カウントストップ

「……あんたが資格者だったとはね、まんまと騙された」


「黙ってたのは悪かった。あまり言わない方が良いと思ったんだ」


 正面に座って鋭い眼光をこちらに向けるサラに頭を下げる。悪意は無いつもりだったが、隠していたのは事実だ。

 とりあえず話を聞くだけの冷静さはあるようだが、いつこの場から去ってもおかしくない。そんな雰囲気だった。


 荒野から戻った俺たちは村の食堂のテラス席にいた。まずは体勢を立て直すため、そして逃亡の理由を説明するためだ。

 しかし村人に会ったことで俺が資格者であることが彼女にバレてしまった。いつまでも隠し通せるものではないと分かっていたが、出来ればもう少し良いタイミングで伝えたかった。

 過ぎたことを悔やんでも仕方ない。俺が彼女の敵ではないことを理解してもらうしかない。


「私が資格者に敵意を持ってたことは分かってただろうし、言い出しにくかったのは分かる。……それでも腹は立つけど」


 彼女は幼いが、理知的だ。感情よりも理性を優先する。俺に対しても一定の理解を示してくれていた。

 感謝の気持ちを込めて、もう一度頭を下げる。


「本当にすまなかった」


 彼女は一応の溜飲りゅういんを下げたのか、短く声を出して了解の意を表してくれる。いまだ目つきは険しいが。


「……それで、資格者様は何で敵前逃亡したの? 化物に怖気づいた?」


「そんな訳ないでしょ!」


 挑発的な言葉に我慢がならないといった様子でニキが噛みつかんばかりに吠えるが、俺は遮るように手を出して制する。

 怖気づいた。まあそうなのだろう、あれを見た瞬間俺は戦意を喪失した。


 バトラコス。10メートル以上はあるであろう巨大なアマガエル。そのHPは4Gギガを越えていた。見間違いであってほしかったが、何度も確認したので間違いない。

 4Gギガ、40億である。馬鹿か。

 俺の攻撃があの荒野のMobに与えるダメージは50前後だ。同じくらいのダメージが通るとしても8000万回ほど殴らなければならない。サラに手伝ってもらうにしても、彼女のDPSdamege per second――時間辺りで与えるダメージは俺の3倍程度だ。しかも魔法はそれなりに疲労も大きいらしく、長期戦には向かない。

