03:ライバル?登場

 真子が空手部の道場にいくまでのわずかな間を惜しみ、こうして手をつないでいる。

 もし見つかったらどれだけひやかされるか、怖ろしくてたまらない。

 真子は手をつなぐことにノリノリらしく、かなりの握力で握ってくる。装甲を着ているせいで、こまかい感触が分からないのがもどかしかった。

 「君が、なんの役をやるか楽しみ」

 「俺は、今から気が重いぜ……」

 空手部の道場が見えた。

 「んじゃ、いってらっしゃい。俺は、いつも通り春彦と待ってるわ」

 「いってきます」

 と、言いながらも、真子は行かなかった。代わりに、キョロキョロ周囲を見回している。

 「ん、どした?」

 「ちょっと」

 真子は、俺の手を引っぱった。

 校舎と塀の隙間という、かなり狭く寂しい場所につれてこられる。

 そして、彼女は、俺の装甲兜をトントン叩いた。

 「これ、開いて」

 「ん? いいけど」

 言われるままに、俺は装甲兜の口の部分をオープンにする。

 「しゃがんで」

 「あっ……あぁ」

 しゃがめ、と言われたことで、何をするのか分かってしまった……。

 「キスして」

 「だ、大胆だな。こんなとこで」

 俺もつい、周りをきょろきょろしてしまう。幸い、人影はなかった。

 「したいくせに」

 「はいはい、分かったよ」

 俺は真子の両肩をつかんだ。目をとじて、すこしだけくちびるを突き出している真子。エサを待っているひな鳥みたいな感じで、可愛らしい。

 「んっ」

 「ちゅっ……んん、ちゅ、ちゅ……!」

 数秒の接触の後、真子は離れた。

 「……ふっ」

 真子は、ちょっとだけ歯を見せて笑った。

 「な、なんだその不敵な笑い方」

 「満足できた?」

 「そっそんな、俺が欲求不満みたいな言い方――」

 「そうじゃなくて、先輩のことよ」

 「え? あぁ、あれ」

 流という、空手部の先輩のことを思い出した。

 「これでも、まだ不安? こんなに、君のことが好きなのに」

 と、さらっと言ってのける。やたら背筋の伸びたいい姿勢で、当たり前のようにそんなことを言うと、非常に格好いい。少女マンガに出てくる王子様みたいだ。

 「い、いや、ぜんぜん安心です」

 もちろん嬉しいけど、いくらなんでも、まさか学校でキスされるとは思わなかった。

 「そう。……あ。口に唾ついてる」

 スカートからハンカチを取り出すと、真子は俺のくちびるをていねいに拭ってくれた。

 「……ど、どうも」

 「その兜、キスしにくい」

 「そりゃそうだ」

 「家に」

 「は?」

 真子は、ぼそっと言った。どうも聞き取りづらい。

 「家に帰ったら、ちゃんとするから。それじゃ」

 それっきり振り返らず、真子は手を振って去った。

 ええっと……今のは、「ちゃんとキスした」うちに入らないんですか? 真子さん。

 

 しばらく時間をつぶした後、俺は昨日と同じく道場に向かっていた。装甲姿で、赤ちゃんをおんぶして、こそこそと。

 「べ、別に……心配とかじゃねーし? ただちょっと、気になるだけだし……っ!」

 道場に入れてもらう。そこには、やはり昨日と同じく、流先輩がいた。

 「やぁ」

 「ども」

 流先輩は感じのいい挨拶をし、俺は軽く会釈する。

 彼の笑顔には、とくに含みなどない。単純に人の良さそうな笑いだった。

 俺と真子がつきあってるってことは、言いたくないんだが……しかし、彼の昨日の発言は探っておきたい。

 なるべくこっちの情報は出さず、色々聞き出してみるか。

 「あの、先輩」

 「なんだい?」

 彼はにこやかに言った。なんか、こっちが悪いことをしているようで、やりづらいな……。

 「昨日のことなんすけど」

 「昨日?」

 「はい。えっと、その。真子……さんのことを、『僕のカノジョ』とか言ってませんでしたっけ?」

 流先輩は、少し考え込んだ。

 「んー……確か、そんなことも言ったかもね」

 「あの、ってことは、その……真子、さんとつきあってんのかなぁ~って、思ったんすけど」

 流先輩は、ぴくっとまぶたを開いた。 

 「まさか。……そんなわけないじゃないか」

 「! そ、そうっすよね~。つきあってるわけ」

 ふぅ、良かった。

 やっぱり、昨日のは何かの間違いだったんだろうな。心配して損した。

 「――と言いたいところなんだけど」

 「へ?」

 「いやぁ、人見くんって耳ざといんだなぁ。そんなところまで、細かく覚えてるなんてね」

 流先輩は、恥ずかしそうに頭を掻いた。

 ……おい。

 どういうことだ?

 「ってことは、つ、つまり」

 「そうだよ。秘密にして欲しいんだけど」

 彼は、俺の耳元に口を近づけた。

 「実は……僕、真子とつきあっているんだ」

 「なっ……?!」

 装甲をかぶっているので、伝わらなかったはずだが。

 俺の顔は不安と衝撃で歪んでいた。

 「他の人の前で、そんなそぶりを見せたことはなかったからね。今まで、部員の誰にも知られずに来たんだけど。まさか、昨日立ち寄っただけの君にバレるなんてな。いやぁ……これは大失敗だ」

 流先輩の表情には、まったく邪気も悪意もない。ただ、照れくさそうにしてるだけだった。

 「きっかけというか……馴れ初めは、去年の合宿でね。男女混合合宿なんだけど。その時、彼女のほうから告白されて。なんか、よく分からないんだけど、突きの訓練に一日中付き合ってあげたから、それで気に入られたのかもしれないな」

 聞いてもいないのに、すらすらと語りだす先輩。なおも口が止まらないようだが……。

 ちょっと待て!

