君が好きだから・上 ―雪消―

「あーあ、なんか面白いことないかなあ」


 米の収穫作業がちらほら行われている田畑の上空を飛びながら、俺はため息をついた。

 都会どころか一族の本拠である熊野からも少々離れた山中にあるというだけあって、この地区はとても退屈なことが多い。せいぜい、行事の前後で一時的に人が押し寄せてくる程度。ま、それはどこでもそうだし、これでも昔と比べればずっと賑やからしいんだけどさ。


 鬼祭りが終わって観光客も減って、この商店街も一時に比べると大分静かになった。次に賑やかになるのは、紅葉で山が染まる時期だ。それまでこの地区は、地元住民たちが静かで単調な日常を送る。


 人間の世は、やっぱり人間がたくさんいるところが面白い。人間が一ヶ所に多く集まっているほど、それぞれの事情が絡みあって何かが生まれるから。あやかしたちが面白がって茶々入れたりするしな。前に一度、都会へ行ったことがあるけどあれは面白かった。

 そう思っている俺が熊野にも都会にも行かず、ここに留まっているのは――――――――


 ――――――――あ。


 商店街の上空にさしかかったところで、俺は高度を落として路地裏に飛び込んだ。窓に降り、中を覗き込む。


 ――――やっぱりいた。


 お目当ての人間を見つけ、興奮した俺は翼をはばたかせたくなった。

 本を積んだ荷車を押し、紙切れを見ながら上機嫌で通路へ消えていったのは、人間の女の子だ。賀茂かもあずさ。俺たち八咫烏やたがらすの始祖の血を引き、泉守の鬼を従えた賀茂忠憲ただのりの生まれ変わり。俺の大事な大事な女の子だ。


 やっぱり今日も可愛いなあ……。


 うん、こんなところでぽーっとしていてもつまらない。梓が目の前にいるんだ、会わなきゃ。


 ということで、俺は窓を嘴でこんこんとつつくことにした。

 何度か窓をつついていると、通路から梓が顔を出した。あ、と慌ててこっちへ駆け寄り、窓を開ける。ああ、梓が近くに来てくれた。


雪消ゆきげ、また来たの? 駄目だよ、ここへ入っ……って」


 梓が小声で叱ろうとするけど、俺は気にせず跳ねて店の中へ入った。嘴を梓の手にすり寄せる。梓は、こうして甘えられることに弱いからな。俺だけにじゃないのが悔しいけど。


「仕方ないなあ……」


 ほら、梓の顔が緩んだ。俺の頭や背中を撫で、喉を掻いてくれる。伊達に何年も前からの付き合いじゃない。こうすれば俺が気持ちよくなれることを、彼女はよくわかっているのだ。


 泉守の赤鬼が邪魔しに来たから睨みつけてやると、ため息をつかれた。梓と一緒にレジにいさせてくれるから、別にいいけどな。赤鬼は図体がでかくて厳つい顔をしている割に、温厚なのだ。奥宮の守りの要である嫁のほうが、よっぽど怖い。

 でも、その次に来やがった半端者のつかさが、レジの後ろに立てかけた箒に止まった俺を見るなり、呆れた顔をしたのにはいらっとした。


「……また来たの? そいつ」

「あはは……来ちゃったみたいです」


 椅子に座る梓はそう笑い、司の後ろからやって来た客の清算をする。その間に司は台車を隣につけ、自分も椅子に腰を下ろした。おいこら司、梓に近すぎだろ!

 怒ってやろうと思ったけど、でも梓に騒がないよう言われているからはばたくこともできない。くそ。


 けど、俺がそう思っていても、梓に俺の言いたいことがわかるはずもない。梓は八咫烏の導きの力を継いでいるけど、それだけだから。司も鬼の血が薄くて人間寄りだから、俺が自分に敵意を持っていることくらいしかわかんないみたいだし。ちょっと不便。

 客が帰っていくと梓は、本を小箱に詰めては梱包している司のほうを見た。


「それ、配送する分ですか? 手伝います」

「うん。じゃあ、そこの票に住所書いてくれる?」

「はい」


 頷き、梓は司に差し出されたペンに何気なく手を伸ばして――――


 あ。

 梓の指が、司のに触れた。梓の手が一瞬硬直し、頬が赤く染まる。ぎこちなくペンを受け取って作業を始めはしたものの、頬の色はほのかなままだ。視線が司のほうをちらちらと向く。

 ~~~~っ


「もう雪消、駄目だよ。静かにしてなきゃ」


 堪えられず、俺がとうとう翼をばたつかせると、梓が振り返って困り顔で俺を小声で注意した。すぐに作業を再開する。


 うう、梓に怒られちまった……くそう。


 ちょっとしょんぼりしていると、はあ、と呆れのため息が落ちた。なんだ司、文句があるのか。俺の言うことなんかこれっぽっちもわかんないくせに。

 司は、俺が止まっている箒を手にとると壁から机のほうへ傾けた。景色は同じまま俺の視点は変わり、箒は机に立てかけられる。――――梓に近い。


「ったく、これでいいんだろ? 雪消」


 梓の目線より少しくらい下できょろきょろしている俺を見下ろし、呆れきった顔で腰に手を当て、司が言う。なんかいらっとするな。哀れみか、哀れみのつもりか司っ。一瞬距離が近くなって梓がまた手を止めたし、全然哀れみになってないからなっ。

 司の行動の理由がわからないのか、梓は目を丸くした。


伊月いつき先輩?」

「いやこいつ、俺にやきもち妬いてるみたいだから」

「へ? まさかそんな」

「妬いてるよ。君から離れろって、さっきからすごく睨んできてるし。このままほっといたら俺、つつかれそうだよ」


 ほんとすごい懐かれようだよね君、と司は苦笑する。この野郎、わかってるんだったら、梓から離れろよ! まったく気が利かない司を、日頃の恨みを込めて俺は睨みつけた。


 そうしていると、俺はふと視線を感じた。そっち――梓を見上げてみると、梓は俺をじいと見下ろしている。そうなの? と問うような目。

 みつめられて俺が思わずたじろぐと、不意に、梓の顔が嬉しそうに笑み崩れた。

 ――――俺が一等好きな顔だ。


「うん、私も大好きだよ雪消」


 そして、俺をぎゅっと抱きしめてくれる。服の布地と梓の体温に包まれて、一瞬俺の思考が飛ぶ。

 やべえ、俺今、梓に抱きしめられてる?


「……賀茂さん、あんまりそいつを甘やかしてると、後が大変だと思うよ」


 額に指を当て、司は深刻そうに言う。おいふざけんな司、何が大変なんだ。俺がもっと強くなって大変なことになるのは、お前なんだからなっ。

 まあいい、こんな美味しい機会を逃がす手はない。俺は嘴を梓の頬にすり寄せた。


 ああ、俺にも本家の奴らみたいに、人間の男に化ける力があればいいのに。そしたら梓の仕事を助けたり梓を抱きしめたり……求愛だってできるのに。

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