僕と屑

 僕の家にパソコンがやってきたのは高校一年生の初夏だった。僕はこの新しいおもちゃにすぐ魅せられ、放課後や休日はキーボードの打ち方を練習して過ごした。同時にインターネットをよくするようになり、僕はイラストの個人ホームページをよく調べるようになった。パソコンで描いたイラストを展示する個人のホームページが流行っていたのだ。当時はまだピクシブが無く、別のポータルサイトが三つほどあって、そのうちの一つにイラスト修行者の集いというサイトがあった。そこでは定期的にイラストコンクールが行われていた。そのコンクールで三回程度入選したものは殿堂入りの名誉が与えられ、もう二度とコンクールに参加できなくなるというシステムだった。殿堂入りしているイラストレイターは数名いて、みんな個人ホームページを持ち、そこでたくさんイラストを展示していた。僕はそれらのホームページを期待しながら訪れた。なにしろ当時のネット上で巧みなイラストレイターを見つけることは中々難しかった。描き手がCGソフトをまだ持て余していることがイラストから伝わってくることは頻繁にあった。でもきっと殿堂入りしている人たちのホームページなら素晴らしく巧みな絵がいくつも見つかるのではないかと思えたのだ。僕はいくつかのホームページを訪れて失望した。そして、とうとう最後のサイトを開いた。黒のバックグラウンドに青や黄色の文字をふんだんにあしらった目に辛いサイトだった。女性向けのイラストが多いです、ご注意ください、という謎の文言が前置きとして綴られていた。女性向けのイラストという言葉の意味が当時の僕にはよくわからなかった。ギャラリーと銘打たれたページからアイコンを適当にクリックして表示されたイラストを見た。僕は十秒以上イラストを眺めていた。それから我に返り、改めてイラストを眺め、他のイラストも次々と閲覧した。さっきまで覚えていた失望などもはや跡形もなく消え去っていた。代わりに、僕は奇妙な息苦しさを覚えた。一つのイラストをじっくりと見たいという気持ちと、それにもまして、このホームページに展示されているイラストの全貌を何よりもまず知りたいという気持ちの板挟みにされた。精神的にもだえながら全てのイラストをよく見た後、特に気に入ったものを再び表示してよく眺めた。あるイラストではサングラスをかけた三頭身くらいの少年がぬいぐるみだらけの部屋の中に埋もれていた。別のイラストでは地球儀の頭をしたスーツ姿の男が古めかしいパソコンの上に座り込んで考え込んでいた。また別のイラストでは肌が青く眼帯を付けた青年が謎の霊薬入りのフラスコ瓶を掲げて笑顔を浮かべていた。当時の僕はゲームやアニメに全く詳しくなかったため、それがポップンミュージックというゲームのキャラクターを描いたイラストだという事に気が付けなかったが、そのような予備知識などなくても、彼はそれらイラストに撃ちぬかれたのだった。そこにはCGソフトを持て余すぎこちなさなど微塵もなく、当然のようにデッサンが狂っておらず、ディティールは十分に凝らされていて、なによりもヴァルールが鮮やかだった。そしてキャラクターの表情が生き生きしていた。どのキャラクターも僕の視線を吸い込むような表情を浮かべていた。僕は生まれて初めて個人ホームページをブックマーク、というか、当時の言い方で言えば、お気に入りに登録した。

