第26話送り火2
そして一番西の端が愛宕山登山口の鳥居の形である。
標高300mで林の中なので長い青竹の先端に
たいまつを掲げる。
その数80基。わりとよく見える鳥居の形である。
この送り火は何時のころから始まったかは不明であり
その目的も謎のままである。
平安京以前にそれらしき火祭りの記録もある。
平安時代には仏教の広がりと共に送り火は定着したようだ。
文献によれば時期は旧暦の7月15日ごろが多く
近年はとにかく8月16日のお盆の送り火として
戦前から行われてきたが、
江戸時代には5月とかにも送り火を焚いた記録がある。
不作で五山がそろわない時も、隣村から
薪や人手を借りてきて火をともし続けてきた。
当時送り火は町衆の最重要祭事であたようだ。
松ヶ崎の妙法のもとでは戦前までは松ヶ崎踊り
と言う盆踊りが踊り続けられていたそうだ。
妙と法とに分かれたのは平安時代らしい。
それ以前はおそらく太陽のような形だったようだ。
今でもそうだが薪の火の残り火でかまどに火をつければ
一年間無病息災だとか、灰を振りまけば難を逃れるとか、
老人たちは昔から言い伝えている。
とにかく宇宙から見れば最もよく見えるのが中国の
万里の長城やペルー南部のナスカの地上絵、
エジプトのピラミッドなどなのだろうが、
夜となるとなんと言っても京都五山の送り火だろう。
さて天狗岳で成功した時と同じ方位で、
レイを左大文字、鳥居がオサム、右大文字がキーツ、
松ヶ崎がケムン、船山がナセルと決めた。
銀閣寺に戻り昼食に”おめん”という山菜うどん
を食べて午後各地点に配置に着いた。
いよいよ当日実験開始。午後2時ジャスト。
レイを金閣寺岩山に下ろしてオサムは
愛宕山登山口に車を止めた。
2時きっかり東の空に手をかざしてナムストーン
を唱える。すすすーと体が浮いて天空数百メートル。
みんなの姿も近づいてきた。京都ホテル上空700mだ。
斜め45度に停止してホーバリングをする。
真下に高野川と鴨川が合流してYの字になって南へ流れる。
三日前の夜と同じコースで京都タワー、東寺の五重塔、
嵐山へと飛行する。そのまま北上して愛宕山登山口にて着地だ。
各地点はもう薪の準備であわただしい。夜でも分かりやすい地点
を再確認して慎重に行動する。一段落して早めに腹ごしらえをし
装備を再点検してたっぷり1時間みんなでナムストーンを唱えた。
午後7時、いよいよ大文字送り火空中大実験がスタートだ!
まずキーツを銀閣寺で降ろす。
もう多くの人たちが町衆とは別に
続々と山道を登っていく。
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