謎の見えない壁

 幸いと言うべきか、次のイベントはすぐに始まった。


「ソウイチロウ! 気をつけて、魔物よ!」


 ニキが叫んで指差した先には、確かに何か生き物がいた。

 姿は犬にも似ているが顔つきは鋭く凶悪で、目はギラギラと真紅の光を灯している。

 明らかに普通の動物とは違う、いかにもモンスターといった存在だ。

 動物の頭上には『ハウンド』と表示されている。この世界、基本的に頭上にそれの正体が文字で表示されるので非常にわかりやすくて良い。


「『Z』で基本攻撃、タイミングよく『Shift』を押すとガードが出来るわ! ……あれ、『ぜっと』とか『しふと』って何?」


 ニキが自分で言っておいて不思議そうな顔をするので、『資格者』だけに分かる用語だと言っておいた。

 キー一つで攻撃が出来れば楽なのだが、今の身ではそうもいかない。それでも試しに拳を突き出すと思ったよりも鋭い音がした。

 意識をしたつもりはないが、自然と重心が移動して、全身の筋肉が連動して動くのが分かる。

 もちろん格闘技など習ったことはない。これもこの世界に転生したことによる恩恵だろうか。

 あとはガードだがこれは実際やってみないとどの程度の効果か分からない。しかしガードシステムが存在しているのが分かっただけでも収穫だ。


「……装備がないのが気になるけど、とりあえず初戦闘といきますか」


 ニキが「頑張れー」と小さな拳を突き上げて応援してくれている。

 まあ戦闘チュートリアルだろうし、そんなに苦戦することはないだろう。



 すぐに後悔することになる考え。完全にフラグだった。

 この世界を甘く見すぎていた。いや、良くできた世界だと勘違いしていた。



 魔物に向かって勢い良く駆け、一撃を顔面に叩き込む。

 そんなイメージを浮かべて、実現すべく力強く地面を蹴り


「ぶがっ!!?」


 全力で『何か』に突っ込む。

 あまりの衝撃に視界が眩む。鼻がじんじんと熱くなり、ぶつけた腕と足が痺れる。

 遅れて激痛が走り、思わず涙が溢れる。






 戦闘チュートリアルで俺の前に立ちはだかったもの。

 それは魔物ではなく、『見えない壁』というこの世界における最も面倒くさいバグだった。



     ◇



(……完全に塞がってるな、なんだこの不具合バグ

 

 ぺたぺたと目の前に存在する見えない壁に触れる。

 慎重に確かめてみたが、通れるような隙間は見つからない。というかおおよそ3メートル四方が完全に見えない壁によって囲まれている。

 ニキに飛んで越えられないか聞いてみたが、彼女が飛べる限界の高さ(10メートルくらい)まで壁は続いているらしい。

 下はどうかと何とか手で地面を掘ってみたが、壁は地中にまで伸びていて少なくとも数十センチ程度では通れそうな隙間を見つけることは出来なかった。


(え、詰んだ?)


 無限の名を持つ世界だというのに、いきなりスタート地点が檻の中とか流石に笑えない。

 向こうではハウンドがこちらをじーっと見続けている。

 そんな訳はないのだが、なんだか哀れみの視線で見られているようだ。


(待て待て待て、よく考えろ。『ここ』は一応ゲームの法則に基づいてる。絶対脱出法はあるはずだ)


 操作キャラクターが移動不可になる。オンラインゲームではままある現象だ。


(いつもなら最初に試すのはリログ……だけど)


 この世界にログアウト、ログインという概念は、多分ない。ニキにも確認してみるが知らないようだ。

 GMコールも恐らく同様だろう。ならば他には。


(なら……エスケープシステム)


 キャラクターが本来侵入できないような異常な座標に入り込んでしまった際、正常な座標へとワープ出来る救済システムは多くのオンラインゲームに搭載されている。

 このゲームにもそれに近いシステムがあればあるいは。


 そこでようやく、インベントリの存在を失念していたことに気付く。

 

(うわ、ないわ……一番最初に確認してもいいくらいだろ。ネトゲ初心者じゃないんだから)


 湧き上がってくる羞恥しゅうちに顔を熱くして、ステータスウィンドウを開いたときの要領でインベントリ――所持するアイテムの一覧――ウィンドウを開く。

 残念ながら装備は見当たらなかったが、『見習いHPポーション』5個に『見習いSPポーション』3個、そして目的の物がそこには入っていた。


(よし!)


 『帰還の水晶』と表示されたそれを取り出そうと念じると、手の中にソフトボールくらいの大きさの水晶が現れる。

 淡い青い光を放つその水晶を持ち、今度は使用するように念じた。



 視界が暗く染まり、次の瞬間には先程までと少し違う景色が広がる。

 相変わらず森の中ではあるが、こちらを睨んでいたハウンドの姿はない。

 手を突き出して注意しながら慎重に辺りを徘徊するが、壁にぶつかる気配もない。

 そこでようやく安心して一息つくことができた。


 『帰還の水晶』

 記録された地点にワープすることができるアイテムだ。

 情報画面を見るにCTクールタイム――再使用までに必要な時間――は15分。

 使用前に放っていた光が消えているのでそれが使用できるかどうかのサインなのだろう。

 比較的最近のゲームであれば移動の簡略化、あるいはエスケープシステムの代用として初期インベントリに入っていることも珍しくないが、今回もそのパターンで助かった。

 デフォルトの記録地点がどこになるのかは賭けだったが、何とか壁の内側から抜け出すことに成功したようだ。

 あの見えない壁の正体は不明だが、とりあえず同じようなことがあっても水晶があれば脱出できそうだ。

 非消費型アイテムなのがありがたい、他の場面でもきっと活用できるだろう。


 そこで改めて次はどうしようかと周囲を見回して。

 一つ、あることに気付いた。


「あ、やばい。忘れてた……」


 原則、ワープアイテムは使用者のみに適用される。

 ニキを置き去りにしてきてしまった。

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