 イラストレイターは屑と名乗っていた。そして音ゲーというジャンルのゲームが好きらしく、ポップンミュージックというゲームに出てくるキャラクターのイラストを好んで描いているようだった。他にはない画力が何よりも彼女のイラストを際立たせていた。そう。イラストレイターは女性だった。ホームページには日記があって、彼女はそこで「私」という一人称で日々を綴っていた。まだブログが流行っていなかった頃のことで、CGIによるフリーの日記ソフトで書かれていた。どうやら彼女は学生で、学校ではアナログの絵について学んでいて、デジタルは趣味で描いているようだった。僕は屑が美大生なのだと思った。画力からしてその推測が適切だろうと思い込んだ。それからの日々、僕はインターネットをするときまず彼女のホームページを訪れ、日記やイラストの更新がないかチェックすることが習慣になった。イラストは早いときで一週間、遅くても一か月程度で新作がアップロードされた。日記の方は三日置き位に更新されていた。何の更新も無い日はすでに何度も見た既存のイラストを改めて眺めたり、過去の日記を遡って読んだりした。そして僕は屑について詳しくなり、新しく二つのことを知った。まず一つめとして、彼女は僕と同い年の十六歳だった。それを知ったとき僕はひどく驚き、その事実を伝えてくれる日記を何度も読み直した。屑は美大生ではなく美術科のある高校の一年生だったのだ。彼女が絵を描きはじめたのは中学一年生のときらしかった。三年でこれほど絵がうまくなるものなのかと僕は瞠目した。さらに僕が知ったことの二つめとして、彼女はすでにイラストで仕事をしていた。プレイバイウェブというインターネットを利用したゲームサービスのイラストレイターをしていたのだ。プレイバイウェブとは、簡単に言えばインターネット上でのごっこ遊びを提供するゲームサービスだった。ゲーム側からのシナリオの提案に対して、ユーザーが参加を表明し、自分はこのシナリオにおいてこういう目的のもとこういう動きをしますという内容を送ると、それがライターによる短編小説の形で返ってくる。希望して料金を払えばイラストもついてくるというシステムだった。イラストレイターはそういったシナリオの挿絵の他にも、プレイヤーアバターのアイコン、バストアップなどもプレイヤーに依頼されて描くことがあった。この仕事はどちらかといえば間口の広い仕事で、報酬も決して高価というわけではないらしかったが、屑は人気絵師であり、注文が殺到しているようだった。たまに会社が主催するユーザー交流イベントなどがあると、彼女はクリエイター側として参加し、イベント後には打ち上げに呼ばれ、大人たちに交じって居酒屋の懇親会に出席してちびちびジュースを飲んできたりしているようだった。そういったことが日記には綴られていた。

 僕は屑にさらなる尊敬を覚えた反面、突如として言い知れない感情を覚えた。それは劣等感であり嫉妬だった。当時の僕は、イラストのような技能を特別なギフトの産物として考えていた。血の滲むような努力と研鑽の果てに高めていくべき技術ではなく、生まれる前に一種の宝くじに当たれば備えることのできるスペシャルアビリティであり、自分とは縁のない物と考えていた。あるいはおとぎ話の中に出てくる魔法のようなものだった。仮に彼女が美大生という異世界の住人でさえあったなら嫉妬なんて微塵も覚えなかっただろう。美術系の高校だって一種の異次元だとみなせたかもしれない。しかし彼女は同い年だったのだ。そのことが僕と彼女の間に横たわるはずの亀裂を埋めてしまった。彼女を異界の神絵師としてではなく、同じ日本のどこかにいる絵の好きな女子高生として彼は想像してしまった。そういった認識は日記の親しみやすさによってさらに助長された。自分と同じだけの時を生きてきたのだが、その中でひたすらたくさん絵を描いてきて、イラストでお金をもらえる位置にまで到達した人間。僕は屑のイラストに感動させられていたし、無意識にお気に入り登録すらして毎日その動向をチェックしていた。それほどまでに心を奪われてしまった。他人にそのような価値を抱かせることのできる人間だったのだ。僕はひるがえって我が身の平凡さを思い知り、その狭量な心を嫉妬であふれかえらせ、もはや彼女を手放しで称賛することができなくなってしまった。自分の人生が間違っていたかのような気すらした。同じ生身の人間であるのにどうしてこんな差があるのだろう? 才能という漢字二文字で片づけて蓋をしようとしても、浸みだした劣等感が収まることはなかった。別の言い方をすれば僕は自分がとてつもなくくだらない三流品のように感じられた。僕はまさしく道端の石ころだった。

