10:ファーストキス

 「でも、時々かわいいとこもあると思うし……。それに、さ。正直、俺なんかを好きになってくれたってだけでさ、俺は、もうお腹いっぱいなんだよ」

 「『俺なんか』なんて……そんな言い方しないで。君のほうこそ、よっぽど頼りになる」

 「そ、そうかなぁ?」

 「そうよ」

 マコさんは、俺にキスした。

 「……っ!?」

 「私も、夏樹くんが好き」

 くちびるは、すぐ離れた。

 しかし、柔かい感触がずっと尾を引いて、残っている気がした。だって、ファーストキスだよ! こんなん、俺でなくても強烈に印象に残るに決まっている。

 「そ、そこまで俺のことを……!? な、なんで」

 「だって、いつも助けてくれるじゃない。親がどっかに行ってしまったけど、君はずっと協力的で、紳士的だった。それに……か、かわいいって……言ってくれたし」

 「えっと……いつ言ったっけ?」

 「最初に、変身を見られたときよ」

 マコさんは、思い出に浸るようにうっとりしていた。

 それって……確か、俺がこっちにきた初日じゃなかったっけ? たぶん、一ヶ月くらい前だったか。

 「そ、そんな前の話!? もう俺、自分が何言ったかなんて細かいとこ覚えてないよっ」

 「私は嬉しかったの!」

 マコさんは、パチンと指を鳴らした。

 すると、マコさんの体が光につつまれ、たちまち元の状態――身長の高い、黒髪短髪のクールな真子さんの姿に戻る。

 「魔女っ子の姿を見せたのは、君だけなの」

 「ら、らしいね」 

 「ほとんど、君専用ね」

 「そ、そこまで言う?」

 「だから、こっちの姿の私も……君のものにして欲しい」

 真子さんは、目をつぶった。軽くくちびるを突き出している。

 こ、これは。

 さすがの俺でも、何を求められてるか分かる。

 正直、顔から火が出そうだ。でも落ち着け、落ち着け俺!

 自分の心臓が跳ねまくるのを感じつつ、俺は、真子さんのくちびるに自分のくちびるを押し付けた。

 「んっ!?」

 「ぶっ……!」

 ガチン! と、俺と真子さんの前歯どうしが衝突する。

 「ちょっと、痛いじゃないっ」

 「ごめん、ちょっとビビり過ぎて震えちった……」 

 夏並みに暑いのに、震えが止まらないとはおかしな話だ。

 「じゃあ、こうしててあげるから。もう一回……して」

 真子さんは、俺を優しげにそっと抱きしめてくれた。

 ヤバイ、これはすごいドキドキする……。全身が、真子さんで包まれているかのようだった。

 「ん……!」

 こんどこそ、俺のほうから口づけした。

 たかが、体の一部どうしが接触しただけで、なんでこんなにも心地いいんだろう? 人体の神秘と言う感じがする。

 「ふむ……んっ……!?」

 「ン……ちゅっ♡ ちゅっ♡ はむン……ぷはっ」

 10秒ほどもくちびるを重ねて、真子さんは顔を離した。永遠の時間が過ぎたとも思える10秒だった。

 「ふぅ……! 死ぬかと思った」

 「どういう意味、それ?」

 真子さんは、むっと眉根を寄せた。

 「いや、きっ、気持ちよすぎて!」

 「正直ね、君……」

 キッ! と締まっていた真子さんの顔が、急に緩んだ。どうも、今の言葉は嬉しいものだったらしい。

 やっぱり、可愛いところもあるよな、この人。反応の仕方が、初々しい感じとか。

 まぁ初々しいと言ったら、俺は人のことを言えないどころか、「初々しい男子日本代表」みたいなもんなんだけど。

 「わ、私も……気持ちよかったけど」

 「そうですか……」

 「……」

 「……」

 会話が続かない。

 体も動かず、ただ抱きしめたままじっとしてるだけだ。

 何か、お互いにデッドロックにはまってしまっている気がする……。

 あれー、おかしいぞ? 一番恥ずかしい告白イベントは終わったはずなのに! 

 「あの、夏樹くん」

 「な、なんでしょうか!」

 「もう一回していい?」

 「どどどどどうぞどうぞ」

 「本当に、平気なのね? 怖いのに、ムリとかしてないのよね」

 真子さんはしごくクールに尋ねてきた。こっちは、目の前でくちびるが生々しく動いてると、それだけで頭がいっぱいになってしまいそうだ。

 「……っ。いやいやっ、怖くはないよ別に。ただ、めっちゃ恥ずいってだけで」

 「そう。それなら平気。私も、恥ずかしいから」

 「そうなんだ……」

 「ええ」

 真子さんはその恥ずかしさとやらを誤魔化すように、ツンとすまして言った。そして、ゆっくりくちびるを近づけてくる。

 ちゅっ……♡

 という小さい音を立てて、くちびる同士がぶつかる。

 熱い……。

 何か、くちびるが熱い。空気も熱い。

 「んっ……ぷはぁっ!」

 名残惜しそうに、真子さんはくちびるを離した。

 俺も真子さんも、キスしていたら呼吸するのも忘れてたらしい。はぁ、はぁと荒い吐息がかかる。これ、ひょっとして、溺れるより危険なんじゃね?

 「じゃ、じゃあ俺からも」

 「どうぞ。……好きにして」

 「す、好きにって!?」

 「それは……。もう、君の気が済むまで」

 「なっ……!?」

 そんな馬鹿な!

