悪辣君主の手記

 外から鬨の声が聞こえてくる。君たちの声だ。

 きっとこれから我が城は城下の者たちの反乱によって蹂躙され、略奪され、破壊の限りをしつくされるのだろう。そして私は殺される。きっと殺される。なぜなら君らにとって私が悪だからだ。こうなるであろうことはずっと以前から予想がついていたので家族の者たちはとっくに逃がしてある。しばらくは生活に困らぬくらいの金も持たせてある。どうか健やかに、幸せに生きてほしいと思う。君たちも探さないでくれ。私を殺すことで満足してほしい。

 私はできることならこのような顛末を避けたかったが、もはやどうしようもない。なにより、私には君ら城下の者たちの気持ちがわかるのだ。なにしろ私もかつて同様に、城下にて育ち、君主の無能に憤り、反乱を企て、君主を殺して成り代わったもののうちの一人であるのだから。当時の同輩はほとんどみな天国へ去ってしまい、残っているのは私だけだ。ところで、私たちがかつて殺した君主も、とある治世を作り上げた人々のうちの最後の生き残りだった。私たちはその生き残りを空前絶後の暗愚だと罵り、これ以上生かしておいても一片の価値すらなく、速やかに誅するべきだと考えた。そして今すぐにでも我々の手によって、もっとみなのためになる政治を行っていかなければならないと信じたものだった。その果てがこの今だ。今度は私が君たちにとって前代未聞の暗愚であり、生きている価値はないゴミであり、すぐにでも殺すべき対象なのだろう。だいぶ少なくなったもののまだ私を慕ってくれる近衛の者たちがあり、私のために城下の民を止めようとしてくれているのだが、どうにもならないだろう。せめて彼らのことは生かしてやってほしい。

 さて。本題に入ろう。

 書いておきたいことは一つの忠告だ。

 かつて私は、というより私たちは、君たちのように、伝統をくだらないものだとみなした。そして伝統の顕現である君主を愚かの極致とみなした。何事も前例に照らして物事を判断しようとするその様を、自分の頭で考える力を失った白痴だとみなしたものだった。しかし私たちは政治を執るようになってすぐに気がついたし、君たちもやがて知るだろう。私たちがよりよい生活のために取り組むべき問題はあまりにたくさんあり、あまりに複雑に絡み合っていて、建設的な解決をもたらすことはとても難しいのだと。それで結局のところ、様々な専門家やこれまでにあった事例を参考にして問題にあたらざるを得なくなる。そう。私たちもまた伝統に頼らざるを得ないのである。つまり、伝統とは道具である。それをもって未来に当たるための武器なのだ。もちろん崇めるべきものではないし(この言葉は君たちの目に意外に移るかもしれない。私は別に伝統を崇めてはいないのだ)、忌むべきものでもない。単に利用すべきものなのだ。

 だからひとえにこのような顛末を迎えてしまったのは、私が伝統ばかり見て現在や未来に目を向けなかったからではなく、伝統を用いながら、現在を踏まえて未来を切り開いていくことに失敗したからに他ならない。つまり、私は白痴ではなく無能だったのだ。変わらないと思うだろうか? いいや違いはある。言わせてもらえば、白痴は問題の所在を見極めないが、無能は見極めた問題を処することのできなかったもののことではないだろうか? 私は問題自体を見据えることはできたのだ。しかし解決できなかった。ひとえに力不足の故にだ。君たちは私が伝統にかかりきっていて今が見えていないと思うのだろうが、実際は逆で、今はしっかり見えていて(目がついていれば誰だって見える)、しかしもはやそれをどうしたらいいかわからなかっただけなのだ。おそらく私たちが殺したあの君主もそうだったのだろうと今ならわかる。

 以上のことを踏まえて私が君たちに伝えたいのは、伝統を十全に踏まえよ、ということだ。私たちがかつて疎い、君たちが壊そうとしているその伝統こそ、君たちがよりよい未来を築いていくために役立つものだ。私たちはその多くを焼き捨ててしまった。だからこそこのように窮し、どうしようもない顛末を迎えてしまった。どうか君たちはもっと賢く振舞い、私を殺せどその持ち物はよく利用し、むしろこの国のみならず他国の歴史や伝統をも広く参考にして、よりよい未来を作っていってほしいと思う。

 君たちはこれを読むだろうか? それとも読まずに破り捨てるのだろうか? ちなみに、おそらく私たちは破り捨てたのだ。私たちの殺した君主もまたこのような記録を残したと推察されるのだが、私はそれを読んだことがないので、きっと同輩の誰かが破り捨ててしまったのだろうと思う。もっとも、誰が破り捨てなくとも私が破り捨てていたと思う。このような負の連鎖が繰り返し続けるのだとすればやりきれないことこの上ない。もっともやりきれなさを歯噛みするばかりで何ら建設的な解決策を提示しえない私は単なる無能であり、ゆえに君たちに殺されることとなる。

 君たちが白痴でも無能でもないことを願う。

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