 そんなの、聞いていないぞ。

 流先輩と、真子は何もないはずだ。何かの間違いだ。そうに決まってる。

 できるだけ、俺が真子とつきあってることは言いたくない――言いたくなかったが、これはもう、そんな余裕のある場合じゃないな。

 「――それで、この間は一緒にデートみたいなことをしたんだけど」

 「!? で、デートって……それって、いつすか?」

 「ええっと、春休みのときだったかな?」

 春休みというと、俺がいなかった期間だ。

 もしその時にデートなんかしていたとしても、俺は分からないということになる。

 だが、やっぱりありえないだろう。

 真子がウソをついて、こいつと付き合ってただって?

 ありえない! 彼女は、そんなホイホイウソをつくような人間じゃない。むしろ、ウソが大嫌いな類の人間のはずだ。

 「――いやぁ、真子って意外と甘えん坊でね。ここじゃそうでもないけど、デートのときはもう抱きついたりキスしてきたり、ぜんぜん離れなくって。ほんとに大変だったよ」

 くっ……。

 ふ、ふざけるな。真子さんが、そんなことしたなんて、聞いてない!

 俺はたまらず、流先輩の語りに割り込んだ。

 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 真子……とは、俺がつきあってるんですよ!? デートとかなんとか……そんなの、ウソじゃっ!」

 と言うと、先輩は目を丸くした。

 そして、一瞬の後、おかしそうに笑い出す。

 「ぷっ……あははははっ! 面白い冗談言うなぁ、君」

 「?! じょ、冗談なんかじゃ――」

 「だって、そもそも、義理とはいえ兄弟姉妹の関係なんだろう? 君たちって。だからこそ、一緒に暮らしてるんだもんね。そんな二人が付き合うだなんて……そもそも、兄弟なんだから結婚もできないし。付き合ったってしょうがないじゃないか。人見くん、肝心なところで冗談の爪が甘いなぁ」

 「はっ……!?」

 言い返してやろうと思っていたのだが、そこで俺は意気をくじかれた。

 主に、「結婚できない」というところで。

 そういえば、親どうしが再婚してんだから、いちおう、兄弟姉妹なんだよな。俺と真子って。

 「結婚」だなんて、これっぽっちも考えていなかったけど……。そ、その辺ってどうなってんだよ!?

 「いや、えと……冗談なんかじゃなくって……! むしろそっちのほうが冗談だろっつーか……!」

 「あ、練習終わったみたいだな。じゃあね、人見君」

 彼は会話を打ち切った。さっさと道場の真ん中へ行き、練習を始めてしまう。

 「くっ……」

 もはや練習を始めている彼に、声をかけるのはためらわれた。

 そんなことをすれば……空手部員達の前で、痴話喧嘩をおっぱじめるということにもなりかねない。

 「ただいま」

 入れ替わりに、真子がやってくる。

 呼吸が乱れて、道着の胸の部分がさかんに上下していた。いかにもスポーツ後らしく、爽やかに笑いかけてくる。

 「……お帰り」

 「どうかしたの?」

 俺の声があまりに暗いせいか、真子さんは不審げに目を細めた。

 「いや。それが……」

 

 「――ありえない!」

 俺から話を聞かされ、真子は怒鳴った。 

 あんまり大きな声だったので、バス中の視線を集めてしまう。

 「ちょっ、落ち着いて……! ボリューム抑えてボリューム!」

 「……!」

 真子、下手すりゃ俺より怒っている。

 口に指をやって「しーっ」というジェスチャーをし、ようやく真子は声をひそめた。俺の肩に、頭を乗せ掛けるようにし、ひきつづき囁く。

 「ありえない。私が、流先輩と、そんな関係――だなんて。私から告白して、デートして、キスして、ベタベタして……なんて、君以外にしたことない。それに、同時に二人と付き合うなんて、そんなつまらない真似、私がすると思う?」

 岩をもつらぬきそうな怖ろしい目線を、真子は俺に投げかけた。ちょっと、止めてよね……。今夜の夢に出てきちゃうだろーが。

 「お、思わないよ」

 「当たり前でしょう。『そう思う』とか言ったら、100回キスしてでも分からせてあげるから。いい? 私は、君が……す、好きなんだから」

 つい、「そう思う」と言いたくなる誘惑を、俺は振り払う。

 ……だから、会話の端にちょくちょく男前な台詞をはさむのはやめろ。もちろん、嬉しいけどさ。

 それに、俺はほっとしてもいた。

 「うん、そ、そうだよな。もちろん、信じてはいたけど……でも、ちょっとだけ不安で。ほら、あの人が、あんまりにも自然に話すもんで。マジ話かとほんのちょっとだけ思っちゃったんだよ」

 「ちょっとだけすら、心外だわ。確かに、面倒見のいい先輩だったし、練習もよくつきあってくれたし……先輩として好んでたことは、否定しない。だけど、それ以上のことなんて、何もなかったはず。ぜんぶ、彼のウソ」

 「そっか……う~ん」

 真子のことは信じている。

 が、それと同等程度に、かの先輩の言葉は真に迫っていた。

 少しも、作り話という風がなかった。騙そうという意図もなかった。

 正義の味方の直感というやつだ。

 まるで、二つの異世界に同時に迷い込んでしまったような気分だ。

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