08:口移しの夕食

 「いいの。春彦が向うで騒いだら迷惑でしょう。君は、彼を家であやしてて」

 「うーん、そっか」

 そのうち、劇の練習が始まり、俺たちはお喋りを止めた。

 今日は、本番で着る衣装ではない。みんな、制服のまま練習している。

 とはいえ、その仮装衣装のことはしばしば雑談の話題に上っていた。まぁ、わりかし衝撃的な光景だったからな、身内の目線で見ても。本番は、けっこう盛り上がるかもしれない。

 男子(つまり王子様役)の練習中、ちらっと女子のほうを見てみる。

 もっといえば、真子のほうだ。

 真子は中性的な風貌だからか、普段はとりまきの女子にうざったくまとわりつかれていることが多い。

 しかし、今は、みんな劇のことに興味が集中しているのか、真子の周囲はいつもよりスッキリしている。むしろ、真子のほうが集団のはじっこのほうで、一人ぼんやりと座っていた。

 みんな綺麗に着飾っていたのに、独りだけ空手の道着――というのを、未だに気にしているのだろうか?

 けど……話を蒸し返すというのも気が引ける。

 「よっ、おつかれ。帰ろうぜ」

 「ええ」

 練習が終わっても、俺はとくにそのことについて触れることはなかった。

 

 翌日、真子は独りで警察署へ行ってしまった。俺は一人で家に帰った。

 春彦を降ろし、変身を解除する。

 「よ~し、今日はお兄ちゃんがいっぱい遊んでやるぞ~っ」

 両手にガラガラを装備し、勇んで赤ちゃん用ベッドの前に行く。

 ――しかし、春彦はすっかり寝ていた。

 あれ?

 「おい! 遊んでやるっつってんのに、なんでこういう時に限って……はぁ」

 仕方ない、諦めるか。

 いつもは、ものすごいうるさく泣いているんだけどなぁ……。なんだかタイミングが悪い。

 自室に荷物を置きにいく。

 「さて、着替えるか」

 タンスを開く。

 そこには、俺の服はなかった。

 代わりに、大量のカラフルなコスプレ衣装やドレスが、ハンガーに吊り下げられている。

 「……は?」

 一瞬、固まってしまった。

 あれ?

 俺の服が、なんでこんなきらびやかで可愛らしい衣装ばっかりになっているんだ!?

 「あ、もしかして……」

 俺は部屋を出た。そこでようやく分かった。

 そこは、真子の部屋だったのだ。

 考え事をしていたから、間違ってあいつの部屋に入ってしまったんだな。

 「じゃ、じゃあ……あのタンスの中身は、真子の……?」

 人のタンスの中身を、勝手に見ちゃいけない――と思いつつも、つい見てしまうのを止められなかった。

 「うわぁ~っ。こんなにたくさん……。なんだ、真子、ぜんぜん私物がなくておかしいなと思ってたのに。しっかり溜め込んでんじゃん。すげー」

 本当に真子が着るのか? と疑いたくなるほど、キュートな衣装の数々。

 実際、こんなもの着ているところは見たことがない。

 せいぜい、魔女っ子に変身しているときに、こんな衣装に変わる――というくらいか。

 「……ん?」

 タンスの上にかけられた衣装にばかり注目していたが。

 下のほうにも、何かいろいろと積まれているのに気づく。

 「これは……?」

 それらを半時間ほどかけてざっと見通し、俺はやっと気づいた。

 「そうか……そういうことだったのか」

 俺は、今まで真子のことを、何も知らなかったのだ……ということに。

 

