詐欺判定
ページをめくる音が部屋に響く。祖母の遺した魔法のランプが手元を照らしてくれる。僅かな魔力を込めるだけで数日休み無しで照らし続けることのできる、優れた道具だ。私にはどのようにして機能しているのか、全く理解が出来ないが。
ランプ一つ取っても祖母と私の差を思い知らされるようで歯がゆい。差があることは当たり前で、それこそ同等など思うことすらおこがましいが、それでもその差があまりにも大きすぎる。
いつかは祖母のような偉大な魔女に。祖母の背を追えば必ずなれると信じていた。今だってこうして祖母の魔導書を読み解いている。
だが、その背中は霞むばかりに遠く、まるで近づけている気がしない。知れば知る程、追いつこうとすればするほど遠く離れていく気がする。
「……『学ぶときに、余計なことを考えない』」
弱音を吐いている暇があれば、一つでも多くを学べ。これ以上ないほどに正論だ。未熟者の自分が一朝一夕で祖母の領域に立ち入ることなど叶うはずがない。
祖母が私を指導する時によく言っていた言葉を、戒めのように吐き出して目の前の文字を追う。
だが、どこかで囁く自分の声が聞こえる。
――祖母の遺した部屋で、祖母の遺した書に耽り、祖母の遺した道具を用い、祖母の遺した言葉を頼る。それでいつ『おばあちゃん』を超えられる?
違う。私は間違ったことはしていない。いつかは私は私の道を歩む。今はそれだけの力を手に入れていないだけだ。
雑念を払い、精神を尖らせ、文字を追うことに没入する。頭の中では紙面の字と、知識と、祖母の顔がぐちゃぐちゃに入り乱れ、まともに理解しているとは言い難い。
それでも、そうすることしか道がないかのように私は文字をなぞる。無限とも言える魔導の法の欠片を拾い集めていく。
ただ、ある文字が目に入ったとき手が止まった。まただ。じっとりと黒い念が湧き上がるのを感じる。
『資格者』
神に選ばれし者。世界の救済者。善性の英雄。高次の存在。
表し方は様々だが、あらゆる書で賛美される絶対的存在。魔がこの世界を滅ぼそうとしたとき女神に導かれ現れる存在、らしい。
魔王ヴェルグがこの世界に現れてから10年、人類の生存圏は狭まる一方だ。どれだけ魔王の勢力が伸びているかは情報が余りに足りないが、この一帯が滅ぶのもそう遠い未来ではないのではないか。
だというのに人々はただ日々を静観している。存在するかどうかも分からない救世主が現れることを信じて。
馬鹿らしい。危機は今目の前にあるのだ。自らの手で何とかしないでどうするというのか。
『資格者』という言葉はまるで人々を呪いのように縛っている。ありもしない希望を抱かせ、現実に抵抗することから目を逸らさせている。
これは建前だ。分かっている、そんな大義名分で憤慨できるほど私は立派ではない。
怒りの理由はただ一つ、嫉妬だ。
私は凡人だ。魔力こそ祖母から母親を介して継がれているが、その量は先の二人に大きく劣る。世の魔法使いとしてもせいぜい中の下だろう。
体力、魔力の操作、魔力を錬る速度、抗魔力、独創性どれを取っても人より優れているものはない。
物心ついてから、魔導の系譜として鍛錬は続けてきた。だが、才能ばかりは如何ともしがたい。
知識だけはそれなりに身についたとは思うが、ただそれだけだ。書物を記憶することに長けていても、それ以上の何かは引き出せない。
だからこそ羨ましい。世界を救う資格のある者が。
どんな存在かは知らない。努力が必ず報われるのだろうか。それともそれすらする必要もない強者なのだろうか。
ありもしない存在に嫉妬し、怒る。馬鹿みたいだ。村の人たちと何も変わらない。
それでも、これは意地なのだ。
世界は無理だとしても、この地は私が守りたい。代々この地の守り手としての使命を負ってきた一族の末裔として。この役目ばかりは余所者などに譲るものか。
