第五章

01:結婚&出産報告

 7月下旬――

 夏休み前の最後の関門である、期末テストが間近に迫る。そんな、イヤ~な季節だ。

 俺は、バスと徒歩、いつも通りの経路で学校にやってきた。

 「おはよーっす」

 「……お、夏樹か。おはよう!」

 と、クソ暑いのに爽やかな挨拶を返してくれたのは、今年も相変わらずクラス委員をやっている恭介だった。

 ちょっと、その元気の秘訣を教えて欲しくなる。

 「お前、いつも元気だなー。暑くないの?」

 「暑くたって、そう簡単にバテたりしないさ。そこまでヤワじゃない」

 「へぇ……そうなのか?」

 恭介は得意そうに胸を張っている。そこまで自信があるのか。

 「あぁ。下着の下に、冷却シートを貼りまくってるからな。外は暑くても、中は涼しいままなんだ」

 「……おい! 感心して損したじゃねーか!」

 「はははっ! でも、まぁ……去年のお前みたいに、あんな分厚い全身装甲を着てたら、さすがに耐えられないと思うけどな。もう、あれは止めたんだったっけ? 冬はまだしも、夏はそのほうがいいよ、やっぱり。……あれ? そこの――」

 俺の後ろで、教室のドアから入ってくる女性徒がいた。それを見て、恭介はあっと声をあげる。

 「おはよう」

 赤ちゃんを胸のところに抱っこしながら、にっこり微笑む夏服の女子――真子が、そこにはいた。

 

 クラスの生徒がすっかり登校し、一時限目が終わる。すると、さっそく真子の席、つまり俺の隣の席には、クラスメイトたちが殺到した。 

 なんと言っても、彼女が学校にやってきたのはすごく久しぶりだった。たくさん質問が投げかけられては、真子が、時には俺が答えていく。

 「でもさー、真子さんって。なんか……こう、前より可愛くなってない? 何か、表情豊かになってるっていうか。2年のときは、わりと、すごくクールな感じだったけど」

 「えっ?! ……そ、そんなことは」

 と、真子はやや伏し目がちに言った。確かに……去年の真子のままだったら、ここは「いいえ」とか、冷たい一言で切って捨ててる場面だよな。

 照れながらも、少しはにかんでいる真子は、みんなにとっては珍しかったのかもしれない。

 「ねぇねぇっ、その赤ちゃんって去年も背負ってた子?」

 「いえ、この子は新しい子。何ヶ月か前に生まれたの。愛海(まなみ)って名前。もうすぐ学校終わっちゃうけど、定期テストだけは受けようと思って、来たの」

 「そうなんだー。ってことは、こんどは、榎(えのき)さんの弟じゃなくて妹なのね!」

 「え、ええっと……」

 真子は、ちょっと苦笑いしながら、俺のほうに目くばせした。ここは……俺が言ったほうがいいのかな。俺も恥ずかしいけど……。

 「いや、愛海は俺らの妹じゃないんだ。俺らの、こっ……子ども、ていうか……娘、なんだよね」

 「娘」と言った瞬間、みんなは彫像のように固まった。

 嵐の前の静けさってやつか? うぅ、みんなの反応が怖いっ。

 「あ、あと、真子は苗字変わってるから。『榎』じゃなくて……そ、そのっ……まぁ、なんだ……俺と同じで『人見』だから。今は、『人見真子』。俺ら、けっ……けけけけ結婚したから」

 「結婚」という言葉で、みんなの硬直は解除されたようだ。

 ぶわっ! と突風のような歓声が広まる。半分面白がった冷やかしとか、率直な祝福とか、細かいところの質問とか、そんなものが次々浴びせられる。

 まあ、こうなるよね、当然。知ってた。

 「ねえねえねえねえ! どっちがプロポーズしたの?」

 「……な、夏樹、のほうから。私がされて」

 キャーッ! という黄色い奇声があがる。おいやめろ。クラス中どころか、廊下の他クラスの連中まで覗きに来てるじゃねーか。

 「ねえねえねえ、教えて教えてっ! いつ? どこで? どんな風にしたの?!」

 「えっと、去年の6月……よね?」

 真子は、愛海をあやすふりをして真っ赤になった顔を隠しつつ、俺に尋ねた。聞かれるまでもない。

 「あ、あぁ……。まぁ、色々あったんだけど……ちょっと、二人で家出? したときに、まあ、言ったというか……っ!」

 は、恥ずかしい……。誇らしい気持ちもあるはあるんだけど。

 二人そろって――というか、夫婦そろってうつむき加減な俺たちを、スマホでパシャパシャやりはじめたやつがいる。

 「おいそこっ、調子に乗って写真とか撮るなっ! ……ええっと、なんだっけ。ただ、籍入れたのはついこないだで。そん時は、ちゃんと指輪渡したんだけどな」

 約半年分のバイト代がそれに消えたが、俺はとくに後悔していなかった。

 「じゃあじゃあ~っ。夏樹くんは、真子さんのどこが好きでプロったの?」

 「そ、そこまで聞くのか……っ!」

 もはや、羞恥プレイを通り越して、公開処刑に等しい。

 「いいじゃん、存分ノロ気ちゃいなよーぅ!」

 すると真子が、チラッチラッと俺のほうをさかんに見る。止めてくれそうな気配……は、ちっともないな。むしろ、なんだかちょっと期待しているように顔がゆるんでいた。

 あぁっ!

