限界の先

「……ホントに大丈夫なの?」


「いけるいける、大丈夫俺を信じろ」


 どの口が言うのか。ヘラヘラとした締まりのない顔、腹が立つ。


 妙な男だ。ただのノービス冒険者かと思えば、あの世界の救世主『資格者』だという。正直それが分かったときには一発魔法とっておきを放り込んでやろうかと思ったくらいだ。

 何故まだ私はこの男と一緒に行動をしているのだろう。

 魔法に興味を持っているところは評価出来るが、口の回るこの男のことだ。どこまで本心か分かったものではない。

 魔力は感じるが、大した量ではないし完全に闘士ファイターの戦闘スタイルだ。ノービスとしてはそこそこ腕は立つのかもしれないが、英雄というにはあまりに頼りない。


「でなきゃ、お前のばあさんを信じろ」


 しかも卑怯だ。人の弱点を的確に突いてくる。

 ニヤニヤ顔を続ける男を睨み返し、ふんと鼻を鳴らす。

 

 だが、それでもきっとこの男は本物の『資格者』なのだろう。

 あの随分やかましい妖精が信用している。四つ羽金目に青髪、ほぼ間違いなくエルフィニアの正統精霊。エルフィニアといえば女神から直接の加護を受けた大精霊の一族だ。

 さらに一目であの化物の正体を見抜いた。そして、私がどれだけ調べても分からなかった奴の秘密まで。

 男が書いた数字の羅列。あれは祖母が遺したメモにあった数字だ。私にはなんのことか全く理解できなかったが、彼はあっという間に独力でそこまで辿り着いた。


 そして今、彼の手には祖母が最後に遺したアイテムがある。彼が言わなければ、ずっと倉庫にしまい込んでいたであろう小さな小瓶。

 祖母の尋常ならざる才覚は、言うまでもなく私が一番知っている。それでも祖母に失敗が無かったわけではない。元々魔法というのは試行錯誤の果てにある奇跡だ。

 この薬もその無数の失敗の一つだと思っていた。完成品に至る前に祖母は力尽きたのだと思っていた。

 それでも、この男はこれこそがあの化物を殺す鍵だと言う。


「……あなた言われなくても、おばあちゃんのことはこの世の誰より信じてるわよ」


 先を見ればあの憎き魔物はいつも通りの場所で悠然とアゴを膨らませている。

 男が合図するのを見て、作戦通りの配置へと向かう。本当に、大丈夫だろうか。

 私はいつも通りの崖の上。あの化物は知能が低いのか、高所から攻撃すると全く反撃してこない。それどころかこちらに気付きもしない。

 しかしソウイチロウは祖母の薬を手に化物の正面へと向かう。作戦には、そうする必要があるという。

 私にリスクはない。死ぬとしてもあの男だけだ。

 英雄気取りの『資格者』が自滅する。私の望むところのはずだ。


 祖母の作ったそれは、特殊なポーションだ。特殊とはいっても、この世界に多く普及している種類のいわば精力剤のようなものである。

 ただ、祖母が作ったポーションは異常に効き目が薄かった。それこそ、使っても効果が全く確認できないくらいに。下手をすればただの水と何も変わらない、それでも識別すれば辛うじてポーションと認識される、それほどまでに効能の低い薬だ。

 そんな、まるでポーションとしての作用の極小値を目指したような失敗作。もしそのあまりに微小な効果を得たいのであれば、皮膚にかけるのではなく経口摂取をする必要がある。

 

 だが、男が薬を口に含む様子はない。まっすぐに前へと進み続ける。


「……っの馬鹿、何考えてるの!?」


 魔物の巨体がピクリと動く。ついに奴が気付いてしまったらしい。

 ずしりと身体の向きを変え、向かう男に相対する。そのサイズ差はあまりに絶望的だ。

 魔物の強さは大きさに比例する訳ではない。それでも、ここまで巨大な化物が弱いということは絶対に有り得ない。その巨体で押しつぶされれば、それだけで並の人間は即死だ。

 私の知る限りあの魔物の攻撃手段は3つ。


 魔物が右前足を振り上げる。ただでも巨大な身体が、更に膨らみ太陽を覆い隠す。

 そして、そのまま振り下ろす。男は全力で走りその場を離れる。

 轟音と共に大地が揺れ、土煙が辺りを覆い隠す。

 これが1つ目の攻撃、前脚による『叩きつけ』である。動きは遅く、射程も短いが、近寄ればただひたすらに大地を打ち付けてくる。

 単純な攻撃だが、それだけに原始的な恐怖が揺り起こされる。ただ手を振り下ろすだけの動きが、既に脅威なのだ。


 男は上手く初撃を回避したのか、そのまま距離を取ろうとする。だがそれは悪手だ、魔物の2つ目の攻撃を誘発する。

 巨体が視界から消える。空に高く跳んだのだ、あの巨体で。

 上空を見上げれば、小さな点が蒼天の中に見える。次第に点は大きくなり円に。そして手足の輪郭がはっきりと見え始める。

 男の居る場所を中心として急速に影が広がる。まずい、あの位置は避けられない。

 2つ目の攻撃手段、『飛び跳ね』だ。どれだけ距離があっても一瞬で詰め寄られ、着地そのものが絶望的な破壊力を持つ。

 これから起きるであろう悲惨な出来事を予想して、思わず目を閉じる。

 破滅的な音と共に大地が先程以上に大きく揺れる。しかし、その中にまるで金属同士が打ち付けられたような奇妙な音が入り混じった。

 何事かと、恐る恐る目を開く。そして愕然とする。


――体勢を崩した!? あの化物が!?


