03:いじける真子
なんだ?
……なんか、怖いよ。
ホラーとかそういうのではなくて、真子さんが相手だと、暗闇から不意打ちにパンチを浴びせられそうな怖さがある。こんなこと、本人には言えないな。
「少し、姉と話していただけ。それじゃ……」
階段の電気をつけ、真子さんは二階に消える。心なしか、その頬は真っ赤に染まり、目も充血しているように見えた。いったい、姉妹で何を話したんだ?
「まったく、なんなんだ。あのお姉さんは?」
「私がどうかしたのかしら、夏樹くん」
「うわあああぁぁっ!? ……み、美佳さん」
自分の部屋に入ったとき、美佳さんが俺のベッドに腰かけているのを見つけた。
さ、さっきみたいに、ベタベタされたらどうしよう。
「な、何か御用ですか」
「あのね、ちょっとお話したいなと思って」
とんとん、と美佳さんはじぶんのすぐ隣を叩いた。そこに座れという意味らしい。やむなく、言う通りにする。
「真子ちゃんから、色々聞いたの。大変だったみたいね。そこまで女の子が苦手だなんて……今も、ついくっついちゃっているけど、大丈夫?」
「はぁ。まぁ、このていどならなんとか」
「よかった」
美佳さんは微笑んだ。
「私思ったの。君の苦手を克服する、お手伝いができるんじゃないかって」
「そ、そりゃぁ……どうも。でも、お手伝いってなんすか?」
「ふふっ、こうするの」
美佳さんは、俺の両手をとった。手のパーツ越しに、彼女の手の感触が伝わる。
「えっ……ちょっ……それは!?」
「『女の子は怖くない』ってイメージを持てば、きっとましになるわ。だから、そのお手伝い。ほら、何も怖いことなんてしないでしょ?」
「え、えと……そう、ですけど……!」
手を握ったまま、優しく微笑まれる。
たしかに、このていどの触れ合いなら、良い効果はありそうだけど……。ただ、俺は無性に胸がざわざわした。
今この瞬間を、真子さんには見られたくない――と、思った。
「美佳……姉? 何、してるの……!?」
まさに、その瞬間だった。
開いたドアから、真子さんが室内を見ている。
しまった! 美佳さんがいてびっくりしたせいで、ドアを閉めるのを忘れていたらしい。
「あら、真子ちゃんじゃない。さっき話したでしょう? 夏樹くんのこと。それで思いついたのよ。こうしたら、夏樹くんも少しは女の子に慣れるんじゃないかって」
「……!」
とたんに、真子さんはずかずかと室内に入った。俺のほうは見もせず、美佳さんにむけて怒鳴る。
「余計なことしないで! 夏樹……くんは、本当に苦手なの。美佳姉が考えているような、軽いものじゃないの! 嫌がらせみたいなことはよして!」
「そんな~っ、嫌がらせだなんて。せっかく可愛い弟くんができたのに、そんなことするわけないでしょ? 考え過ぎよ。ね、夏樹くん?」
「え、と……嫌がらせ……ではないと思うけど」
その後に続けようとしたが、鬼の首をとったような調子の美佳さんにさえぎられる。
「ほらーっ、夏樹くんもこう言ってるじゃない。真子ちゃん、あんまり変なこと言っちゃだめよ。夏樹くんが気を悪くするでしょう?」
「……っ!」
真子さんは眉間に皺を寄せた。吐き捨てるように、
「もういい!」
と言って、部屋を立ち去る。真子さんが自分の部屋のドアを閉める凄い音が、壁を越えて聞こえてきた。
「あら~っ、真子ちゃんすねちゃったみたい」
「え、えぇ……」
「真子ちゃんって、いっつも寡黙だけど、割りと怒るときは怖いのよ。君もそう思わなかった?」
「……そうですね」
正直、今すぐ真子さんに弁解しに行きたい。が、今なにを言ってもぶっ飛ばされそうな怖さがあり、俺はしり込みしていた。
「でしょう? でもあれで、けっこう可愛いところもあるのよ。小さいときは、お姉ちゃんお姉ちゃんって、四六時中甘えてきて」
「ええっ!? そうなのか……」
あの真子さんが、他人に甘えるなんて。そんなところ、想像も出来ない。
「大きくなったら、だんだんとそういうこともなくなってきちゃったんだけどね。でも、どう? 可愛いでしょう?」
「そ、そっすね」
実を言うと、想像できないので、可愛いのかそうでないのかも分からなかった。
美佳さんは、ほどなく俺の部屋から去る。
明日、真子さんになんて顔して会えばいいんだ?