 落下ダメージも考えたがあの巨体では多少の崖から落としても効果は期待出来ない。渓谷の『落とし穴』まで運んでも穴より大きいのでは意味がない。

 即死系スキルがあったとしても、ボスであることを考えれば通じるとは思えない。

 まさに打つ手なし。もはやあれは相手すること自体が間違っている相手だ。


「あれは倒せない」


「……なんでそこまで断言できるの? 大きいから、なんて理由だったらぶっ飛ばすわよ」


「俺は魔物を見れば体力が分かるんだ。桁違いすぎる、まともに殴り合ったら間違いなく消耗戦になってこちらがもたない」


 正直信じてもらえるかは分からなかった。下らない言い訳だと断じられても仕方ない。

 それでもこれ以上彼女に嘘を付きたくなくて、ありのままを伝える。

 それを聞いたサラは何かを思い出すように手を口元に当ててぶつぶつと呟き始めた。


「……たしか、読んだ本の中に資格者は特別な目を持つとあった。体力……生命力ということ? あの化物はそれが異常に強い? でも攻撃を重ねれば……」


 彼女の思索をしばらく見守る。しばらくすると彼女は何かに気づいたようにぱっと顔を上げた。


「あの魔物には何度も魔法を食らわせている。それでどれくらいその体力が削れていたか分からない?」


「攻撃って……その後やり返されなかったのか?」


 俺がそんなことをすればどちらかが消滅するまでの殴り合いだ。バトラコスの40億を削りきる前に俺が発狂するだろう。

 それともNPCの場合ターゲットの異常な持続がないのだろうか。


「高所を取って遠くから魔法を使えば、あいつは手出ししてこないのよ」


 なるほど、崖撃ちか。Mobの認識外から一方的に攻撃するハメ技、魔法という遠距離攻撃が存在するならば非常に有効な手段だ。

 しかし、俺は彼女に残酷な事実を伝えなければならない。


「奴の体力は満タンだったよ。全く削れていない。多分、回復したんだろう」


 ぱっと思いつく可能性は2つ。

 一つはMobが誰もターゲットしない待機状態になった際に体力が回復する可能性。つまりゲームシステムによる回復だ。

 もう一つは単純にあの蛙自体が回復スキル持ちである可能性。それだと最悪だ、ゾンビアタックで削りきることすら不可能になる。


「そん……な……」


 サラは絶望に表情を染める。喘ぐように言葉を吐き出し、机を見下ろす。

 今までの努力が無駄になったからだろうか。しかし、それにしても腑に落ちない。


「……サラ、あの魔物をそこまでして倒す必要はあるのか?」


 あの魔物が凶悪なのは分かる。近づけば間違いなく死が待っているだろう。

 しかし別に村を襲おうとする訳でもない。奴はあの人の住めない荒野にただ居るだけだ。

 こちらから近寄らなければ、少なくとも直近の危険はない。あれはもう災害のようなものとして、危険地帯は封印してしまえば良いのではないだろうか。


「……必要は、ある。あの化物は、何があっても私が殺す」


 サラは自分に言い聞かせるように言う。分からない、賢い彼女がここまでしてあの蛙にこだわる理由が。

 続けて問いかけようとすると、その前にサラは口を開いた。


「先代の守り手、私の祖母はあの魔物に殺されたの」


 こちらの背筋まで凍るような殺気。少女の小さな身体から黒い気が立ち上っているような錯覚をする。

 小さな拳は震えるほどに握りしめられ、その声は地に響くように低い。


「……敵討ちか」


「当然それもある。でも私は証明したいの、祖母の、おばあちゃんの魔法は最強だって。あんな魔物なんかに負けはしないって」


 彼女の想いの全てが分かるはずもない。それでも、その一端に触れる。

 出来ることなら、成し遂げさせてやりたい。きっとあの村長達と同じなのだ。

 失われたものが返ってくるわけではない。何かが手に入るわけでもない。それでもきっと、そうすることで初めて前に進めるのだろう。

 何とかしてやりたいと思う。だがあの不具合バグの塊を正攻法で倒すのは無理だ。


 設定ミスか、不具合なのかは分からないが、あの狂ったHPが全てを阻む。どうしてあんな子供が適当にキーボードを叩いたような数字になっているのか。

 しかし気のせいかあの数字、どこかで見覚えが気がしないでもない。4924――なんだっけ。

 全ては思い出せないが4Gギガという数が何か引っ掛かる。


「4Gギガ、数字、ゲーム内での数値……つまりデータ……」


 思考から何かを引き出すようにぶつぶつと呟く。怪訝そうにサラとニキがこちらを見ているが、もう少しで何かが掴めそうなのだ。

 そこでふと思いつき、しゃがみこんで足元の小石を拾い地面に数字を並べていく。


 2 4 8 16 32 64 128 256 512 1024


 2の階乗。現代人であればある程度見慣れた数字列だ。

 プログラムのたぐいは専門外だが、原則として0と1で構築された二進数の世界であることくらいは知っている。

 2の10乗で1024。2の16乗で65536。2の20乗で1048576。

 ガリガリとただひたすらに2を掛け続ける。狂ったように数字の羅列が地面に並び、場所がなくなっては古い数字を消して新しい数字を書く。

 サラはいつの間にかすぐ傍に立ち、食い入るようにその数字を見続けていた。


「ソウイチロウが壊れた……」


 ニキの言葉を無視して単純な計算に没頭する。

 そして2の32乗。計算を終えてピタリと手を止める。地面に並ぶ最後の数字列。


 4294967296。


 あの蛙のHPに限りなく近い。

 もし、このゲーム世界が2の32乗までの数字で管理されているとするならば。HPには0が存在することを考えれば最大値は4294967295となる。

 つまりあの蛙の体力は適当な数字ではなく、カンスト値である可能性が高い。


 考えてみればMMOでは所持金などの限界で21億という数字が使われることがちらほらある。マイナスまで考えて-21億~21億の数値で管理をしているとすればどうだ?

 門外漢の予想だが、それほど見当ハズレではない気がする。


 もしこの考えが正しければ奴はこの世界の法則において限界値の体力を保持していることになる。まともな手段で倒せるはずがない。

 攻撃力を何らかのバグで同じだけの数値にでも出来れば話は別だが、生憎そんな都合の良い方法は思いつかない。出来るなら自分の全ステータスをカンストさせるところだ。


 それでも、別の手ならばある。あとは必要な鍵が手に入るかどうか。

 持っているとすれば、彼女だ。


「――――サラ!」


 振り向くと、突然名を呼ばれた彼女は驚いた様子で身を硬くしていた。

 そんな彼女に欲しい物を伝えると、信じられないといった様子で目を見開く。


「……なんで、貴方がそれを知ってるの!?」


「あるんだな?」


「おばあちゃんが、あの化物に深手を負わされてから、最期の間際まで作ってた。でも、効果も全然ないし失敗作だと思って家にしまってあるけど……」


 それを聞いて、「マジかよ」と引きつった笑いが突いて出る。

 人は本当に驚いた時、笑ってしまうものらしい。


「おまえのばあさんは、本っ当に凄い人だな」


 今あるのは、ただ心の底からの敬服だ。

 俺はこの世界がゲームの法則に基いていると知っているからこそ、メタ的な思考でそこに辿り着くことができた。前提がそもそも違うのだ、反則カンニングと言っても良い。

 ゲーム内のNPCが自らの力で「そこ」に辿り着くというのは、世界の真理を得たということだ。それは、まさに奇跡ではないか。


 ポンとサラの頭をトンガリ帽子の上から軽く叩く。帽子が傾き、サラはキョトンとしながらそれを抑えるように頭を両手で抱えた。

 断言できる。彼女は、彼女たちは必ず報われる。


 机の上に残ったパンとスープを胃の中に流し込んで、立ち上がる。

 食事の必要ない身体だというのに、不思議と力がみなぎるような気がした。

 さあ、ボス狩りといこう。



――ん、違うか。今回は見学だ。



 見に行こう、小さな魔女のジャイアントキリングを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る