夜勤のおっさん

 今から十年前、ぼくが大学生でコンビニのバイトしていた頃、夜勤に五十代くらいのおっさんがいた。ぼくはそのおっさんと仲良くなった。

 きっかけはこういう顛末。おっさんは夜一人で仕事をするのがつらいと言って、準夜勤(九時から十二時)をしているぼくに仕事のあとにも少し残って仕事を手伝ってくれと言ってきたのだ。ぼくはほとんどいつも夜の三時くらいまでおじさんの手伝いをするようになった。コンビニの店長やマネージャーには内緒で、おじさんは手伝う代わりに千円や二千円をくれた。

 そんな調子で数か月が過ぎたとき、おっさんとぼくはそれなりに仲良くなっていて、二人で飲みに行くようにもなっていた。あるときおっさんは知り合いがやっている店に連れていくよと言い出した。ぼくは適当に返事をしてついていった。たどり着いた店はキャバクラだった。話を聞けば、昔おっさんが雀荘を経営していたときに雇っていた部下が今はここで雇われて店長をしているのだという。ぼくは初めてキャバクラに来たのでとてもどきどきした。初めに一万円を出して、これで飲めるだけ飲ましてくれって言っとけばぼったくられることはないんだぜ。俺はそうするから君もそうしなよ。おっさんがそういうので、ぼくは言われるままに一万円を出した。おっさんの昔の部下だという雇われ店長は、わざわざぼくらの席にまでやってきておっさんに挨拶をして、二万円をもって奥に下がっていった。それから二人のお姉さんが席にやってきておっさんの隣とぼくの隣に座った。

 ぼくはそのときの話題などはあんまりおぼえていない。でも普段、口下手で他人と話をしているといつも気詰まりを感じるはずのぼくが特に何とも思わず時間を過ごしたのは覚えている。お姉さんたちのトークスキルは高かった。お酒を何杯も飲まないうちに店長がやってきておっさんに言った。もう時間だと。雇われ店長はなぜかぼくの方を見て、もっと延長しませんかと聞いてきたけれどぼくらは席を立った。お姉さんたちが外まで見送りに来てくれた。帰り際、こういうところに来るのは初めてなんですか? ときかれたので、はいそうです、不慣れなものですみません、と言ったら、お姉さんはそんなこと気にする必要はないんですよと言ってふんわりと笑った。

 おっさんは飲み足りないと言い出して近場のスナックにぼくを連れて行った。スナックのドアをくぐるとおっさんは一瞬凍りついた。おっさんの視線をたどると、一番奥の席に黒服で人相の悪いお兄さんたちが座っていた。おっさんは一歩前に踏み出すと、お勤めご苦労様です、といって頭を下げた。隅のお兄さんたちは、おう、と言って片手を上げるとぼくをちらりと見てまた自分たちの話に戻ったようだった。ぼくもおっさんの真似をして一つ頭を下げた。あの人たちはヤクザで、俺の麻雀友達なんだ、とおっさんは教えてくれた。友達のようには見えなかった。

 スナックではママがぼくに気を使ってくれて、ずっと近くにいて、退屈しないように話を振ってくれた。おっさんはたまに話をしてくれたけれど、ずいぶん酔いが回っているらしく、突然歌い出したり、マスターと二人でぼくの知らない思い出話をはじめてゲラゲラ笑っていた。どうやら話を聞くに、おっさんは昔雀荘を経営していたけれど潰してしまったようだった。それで今はコンビニの夜勤なのだから人生とはよくわからないものだ。朝方の四時くらいになってぼくらはスナックを出た。そして別れた。

 ほとんどすぐ、個人的な理由からぼくはコンビニのアルバイトをやめた。そうするとおっさんとの縁もほとんど切れてしまい、一緒に飲みに行くこともなくなった。

 コンビニバイトをやめて半年くらいたった頃、突然電話がかかってきて、コートダジュールっていうのはどこの国なんだ? と聞かれた。フランスです、っていうか地中海沿いの観光地のことです、と教えると、そうか、教えてくれてありがとな、と言って電話は切れた。それからまた数か月たったとき電話がかかってきて、知り合いの子供の中学生が家庭教師を探してるんだけどよかったらやらないか、君なら間違いないから他を当たる前に聞いてみたかったんだ、と言われた。ぼくは丁重にお断りした。そのときぼくは引っ越しをしていて、おっさんのいたコンビニの周囲には全く立ち寄らなくなっていたから、家庭教師に通うのは無理だった。そうか、残念だな。ところでまた今度飲もうや、とおじさんが言った。はい、そうしましょう。それから多少話をした。どうやらおっさんもコンビニをやめたらしい。ちょっとした病気をしてしばらく働けなくなっていたというのだ。でも今は元気になった。だから飲みに行ける。それはよかったですね。なんていうふうに適当な話をして、やがて電話は切れた。

 その後おっさんから電話がかかってきたことはない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る