んでなかった。この場で今すぐ呪いによって身を焼かれたかったが、この身に掛けられた呪いはそんなありきたりで生易しいものでなかったな、と気づく。

 気だるい身体を叱咤して、立ち上がって洞窟謂わばダンジョンの外に出た。数時間振りの新鮮な空気に身が浄化される気がしたが、それもやはり気のせいで。

 中の、どす黒く重苦しい空気を思い出してそっと瞳を伏せた。

 ――――亡き、彼らを弔うように。


 彼らが安らかに眠り、この世界のに殺されないことを内心で祈りながら、歩き出した。


 ーFINー

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