第102話 警官

ドアが全開に開かれ、玲奈の父親が2人の前に現れた。



口元は血に染まり、粘っこい唾液が血を含んで糸の様に口から垂れ落ちている。



また左目だけ異様に見開き、眼球が不自然に動いている。



「たバこ税ぇーを…2万円上げる事… あー母さん…中々美味な液体を…台所のシンクはどうユーなんだぁ?昼遅くしんくがthinkで20円までピーーがピーーで…あの男と…やりまくりで朝帰りとはけしからんなぁ 母さん…」



ブツブツと支離滅裂な言動を吐いている玲奈の父親



道と玲奈の身体はその場で凍りついた。



玲奈の父親どころかこれは本当に人間なのか…?



瞳孔の開いた異常な目…



キチガイ…?異常者…?ヤク中?



いや…そんなレベルじゃない



これはもう人の顔とは言え無い…



それ程までに身の毛もよだつ恐ろしい面相…



化け物…? 



道の全身に鳥肌がたち、足は震動した。



玲奈「お…とう…さん」



道の腕を掴む玲奈の手から強まる震えが伝わり恐怖が2人を包んだ



窓際に追い詰められた2人が変貌した父親へ凝視していると



玲奈の父親がブツクサと意味不明な言葉を呟きながら、部屋へと足を踏み入れてきた。



その時だ



ピンポーン



一鳴のチャイムが鳴らされた。



トン トン



「すいませーん 警察です 先程通報受けて来ましたぁー あのー 開けて貰えますかぁー」



道、玲奈の耳に届く警察官の声



道がチラッと外を見るや、パトカーが家の前に停車していた。



よし 来た… 警察だ…



トントン



助かった…



「早くここを開けて下さいー 緊急の通報を受けてますので、入りますよー」



玲奈の父親が警官の声に過剰なまでの反応を示し、足を止めるや、首を振り向かせた。



ガチャ 玄関の扉が開かれると共に、2つの靴音が響く。



警官「警察ですー 誰もいらっしゃいませんかー? いらっしゃいますよねー 直ちに中を調べさせて貰いますんでー お邪魔しますよー」



警官2「気をつけろ 犯人が潜伏してる可能性がある」



2人の警官が玄関をあがり中へと入って来た。



1階から聞こえてくる警官の話し声に玲奈の父親は完全に2人へ背を向け、そのまま外に出るや、階段を降りていった。



父親が消えた途端道は震える足で咄嗟に部屋の扉を閉め、そのまま下から聞こえて来る声にドア越しから耳を澄ました。



道同様、玲奈もドアに耳をつける。



頼むぞ警察…



下へ向かったそれを何とかしてくれ…



道は耳を傾けながらそう願った。



警官「おい これ見ろ 凄い血だぞ」



警官2「倒れる 大丈夫ですか?しっかりしてください… なぁこの大量の出血…喉からだ…既に脈が無いぞ……死んでる これ死んでるぞ 女性の死体だ」



玲奈は両手で口を抑えながら「お母さん…」



警官「殺人か…?どうする?すぐに応援呼ぶかぁ?」



警官2「呼ぶにきまってるだろ」



ト ト ト



警官「これ…通報の内容と全然違うじゃないか…すぐに殺人事…あ!あなた… そこで止まって下さい」



階段を下ってきた父親…



ト ト ト ト ト



「たばこ税20円あがる事…どうシンクで母さんのyouなんだぁ?」



警官2「あなたが通報し… あ!動かないで、そこで止まってください」



警官「止まって下さい 命令です あ 動くな 直ちに止まりなさい!」



「夕方遅くまで…ガァァァ」



ドタドタドタ  バサッ



警官「わあああぁぁ……」



ガタガコォ ガシャー



警官「ぐぁぁぁぁぁ」



警官2「田中ぁぁ クッソー何してるおまえ!? 離れろぉー」



バタ パリン ガラガシャーガシャーン



警官2「おぃー田中ぁ大丈夫か?おい おぃ 田中ぁぁ 田中ぁぁぁぁ」



「ガァガァアア」



ドタドタドタ



警官2「よくも…」



ドン ドカァ ガタァ ガンガン バン 



警官2「らぁぁー」



バキィ  ガシャーン カランカラン



「うぅぅぅー夜遅くまであの男と…」



警官2「なんなんだよおまえは?近寄るなぁー」



ガッ ドン ドドドー 



ドンドン



警官2「近寄るなぁー こっちへ来るなぁ 来るなぁぁ ぐぅ!」



バタン ガン ガタッ



警官2「ぐわぁ…クソ、噛みや…わぁぁーいてぇーやめろぉぉテメエ!がぁぁ イテテテテテ ぎゃゃゃやぁぁ」



玲奈「え?嘘…道くん…これってまさか…」



1階から聞こえてくる警官の絶叫…



そして警官の悲鳴も声もプツリと止み、ブツブツと声音と足音のみが再び階段を上がって来た。



この悲鳴からして…駆け付けた警察官2名が玲奈の父親によって殺された…



警察官が殺された以上…もう助けは誰も来ない…



もう…残された選択肢は…



逃げるしか無い



道は震える足を懸命に動かし、玲奈の手を握るや窓際へと移動した。



そして窓を開けながら



道「またおまえの親父が上がって来る ここから逃げるぞ」



玲奈「うん… 道くん… でも私…靴が無い」