 だからこそ僕の習慣は変わらなかった。屑のホームページを訪れ続けた。それはもはや巡回というより礼拝であり、あるいは監視だった。また、僕は屑の日記を余すところなく全て読んだ。全ての過去記事を隅から隅まで読んだのだ。親とデパートに出かけて行ったという他愛もない日記を興味深く深読みし、好きなゲームの攻略法をつかんで嬉しいという内容の日記から彼女の深遠なる思考法を抽出しようとした。わかりやすく展示されているイラストばかりでなく、まとめられた落書きや日記の間に差し込まれるラフすらも全て保存してアーカイブした。さらに、僕は執念深くネットサーフィンをすることで屑が以前運営していた別のホームページを見つけることにも成功していた。イラストの手癖が同じだった。日記などから推察するに屑が中学生のときに使っていたホームページのようで、約一年前から更新が停止し、放棄されていた。もちろん、なぜそのホームページが放棄されたのかも僕は突き止めた。掲示板を見れば詳細は明らかだった。どうやら第三者によって彼女のイラストが盗用され、彼女はひどく怒り、掲示板を利用して諫めようとしたが、彼女の反応をおもしろがった第三者は悪口雑言によって彼女を煽り、事件は収拾がつかなくなり、怒り狂った彼女はそのページを捨てたようだった。以前の彼女のサイトの常連たちはこの第三者を無視するよう彼女に再三すすめていたが、彼女はそういった慰めを全て無視し、自分の言葉が第三者に届き得ると信じてかずっと怒鳴り続け、やがて怒りのままに行方をくらましたようだった。ところで彼女の新しいホームページでも新しい常連たちは生まれていて、それは一種の親衛隊のようなもので、書き込むコメントには彼女への忠誠心と尊敬が垣間見られた。今鑑みるに、僕にも親衛隊になる素質は十分にあったが、残念ながら僕は持ち前の臆病さを十二分に発揮していたため、掲示板や日記にコメントを記すことができず、いつまでも物陰からこっそり彼女を眺めるストーカーでしかなかった。実際、僕は屑の日記のコメント欄にカーソルを合わせたままキーボードの上で手を一時間程さまよわせたこともあったのだ。そのときは結局コメントを書き込めなかった。常連たちの醸し出す微妙な雰囲気は割って入っていきづらい、降ってわいた新参者として現れてかつての第三者を思い出させ屑に警戒されるのは嫌だ、などというもっともらしい理由をつけて僕はインターネットストーカーであり続ける自分を正当化した。そのようにして僕は尊敬と嫉妬と劣等感を絶やすことなく、屑のホームページに来る日も来る日も礼拝し、監視し続けた。

 もちろん、僕は平日の日中などは普通に高校生活を過ごしていた。初めの頃はそれなりに友達がいたが、いつからか僕は一人で過ごすようになっていった。元から自然体で他人と接することのできる人間ではなく、しいて人の顔色を窺い、機嫌を取ることで友人関係を捏造していくタイプの人間だったものの、屑の事を知ってからは他人に気に入られるために自分の時間を使うのが愚かしく思えてきていた。彼女は他人の機嫌取りではなく、純粋な努力によって価値や人間関係を得ているかのようだった。それと比べるとやはり僕は存在が卑小であるように思った。彼女が最高級品の塩であるフルードセルだとすれば、僕はスーパーで売っている味塩でしぼんでしまったナメクジだった。ナメクジである以上、当然のごとくみるみる友人が減っていった。僕は最初の頃こそ学校での孤独に不安を覚えたものの、やがて休み時間などに机でぼんやりしたり寝たふりをしたりすることに慣れると一人もさほど苦にならなくなってきた。誰も寄り付かないという現状は理不尽な不幸ではなく、僕という人間についての客観的な評価の結果なのだともわかってきた。僕は連綿と続く自己嫌悪と自己憐憫の中で、自分がどうしたいのかよくわからなかった。屑のようになりたいのか、屑と仲良くなりたいのか、屑のことを忘れたいのか。それらのうちどれなのか、どれでもないのか、あるいは全てなのか。よくわからなかった。確かなのは、彼女の絵の鮮烈さが僕をひどく感動させ、物の見方が以前と変わってしまったという事だった。僕も彼女のように何かやりたいことをやりたいと思った。しかしやりたいことなど何もなかった。当然だ。本当にやりたいことがあるのならとっくにやっている。僕がこれまでにやってきたことと言えば、他人の顔色を窺うことと先生や親に怒られて面倒なことにならない程度に勉強することだけだった。自分にも何か才能が眠っているのだろうか? しかしこの前、国語のワークにあった文章によれば、才能とは一つの方向に自らを統一できる能力のことだと書いてあった。なるほど確かに屑はイラストという方向にひたすら歩いて行っているように見えた。しかし僕はどこか一つの方向へ歩いて行ったことなどなかった。精々、たまにその場で恐る恐る足踏みする程度だった。僕は自分が骨の髄まで平凡なのだということを悟り、平凡な人がしばしば感じる典型的な思春期の悲しみに打ちひしがれた。