 何が起きたのか理解出来ず、慌てて食い入るように男が居た場所を見つめる。

 土煙の中から現れたのは、轢死体れきしたいではなく、手を体の前で交差させながら立っている男の姿。

 防いだというのか、あの一撃を。

 ありえない光景に言葉を失う。


 魔物はしばらく隙を晒すが、再び姿勢を戻して男に向き直る。

 そして、最悪の展開。

 3つ目の攻撃――『捕食』。


 魔物が大きく口を開き、舌がまるで真紅の長槍のごとく突き出される。

 男は避けない。それとも先の一撃の影響で避けられないのか。

 槍は鞭へと姿を変え、男の身体に巻き付く。そして引き戻し、口内へ。


 それであっけなく終わりだ。


 後には何も残らず、いつも通りこの荒野の主が悠然と座している。


 私は、その場に崩れ落ちていた。

 無謀な『資格者』が死ぬだけ。ただそれだけだ。清々するではないか。


 ぽたりと地面に雫が落ちる。


 何かと思い地面を見れば、続けてポタポタと黒いシミが生まれる。

 そこで初めて、自分が泣いていることに気付いた。

 拭っても拭っても、涙が溢れ出す。胸が苦しくなり、顔が熱くなる。


――なんで、なんで泣いてるの。

 

 あんな奴、どうなったっていいと思ってたはずなのに。

 嫌、嘘だ。もう自分だって分かっている。

 あの男を、ソウイチロウのことを私は気に入っていたのだ。

 魔法とおばあちゃんのことを認めてくれる人を。私のことを出来の悪い後継者としてではなく、一人の魔女として見てくれる人のことを。

 もっと、もっと話したいことがあった。

 もしかすると彼なら、本物の『資格者』なら何とかしてくれるのではないかと、私も信じていたのだ。


「――――サラ!! 魔法を!!!」


 名前を呼ばれて、呆然としながら声の方を見る。

 妖精ニキだ。どこに身を隠していたのか彼女は全力で声を張り上げていた。

 しかし今更私が出ていって、何になるというのか。


「……もう、無駄よ。あの化物は倒せない、あいつはもう助けられない」


「ソウイチロウが言ってたの! 俺がもし食われたら魔法を打てって!!」


 困惑する。あの男はこうなることを想定していた? でもそれでどうなるというのか。


「ソウイチロウはいつも訳分かんないこと言うけど、それが間違ってたことはない! どんな不可能に思えることでも諦めない!! 私はソウイチロウを信じる! だからお願い、魔法を使って!!」


「……私だって、諦めてなんかいないわよ!!」


 背中に結びつけていたロッドを手に取る。おばあちゃんの遺した物ではない、私が新しく作った私専用の杖。

 ドライアドの幹を削り出し、自らの魔力を練り込んである。宝珠は遺品だが、組み合わせは私の属性に合わせて配置も少し弄ってある。

 火力だけならば別の杖の方が良かっただろう。しかし、他の誰かと共闘するのであれば微細な調整の利く自作の杖の方が良いという判断だった。

 握る手に力を込めるとこれ以上無く手に馴染む。心にあった影が晴れていくような気がする。


「――――緋色の狭間に住まう獣よ。暴虐の爪牙を研ぎし魔よ。その汗血の雫を我が前に」


 練習で何万回と繰り返した言霊。だが、まるで違って聞こえる。


「淵源の魔、我に従え。天冥の法。破魔の風。氷獄の檻。夢幻の縛鎖に伏せ。我が命こそ汝が形」


 力が流れる。心地良い。子供の頃、大好きだった感覚。


「巡り巡り巡りて此処許へ。転じ転じ転じて其処許へ。紅天に舞え、瑠璃の蝶。陽光に捧げ、翡翠の鳥」


 私は唄う。自然と声が弾む。

 ああそうだ。私は魔法が、本当に好きだったんだ。


「出で現れよ、退魔の爆炎」


 証明してやる。は最強だと!!

