第113話 餓死

3階 出版社オフィス



理沙自ら直々にコンタクトを図ってきた…



天井に取り付けられた赤くチカチカと点滅をする物



エレナは、チラリとその防犯カメラへに視線を向けた。



錯愕、恐懼する面々



皆、耳にこびり付くボスキャラの声に



その恐怖の余韻に浸り、しばし口を閉ざすエレナと儕輩達(さいはい)



恐遽な様子で誰しもが言の葉を失い、室内は深閑に包まれていた。



突飛な交信にまだ頭の整理がつかない一同は互いに視線を送り合いながら茫然と立ち尽くしている。



眠りにつくハサウェイへエレナと純や、由美が視線を向け、頭を抱える山本に矢口が視線を向けた。



そして、溜め息混じりな深呼吸をした後、矢口が重苦しい沈黙を破った。



矢口「ハァー 今のが…噂の理沙って奴ですね…?それにしても…信じられないな…ホントに今のがゾンビなんですか?声からして…普通の人間としか思えない…」



エレナ「見た目は区別なんて出来ない 外見は私達と変わらない女よ…ただし中身は全くだけどね…」



高林「でもどうやって無線を?何でここが分かったんだろ?」



エレナ「あれよ あそこの監視カメラ あれで私達を見つけたのよ」



一同エレナの指差す防犯カメラへ振り向いた。



由美「って事は今…理沙は警備室にいるって事ですね…」



頷くエレナ



矢口「なるほど って事はそこの無線機を使って俺等に話しかけてきた訳か」



再往に頷くエレナ



純や「エレナさん 今のでエレナさんの言ってた事が本当だと証明されたね」



エレナ「証明?」



純や「理沙の狙いだよ」



エレナ「私を狙ってるって事?」



純や「あぁ 確かにエレナさんに異様に固執してるようだ それより…さっきの話し…まさかとは思うけど奴との取引 のるなんて事ないよね?」



純やを見詰めたまま口を閉ざすエレナに



すぐにNOと言わないエレナに



純や「絶対に駄目だよ 生贄なんて…俺は行かせないよ」



エレナ「でも…このままじゃ…」



純や「何が生贄だよ 馬鹿馬鹿しい…食い殺されに行くんだよ…そんな事許せる訳ないよね」



エレナ「でも…私が行かなければ…皆が…」



純や「だから私が身代わりになろうって?そうすれば皆が助かるって?エレナさん…それマジで思ってる?」



由美「純やさん…落ち着いて下さい…」



純や「取引?奴は見た目は人間だけど人の皮を被った化け物だよ…理沙は人間じゃないんだ…そんな化け物が取引なんて応じる筈がない…何故なら奴等は俺等を皆殺しにする為に現れてるんだよ…仮に身代わりになろうと俺等を生かすなんて事絶対にありえないよ」