 そして僕は色々と考えた結果、屑の真似をはじめた。つまり、僕も絵を描きはじめたのだ。身近にあるもので絵を描けそうな文房具は罫線入りのノートとHBのシャープペンシルだけだったので、それで満足した。ネットでイラストの上達法について調べるとアマゾンでよく売れている絵画技法書などが出てきたが、絵心の欠片もない自分がそれに手を出すのはとても罪深く恐れ多いことのような気がした。よって、僕は好きな漫画である封神演義の模写を最初の一歩とすることに決めた。また、彼女を見習ってオタク文化にもっと触れてみることにした。僕はそれまでゲームやアニメをどちらかといえば時間の無駄だと思っていたが、そうした過ごし方の結果が現状だった。彼女は他人を感動させる側であり、僕は感動させられる側だった。その壁を越えたければ、違う人間になりたければ、これまでと違う事をしなければならないのではないかと思えた。高校一年生の年始にもらったお年玉で中古のプレステと中古のポップンミュージック、中古の専用コントローラーを買った。そして自分でもゲームをプレイしてみた。最初は全くうまくできない上に何が楽しいのかわからず死ぬほど苛々したが、そのうち、僕は彼女が見たのであろう景色を自分でも見ることに成功した。操作のたどたどしさがなくなるにつれ、苛々も消え、僕はゲームに没入していった。音ゲーとは流れる音楽のタイミングに合わせて決められたボタンを押していく遊びだった。思考は音楽の中に融けていき、手がリズムを刻みはじめる。メロディやベース、あるいは裏拍を刻むドラムなどが意識をどこかへ連れて行ってくれる。塩辛い水の中でむせることもあれば、涼やかな夜空を駆け上がることもあり、またあるときはねっとりとした濃密な空気の立ち込める森の中に佇むこともあった。もっともその境地に至るまで数か月の練習が必要だった。僕は高校二年生になったとき、とうとうルーミスという人の書いた人物画の絵画技法書とスケッチブックをアマゾンで注文した。大学ノート二冊分、漫画の模写を続けて少しだけイラストと呼べるかもしれないような何かを描けるようになっていて、そろそろルーミスにお伺いをたてても許されるのではないかと思えた。そういったことをしながら、もちろん屑のホームページを毎日巡回することは欠かさなかった。

 あるとき僕は屑への忠誠心から思い立って、彼女の日記の文体模写もはじめた。もとより手書きで不定期の日記をつける習慣は僕も持っていた。その日記の文体を、彼女のそれに似せようとしたのだ。そうすることで何とも言えないとてつもなく大切な何かが得られるような気がしたのだ。彼女の日記の真骨頂は屑という彼女の名前にも表れている自虐ネタだった。僕は彼女の自虐ネタを適当にいくつかリストアップし、その組成を研究した。彼女の自虐ネタは彼女の心情を隠すためのオブラートであり、よく現れるのは、仕事と学業で板挟みになり苛烈を極めるスケジュールへの辛さを戯画化するときだった。加えて、彼女はいつも「げふげふ(吐血)」というフレーズを使用していた。僕は自分の日記でも一人称を私にし、文末をですます調に揃え、自分の中に見つかるネガティブなテーマ、すなわち、孤独な日常、劣等感にさいなまれる思考、やりたいことなど何もない空虚、自らの平凡さへの辟易、こういったものを自分の日記に書き、自虐ネタでぼかした。そして忘れずに「げふげふ(吐血)」と書きつけた。こういった日記を書くことは始めのうちこそ滑稽に感じられたが、やがて板につき、魂に馴染み、前世からの習慣のようになった。そして僕は高校三年生になろうとしていた。つまり屑も高校三年生になるということだった。二人は受験生になった。変化の季節だった。

 僕は見逃していたけれど屑は次第に精神状態を悪化させていた。日記の中でげふげふと吐血する頻度は増え、自虐ネタは自爆テロのような唐突さと虚無感を呈しはじめていた。さらに実のところ、屑はホームページを畳みにかかっていた。その初手として屑のホームページで大きなアップデートが行われた。単にイラストや日記が更新されたのではなく新しいページが増えたのだ。ページのカテゴリ名は同人だった。一見してこれは彼女の活動拡大の一手に見えたが、実際は終わりの始まりだった。僕は何も気づかず、ただわけもわからず驚いて尊敬し嫉妬し劣等感を新たにしただけだった。僕は同人という言葉を初めて聞いたものだから早速調べた。するとどうやら自費で好きなテーマについての本を作って売ることらしいとわかった。同人のページで彼女が宣伝することには、これまでに書いたイラストのうち人気の高かったものや、仕事で描いたもののうち許可を取れたものをカラー刷りのイラスト集にして同人誌即売会で売るというのだった。同人誌即売会とはなんだろうと思い、僕は再び調べた。するとコミックマーケットというイベントがヒットした。略してコミケと呼ばれ、どうやら東京で開かれる大きなイベントらしい。各自が作った同人誌を持ち寄って売る。僕はいまいちその様相を想像できなかった。さらに調べると、どうやら同人誌即売会は東京だけでなく、規模の大小はあるものの、全国津々浦々で開催されているようだった。屑は大阪のイベントに売りに行くらしい。僕は山形に住んでいたのでとても買いに行くことはできなさそうだった。しかし同人のページをさらに読んでいくと、どうやら彼女は同人誌の通信販売をする気もあるようだった。僕は救われた。しかし次の瞬間ぞっとした。つまり、僕はいよいよ彼女に直接コンタクトを取らなければならないかのようだった。結局、僕はそのときに至るまでただずっと彼女を見てきただけであり、彼女とどのような形にせよコミュニケーションを取ったことはなかったのだ。こうした過去が災いして、結果からと言うと、僕はイラスト集を買うことができなかった。僕は二か月ほど悩み続け、彼女が通販用として晒したアドレス宛にメールを書いては消し書いては消しを繰り返しているうちにイラスト集が完売してしまったのだ。僕はひどく後悔した。そしてイラスト集の制作と販売で活動に一つの区切りをつけた屑はそれ以来ホームページの更新を止めた。

