08:海水浴へ

 けれど、やはり、そんなキザなことを言う度胸がなく、口をつぐんでしまった。ダメだなぁ、俺は……。

 「っつか、ホントにビックリしてたね。なんか口開いてたし」

 「まだ、完全には慣れてなかったみたい。海に。ところで……君は大丈夫なの?」

 「え……!?」

 よくよく見たら、真子さんが俺にしがみついていた。 

 海草から逃げようとして、俺のほうにつっこんできてしまったのだ。

 真子さんの両手が俺の肩にかけられる。胸や膝、体の出っ張った部分が接触していた。

 当然だけど、いま俺は変身していない。だから肌と肌とが、直接触れていた。この感触は、少々刺激が強過ぎる。

 『真子ちゃんって、たぶん君のことが好きなのよ』

 という、美佳さんの言葉が思い出される。

 あぁ、なんでこんな時に思い出すんだよ!

 嫌われてないとは思っていたけど、まさか、好かれているだなんて信じられなかった。

 だけど、もしかしたら。

 ほんのりとえくぼをつくりながら、俺の目をじっと覗き込む真子さんを見て、「もしかしたら?」と、思ってしまった。

 顔が熱くなり、つい目をそらしてしまう。

 「ぐ……っ」

 「夏樹くん、これは……平気?」

 「かなり……ぎりぎり、かも。ていうか……めちゃくちゃ恥ずい……!」 

 「ぷっ……」

 真子さんは笑った。

 「な、なんだよ」 

 「夏樹くん、女の子みたい」 

 「そう、だな……」

 俺たちの身長はほとんど同じくらいなので、彼女の笑った時の吐息の温かさすらも、伝わってきてしまう。

 「とっ……とっ、とりあえず、もとの姿勢に戻ってもらっていいかな?」

 「はいはい」

 真子さんが体を離すと、ようやく圧迫感から解放される。どうも、俺は呼吸を忘れてしまっていたらしく、息苦しかった。

 「はぁ……うっ、はぁ、はぁっ……!」

 「夏樹くん……気持ち悪いんだけど?」

 

 一通りバタ足の練習をした後、海辺へ戻る。

 別に手をつないだりしない。そんな必要ないんだから、当たり前だ。つきあってるわけでもなし……。

 ただ生身の体で、近くで二人一緒に歩いている――というのは、けっこうな進歩かもしれない。

 「二人とも、そろそろお疲れ? ずいぶん泳いでいたみたいね」

 レジャーシートとパラソルの所に、美佳さんと春彦がいた。

 「……そういう美佳姉は、何やってるの」

 美佳さんは、頭に黒いサンバイザーをかぶっている。しかもそこから帳のように黒い布がたれ、顔全体を覆っていた。あまりにも仰々しい。まるで装甲ライダーの頭みたいだ。

 「やっぱり、日光はお肌の敵だもの。日に当たるわけには行かないわ」

 と、すまして言う。

 「私たちには、外に遊びに行けとか言ったくせに……」

 「でもきてよかったでしょう?」

 「それは……うん」

 「夏樹くんとも、ずいぶん仲良くなれたみたいだしね」

 「……!?」

 変身を解いた俺と、肩を並べて立っている――そんな真子さんをからかったのだろう。真子さんは照れ隠しでもするように、さっと美佳さんの隣に腰かけた。俺も、あわてて変身し、装甲ライダー姿になる。

 「はいっ。二人ともどーぞ。お疲れさま」

 美佳さんは、俺と真子さんに炭酸飲料の缶を渡した。

 「うぉっ、これは喉に染み渡る~っ!」 

 俺は、ひと口でほとんど半分飲んでしまった。それほど、熱く太陽が照り付けている。

 「やけに用意がいいのね。美佳姉」

 「まぁ、誘ったのは私だから、多少のサービスはしてあげないとって思って」

 「誘ったというより、ほとんど誘拐よね」

 姉妹はクスクス笑った。水着姿のまま、無防備に会話する姉妹を、俺は会話に混じるでもなくぼんやりと眺める。

 なにか、こう、感動だった。

 「異性と一緒に海に遊びに行く」ということ自体、俺には一生縁のないファンタジーの世界だと思ってしまってたのだが……。

 リアルではどうせ経験できないだろうから、この際恋愛小説やマンガでも読んでお茶を濁すしかないのかな?

