死なない敵
「ほ、本当に
村長は驚愕に目を見開き声を荒げる。
「ええまあ、といってもまた湧く……現れるかもしれませんが」
MMOにおいてモンスターは無限だ。倒しても倒してもマップの規定数を満たすように、一定間隔で
それはボスであっても同じであるはずだ。すぐにではなくても時間が経てば再び現れる可能性は高い。
つまり、あの森が安全になるということはまずあり得ない。だとすれば俺のやったことは無駄だったのだろうか。
次の瞬間、右手が強く引き上げられる。
見れば、村長が両手で俺の握手を祈るように握り込んでいた。
「資格者様……本当に、本当に、ありがとうございます……!!」
「いえ、しかし……」
礼を言われても、あの魔物はまた蘇る。同じ個体ではないかもしれないが、同じ脅威を持つ魔物は再び現れるのだ。
「分かっています。我々の暮らしが楽になる訳ではないでしょう。それでも、貴方は約束を守ってくれた。私達の恨みを果たしてくれたのです」
ニーニャは村長の服の裾を握りながら隣に立っている。その瞳は真っ直ぐにこちらを見つめている。
村長の言葉を肯定しているような、そんな顔をしている。
村長は娘の表情に後押しされるように、言葉を続けた。
「不条理なこの世界で、私達を救ってくれて、本当にありがとう。私達は前に進むことが出来る」
不条理な世界。その通りだ。プレイヤーキャラクターですら多くの制限を受ける。NPCの身である彼らはなおさらだろう。
彼らの境遇をどうにかすることなど出来ない。それでも彼らは救われたと言う。
「ムキ太郎……さま」
腹の底に響くような低い声。ニーニャだ。
「おかあさんの、カタキをうってくれて、ありがとう」
彼女はそう言って微笑む。
本当に注意深く見ていなければ分からないような、僅かな笑み。
父親も驚いたように娘を見つめる。しかしすぐに、本当に嬉しそうに笑う。そして静かに、深々と俺に頭を下げた。
俺はNPCを救えない。ただ、
使命感なんて大したものではない。ただの感情移入だ。こんな感傷的な質ではなかったはずなのに。
ああ、こんなクソゲーの世界で。こんな気持ちにさせられるなんて。
「……ソウイチロウ、泣いてる?」
「泣いてねーよ」
ちょっと、鼻がツンとしただけだ。
◇
眼下で巨躯の化物がその身を揺らす。肌は醜悪に滑り、生理的な嫌悪を
巨大に突き出した眼球は無機質に光り、ギョロリと獲物を求めて周囲を舐め回している。
今こうして日陰で休んでいる分には鈍重に見えるが、獲物を一度見つければその巨体からは想像も出来ない身軽さを見せる。
知らず知らずのうちに噛み締めていた奥歯がぎりりと鳴る。苦々しい記憶。もう、二度とあんなことは繰り返させない。『原初の魔女』ゼロ=リリットの孫、サラ=リリットの名にかけて。
褪せることを知らない憎しみを胸に滾らせ、手に持つ『
金属的な質感を持つ、紅色の杖。そこから伝わる膨大な力は、私を励ましてくれるようでもある。
……おばあちゃん、力を貸して。
大きく息を吸って、吐く。余計な意識を排除して、ただこの肉体は術式の為の装置に。
「――――緋色の狭間に住まう獣よ。暴虐の爪牙を研ぎし魔よ。その汗血の雫を我が前に」
言霊を紡ぐ。術式の起動には成功したが、あまりの魔力の圧に全身の神経に痺れるような痛みが
それでもこの身は揺らがない。意識は既に肉体の外にある。かつてない感覚に、成功を確信する。
「淵源の魔、我に従え。天冥の法。破魔の風。氷獄の檻。夢幻の縛鎖に伏せ。我が命こそ汝が形」
力が高まる。微細な血管が弾け、指先から、目から鼻から血が
「巡り巡り巡りて此処許へ。転じ転じ転じて其処許へ。紅天に舞え、瑠璃の蝶。陽光に捧げ、翡翠の鳥」
力は杖の先端に集い、光を放つ。私は空に溶け、世界と一つになる。
「出で現れよ、退魔の爆炎――――
吹き荒れる魔力の塊が一つの奇跡としてその姿を現す。
魔物の足元に巨大な光の輪が広がり、完全に巨体を包囲する。そして一瞬の間を置いて、光が
天頂から地を
永遠に続くようにも思われた光もやがて薄れ、静かに消える。まるで何事もなかったかのように、荒野に静寂が戻る。
残ったのは荒野に空いた巨大な穴。あまりの高温により蒸発した大地だ。
息を荒げ、地に崩れ落ちる。視界がぼやけている。
生きていることが奇跡だ。あまりに術者の実力を超越した魔術の行使。杖と、その身に付けた数多の装飾。もはや崩れつつあるそれらと引き換えにしても、命を失わなかったのは奇跡と言わざるを得なかった。
「…………おばあちゃん…………やったよ」
薄れ行く意識の中で、亡き祖母に呟く。やり遂げたのだ、私が生きているのもきっと祖母が守ってくれたからだ。
胸にこみ上げる喜びとも悲しみともつかない、激情に身を裂かれそうになりながら地に伏せて鈍くなった感覚で地面の冷たさを感じる。
そして、大地からの響きを肌で受け止める。
――――うそだ。
嫌だ、信じたくない。だって、だってあれは、この世界の、究極のはずなのに。
おばあちゃんの魔法なのに!!!
そんな私の思いを踏み
そして奈落まで続くかのような穴から勢い良く飛び出し姿を見せたのは、無傷の魔物。
そんな、そんな、あるはずがない。そんな訳がない。
何度も目を凝らす。血で赤く染まる視界で、きっとよく見えていないだけだ。きっと奴は黒焦げで、息も絶え絶えのはずだ。
しかし、少し戻りつつある視界に映るのはあまりに鮮やかな緑と黒に滑る魔物の表皮。
そして地を揺らしながら魔物は歩きだす。こちらには何の興味も示さず。まるで何事も無かったかのように。
助かったという安堵は無く、残るのは絶望。
反動で瀕死の身体と精神にあまりにそれは残酷で、私――サラ=リリットは呆気なく意識を手放した。
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