第12話大地震2

どこに誰が住んでいるかを一番よく知っていたのは

近所の面倒見のいいおばさんたちだった。


いかに近所づきあいが大事かを思い知らされる。

人付き合いのない独居老人には誰も気づかなかった。


暗闇の中で生きたまま焼かれ、瓦礫の下で傷つき

力尽きて死んでいった数千人の人々。


政府首脳の危機出動の遅れでかなりの人々を

救い損じたのは事実だ。


首都圏と地方とのこの反応の違いは腹立たしい。

なぜすぐに国家非常事態宣言が出されなかったのか?


芦屋の研究所員の話では、


「ものすごいゆれで水槽が壊滅、パソコン類もデータ棚も

すべて倒壊してやっと収まったかなと思ったら、

余震で実験器具も壊滅した」


と興奮冷めやらない。

建物の倒壊は免れたが裏の道路はずたずたに裂け目が見えている。

ここから神戸市内までがほぼ全滅状態なのだ。


電気ガス水道でんわがまったく通じない。

ポータブルラジオで情報を得る。


当初はとにかく自力で何とかするしかないのだ。

幸いけが人はいなかった。


重たい水のごみタンク6っ個を慎重にみんなで下ろす。

布団や毛布、おむすびや弁当類が山積みみされている。


研究所員9名は皆元気だった。この中で一人でも

生き埋めになっていたらと思うとぞっとする。


下の市街地では徹夜で皆肉親を探しているのだ、必死で。

ここまでで9時間もかかっている。


帰りもこれでは真夜中だ。43号線に出てみた。

阪神高速道路が北側にどーんと全部倒れている。


とても巨大だ。ビルの7階分くらいの城壁が

ずーっと続いているのだ。

夕闇の中で不気味に行く手をさえぎっている。


『もどれ!』

と叫んでいるような圧迫感を感じて、

オサムオサナイは元来た道で帰ることにした。


日が暮れると光がまったくなくて真っ暗だ。

夙川から宝塚へ抜けた。夜はだいぶすいてはいたが

それでも京都に着いたのは真夜中だった。


みんなからメールが届いている。

「大丈夫ですか?祈っています!」


世界中にこの大地震は伝えられ緊急援助隊や

ボランティアが国内外から続々と神戸を目指している。

まるで傷口をふさぐ白血球のように。


民間の対応は早かったが政府や自治体の対応は遅れに遅れた。

待機していた自衛隊さえすぐには出動できなかったのだ。


「オサムは無事ですが神戸の友人を救うべく毎日これから

神戸に向かいます。今朝から現地に入って今帰ってきました。


現地では数千人の人が生き埋めになっていて、火災も発生

していますが水が出ません。私の友人たちは無事でしたが

火災現場は地獄のようです。


これからは何が起こるかわからないので油断なく

ナムストーンを叫んでいこうと思っています」


年初からあわただしい幕開けだ。

それでも2月3月とかなり落ち着いてきた。

その春先の3月に今度はトルコで大地震が起きた。

日本政府は直ちにプレハブの仮設住宅を送った。


ケムンのイスタンブールは大丈夫だったが、

首都のアンカラやその近くの実家のほうは幸い

死者は出なかったが建物が半壊し数人が怪我をした。


両親とは前の日に不思議と地震に気をつけるようにと

電話したばかりだった。胸騒ぎがしたのだ。


ナムストーンに危険が迫ると胸騒ぎがするのかもしれない、

オサムオサナイはこのときそう思った。


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