第四章

01:ふたりでお風呂(二回目)

 6月中旬になると、波止島全体はまいにち雨だらけになる。

 子ども約三名(赤ちゃん含む)と犬をほったらかしにしている再婚夫婦から連絡があったのは、そんなある日の夜だった。

 「……分かった。じゃあね」

 と、真子が電話を切る。

 「どうだった?」

 「二人とも、帰って来るって。来週には」

 その瞬間、ようやく肩の荷が降りた気がして、思わず肩がカクンと下った。

 「あいつらやっと帰って来るのか! あ~、これで赤ちゃんを学校につれてかなくて済む!」

 「それに、まいにち家事に追われなくて済むわ」

 「いや~。ほんと疲れたよなー。あはははっ」

 「そうね、お疲れさま。ふふっ」

 俺たちは手を握り合い、いつしかリビングでフォークダンスをしていた。

 ……ちょっと喜び過ぎかもしれない。けど、二人だけでやっていくのはホントに辛かったんだ。 

 「でも、夏樹。母と隆英さんが帰ってきたら、私たち、今までどおりに……ベタベタは、しにくくなるけど……?」

 真子は、ソファで俺にくっつきながら、そう言った。そして、手を握り、指を絡ませてくる。

 ちょっと痛いくらいの愛情表現だった。

 「はっ……!?」

 そうだ……そうだよ。

 親が帰ってきたら、もう人目をはばかるようなことはできなくなるじゃないか。

 「やっ、やばくね? どうする?」

 「とりあえず、帰って来るまで一週間くらいあるし……ひとまず、お風呂に入って落ち着きましょう」

 「そ、そだな」

 相変わらず、こういう時に頼りになる真子だった。

 ……あれ? なんの解決にもなってないような。まあいいや。

 脱衣所の前に立つと、真子は俺に先に入るよう促す。

 「お先にどうぞ」

 「……やっぱ、着替えを見られんのって、恥ずかしいのか?」

 「ええ」

 真子は、消え入るような声で言った。タオルを押しつぶすように、ぎゅっと抱いている。

 「うぅん、どうせ中で裸にはなるんだし、一緒に着替えたほうが早いような……?」

 「そういう問題じゃないの」

 真子は、じゃれつくような感じで俺を軽くはたいた。

 乙女心はよく分からないな……。

 俺は先にお風呂場に入った。体を洗っていると、ようやく真子が入ってくる。

 「……い、いらっしゃい?」

 あれ? 何言ってんだ俺……。気が動転して、変なこと言ってしまった。やっぱり、一緒にお風呂に入るだなんて、そうそう慣れない。

 「……ただいま」

 と、真子は俺の側にしゃがんだ。

 「あっ。洗っちゃダメじゃない。私が洗おうと思ってたのに」

 「は、はぁ。そりゃどうも」

 真子は俺からタオルを奪い、俺の体をごしごしやりはじめた。手つきが強すぎず、弱すぎずで、ちょうど心地よい刺激が生み出される。思わず、「ふぅ~っ……」という深い息が漏れてしまう。

 「……」

 真子は黙って、割りに真剣に洗ってくれていた。腕が疲れそうなのに……ありがてぇ。

 「真子ってけっこう、洗い方上手いな」

 「いやらしい……」

 真子は軽蔑したように言った。

 「なんで!? 褒めただけじゃん!」

 「最近、分かったのよ」

 「何が?」

 俺の体を流し終えて、今度は真子が座る。入れ替わりに、俺が真子の体を泡まみれにしていく。いつやっても、緊張するなぁ。女子の肌を、ちょっ直接……洗うなんてさ。

 「――男子は、いつもいやらしいことばかり考えている生き物なんだって」

 思わず、身体がびくっと跳ねた。

 「っ!? いやっ……考えてねー……デスヨ?」

 「じゃあ、どうして今、鼻の下を伸ばしてるの」

 「い、いやらしいことなんて考えてないし! 真子が可愛いからニヤついてただけ!」

 「似たようなものじゃない」

 と言いつつ、真子は脚を組み、機嫌良さそうに微笑んだ。

 ……あぁっ!

 なんでこんな、ニヤニヤしてしまうんだ! 女の子が……もっと言えば真子がすぐ側にいるというだけで、ニヤつきが止まらない。表情筋がおかしくなったかのように、戻そうとしても戻らないのだ。