 

「――――天火焔浄ブレイジング・テスタメント!!!」


 光の輪が生まれ、天からの光が地を穿つ。

 吹き荒れるのは魂まで灼き尽くす、極限の炎熱。

 まるで太陽が大地に落ちてきたかのような光景。

 それでも奇跡は長く続かない。やがて光は薄れて消える。


 後に残るのは、大地が蒸発して生まれた巨大な穴だけだ。

 以前はすぐにあの魔物がこの穴から跳び出してきた。今回も同じように姿を現すのではないと、身を構える。


 あれだけの大魔法の後でも私はまだ立つことが出来ていた。

 身につけた予備のマナタンクの役割を持つ指輪や腕輪は塵となって崩れ落ち、杖の宝珠にも罅が入って小さな物は砕けている。

 全身の疲労は凄まじく、肩で息をしている。手足の先がビリビリと痺れて感覚が薄い。

 それでも、まだ立てる。


 しかし、奴はいつまでたっても姿を現さない。身動きをする音もしない。


「………………たお、した?」


 信じられない。あまりにあっさり過ぎる。

 異常過ぎる生命力があの魔物の特徴だったはずだ。


 崖を降りて、慎重に穴へと近づく。

 穴の中には何も残っていない。いや、良く見れば何かアイテムらしき物が見える。あの魔物が落とした物だろうか。

 それでも、魔物の姿はどこにも無い。


「…………本当に、勝ったんだ」


 待て。あの化物を焼き尽くしてしまったとすれば、彼はどうなったのか。


「ソウイチロウッ……!!」


「おう、何だ」


 反射的に振り返る。

 ソウイチロウは、傷一つなくそこに立っていた。いや、全身が魔物の体液らしきものにまみれて無傷とは言い難いが。


「すっっっっっげえ魔法だな! ちょっと感動しちまったぜ」


 興奮した様子で彼は言う。何から言えばいいのか分からず、戸惑っていると視界の端から何かがソウイチロウに突き刺さる。


「ソーーーーーーーイチローーーーーーーーー!!!! 信じてたけどやっぱり心配したよーーーーーーーーー!!!!」


 ズガンと音を立ててぶち当たったそれは妖精ニキだ。一度身体を男の顔に擦り付けたかと思うと顔をしかめて一気に距離を取った。


「生臭い!!!!!!!」


「うるせえ、言うな。俺が一番辛いわ」


 目の前で繰り広げられる、あまりに、あんまりなやり取りに力が抜ける。


「……一緒に焼いちゃったかと思った」


 するとソウイチロウはどこから取り出したのか水晶を手の中で転がすようにして見せてくる。


「『帰還の水晶』、違う場所に転移出来るアイテムだ。微妙に使い勝手悪くてあんまり使ってなかったけどな」


 離れた地点に転移する魔道具マジックアイテム。気軽に言うが信じがたい。

 転移魔法は一応存在するがおばあちゃんですら扱いきれなかったほどの超高位魔法である。それを魔道具化するなど、人智の及ぶものではない。

 『資格者』、とことん常識外れの存在である。


 しかし一番の謎が残っている。


「あいつは、どうして死んだの?」


 以前同じ魔法でも火傷一つしなかったというのに。

 杖を変えて、少し気持ちよく魔法を発動したといっても威力が格段に上がる訳がない。一撃で殺せるはずがないのだ。


「――オーバーフロー」


「おーば……なに?」


 聞きなれない言葉に問い返す。


「あいつの体力は設定の上限値。だから、その限界を突破させてやれば世界システムが認識出来ずに数値が狂う。何て言えばいいかな……円を想像してみてくれ、一周すればまた始点に戻ってくるだろ?」


 ソウイチロウは私にも何とか分かるようにしようとしているのか、言葉を考えながら説明する。

 多分私は本当の意味でそれを理解することは出来ないだろう。それでも彼の言葉から何が起きたのか、その一端を知る。


「それで、おばあちゃんのポーションを?」


「そう、HPだ。元のHP体力がアホみたいに高いから限界まで効果を薄くする必要があったんだろうな。ほんの少しだけ、本当にちょっとだけHP体力を増やしてやればあいつは途端に虚弱体質だよ」


 悪ガキのような、子供っぽい笑みを浮かべてヒッヒッヒと笑う。とても英雄らしさは感じない。


「まあ、おかげで口の中に入って直接飲ませてやる必要があったけどな」


「……それで」


 その為にわざわざ食べられるなんて、馬鹿ではないだろうか。

 もし仮定が間違っていたら、あっさり死んでいてもおかしくない場面はいくらでもあった。


「……じゃあ、最後にもう一つだけ」


 きょとんと首をかしげるソウイチロウ。これだけは、直接確認しておかなければならない。


「何で、ポーションを使った時点で倒さなかったの? 口の中からだって、攻撃は出来たでしょう」


 痛いところを突かれたかのように、ソウイチロウは口をヘの字にして視線を逸らす。

 しばらく視線を彷徨わせて、唸ったあと、観念したように息を吐いた。


「カタキ、討ちたかったんだろ」


 やはりそうだ。

 なんとなくそうだと思っていたが、確信した。

 この男は英雄なんかではなく、ただのお人好しなのだ。


「ソウイチロウ」


 彼は間抜けそうな顔をこちらに向ける。気まずそうなのは意図を見抜かれたからか。

 年上だというのに、少しだけ可愛らしく思う。

 もっとピシッとすれば良いのに。


「本当に、ありがとう」


 私を、私達を救ってくれてありがとう。

 



 主を失った荒野を風が吹き抜ける。冷たいはずのそれが今は心地良い。

 身体が火照っているのはきっと、戦いの熱が残っているからだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る