 ――なんて、悲しいことも思ってたのだが。

 実はそうでもなかった。

 それが嬉し過ぎるし、信じられない。

 「どうしたの夏樹くん? そんなにじろじろ見て」

 「えっ! いや……そのっ」

 「女性と一緒に海に行ける感動を味わってました!」とは言えず、口ごもる。

 「あっ、分かった。もぉ~っ、夏樹くんったら~」

 と、美佳さんはササッと体を隠しつつ、俺の肩を軽くはたいた。

 「いや、そんな……別に、み、見てないですよ」

 「え~っ!? せっかく水着買ってきたのに、ちょっとは見てくれないともったいないわよ」

 「見ればいいのかいけないのか、どっちですか?!」

 すると、美佳さんは俺の手をとって、姉妹の正面に座らせた。

 「ええっと……何?」

 「なんだかじろじろ見ていた夏樹くんに質問しちゃうけど……。今の私と真子ちゃん、どっちが可愛いと思う?」

 「!?」

 なんだその、爆弾を投下するような質問は……。

 当然、俺はお茶を濁した。

 「え、ええ~、そんなっ……ふ、二人はぜんぜん違いますし、そんな、どっちが可愛いとか比べるだなんて、品のない……」

 「そう? じゃあ、そんな私たちをじろじろ眺めるのは品があるのかしら?」

 「くっ……!?」

 俺は答えられずに沈黙する。

 「ほらほら、言っちゃいなさいよ夏樹くん。誰も怒らないから。ねぇ、真子ちゃん?」

 「……う、うん」

 「えぇっ!?」

 真子さん、「うん」じゃねーよ!

 止めてくれよ! 

 その時、美佳さんが俺にだけ見えるようにウインクした。つまり……これは。

 真子さんと俺をくっつけようという、お節介的なアレなのか?

 う、うぅん……ど、どうしよう?

 なんとなく、素直に従うというのも、美佳さんの術中にハマった感じがして怖いんだけど。

 美佳さんは面白そうに俺を見守る。他方、真子さんもけっこう真剣にじっと見つめてきた。

 ……まぁ、仕方ないか。

 本当のところは、姉妹どちらもスタイルはいいと思う。甲乙はつけがたい。

 でも、「どっちも可愛いよ」とか言うのも、ちょっとありきたり過ぎてつまらないよなぁ。

 俺は、舌でくちびるを湿らせる。そして、やっとこさ口を開いた。

 「ど、どっちも……可愛いと思います!」

 うぁーっ!

 言ってしまった!

 やっぱりダメだ、ごめんなさいっ! 俺にはまだ、こんな恥ずかしいシチュエーションは、早過ぎるんだ!

 「そ、そう……」

 美佳さんは、「ダメだこりゃ」という感じで首を振っている。

 「……ふぅ」 

 真子さんは逆に、ほっとしていた。そんなに姉に勝つ自信がなかったのかな。

 真子さんが、お手洗いに行った後、

 「もぉーっ、せっかくアピールするチャンスを作ってあげたのに……どうしてそこでヘタれちゃうのかな、夏樹くん!?」

 「すっ……すいません! ヘタレで!」

 俺は、砂浜に頭を埋めて土下座していた。変身していなかったら、髪を火傷していたところだ。

 あ、あれ? なんで俺謝ってるんだろう?

 美佳さんは、不安げな顔で真子さんが去った方向を見やる。

 「もしかして……夏樹くんは、真子ちゃんが嫌いなの?」

 「いやいや、嫌いだなんてそんな。俺が真子さんを嫌いになる資格なんてないっすよ。普段、いろいろ助けてもらっているし……真子さんがいなかったら、俺はもう春彦の世話だけで容量オーバーっすね」

 「じゃあ、いいじゃない。ほぼ両想いってことで。どうしてアピールしないの!?」

 「い、いやー……もしそうなら、真子さんのほうから言って欲しいな~って。だって俺、女子苦手ですし……普通に会話するのでさえ重荷気味なのに、そんな高等テク無理っすよ……」

 俺は、つんつんと自分の指先どうしをつついた。

 美佳さんは、「うわぁ……」という顔をする。

 「こらこらっ。もう、そんなに立派な姿して、小心者なんだから……お姉さん、感心しないぞ? 女の子はね。基本、男の子の側から、告白して欲しいと思っているものなのよ? 向こうから告ってもらうために、色々いじましくアピールしちゃうものなんだから」

 「え……そうなんすか?」

 初めて知ったよ、そんな習性。

 「だから、次はぜったい上手くやるのよ。夏樹くん」

 「はぁ……。あの、次ってのは?」

 何か嫌な予感がする……。

 正義の味方の第六感というやつだ。

 「こうするの」

 真子さんは、俺を立たせ、自分も立ち上がった。そして、俺の手をつかんだまま、わざとらしく転ぶ。 

 「きゃぁっ、転んじゃった~っ」

 「はぁっ!?」

 俺ごと、美佳さんはレジャーシートに倒れ込む。

 うつぶせな美佳さんの上に、俺が肘をついた。

 そう、これでは……まるで、俺が美佳さんを襲っているみたいな格好じゃないか。

 いったい、どこが正義の味方だ。

 こんなところ、真子さんに見られたら……俺が悪者として成敗されてしまう。あの人、めちゃくちゃ強そうだし。

 「ちっ……ちょっと、こんなことして、一体何にっ……!?」

 「ほら、夏樹くん、あれあれ!」

 真子さんが、ちょうど砂浜と道路の境目あたりに立っている。

 いつもは細く鋭い目を、珍しく大きく丸く開けていた。しかも、両こぶしを「ファイティングポーズ」みたいに固めている。

 お、終わった……。

 殺される?

 と、思いきや、

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