 これはもうアレだな。

 バカと言われてもしょうがない。

 世の中のカップルが、大体いつもニコニコしている理由が分かった気がする。あれは、自分の意思ではないのだ、きっと。

 「ほ、ほらっ、脚洗いにくいから立ってくれよ」

 「いいけど」

 真子が立ち、入れ替わりに俺は膝立ちになった。太もも、膝裏など、立ったままだと洗いにくい部位を洗っていく。

 「ちょっと、片足あげてくれ。転ぶと危ないから、どっかつかんでて」

 「分かった……つっ!?」

 真子の足首をつかんで、足の裏や、足の指の間にタオルをくぐらせる。

 「ふふっ……くっ……あはははっ!」

 「くすぐったいだろー! ほらほらほらっ」

 「止めて、やめっ――はぁっ、ンっ……くふっ、うふふふっ!」

 思いっきりくすぐってやった。そしたら真子は、壁に抱きつき、それから足先をピクピクさせて笑いに耐えている。

 約三分後……。

 「はぁ、はぁっ……ンぐっ、く……い、いじわるっ」

 「ふっ。逆襲完了だな」

 顔を真っ赤にして、涙目で俺を睨みつける真子が出来上がっていた。大きく胸が上下して、呼吸も荒いらしい。

 ……ちょっとやりすぎたかな?

 「はぁっ……そろそろ、流してもらえる?」

 「あぁ、いいよ」

 シャワーを真子に当てようとすると――

 ばっ! と真子が急に立ち上がる。すると、思い切り俺に抱きついた。持っていたシャワーヘッドがぐらぐら動き、二人共に温水がぶっかかる。

 「うわぁぁっ!? なんだよいきなりっ!」

 「お返しよ。私が、やられっぱなしと思った?」

 思わないです……。

 シャワーヘッドが壁にかけられ、温水が俺たちに降り注いだ。

 「け、けっこう大胆だな、お前……」

 「そうかもね。でも、君のせいだわ」

 「あとっ……! ちょっと、体柔らかすぎてドキドキしちゃうんですけど……!?」

 真子は鋭い目つきに反して、体つきは比較的女性らしいほうだ。全身に柔かいのが伝わる。とても、一介の男子高校生に、耐えられるものじゃない。

 「君のは、なんだかゴツゴツしてる。硬いし」

 「そ、そうっすか」

 身長が同じくらいなので、抱きつくとちょうど目の前に顔がやってきた。

 「……緊張してるの?」

 「だっ、だから、してるんだって。でも、真子もじゃん?」

 「君に比べたら、可愛いものでしょ」

 「そうだな、確かに、かっ……可愛いよ」

 ザーッとシャワーに曝されながら、俺たちはどちらからともなくキスした。泡を落とす、という当初の目的はすっかり忘れてしまっている。やっぱり、カップルになると頭がバカになるらしい。

 「ちゅっ。ちゅっ、ちゅ……なつき、好き……ン、ハァっ、くちゅくちゅクチュ……!」 

 「うぅっ!?」

 ついばむように何度もキスをされる。と思ったら、今度は深いくちづけをひとつお見舞いされた。

 「じゅっ、ピチュっ……ちゅる、ちゅるニュルルっ! はぁ、にちゅっ……んっ、あ、んむっ、だいすきぃ……ンっ、ンッ! はむっ、ちゅぅぅぅっ」

 「うぁ、真子……俺も、好きだっ……! んンっ!?」

 とっくに泡は落ちていた。つるつるした真子の腕が、俺の背中をだきしめてサスサスとさすってくる。

 お返しに、俺も同じ仕草で真子を抱きしめる。

 「ま、真子、柔かいけど、けっこう鍛えられてるな……体締まってるんぶっ!?」

 「そうでしょう? ん、チュっチュっ、チュパれろっ……けれど、君だって鍛えられてるわ……はむぅ、ン、ンっ、とても、ステキよ。ちゅる、にちゅ、にゅじゅっ!」

 「うぶぶっ!? ……ぷはぁ! さ、サンキュー!」

 素直に褒められて嬉しい……が、そろそろ息苦しくなった。俺も、真子も肩を上下させている。

 「ずっと、一緒にいましょうね、夏樹」

 「うん、俺もそうしたい……改めてよろしくな、真子」

 きつく抱きしめあいながら、お互いに目を覗き込んでいた。

 「そそそそっそろそろ湯船入ろうぜ……風邪引いたら困るし」

 「う、うん」

 ちゃぷん、と二人一緒に湯船に入る。

 「それにしても……親が帰ってきたらどうしよう? こんなにベタベタはできないよなぁ」

 「でも」

 真子は、後ろから俺に抱きしめられる形をとっていた。彼女が天井を見上げると、うなじがかくれて代わりに頭頂が見える。

 「あの二人だって、向うで好きなことしていただろうし」

 「そりゃ……そうだろーな」

 まぁ、新婚だし。

 「それに、俺らって血もつながってないもんな。多少ベタベタしたって、文句言われる筋合いはないか」

 「ええ。それに、母にも伝えておいた。私たちが、いかに毎日大変だったか――こないだなんて、ストーカーに追われていても、家事はおろそかにしなかったんだって」

 真子も、俺もくすっと笑ってしまった。確かに、文化祭前はよくよく考えたらけっこうやばい状況だった。

 「きっと、私たちの苦労を認めてくれるわ。文句なんて言わせない」

 と、真子は俺のあごを、優しく、慈しむようになでてくれた。

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