07:見せつけキス
「夏樹くん、好き……ん、くチュッ!」
「な……な……!?」
困惑する先輩の前で、熱烈なキスを繰り出してくる真子。はっきり言って、俺もかなり困惑している。
「ちゅっ、にゅるにゅるニュルんっ……くちゅ……んっ、れろれろ、ちゅぱっ! ……ぷはぁっ」
唐突なキスにもかかわらず、くちびるを離すと、でろ~っと唾液が垂れてしまった。
が、それは逆に、見せ付ける効果としてはばつぐんのものだったようだ。
「……どうですか。これで分かったでしょ。私のカレシは夏樹くんだけ。それ以外はいないし、いたこともない。もう、私に付きまとわないで!」
「……くっ! くそおっ!」
ぎりっと、歯ぎしりして、流先輩はこぶしを構える。こちらに突進してきた。
「大人しくしろ!」
俺は、流先輩のお腹を指で押した。
「ぐっ!?」
これだけでも普通の人が思い切り殴ったくらいの威力はあるはずだ。案の定、流先輩は苦しそうに倒れた。痛みが強いらしいので、それ以上立ち上がってくることはなさそうだ。
校舎の中から、先生が数名駆け寄ってくる。
一部始終を見ていたほかの生徒が、先生を呼んでくれたらしい。
流先輩は、女子生徒に襲い掛かる未遂だったということで、容赦なく校舎の中へしょっ引かれて行った。
俺と真子は、ようやく人心地つく。
「……ふぅ、終わったか。真子、大丈夫か? 変なことされてない? 怪我は?」
「大丈夫、なんともない……ただ、制服を破かれそうになっただけだから」
真子は、乱れたセーラー服を整える。スカーフを巻きなおした。
「くそっ、あいつ、真子にそんなことをするなんてっ!」
「ありがとう、心配してくれて」
「当たり前だ! 心配するに決まってるだろ。大事なカノジョなんだから」
「……」
真子は、恥ずかしそうにちょっとうつむいた。
「しかし、あいつなんなんだ? いきなり、あんな真似を……」
「私のほうが聞きたいくらい」
ヤレヤレ、と真子はかぶりをふった。
「そうか……ま、とにかく今日は帰ろう。怖かったか?」
「怖くない」
真子は傲然と言った。
「そこは、嘘でも『怖かった~』とか言ったらいいんじゃね?」
「怖くない。だって、君が助けに来てくれると思っていたから」
「あ、そゆこと……」
「君が来なくても、私ひとりで倒せたけどね」
「真子さんマジパネーっす!」
その翌日から、本格的に文化祭の準備が始まった。むろん、うちのクラスは教室で「シンデレラ」の練習である。
真子はその間、何度か空手部にも顔を出したようだ。道場に流先輩は、一度も来ていなかったという。
「……どうも、先輩、月末まで停学になったそうよ。その上、部活からも除籍されたみたい」
「マジか」
「ええ。被害者の私がいるんだから、いられても困るんだけど」
「まぁ……だって、婦女暴行? 未遂だもんなぁ」
「……あら? はじまるみたい」
今日も今日とて、シンデレラシンデレラシンデレラか。クラス委員の恭介が、教壇に立った。
「さてみんな、今日は衣装合わせをします。基本、何着たっていいんだけど、いちおうやばい服とかだったら困るから、一回見せて欲しいんだよな」
その時、誰かが手を上げた。質問する。
「やばい服ってどんなん?」
「うーん……下着だけとか、股間に葉っぱ一枚つけてるだけとか、そういうやつな!」
というと、教室が笑いに包まれた。
「んじゃ、みんな着替えてきてな。よろしくー」
女子は教室で着替え、男子は廊下で着替えることになるようだった。
「じゃあな真子、後で。あ、ところで、真子って何着んの?」
「私は、道着でいいと思って」
「あ~なるほど。いつも着てるもんな。しかし、空手の道着着たシンデレラって……なんかウケるわ」
「装甲ライダーの王子様も、良い勝負じゃない」
「……ほんとだ」