道「靴?そんなのいい…後で好きなだけ買ってやるから…いいから早くあの屋根に飛び移るんだ」



頷くとベランダの手すりを跨がる玲奈



玲奈「私は一度もやった事無いんだから…本当にこれ飛ぶの?怖いよ道くん…」



道「大丈夫 玲奈なら全然余裕だから 1、2の、3でジャンプだ いいね?」



玲奈「うん…分かった」



道「行くよ! 1……2~ のジャンプ」



玲奈が物置の屋根へと飛び移った。



道も玲奈に続き飛び移ろうと手すりを跨ぐや、その瞬間部屋のドアが勢い良く開かれた。



跨がるハサウェイが振り返り、視線を向けると…



警棒が握られたままの、警官のだろう腕をくわえる玲奈の父親が目に映った。



顔、衣服は大量の鮮血で染め上げられている。



人の腕をくわえた人の姿に顔面が蒼白する道



父親は切断された警官の腕を右手で掴むと、親指付近へガブリと噛みつき、そのまま指を咬みちぎった。



ムシャムシャと咀嚼し噛み砕かれる骨の音がハサウェイの耳を突く



狂ってやがる…



ほんの数秒間双方の視線が合致した。



また指に噛みつき、引きちぎり、肉をほおばる食人鬼



それを特等席で見せられている道へ



玲奈「道くん 早く 来て」



道が玲奈のその声に振り向いた時だ



「があああぃぁぁあああ」



猛獣の様な奇声じみた声をあげ、玲奈の父親が突如襲いかかってきた。



玲奈「キァァー お父さん やめてぇー」



手すりに跨がる道の無抵抗な両肩が父親に掴まれ、引きずり込まれるや、部屋へと放られた。



これまた無抵抗に投げ飛ばされた道は尻部を打ちつけた。



そして仰向けに倒れた道に父親が飛びかかってきた。



玲奈「いやぁー 道くーん お父さん お願いだからやめてぇぇ~」



四つん這いになって襲いかかる父親の背中に叫ぶ玲奈



玲奈は物置の屋根からその光景を目にしテンパった…



やだぁやだぁ… どうしよう…



「おまえがおまえがおまえがおまえが20円をどうユーする」



顔面に噛みつこうと接近する父親の喉へ両手に掴むつっかえ棒を押し当て、必死な形相で抵抗する道



ガチガチと歯を当て、父親の顔が徐々に近づいてくる。



押さえるつっかえ棒も弓なりに曲がり始め、そろそろ折れそうだ



道「ん…ぐぅ…くぅ」



血管が切れそうな程に踏ん張るも



やばい… 限界だ…持ちこたえられそうにない…



殺される…



道に死がよぎった。



俺は…俺は今まで…



死を感じた事なんて一度も無かった…



小学校の時にプールで溺れかけた事くらいか…



まぁ その程度で今まで生きてきて生命の危機なんて直面した事は無かった…



一切味わった事ない



身の危険さえも感じた記憶も無し…



学生時代、他校の生徒と揉めた事もなければ、街で絡まれた記憶も、カツアゲに遭った記憶さえも俺には無い…



まぁ…ホントに強いて言うなら中学3年の時、同級生とちょっと口論になって、お互いエキサイトしちゃって胸倉の掴み合いになったぐらいかな…



こんなの友達との些細な小競り合いだ…



今まで…これ以上のトラブルを起こした事も無い…



そういったたぐいの履歴は白紙の様に綺麗なもんだ



そう… トラブルが無いって事は揉め事や喧嘩も発生せず、傷つけ傷つけられる事が起こらない…



なので命を脅かす出来事は当然起きない



こうして俺は今まで…生命の危険とは程遠いい順風な道を歩んできた。



勿論事故も無い…天災の被害を被った事も無い…厄年の災いさえも…悪い病気になった事も、骨折した事も一度も無い…



怪我だって部活の練習中に肘を痛めた事くらいでこれ以上の負傷を負った事も無い…



とにかく死の直面とは、かけ離れた平和で安全で真っ当な生きる活動をおこなってきた…



そんな恵まれた環境で俺は今まで生きて来た。



だが… 今… 俺は人生で初めて死に直面している…



色んなものを飛び越え、一瞬にして死へと直結するこの局面に…



そんな生命を脅かす出来事に今現在遭遇している…



道の目に、狂人のドアップな顔が映された。



このまま俺は殺されるのか…?



喉を噛みちぎられ、腕を噛みちぎられ、玲奈のおやじに食われながら死ぬのか…?



冗談じゃない…



心臓の鼓動が感じられる程の



吐く息の温かさが皮膚で感じ取れる程の近距離まで迫る狂人の顔



まさに頬をかじり取ろうとしている状況



道は冷酷と憔悴と狂気が混同した狂人の瞳を目にしながら思った。



玲奈の母親、駆けつけた2人の警察官みたいに俺もここで食い殺されるのか…?



腕を食いちぎられ、苦しみながら死ぬのか…



マジで殺害されるのか?



死… 嫌だ… まだ仏になんかなりたくない…



こんな死に方…



まだ死にたくない



まだ… 嫌だ… 嫌だ



まだ…俺はまだ…いや…絶対…やっぱり絶対死にたくない

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