 僕は最初の頃それに気づかなかった。いつもの通りホームページを訪れ続け、同人のページに表示される完売という文字を見て歯噛みし、この上なく悲しいとか、げふげふ(吐血)とかといった文言を日記に書きまくりながら自分の臆病さを全力で呪い、同人誌が再版されることを心の底から願っていた。そんな僕ですら何かがおかしいと思いはじめたのは五月に入った頃だった。イラストはともかく、最低でも週に一度は更新されていた日記すらさっぱり書かれなくなったのだ。ようやく更新されたときは一か月ぶりだった。それはとても短く、そっけないものだった。高校三年生になって学校もとても忙しくなってきたこと、美大の受験を考えておりそのための準備をしなければならないこと、だから仕事からも退いてフェードアウトするつもりであるということ、そして、このホームページを閉鎖するつもりであるということ。そういったことが淡々と綴られていた。僕は驚いてあわてふためき、今度こそ日記にコメントを書き込みそうになった。しかし僕の恐るべき臆病さがまたしても僕の手を止めた。このときになってようやく、僕も屑の精神状態の悪化に気がついた。彼女の日記を読み返してみれば高校二年生の後半から屑は日記内吐血を過度に繰り返していた。一年前の日記であれば自虐ネタは平穏な日記に仕込まれた笑えるネタだった。しかしいつしか彼女の持病になり、今となっては一種の呼吸と化していた。常連はその異変に気がつき、彼女を気遣うようなコメントも残していたが、屑はそのコメントをほとんど無視して自虐をグロテスクに繰り返し続けていた。やがて常連の戸惑いや気遣いすらコメント欄からなくなっていった。そういった経緯がようやく僕の目にも明らかになった。僕は自分の目が相当な節穴であることに今更気がつき、それをひどく呪った。僕の中の尊敬と嫉妬と劣等感は三位一体を起こして屑への忠誠心をあまりにも高めていたから、他の常連のように屑から離れたり屑を見損なったりすることなど思いもよらず、彼女の為に何かできるだろうかとだけ僕は真摯に考えた。しかしあまりにも想像力が貧困で無能な僕は何も思いつけなかった。僕は下手な絵を描くことと、ポップンミュージックをプレイすることと、彼女とそっくりの文体で日記を書く事しかできなかった。どうしようもなかった。やがてある日、いつものようにお気に入りメニューから彼女のホームページを訪れたところ、いつもと違うページが表示された。それは閉鎖のお知らせだった。なお、このお知らせ画面も一か月後には消えます。これまで応援ありがとうございました。もちろん僕はそれからも毎日訪れて閉鎖のお知らせを何度も検めた。すると予告に反してたった二週間後、僕がホームページを訪れるとエラー画面が表示された。404エラー。ページは存在いたしません。僕は心臓が縮む思いをした。どうしてもきっちり確かめたくなり、彼女が借りていたらしいレンタルサーバーを自分でも借りて、HTMLの基礎を勉強し、FTPなどのフリーソフトを用意して自分でもホームページを作ってみて、その表示を確かめ、レンタルを解約して自分のページを表示してみた。すると全く同じ404エラーが表示された。現実を受け止めざるを得なかった。それから僕は毎日彼女のホームページ跡地を訪れて404エラーの画面を眺めることを日課とした。