 もう、「気が済むまで」という贅沢な字面だけで、恐れ多くて頭がいかれてしまいそうだった。

 「と、とりあえず俺の正気度がもってくれる範囲でいいかな?」

 「なに、その変な言葉? ……ええ、構わないけど」

 真子さんは目を閉じた。

 「はやく。キス……して」

 「じゃあ、しっ、ししし失礼して……!」

 俺は、真子さんのあごをつかんだ。少し、自分側に引き寄せるようにした。真子さんは、大人しくされるがままになってくれている。や、優しいなぁ……。

 「ん……!」

 ちゅっ、ちゅっ、と数回くちびるの触れる音が響いた。

 さらには、長めにキスを継続する。くちびるを重ねたまま、俺は真子さんの手のひらを探した。

 「んんっ!?」

 俺は、真子さんと両手をつなぐ。指と指がからまる。真子さんはビックリしたのか、普段から細い目をいっそう細める。その上、目じりがトロンと垂れていた。

 「ちゅっ、ん……ちゅるっハァ……♡ ちゅっ、ちゅっ、んちゅっ……♡」

 「ぷはっ! ……ふぅ。こ、ここここれで気が済んだぞっ」

 俺は、汗まみれのおでこを拭った。見れば、真子さんも顔の側面にひとすじ汗をたらしている。俺はそれを、指先でそっと拭う。

 「手、つないでくれたのね」

 「あ、あぁ、うん。なんとなく、手とかつなぐの憧れだったし……夢がかなったよ。今のところ、気は済んだぜ」

 「そう」

 きゅっ……と、俺の手を握り返しつつ、真子さんは微笑んだ。

 

 「ただいま戻りました、美佳さん」

 俺と真子さんは、下のパラソルとレジャーシートの場所まで戻ってきた。

 「あ、おかえりなさい二人とも。……あらっ?」

 美佳さんは、にやにやしながら立ち上がる。俺たちの周囲をぐるぐる回った。

 「あら、あら、あら……? やだー夏樹くん、かっこいい~っ。まさか、そんな格好で来るなんてね」

 「い、いや……あははは」

 「……ふん」

 真子さんは、美佳さんから顔をそらした。

 ……俺の腕に抱かれながら。

 いわゆる、「お姫様抱っこ」というやつだ。

 理由は簡単である。

 俺たちがキスしまくっていた場所が岩場だったので、真子さんがちょっと足を切ってしまったのだ。

 そこで、

 「どうせなら、抱っこして欲しい……♥」

 と、真子さんがせがんだのである。

 ――ということを、俺は美佳さんに説明した。

 「へぇー、なんだかずいぶん仲が良いじゃない? ってことは……」

 「えぇ、美佳姉。夏樹くんは、私が好きだって言ってくれたの」

 真子さんは、俺の胸のあたりに頬をすりつけながら、幸せそうに言った。そんなところを刺激されると、ちょっと……くすぐったいんですが。

 「あっ、ホント~!? 良かったじゃなーい! おめでとう!」

 「誰かさんは、いろいろ画策していたみたいだけど……」

 「えぇ、何の話? 私わからないわ~」

 美佳さんはすっとぼけた。

 「あくまでシラを切る気? ……でも、美佳姉、これだけは言っておくわ」

 俺の腕に抱かれながら、真子さんは得意げに、満足げに言った。

 「何?」

 「夏樹くんは、美佳姉には指一本触れさせないから」

 と、挑戦的な目つきで美佳さんを睨む。

 そ、そこまで言ってもらえるのは嬉しいが……ちょっと、マジな感じが怖いぞ?!

 「やだなぁ、若い二人の邪魔をしたりしないわよ。むしろ、応援してるんだから。あーぁ、二人がくっついてスッキリしたわ。もう、帰ってきたときからずっともどかしかったのよ。だって、二人とも! お互いに、じとじとじとじと、腹の探りあいみたいなことばっかりしてるんだもの」

 「「うっ……!」」

 俺たちは、二人とも精神的ダメージを受けた。図星だったからだろう。

 「でも、良かった。夏樹くん、真子ちゃんをよろしくね。もし真子ちゃんを泣かせたりしたら、承知しないゾっ?」

 美佳さんは、俺のおでこを軽くつついた。

 「は、はい、そりゃもちろん……」

 むしろ、俺が泣かせられないか心配なくらいだ。

 「夏樹くん、そろそろ降ろしていいわ」

 真子さんは、足に軽く切り傷がある。大丈夫だとは思うが、いちおうゆっくりと砂浜に下ろした。

 「あ」

 「何?」

 「今、お尻触ったでしょ」

 「はっ!? さ、触ってないし! ゆっくり立たせてあげようとしたら、指が滑って先っちょが触れただけだし!」 

 「やっぱり触ったじゃない」

 足を地面につけて、俺の首に手を回したまま、真子さんはあでやかに、しかし凄惨に笑った。本当に、真子さんがそんな笑い方するとシャレにならないから止めてくれよ。

 「罰をしてあげないと」

 「ひいぃっ!?」

 「ちゅっ……♡」

 完全に不意を突く形で、真子さんは俺の頬にキスした。

 「あ、ぁ……ビックリした……!」

 「ふふっ。大好きよ、夏樹くん……♡」

 こうして、俺たちはカップルになった。

 少し、時期的に早過ぎる海だったが……来て良かった。早すぎるくらいが、返ってちょうどいいのかもしれない――と、俺は心から思った。

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