他の男子と共に、廊下へ出る。
俺は着替える必要がなかった。だって、既に装甲を着てるし。
なんとなく、他の男子の着替えを眺める。いろいろと、着てきている奴がいて面白い。王子様っぽいコスを用意している奴も、1、2名いたが、あとはほとんどネタだった。
タキシード。水泳パンツ一丁。馬頭マスク。軍服。野球部のユニフォーム。パジャマ。私服。宇宙人コス。女性用水着。歩ける寝袋――等々。バカか。
いつもこのくらいバラエティに富んでれば、俺の姿も目立たずに済むんだけどなぁ。
などと胡乱なことを考えていたら、女子生徒の一人が顔を出した。「入って良いよ~」と男子の面々を呼び入れる。
「……うぉっ!?」
俺は変な声を出してしまった。
女子の仮装は、男子とはまったく違う雰囲気だった。
約半数は、いったいどこから調達してきたのかドレスを着用している。お姫様っぽいものから、パーティで着るようなもの、さらにはウェディングドレスなんてのもいた。
残りの半数は色々だが、男子と違ってネタというわけではない。着物、テニスウェア、メイド服、コスプレ用ナース服、キメキメの私服――などなど、いずれも可愛らしさや美しさを強調したものばかり。
なんだか、ファッションショーのようだ。
「へぇ~……やっぱり女子は、こういう所には気合入れるんだなぁ」
俺だけでなく、他の男子たちも、ちょっとばかしきらびやかになった女子達に思わず見入っていた。
「ま、これなら観客の目はひけるかな。……ん?」
女子の中に、一人だけ異色な格好のやつがいた。
まるで男の若者のように、先がツンツンとがった短髪。
異様に鋭い目つき。
空手の道着を着て、腕を組んで仁王立ちしている。
女子達がキャッキャッと盛り上がっている中で、独り、その道の達人のような場違いな気迫を放っていた。
「……あれって、真子じゃん」
女子たちが写真撮影や雑談など始めている中、真子だけが妙に憮然としている。
俺は彼女のとなりに行った。
「あの、真子さん? なんか……どうかしたの?」
「どうもしない」
「いや……えっと」
真子は、俺のほうを見もしなかった。代わりにずっと、窓のほうを見ている。こんな表情は見たことがあった。
そう……真子のお姉さんの美佳さんが、俺にわざとベタベタしていた時だ。
ってことは。真子は……嫉妬している?
「な、ならいいんだけど。なーんか、妙に怒っているように見えて」
「怒ってないっ」
バンっ!
二発の掌底が、真子の机に叩き込まれる。すると、その表面に放射状のひびが入った。
あまりに凹み過ぎて、たまごをそこに置いたら直立しそうだった。なるほど、これがコロンブスのたまごか。絶対ちげぇ。
ええっと……?
嘘はよくないよな。嘘は。体に悪いらしいし。
「あの……どう見ても怒っているみたいです、けど……」
「……自分の胸に聞いてみて」
そう言って、真子はそのまま俺をすっと通り越した。教室から姿を消してしまう。
「えっ。えぇ~~……?」
俺と、背中の春彦だけが、その場に取り残されてしまった。
「……きょっ、今日の晩飯は、真子の好物のいごねりだぞー。ほら、見ろよ見ろよっ」
「いただきます」
真子が箸をとる。すると、そのあまりの握力に、箸がまっぷたつに引き裂かれた。
割れた一部分がロケットのように飛び出す。その先端の尖った部分が、天井に突き刺さり、そのまま画鋲がなにかのように固定されてしまった。
真子は、黙って代わりの箸を持ってくる。ニコリともしない。
ひかえめにいっても、怒髪天をつく――といった様子だ。
「……あ、ハイどうぞ。お食べ下さい」
「……」
食事は、無言のうちに終了した。真子がぶっきらぼうだったというのもある。が、俺のほうでも、あまり話しかける勇気が沸かなかったのだ。
いったい、何に怒ってるっていうんだ?