あの化物は、私が倒す。
決意を胸に、私はまた本のページを一枚めくった。
◇
二つ目のマップは今までの平原から代わり荒野が広がっている。草木はほとんど生えておらず、日差しも厳しい。
それでも無駄に広いことは変わらず、ひたすら走り続けて2日が経っていた。だが、次第に景色の変化は見え始めていた。
「渓谷、か」
目の前に広がるのは巨大な大地の割れ目。それも複数の谷が入り混じり、大地が斑に切り裂かれていた。
恐る恐る谷の縁に近寄ってみれば、底は恐ろしく深く底が全く見えない。落ちれば問答無用で即死だろう。
「うわあ、高いねえ」
ニキは宙に浮かびながら呑気に言う。昨日までは拗ねて会話もしなかったクセに寝て起きたら怒りも忘れたらしい。人の頭上で機嫌を損ね続けられるのも居心地が悪いので助かるが。
回りを見回すと、幸いすぐに橋は見つかった。しかし同時に魔物も発見する。何だか久々だ。
【オピス】 HP165/165
蛇だ。全長1メートルはあるだろうか。また胴も非常に太く、鱗の一枚一枚が日の光を照り返している。口を大きく開き、二本の鋭い牙をこちらに見せつけるようにしている。
日本で生活していたときは動物園にでも行かない限りまず目にかかることのない大きさではあるが、間違いなく蛇だ。もう少しデザイン凝れなかったのか。ここまで蛇なら名前もスネイクとかで良かっただろう。
そんなことを考えながら、様子を伺う。オピスと表示された蛇はこちらを意識はしているものの襲い掛かってくる様子はない。
アクティブMobではないのだろうか? そう思ってジリジリと距離を詰める。10メートルあった距離は5メートルに、そして3メートルを切った時蛇は動いた。
シャッ、と甲高く響く音と共に蛇が跳躍し、弾丸のように飛びかかってくる。
反射的に横に飛び退く、当然崖とは反対側に。蛇の動きは機敏だったが、直線的すぎた。不意打ちならともかく、見えている状態で3メートルも距離があれば十分避けられる。
しかし次の瞬間、左腕に焼きごてを押し付けられたような強烈な熱さと痛みが突き刺さる。
「あぐっ!?」
思わず振り払うように手を動かすが、蛇は確実に避けたはずだ。その証拠に少し離れた場所に地面に蛇は着地し、うねりながらまたこちらへと近づこうとしている。
それでも腕に残るのは牙が突き刺さった傷跡。HPも40ほど削れている。すれ違い様に噛まれたのだろうか、完璧に避けたと思ったのだが。
再び蛇が飛びかかる、先程までと全く同じ動きだ。今度は蛇の行方までしっかりと見ながら、確実に攻撃を避ける。
そしてダメージ。さっきとは反対の腕に傷が生まれ、血が流れ落ちる。
「ソウイチロウ!?」
ニキが叫ぶが、掌を向けてこちらに来ないように制する。彼女が来ると攻撃に巻き込まれるかもしれない。
仕組みはなんとなく分かった。なるほど、よくある話だ。
攻撃は間違いなく避けた。この目で蛇の牙が空を切ったのを確認した。その上で、突然腕に深々と牙が突き刺さったような穴が空き、ダメージを受けた。
攻撃判定の問題だろう。Mobの攻撃には攻撃判定が設定され、それにプレイヤーの当たり判定が接触するとダメージが発生するというのがアクション型ゲームの仕組みだ。
蛇の噛み付きの攻撃判定は、実体よりも大きいのだろう。だから見た目では躱したように見えてもダメージが発生する。
詐欺判定、と言いたいところだが悲しいことにゲームでは割と目にする現象ではある。現実で味わうと理不尽感がすごいが。
三度飛びかかってくる蛇をガードする。金属音が響き渡り、ダメージは20程度。ガード成功だ。
地面に転がり落ち硬直する蛇に拳を叩き込む。一発は頭部に命中、二発目は胴体を狙ったが外した。
今までの魔物と違って地を這う蛇は非常に殴りにくい。踏みつけたほうがやりやすそうだ。というか蛇の当たり判定はしっかり小さいままなのか。
