第34話カシミール1

1971年インド北部ジャムカシミール州の

カルギルという町に一人のパキスタン青年がいた。


イスラムのターバンを巻き口とあごに黒ひげをはやした

青年将校は貿易商人に化けてカシミールの

イスラム過激派の動向を探るために潜入した。

その名をガウリ・ムシャラフという。


カシミール南部の町々は緑多く山と湖に囲まれて

19世紀半ばの藩王国時代までは夏なお涼しき

インド最大の豊かな避暑地だった。


ガウリはここでイスラム商人の5人兄弟の末っ子

として1947年1月に生まれた。


何不自由なく育つかに見えたムシャラフ家に悲惨な

大激震が襲ったのはこの年の8月であった。


英領インドはインドとパキスタンとに分離独立する

ことが決定、イスラム教徒は西と東のパキスタンに

その方面に住むヒンドゥー教徒はインドへの民族

大移動が全国規模で起こったのである。


インド最大の藩王国の国王マハラジャ3世は悩みに

悩んだ。藩王国の8割はイスラム教徒である。


パキスタンに接するこのカシミール藩王国はパキスタン

に帰属することが誰の目にも順当であろうと思われた。


だがしかし一つだけ不当なるものが存在した。しかも

それは決定的に不純なものだった。それは、

藩王自身は代々ヒンドゥー教徒であるということだった。



藩王マハラジャ三世は藩王国の独立をもくろんだ。

そのためには英国に頼らず独自の軍隊を持たねばならない。

マハラジャ三世はイスラム教徒の武装解除を命じた。


ところが時すでに遅くイスラム教徒と住民の一部がパキスタン

への帰属を求めて武装蜂起し、その年の10月にパキスタン

正規軍が西部国境を越えてカシミールに侵攻した。


マハラジャ三世はあわてふためきインドへの帰属文書に

署名をしてしまう。これを受けてインド正規軍がカシミール

南部から北上する。こうして第一次印パ戦争は始まった。


ムシャラフ一家は着の身着のまま国境を越えてパキスタンの

伯父のもとへ急いだ。荷車に家財道具と祖母と乳飲み子

ガウリを積んで父母兄弟力を合わせ西の山々の峰を越え

パキスタンへと必死で逃げた。何日も何日もかけて・・・。


西へ向かうイスラム教徒、東へ向かうヒンドゥー教徒。

いたる所でいざこざが起きた。夜になると襲われた。

虐殺、暴行、略奪が繰り返され一年以上もそれは続いた。


移動人口1500万人以上、死亡者30万人以上

という当時の記録が残っている。


1949年1月国連決議で停戦が実現したカシミールは

南北に分断されパキスタンが北部のアザトカシミールを

インドが南部のジャムカシミールを支配することになった。


ガウリはパキスタンの首都イスラマバードの叔父のもとで

手厚く育てられた。成績優秀で陸軍士官学校へ志願する。

叔父はことのほか喜んだが、実のところガウリは軍人には

なりたくなかったのだ。


こよなく文学を愛し古典を愛しカシミールの大自然を愛する

青年ガウリ、わがふるさとカシミールよ!

しかし彼の幼少のころの壮絶な体験はトラウマとして

心奥深く消えることなく残っていた。


この頃中国とインドはダライラマの亡命直後で

カシミールの国境付近は極度に緊張していた。

そしてついに1962年11月中国がインド国境を突破し

中印戦争が勃発しカシミール東部を領有した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る