02:突然の別れ

 「うん。俺も言わせないよ。むしろ見せ付けてやろうぜ」

 俺も手を伸ばし、首とか鎖骨のあたりを撫でる。

 と思ったら、手がつるつるしてすべってしまい、真子の胸に軽く触れてしまった。

 「やだっ、えっち」

 「ごごごごめん!?」

 「一回、三千円」

 「金とられるのかっ!」

 いちおう、俺たちつきあっているんだけどなぁ……? あぁ、無償の愛とはいったい。

 「あとで君の部屋に置いておくから」

 「って、オイっ! そっちが払ってくれんの!? なんかもっとイヤだぞそれは!」

 

 「――というわけで、デートしましょう」

 ある休日に、真子のそんな一声ででかけることになった。

 いつも通り、俺は変身し、春彦を背負う。

 「どうしたんだ? なんか、積極的だな」

 「カップルはデートして当然。それに、あの人たちが戻ってくる前に、思い切り楽しんでおこうと思って」

 「なるほど。でも、どこにいくんだ? 春彦がいるから、なかなか行けるところも限られちゃう気がするけど」

 「赤ちゃん連れOKの映画館があったの」

 真子は、スマホの画面をドヤ顔で見せ付けてきた。えらそうなのが珍しく、妙に可愛い。

 「なぁ、それ……お前の、魔女っ子姿の自撮り写真だけど?」

 「きゃあぁぁっ!?」

 真っ赤になって、スマホを隠す。アカン。……もっと可愛くなった。

 「と、ともかく! 行きましょう。……まさか行きたくないとでも?」

 「と、とんでもない! 超行きたいよ、マジでっ」


 春彦をかついでバスに乗ること約20分。映画館にたどりつく。

 薄明かりの客席に隣り合って座り、上映開始を待つばかりとなった。

 「どんな映画なんだ?」

 「ホームコメディみたい」

 「へえ。まぁ、アクションとかホラーとかじゃ、春彦が怖がりそうだし、いいんじゃねえ?」

 春彦は膝の上で寝ていた。その頭をそっとなでる。

 「ふぅん」

 真子は、俺の顔をわざとらしく眺めた。

 「な、何?」

 「ずいぶん優しいのね」

 「そうかな?」

 「私には……何かないの?」

 するどく、線の細い目元が、俺のすぐ前にまで近づいてくる。いきなりでドキッとした。なるほど、そういうことか……。

 「わ、分かったよ」

 俺は片手で、真子の手を握った。と、真子は嬉しそうに、腕に腕を巻きつけてくる。

 映画館だから、人に見られることはないけど。やっぱり外では恥ずかしいな……。

 「ま、真子。……お前なんか、行動がどんどん分かり易く可愛くなってないか?」

 「君はますますウブになっているみたい」

 「くっ……!」

 返す言葉もなかった。

 まもなく映画が始まる。俺と真子は、頭を傾かせ、互いにこつんと当てるようにした。そうすると、笑ったときの振動さえ伝わる。

 うぅん、近いなぁ。どことなく、真子の良い匂いが伝わってくる気がする。

 真子は、さっきからちょっとしか笑わない。もしかして、俺がさっきあんなことを言ったから、クールなキャラを保とうとしているのかもしれなかった。さっさと大笑いしちまえよ。と、内心思っていたところ――

 逆立ちしたピエロが玄関に突っ込む、というシーンが流れる。

 その家族の父親を巻き込んで、ローリングする場面でついに笑いが堰を越えたらしい。

 「ぷっ、あははははっ!」

 と、大声で笑う。

 「お、ついに我慢できなくなったな、真子さん」 

 「だって……んふふふ、あはははっ!」

 真子は落ち着いて、小声で言う。

 「何あれ……面白い。どうして、あんなシーンが思いつけるのかしら」

 正直、俺も笑うのを我慢するのが大変だった。

 さらにシーンが移り変わる。今度はピエロが逆襲された。無理やり、ズボンを脱がされてしまう。

 「くふ、アハはははっ!」

 「ふっ……!」

 真子の笑いに、ついに俺も吹き出してしまった。こりゃダメだ。

 さらに、その家族の母親によって、ピエロが暗い部屋に閉じ込められる。なんと、今度は下着まで無理やり脱がされてしまった。ただし、、見えちゃいけないところは隠れてるわけだが。

 ピエロの脚に思い切りすね毛が生えており、真子はますます大笑いした。他の観客席からも、笑いが漏れている。

 俺は――

 思わず、真子から顔を離し、抱きつかれていた腕を振り払ってしまった。

 「えっ」

 真子は、拍子抜けしたような声を出していた。

 「どうしたの、夏樹? もしかして、お手洗――」

 「あ、あ、あ、あ、あ、ぁ……っ! うわあああぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 俺はものすごい勢いで叫んだ。

 いくら赤ちゃん同伴OKの映画館とはいえ、やり過ぎだ。

 「夏樹、ちょっと……夏樹!?」

 真子が俺の手を握る。

 が……

 「ひっ、ひいいぃぃっ!」

 その手無理やりはがし、俺は映画館の外へ逃げる。

 ダメだ、こんなことしたくないのに……なんでっ!