少しやり辛さを感じながらお互いのHPを確認する。
【オピス】 HP132/165
【筋肉ムキ太郎】 HP348/455
受けるダメージが40前後、与えるダメージは30前後。攻撃力では負けているが体力では勝っている。確実にガードしていけばまず負けないだろう。
回避失敗で面食らったが、そこまで怖い相手ではない。
すると蛇が高く飛び上がる。モーションが違う、スキル攻撃か。
距離を慎重に見計らい、ここだというタイミングの防御は成功。ジャストガードでHPは1しか減らない。
だが、数秒後違和感に気付いた。
【筋肉ムキ太郎】 HP297/455
ダメージを受けている。蛇はまだジャストガードによる硬直中にも関わらずだ。
【筋肉ムキ太郎】 HP247/455
また数秒して体力が削れる。周囲を見るが他に敵はいない。蛇が硬直から復帰し、再び飛びかかってきたのをガードし、金属音が鳴り響く。
【筋肉ムキ太郎】 HP225/455
【筋肉ムキ太郎】 HP175/455
ようやく事態を理解する。毒によるダメージだ。いや、確かに蛇型のMobなんかじゃお決まりではあるのだが。
――いくらなんでも減り早すぎだろ!!!
だが、それでも約3秒間隔で体力の1割以上が削れるというのはきつい、しかもまだ毒が解除される様子はない。
あわてて
それでも1回分のダメージしかチャラにならない。蛇は絶え間なく襲い掛かってくる。まずい、このままだと普通に噛み殺される。
そこで正攻法は諦め、裏技に切り替える。
飛びかかってきた蛇を再びガードし、地面に転がった瞬間に飛びかかり鷲掴みにする。
大蛇はかなりの重さだったが、筋力振りが幸いしたのかそこまで苦労することなく持ち上げることができた。
そして投擲。
蛇は一直線に崖に向かい、そのまま姿を消す。初めからこうしとけばよかった。
ぜぇぜぇと息を荒げながらHPの動向を見守る。
【筋肉ムキ太郎】 HP153/455
やけに見辛い毒の状態異常アイコンはまだ消えない。
【筋肉ムキ太郎】 HP103/455
ようやくアイコンが点滅を始める。はやく消えろ。
【筋肉ムキ太郎】 HP53/455
まてまてまてはやくはやくはやくおい。
【筋肉ムキ太郎】 HP3/455
あーーーーー!!! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬもう無理、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!
【筋肉ムキ太郎】 HP3/455
そこでようやくHPの減少は止まる、瀕死もいいとこである。
両腕はすでに紫の斑点に染まり、傷口からは泡立った黒い血が流れ出している。もはや麻痺して痛みはない。
全身に力が入らず、膝をつき地面に座り込む。心臓の音がやけに弱々しく、胸が苦しくなる。頭も痛い、ヘドロが食道から逆流したかのように気分が悪い。
「ソウイチロウ死んじゃだめーーーーーーーーーーーー!!」
「ニキてめえこっち来んなふざけんな!!!!!」
ニキが突っ込んできそうになるのを最後の力を振り絞って制止する。危うく体当たりでトドメを刺されるところだ。
「何よ心配したのに!!!」
ニキは逆ギレしてくるが、こちらはそれどころではない。地に突っ伏してただ回復を待つ。
DOT状態が続いたとしても、普通はHP1で止まってそれで死亡することは少ない。だがこの世界でその保護が適用されてるとは限らない。むしろ普通に死ぬ可能性が高いと俺は踏む。
「……もっと楽なのがいいなあ」
もういっそ死にたくなるような苦しみを必死に堪えながら、俺は心からの思いを吐き出した。
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