 文化祭を週末に控えたある日。

 真子は、俺の太ももの上に腰かけていた。左手に小皿、右手に箸を持っている。からあげをひとつとり、俺の口のほうに押し付けてきた。

 「はい、夏樹。あーんして」

 「あ……アーっ」

 もぐもぐ。

 「美味しい?」

 「あ、あぁ。美味いよ」

 「よかった」

 と、真子は微笑んだ。

 「はい、じゃあもう一個――」

 「ちょっと待て。真子もちゃんと晩飯食えよ。俺に食わせてばかりじゃなくて」

 「だって、面白いんだもの」

 俺の膝の上で、真子は可笑しそうに身をよじった。少しくすぐったい。

 「何が?」

 「夏樹が口を開けて、微妙に恥ずかしがってるのが」

 「お、俺はおもちゃじゃないぞ」

 「どっちでもいいわ。可愛いし」

 真子は俺の髪を撫でた。目の前に、真子の細い流麗な瞳が迫る。見つめていられず、顔を逸らしてしまった。

 「か、可愛くねーし!」

 「そういう所が可愛いの。はい、あ~んして」

 「……くっ!」

 誘惑するように、首の後ろをつつつっとなぞられた。ピクン、と身体が反応する。これは、許してもらえなさそうだな。大人しく口を開け、さらにから揚げを咀嚼する。

 「もぐもぐ……ごくん。……ええと、マジで真子も夕飯はちゃんと食えよな」

 「そうね。そうしましょう」

 真子は、から揚げを自分の口に入れた。

 ――と思いきや、嚥下も咀嚼もしない。ただ、くちびるで挟んでいるだけだ。そのまま俺の顔に近づいてくる。ついに、俺のくちびるにから揚げを当てた。

 「はぇへ」

 と、不明瞭な発音で何か言う。

 「ま、まさか……口移しで食えと!?」

 真子は、ん、と無言で頷いた。

 「しょ、しょうがねぇな……」

 と、言いつつも、内心ドッキドキである。真子の背中を、ぐっと自分のほうに抱き寄せつつ、差し出された食べ物に口をつける。

 「はむんっ……クちゅっ……」

 二人で、から揚げを二つに噛み切った。ちょうど、半分こという寸法だ。

 「ねぇ、美味しい?」

 「お、美味しい……けど、なんか甘ったるい感じが」

 「お砂糖なんて入れていないんだけど」

 「お、おかしいなぁ? もう一回確かめようか」

 今度は俺のほうからから揚げを口につまみ、真子に差し出した。

 「ン……ぁむっ」

 単に、おかずを食べているだけのはずが……同時に思い切りキスまでしてしまっている。なんて贅沢な。

 「こ、こんな真似していいんだろーか……?」

 「どうして?」

 「ほら、食べ物で遊ぶな! ってよく言うじゃん」

 「別に遊んでない。二人で、一緒に食べているだけじゃない」

 「いやいや、くちびるが……」

 「それは、不可抗力」

 真子は、妖しげに微笑み、もう一つから揚げをつまんだ。

 「ほら」

 「え、えと……」

 「食べたくないの?」

 「いや、そんなことは……ないけど……んぐっ!?」

 「むちゅっ……はむんっ、ン、ぷチュ……」

 もう、食事のあいだずっとそんな調子だ。食べ終えるのに、やたら時間がかかってしまった。 

 洗面台で食器を洗いながら、

 「この時間って、テレビなにやってるんだろ」

 「いつもは、もうお風呂に入っているものね」

 食器を片付け終え、俺は真子の隣に腰かけた。

 「はい、コーヒー」

 「ありがとう」

 「ぬるめでいいんだよな?」

 「ええ。暑いし、熱いのはちょっとムリ」

 真子は、俺の肩によりかかりながら、両手でコーヒーをすすった。外ではともかく、家の中ではお互いにくっつくのも当たり前になっている。真子の体の重みは、もう慣れたものだった。 

 「やっぱり暑い」

 「いや、それはくっついてるからだろ……?」

 「じゃあ、離れる?」

 チラッと、真子が挑発するような目線を向けた。

 こいつ……調子に乗ってんな?

 でも、あまりに可愛い行動だったので、お返し的に肩を引っぱり寄せる。

 「あ……ンっ」

 軽くキスをすると、コーヒーの味がした。

 「ちゅっ、んん、くちゅっ……はぁっ。もう、またするの? さっき、いっぱいしたのに」

 「で、でも嬉しいだろ?」

 「君だって嬉しいくせに」

 なんだか小学生並みの言い合いになってしまい、俺たちはくすっと笑った。

 「風呂入んないの?」

 「もう少し、休憩してから入る」

 と、真子は俺の体にぴとっと張り付いた。ソファ代わりにされているらしい。

 寄りかかられているから、俺までこの場を動けないじゃないか。

 仕方なく、テレビをつけてみると、

 「あ……これ、アレじゃね? ほら、こないだ人形とったやつ」

 たまたま、子ども向けアニメが放送していた。いわゆる魔法少女、あるいは魔女っ子っぽいものが画面で踊っている。

 以前、クレーンゲームで取ったでかい鳥の人形――テレビのすぐ横でぐでっと寝ている――は、このアニメのキャラクターではなかったか。

 「いえ、違う。これは最近のアニメね。魔法少女モノだけど。『ゆりん』はもうずっと前に終わったし……再放送は、もっと遅い時間にやっているから」

 「へー……。詳しいんだな」

 「別に。ただの、一般教養よ」

 すりっ……と、俺の肩に顔を押し付けたまま、真子は顔の向きをぐりぐり変えた。とくに意味のある動作ではないらしい。なんだか、犬にマーキングされているような気分だ。ここん家の犬は、俺に吠えてばかりだが……。

 彼女の頭のてっぺんに、そっと手のひらを乗せ、くしゃくしゃっと撫ぜた。

 「教養なのか、それ。むしろ、ただの娯楽なのでは……。あ、そういえば真子って、魔女っ子になれるよな」

 「それがどうかしたの?」

 「あの……良かったらさ、変身した姿見せてくんない?」

 すると、真子はぴくっと震えた。

 「……見たいの?」

 「うん」

 「どうして?」

 「いや、今、たまたまテレビでやってたし、久しぶりに見せて欲しいな~なんて」 

 「ふぅん……」

 真子は、俺を探るような目で見ていたが、やがて立ち上がった。

 「別に、構わないわ」

 「やったー、ラッキー!」

 他に理由がないわけではないが、単純に見てみたいという気持ちが大きかった。

 真子は、ソファから降りてリビングに立った。

 「じゃあ……」

 こほん、と咳払いをする。そして、詠唱を始めた。

 「命じる。全一(ぜんいつ)無限創造主の名において。無限知性の愛と光の名において。謙虚なる伝道者ラーの名において。エーテルの輝きよ、星を超え、我が器に満ちよ。成れ、ミラクル・マテリア・チェンジ!」

 室内であるにも関わらず、一陣の風が巻き起こる。思わず、目をつぶってしまうほどだ。

 恐る恐る目を開ける。そこには魔女っ子・マコが立っていた。

 中学生くらいの体格になり、ワンピースタイプのピンクのドレスを身につけている。

 金髪があふれるように肩から流れ、魔法のステッキを手にしていた。

 恥ずかしいのか、マコは棒立ちになったまま俺から視線を外している。外見はものすごくきらびやかなのに、その可愛げのない姿勢がやたらに浮いて見えた。

 「へ~、やっぱメチャクチャ可愛いじゃん」

 「……! そんな、こと」

 「普段も、もっと変身してたらいいのに」

 「冗談でしょう? 私は、こんなの似合わな――」

 「いいからいいから、ちょっとおいでよ」

 ぽんぽん、と、俺は自分の膝を叩いた。

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