熱くなる純やを黙って目にするエレナ



純や「俺等の為だって言うなら止めてね…生贄なんて…そんなのただの無駄死に過ぎない… 絶対に行かせない」



矢口「勿論俺も反対です そんな危険な場所へは行かせられないですね」



エレナ「でも…私がすぐに行かなければ…理沙はゾンビをここに攻め込ませる」



純や「なら… すぐに場所を変え…」



その時だ



1人の男が慌てた様子で姿を現した



山本「菅谷さん」



屋上の生存者の1人、頬がやせこけた30代前半の菅谷が皆を見渡すや



菅谷「大変だぁ… すぐに来てくれ…」



エレナ「由美ちゃん ハサウェイを見てて」



由美「分かりました」



そして、由美をその場へ残しエレナ、純や、矢口、高林、山本の5人は急いで部屋を飛び出し、生存者が隠れる製薬会社のオフィスへと入った。



中村、山本を入れ生存者は10名



室内へ入った途端、生気を欠いた、虚ろな表情の生存者達が5人の目に飛び込んで来た。



無理もない… もう1ヶ月近く何も食べていないのだから…



限界をとっくに越えている…



救出という希望で何とか活力を取り戻したのだが…退路を絶たれ、未だ血路出来ぬ状況に…



失望感に抱かれた今…室内を飢餓による死の恐怖が包み込んでいた。



明らかにガリガリにやせ細る体躯



1人の男が床へ倒れていた。



床にへたり込む菅谷



既にその場にいるスタイルと中村が心臓マッサージと人工呼吸の蘇生を行っていた。



中村「浅賀さん 死ぬな」



必死に心臓マッサージを行う中村



そして、スタイルは懸命に人工呼吸を繰り返す



山本「中村さん 浅賀さん…どうして…?」



中村「分からないです…急に倒れたようで 恐らく…餓死…」



山本「え?」



高林「餓死…?」



矢口「ばやし君 ここの人達は雨水だけで、もう…かれこれ1ヶ月近く何も食べてないんだ…」



高林「1ヶ月も?」



純や「人は飲まず食わずなら一週間、水のみなら1ヶ月、塩と水なら1ヶ月半しか生きられない…この人達は水のみで既に1ヶ月を過ぎている…もうとっくに限界に達してる」



高林「ここにいる皆…?山本さんも中村さんも?」



すると純やが



純や「うん… そうだよ こんなに動ける事 事態凄いよ 驚く程の気力だ」



懸命な蘇生術を試みるも、浅賀の息が吹き返る事は無かった。



菅谷「あさがぁぁ」



スタイル「中村さん… 止めて…もう駄目みたい…」



スタイルが息遣いを荒げ、中村も心臓マッサージの手を止めた。



中村「浅賀…こんな死に方って……」



餓死により死した浅賀の死体を見下ろす、スタイルと中村



中村の目から涙が溢れ出た。



また…1人…人が死んだ…



エレナの胸が締め付けられる…



俺等は…この人達を救う為にやってきた…なのに何も出来ず見殺しに…



助けられない己に…



エレナ同様に純やの胸も強烈に締め付けられた。



目前で人が餓死に襲われた。



そして…その餓死が



今度は… 突如として中村を襲う


堪え難い酷烈なる空腹の苦患




栄養失調、それにより引き起こされた脳の萎縮で…



此の故、意識の維持さえも困難になり、生きる気力が竭尽(けつじん)



とうとう1人の男の生命の灯火が消えてしまった。



中村「あさがぁぁぁ」



横たわり命が尽きた浅賀の死体を激しく揺する中村



浅賀の臨終した身体が虚しく揺さぶられる。



周りの生存者達は、浅賀の死に目に、大きく眼を見開くも、声を発する事さえ出来ぬ程衰弱していた。



ただ眺める事しか出来ない生存者達…



眼を瞑り顔を背けるエレナ



その横では、助けてやれなかったもどかしさと悔しさで眉を顰(ひそ)め、切歯扼腕する純やがいた。



菅谷「クソ…俺等も… こいつみたいに…こんな死に方するのかよ… ここはよ~なんだぁ~ あれかぁー遭難した船の上かぁ? 雪山かぁ?戦後かぁ? それとも…配給の途絶えたアフリカの難民キャンプかなんかなのか?飢えでくたばんのかよ…こんな死…やってらんねぇよ」



山本「菅谷さん 駄目です そんな事口にしたら 諦めたら…」



菅谷「諦めるなってか? おい山本…おまえだって 1ヶ月何も食ってないのに… なのに諦めるなってか… どうしてそんな事が言えるんだ? 気が狂いそうな程俺は腹が減ってんだよ…おまえだってそうだろ?もうじき、こいつみたいに餓死してあの世行きなんだぞ それを分かって言ってんのか?」