 僕は当然ながらひどく落胆した。しかしおぼろげながら次のことが僕の微細な脳みそにもわかってきた。どうやら屑が身に宿していたものは、僕の抱えている劣等感や焦燥感よりもずっと苛烈な感情であり、彼女はそれに焼かれて灰にしまったようだった。本当に受験で忙しいだけだったのだろうか? それだけなら消す必要はなかったはずだ。前のページのように放置すればいい。でも彼女はわざわざネット上で自らを盛大な火葬に付した。彼女は何を抱えていたのだろう? 幸運にも、僕は僕のちょっとした忠誠心のおかげで彼女の内実を知ることができる。僕はそれから数か月もの間、毎日ホームページ跡地やプレイバイウェブの登録プロフィール欄をチェックしていたので、彼女が後日ほんの気まぐれに作ったブログのアドレスが後者のプロフィール欄に二日間だけのっていることに気付くことができた。そのブログもまた寿命は短かった。たった二週間だけ、彼女はブログを作って日記をつけた。一種の燠だった。ブログに書かれていたのはやり場のない愚痴と不安だった。もうそこには愛すべき緩衝材としての自虐ネタなどなく、彼女はあけすけに毒を吐いていた。美術部の月間ポスターを描く役目が自分へ永遠に押し付けられている謎(なんと彼女は美術科でありながら美術部に所属していたらしい)。大学でも絵をやりたいと言うと呆れて罵ってくる親(このままいけばバイトまみれになるだろう大学生活と、加えて取らざるを得ない奨学金が約束する将来の借金にうんざりしているらしい)。高校に入ってから上達が止まり蝸牛と化した絵の実力(僕であれば気がつきようもない些細なデッサンの狂いがどうしても抜けないことで彼女は苛立っているらしい)。段々ホームページのアクセス数が減りコメントもつかなくなり、奇妙に思って、ふと気がついた(僕は気がつかなかった)屑自身の器の小ささ(日記から演繹される彼女の矮小さ)、そして恥ずかしくなって、前々から計画していたイラスト集だけ手早くまとめてホームページを畳んだらしかった(僕はトップページでF5連打してアクセス数を水増ししなかったことを心から悔いた)。こういった彼女の真情を知って僕は改めて尊敬し、もはや一瞬、尊敬に集中するあまり堅牢な三位一体が分解されて嫉妬や劣等感を忘れたくらいだった。どうやら彼女はほとんど誰の助けも借りずにたった一人で地の底へと沈んでいったかのようだった。宿命的で局地的な重力。幻惑的で濃い自家中毒。それらは僕が抱えているものに似ていたが、しかし僕よりもずっとひどい代物に違いなかった。やがてそのブログまでも消え、以降、彼女の足取りがネットでつかめなくなったとき、僕はとても悲しんだものの、むしろ感動すら覚えていた。彼女を焼いているのは間違いなく青春の情熱だった。彼女は漫画の中の主人公みたいだったが、より正確に言えば、彼女は彼女の人生における主人公だった。自分の人生で主人公を演じている人間がこの世に本当に存在していたことに僕は感動した。僕はそれからも彼女のホームページ跡地、プレイバイウェブのプロフィール欄、ブログの跡地を頻繁に訪れ、あるいはネットの海をさまよって彼女の行方をつかもうとして無駄な時間を毎日費やした。古いホームページすら消えていることに気がついたとき、彼女の存在は夢だったのではないかと思え、僕は戯れにふとこんなことを思った。彼女は全く違う時間感覚の中を生きている平行世界の住人なのではないか? その存在と自分との関係がたまたまネットを通して収束し、彼は一方的に彼女を観測することができた。一種の観劇だったのだ。エンターテイメントだ。彼女のことは物語として消費すべきなのであって我が身にひるがえって考えるべきではない。こう考えて自分を慰めようとした僕は、自らの臆病さが再び現れていることに気がつき、鼻で笑ってくだらない正当化をかなぐり捨てた。僕は自らの内側にある空っぽの穴を見つめた。そこには空虚しかないように思えたが、しいて言えばそこには、彼女から分けてもらった小さな火がくべられているような気がした。それは尊敬と嫉妬と劣等感を合わせてできた忠誠心を燃料として燃える焦燥感だった。その炎が心臓の細胞壁をちりちりと苛んでいた。別の言い方をするとすれば、おそらく彼女はひどい病気にかかっていて僕にその病気がうつってしまったのだった。僕はため息をつき、その一息の間に自らのとてつもない卑小さを改めて認識し、そして開き直り、この侘しく粗末な火を決して消さないことを誓った。

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