もしかして……クラスのほかの女子たちが、綺麗に着飾っていたけど。それに思わず見惚れてしまったのが、まずかったのか?
「う~ん……原因のわからん喧嘩が、いちばんつらい……!」
俺は早々に、赤ちゃん部屋に引き篭もってしまった。赤ちゃんベッド上に吊り下げられたモビールを動かしてやる。春彦は、嬉しそうに四肢を動かしていたが、やがて眠った。
どうやら、独りきりになってしまったようだ。
「あ~あ、いったいなんなんだよ真子は……何にキレてんだか、言ってくれなきゃわかんねぇっつーの」
「……悪かったわね」
「んひいぃぃっ!?」
突然声をかけられ、俺は飛び上がった。真子が、いつの間にか、音も無く室内に入り込んでいたのだ。
忍者かお前は。
俺の悲鳴のせいで、春彦が泣き始めてしまう有様だ。俺と真子は、リビングで真子をあやすことにした。
真子が春彦をくすぐる。と、彼は可愛らしい笑い声を発し、すぐに笑いつかれて寝てしまった。
「テクニシャンだな」
「ええ。でも……私だって、なんでもできるってわけじゃない。むしろ――」
「は?」
なんの話だろう。
俺の困惑に気づいたのか、真子は、はっと顔をあげた。
「なんでもない。それよりも……放課後のことはごめんなさい」
「いや……ごめんっていうか、なんで怒ってたん? 俺なんかしたっけ」
「したと言えば、したかもしれない。私は、道着を着ていて、でも君は他の女子を見ていたでしょう。ドレスとかを着た」
「あ、やっぱそれなの? ムカついたポイントって」
こくん、と真子はうなずいた。
「やり過ぎた。反省してるわ。ちょっと他の女子を見ただけで、嫉妬するなんて」
「そ、そうかもな……まぁ別に、なんとも思ってないからいいよ」
ほんとはちょっと不安だったけど……。
俺は、女子と長期間、友達でいたことすらない。だから、何かの拍子で真子に愛想を尽かされるんじゃないかと、時々不安になることがある。
真子は、じっと俺の顔を覗きこんだ。
「……よかった」
「それにしても、他の女子はやたら気合入ってたな。他のと比べてどうこうっつー気はないけど……真子も、もうちょっと可愛い格好とか、色気のありそうな格好とかをしてみたらいいんじゃないか? ネタOKとはいえ、いちおう『シンデレラ』役なわけで」
「……」
真子は、自分のくちびるを舐める。そして、うつむいてしまった。
あれ?
俺なんか、また変なこと言っちゃった?
「私には、ああいうのは似合わない。他の女子に任せておけば良い」
「そ、そう?」
「そうよ。それじゃ、私お風呂だから」
真子は、さっさと風呂場へ歩き去ってしまった。
喧嘩は、済んだみたいだけど。どうも、喉元になにかがひっかかっているような不快感を、俺は感じていた。
5月末日の文化祭に向けて、学校全体が徐々に準備を整えていく。
校庭や裏庭の隅、空き教室なんかには、文化祭で使う用品がちらほらと保管されているのを見るようになった。
あれ以来、真子は普通の態度に戻っている。
「警察署に来るようにって、呼ばれた」
放課後、真子はぼそっと言った。
け、警察?
突然言われて、意味が分からない。
「えっ!? なっ、なにやったの!? 暴行!?」
「……今からやってもいいけど?」
真子は、めらめらと炎のようなオーラを発した。拳を震わせている。
「ごめんなさいっ! でも、じゃあ、一体なんなんだよ!?」
「流先輩の件で、話を聞きたいんだって。明日、行ってくる」
「なんだ。じゃあ、俺もついて行っていいか?」
「別に来なくていい」
「でも――」
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