山本「えぇ~ 分かって言ってます 確かに空腹は否めないっす… 勿論俺だって気が遠くなるくらい腹減ってますよ 目眩がしますよ… もう かなりやばいですよ… でもね…でも…この人達は自らの危険を顧みずに…俺等を助ける為にここへやって来たんです… 今、俺等以上に必死になってる 俺等を助ける為に脱出しようと頑張ってるんです 俺等がみんな死んでしまったら…」



酸楚の室内に、山本の声に耳を傾ける生存者達



エレナは黙って山本に視線を送った。



菅谷「…」



そして山本はエレナ達を指差しながら更に言葉を並べた。



山本「それなのに俺等がみんな死んでしまったら この人達の努力や思いが全て無駄になってしまうんです この人達は、メリットやデメリットで動いてるんじゃない ただ純粋に俺等を救う為に、あのイカれた渋谷の奴等やゾンビ共と…命懸けの戦いを行ってるんです だから…死ぬなんて言葉この人達の前で口にしちゃあいけない 苦しくても俺等は生きてここを出ると!絶対に俺等は助かると!そんな強い信念と希望を持たないと… 菅谷さん…そうじゃないとみんな報われないっすよ… じゃないと駄目ですよ そんな気力を持たないと…駄目なんです…」



揺する手と肩で息をしていた中村の動きが突如停止された。



うなだれるスタイルが山本へ振り向く



スタイル「山本さん…」



それから純や、矢口、高林も…いや この場にいる誰しもがただ黙って山本へ視線向け耳を傾けていた。



菅谷「なぁ~山本 そんな事はよー…百も承知なんだよ…この人達には当然感謝もしてる…みんな…そんな事おまえに言われなくても重々分かってるし、理解してんだよ… だがな…世の中には限界ってもんがあるんだよ 希望や信念で腹は満たされねぇー」



山本「…」



菅谷「おまえのご立派な説教なんか今聞きたくない そんな言葉よりも俺等に今必要なのは食料だ もう…それくらいの極限状態まで来てんだよ…」



山本「…」



菅谷「なにかぁー なら浅賀のこの肉でも食えってかぁ?」



山本「そんな事は…」



菅谷「山本 希望を持てとか言ったけどよ… 持てばホントに俺達は助かるのかよ?そうなら…早く何とかしてくれよ…頼むから早く何か食わしてくれよ ゾンビに食われながら死ぬのも嫌だけどよぉ~ 餓死で死ぬのも御免だ」



菅谷に無言で睨みつける山本…



険悪で死臭が漂い始めた室内に



一刻を争う厳しい状況に



苦況を目にして明らかに分かる問題



エレナ、純や、矢口、高林の誰しもが思った。



このままでは餓死により全滅する…



早く何とかしなければと…



そして、菅谷が中村へ振り向き喋りかけた。



菅谷「中村さん 中村さんからも何かないんですか?屋上で俺等をまとめてたリーダー的な人の意見でも…ねぇ…中村さん…?」



菅谷「中村さん?」



菅谷が中村の肩へそっと手を触れ、掴んだ。



その時だ



菅谷「な…かむら…さん」



中村へ覗き込んだ菅谷が突然悲鳴をあげた。



菅谷「わぁぁー 死んでるぞー」



エレナ「え?」



菅谷が驚駭して咄嗟に手を離すや中村の身体は抵抗無く床へと倒れ込んだ。



腰を抜かす菅谷に



床へ倒れた中村に近寄る、エレナ、純や、矢口、スタイル、高林



覗き込む5人の眼に映るは…



白眼を剥いて、息絶える中村の姿だった。



絶句する5人



張り詰めていた気力の糸が切れたのか…?



突如、死に神に生を奪われたかの様に中村が死亡していた。



生気を欠いた生存者達はこれを見て流石に動揺、掠れる悲鳴をあげた。



皆を叱咤激励したばかりの場面で新たな死人が出て、山本の表情が青ざめた。



そして…これから…



人間関係などなき…



あの非情なまでの現象が起こる…



横たわる浅賀の指がゆっくり動き始めた。

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