 もう、しょうがねえなあ!

 「……い、一見、真子ってクールな感じじゃん? 俺も、最初そう思ったけど……でも一緒に住んでたら、けっこう親切でさ。何回も、いろいろ助けてもらったし。単に……ちょっと、感情表現? が苦手なだけなんだなって、分かって」

 周囲の生徒(主に女)も、真子も、俺が一言一句進めるたびにニヤニヤ度を増していく。クスクスクスクス、という忍び笑いも聞こえた。あぁ、授業開始の鐘よ、早く鳴ってくれ!

 「あ、あと……と、ときどき、魔女っ子……の、コスプレしてて、そのギャップが可愛かった……かな? あの、去年の文化祭で、着てたやつな」  

 やばい。つられて、俺も言ってるうちにニヤニヤしてしまった。くそぉっ! 何か負けた気分!

 「じゃあっ、真子さんはどうなの、どうなのっ!? なんでOKしたのっ?」

 ……いかん。つい、耳をそばだててしまう。

 真子って、俺のどこが好きなんだろう? 「流れで」とか言われたらショックだな……。

 「わ、私も……同じ。夏樹は、あまり女子と関わるのが得意じゃなかったんだけど。それなのに……精いっぱい、助けてくれたし、歩み寄ろうとしてくれたと思う。そういう所が……せっ、誠実……かなって……」

 最後は、消え入るようなボリュームになっていた。が、褒めてくれてるのは変わりがない。ちょっと……いや、かなり嬉しい気持ちだった。

 「――夏樹は、わりと引っぱって行ってくれるタイプだから、そこも良かったと思う。ただ……ときどき、甘えん坊なところがあって。そこも、可愛くて好き」

 『好き』という言葉に、クラスメイト達がいっそう黄色い悲鳴をあげる。

 なんとも人をイラつかせるハーモニーだった。

 一方、真子は俺に笑みを向け、喋るのを止めない。

 「今はかっこつけているけど、誰もいない所だと、もうベタベタベタベタして私からぜんぜん離れないの。ふふっ……。なんだか、愛海より赤ちゃんみたいだなって」

 やめろ! 俺の恥部を曝さないでくれっ!

 「まっ、真子だって、毎日『一緒に寝る』って言って聞かないじゃんか! 夏とかクソ暑いのに。汗かいて汚いぞって言ってんのに、それでもいいからって、布団にもぐりこんで来るだろ? ちょっとやり過ぎじゃね?!」

 真子は余裕の表情でやり返した。

 「そんなこと言って。ご飯を私に『あーん』って食べさせてもらったら、犬みたいに露骨に機嫌よくなっているのは誰? そのくせ、私に食べさせてもらえないと、いっつもがっかりしてるでしょう」

 「ぐぁぁっ!?」

 精神的な大怪我を負い、俺はノックアウトされた。机に突っ伏してのたうちまわってしまう。

 「……ま、また登校できなくなっちゃうから、その辺で勘弁して下さいっ」

 「仕方ないわね。お父さんは、ほんとに恥ずかしがりよね、愛海ちゃん?」

 と、真子は愛海のおでこをくすぐっていた。微笑ましい光景……だけど、素直に喜べなかった。はぁ。

 「あれ? そういえば、クラスのやつらは?」

 あれほど群れていた生徒達が、急にこつぜんと消えていた。

 「みんな、噂を広めに行くって」

 「ええ!? そんなバカな。と、止めろよっ……!」

 「いいじゃない。見せ付けちゃえば」

 「……自慢したい気持ちは分かるが、後でどうなっても知らないぞっ!」

 

 ――で、後でこういうことになるわけだ。

 「……コンマさま、いえ、真子さん、お話は聞きました。おめでとうございますっ!」

 授業が終わって帰宅しようとした時、数十名の女子生徒に囲まれる俺たち。

 クラス替えでクラスが違ってしまっているが、そこには茜という生徒もいた。涙ながらに、真子に声をかけている。

 ……なんだか、祝福の涙というよりは、悔しさや苦痛の混じった涙な気がするんだけど、気のせいだよな。

 「あのー……真子、今日は、俺さき帰ろうか? たまには、友達と話したいだろうし……」

 俺の言葉に、女子生徒たちの目がぱぁっと輝いた。

 「いえ。またストーカーに襲われでもしたら、怖いもの。君がちゃんと、私を守ってくれないと」

 と、真子は俺の片腕にしがみついた。二人とも夏服なので、袖が短い。肌どうしがちょくせつ触れ合う。実に幸せそうにほころんだ表情に、俺はもちろん、女子生徒たちも息を呑んでいた。 

 「……ちょっと、貴方」

 去り際、茜という女子生徒に声をかけられる。

 「えっ。なに、俺?」

 あんまり、こいつとは話したくないんだけど。なんかひどい目に合わされそうだし。茜は、目にいっぱい涙を溜めて、

 「必ず、真子さんを……ぐすっ……幸せに、しなさい。でなければ……私は、貴方を許さない」

 「……言われなくても、そのつもりだ。心配するな。真子は、俺にまかせとけ」

 「うっ……ぐすんっ……!」

 彼女は、たまらなくなったのか、ついにおお泣きしはじめた。わぁ珍しい。

 ひとしきり真子に抱きつき、慰めてもらってようやく泣き止んだ。

 「なぁ、あんた」

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