 そうだ。俺は思い出してしまったのだ。かつて、女子に抱いていた感情を――ただひたすらの忌避感を。

 

 一人で、俺は家に帰ってきた。  

 「し、しまった……!」

 真子と、春彦を映画館へ置いてきてしまった。

 曲がりなりにも、デートを途中ですっぽかしたのだ。

 きっと、激怒してるに違いない。

 ……愛想、尽かされたかな。

 「あぁ~っ、どうしよどうしよどうしよっ。怖くて迎えには行けないし……帰ってきたら謝ろう。土下座の練習でもしようかな……?」

 とリビングをうろうろしていたら、携帯に電話がかかってきた。

 「ま、真子だ!? うぅっ……でないわけには、くそぉっ」

 ぴっ、と電話をとる。

 「ごめんなさい真子っ、俺とんでもないことをっ!」

 『……あ? 何言っとんだお前?』

 「はっ!?」

 急に、中年男性の声が聞こえてきてビビる。よく発信者を確認すると、なんと親父じゃないか。

 「なんだ親父か」

 『よく分からんが、用件を言って良いか?』

 親父だと分かったら、なぜか急に怒りがこみ上げてきた。

 真子さんのことでアレなのに、突然電話かけてきやがって。用件? 用があるのはこっちだよ。お前のせいで、俺たちがどれだけ苦労したと思ってるんだ!

 「おい、何だよ。いっとくがこっちは、親父たちのせいで、大変だったんだぞ! 学校と育児と家事をぜんぶやるのに、俺らがどんだけ頑張ったか!」

 『……いや、そのことなんだがな』

 「は?」

 もしかして、俺と真子さんの頑張りを認めて、何かご褒美でもくれるのか? と思いきや。

 親父のやつは、とんでもないことを口にした。

 『実は……お前達の働き振りを聞いたせいか、優子が急に怒っちゃってな。娘や息子たちはあんなに家事や育児まで頑張ってるのに、なんであなたは家の中のこと何もやんないのよー! だって。まったく、夏樹。何をそんなに、やたらとがんばってるんだ! お前らと比べたら、俺が怠けてるみたいに見えるじゃないか!』

 「は、はぁぁっ!?」

 俺は半分キレた。携帯を叩きつけたくなる衝動を、必死に抑える。

 「そんなもん全部、親父がろくに家事をしないせいだろ! 人のせいにするな、自分でなんとかしろ!」

 『いやー。そう思って説得したけど。優子のやつ、離婚するって言って聞かなくってなぁ。しょうがないから、離婚届にハンコ押したよ。世の中、女は他にもいっぱいいるからなぁ。で、忙しくってすまんが、これからこの島は引き払って、本土に帰ることになるから。荷物整理とかしといてくれなー。そいじゃっ』

 ぶつっ。

 と、俺の反論を封じるように、通話は唐突に途切れた。

 「はっ……はあああああぁぁぁぁぁぁぁ~~っ!?」

 ガクンっ!

 と、膝が笑う。俺は、失意のうちに床に四つん這いになってしまった。

 「島から引き払う」。

 それは……つまり。

 この家から、もう出て行くってこと。

 要するに……真子さんと別れ別れになってしまう――ってことじゃないか。

 「う、ウソだろ……!」

 床に敷かれたカーペットを、きつく握り締める。

 カーペットに寄った皺につられて、視界までもがグニャグニャと歪んでしまう気がしていた。

 「これまで、育児も、家事も、学校もなんとかやってきたのにさ……お姉さんが襲来しようが、ストーカーに絡まれようが、どうにか乗り越えてきたのに……っ。それが全部、裏目に出たって言うのかよ……!」

 現実感がなさすぎる。代わりに、徒労感だけが募った。 

 もう、涙さえ出ない。

 「こんのっ、クソ親父がぁぁぁっ!!」


 そんなこんなで、数日間。

 ほとんど真子との会話はなかった。

 というより、俺が彼女に――女性に、近寄ることができなかったのだ。

 ある時、風呂場に入ると、

 「「あっ……!」」

 うっかり、真子と鉢合わせしてしまう。彼女は、裸にバスタオルを巻いただけの姿だった。

 「……ごめんなさい」

 と、短く言って、彼女は素早く脱衣所を出て行った。

 本来なら、謝るのは半裸を見てしまった俺のほうなのだが……。

 「ひっ……あ、ぁ……!」

 謝るどころじゃない。俺は、半裸の女子が近くに居たことにびびって、腰を抜かしてしまう有様だ。

 真子を、嫌いになったわけじゃない。

 それなのに……体が、近づくのを拒絶してしまう。例えるなら……そう、目覚まし時計がなっているのに、起きたいのに、しかしどうしても身体が布団から出ないというアレだ。

 ほんとは、近づきたいのに。

 まして、もうこの家を離れるのだから……最後に、何か一言くらい、温かい言葉をかけてあげたいのに。

 それでも、俺の体は言うことを聞かなかった。

 「くそっ……情けねー。俺は……俺は、真子と……!」

 デートを途中で放り出したことを、謝れていない。

 もうこの家を離れるのに、そのこともろくに話していない。

 情けなさのあまり、涙が出てしまう。男の癖に――などと自分で思うけど、どうしても止められない。それは、装甲内部に溜まって、床に垂れることはなかった。

  

 「……お、おっ、お世話に……なりました」

 すでに、大きな荷物は送ってしまった。

 小さめな荷物をリュックにまとめて背負い、俺は玄関先で頭を下げる。

 真子は、春彦を抱っこしながら見送ってくれた。

 「こちらこそ」

 「……え、え、えっと、そそそそそのっ!」

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