俺は、そんなもやつく不安を覚えながら、ベッドに入った。
翌朝。
「いってらっしゃ~い。今日は、春彦くんの面倒は私が見ておくから。二人でゆっくり学校生活を楽しんできてね」
「はい、いってきます」
「……」
「あれ? 真子ちゃん、挨拶が聞こえないわよ? ほら、『いってきまーす』って元気に言いましょうよ!」
「……うるさい」
真子さんは、わき目もふらずに玄関を出た。俺も慌ててついていく。
なんか、朝っぱらから空気がすごい不味いんだけど……?
バス亭まで歩いていくが、真子さんは何も話さない。俺はいったいどうすればいいんだ……? と、居心地の悪さに全力で耐える。一歩一歩踏み出す足が、鉛のように重く感じた。
「昨日」
「……え?」
急に、真子さんが一言だけ呟く。もうその一言が、地獄の底から響くように低い。
「昨日……姉とずいぶん、仲良くしていたのね」
「あ、あぁ……よっ、よよよよ夜のこと?」
やべぇ。舌がまわらん。
「あれは……なんか、お姉さんがいきなり俺の部屋にやって来ちゃってさ」
「それで仲良くしたと」
な、なんだ?
やけに「仲良く」というのを強調してくるな。
「なっ、仲良く? 仲良くというと、なんか語弊があるけど……。いや、別に俺が頼んだわけじゃないんだ。けどさ、女子が苦手っつったら、あんなことを――」
「それで、手をつながれて嬉しかったのね」
「え、えぇっと……?」
真子さんの声音がちょっと、怒りに震えている。なんでこんなキレてるのか。
待てよ。
そういえば、「真子ちゃんは焼きもち焼いてる」と、お姉さんが言っていたような。
ということは……真子さんは、俺に焼きもちを? お姉さんに、俺をとられて?
真子さんは、道路のガードレールを逐一射殺すような目線を投げながら、ツカツカと歩いている。歩くペースが早くなり、微妙に俺を追い越し始めていた。たしかに、これは怒っている。
だけど……真子さんが、俺に焼きもちを!?
いやいやっ。ないない、ないから。
そんなことはあり得ない……よな?
だって、俺、それらしいことなんて何もしていないし。っていうかなんだよそれらしいことって! 想像するのも恥ずかしいわ!
たぶん、真子さんは美佳さんに焼きもちを焼いているのだ。小さいときは、お姉ちゃん子だったみたいなことを、昨日聞いたじゃないか。そうだよ……お姉さんをとられた気がして、悔しかったんだ。それなら全部、説明できる。俺、頭よすぎじゃね?
「い、いや~っ、美佳さんの手、なんかすごい温かかったなぁー。きっと、根はいい人だから、手を握るだけでヒーリングというか、他人を癒すみたいな効果があるんじゃねえの? 真子さんのお姉さんって素敵な人だよなぁ。あっ、そうだ! 今日帰ったら、真子さんもやってもらえば――」
「っ……!」
あ、あれ?
真子さんは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。そこは、喜ぶところでは?
「そんなに姉が好きなら……もういいっ!」
突然、真子さんはダッシュで走りだした。俺を置き去りにして。
「えっ!? ちょ、どこ行くの!?」
どうやら、何か余計なことを言ったらしいが……?
俺は、真子さんの後を追いかける。
「あっ!?」
たぶん、ろくに前も見ずに走っていたのだろう。真子さんは、思い切り転んでいた。
「ちょっ、真子さん大丈夫か?!」
ライダー・ダッシュで、瞬く間に真子さんに追いつく。
彼女は、運動神経は悪くないらしく、地面にしっかり手をついていた。大事はない。が、顔をしかめている。
「痛っ……」
「うわ、膝から血出てるじゃん。ちょっと待って」
俺はカバンを降ろした。
「何をするの」
「いや、消毒しないと」
ペットボトルに入った水を、俺は振って見せた。
「……そこまでしていらない。大げさよ」
「大げさじゃないって。傷から菌が入ることもあるし、いちおう。ちょっと、膝出してくれ」
「要らないっ!」
「あぁもうっ、分からず屋だな! もう、無理やりやっちゃうからな!」
スカートから伸びた、真子さんのむき出しの足をつかむ。膝を出させた。
「ちょっと!?」
「いいから、大人しくしてくれよ」
水で傷口を洗った後、ハンカチで傷口を覆う。
「痛っ……!」
「ごめん、ちょっと我慢してくれ」
水分を拭き取り、絆創膏を貼っておいた。よし、これで完璧だ。
「よし、オッケー。平気だろ? これで」
彼女は少々、あっけにとられたように目を丸くしていた。
「……何か、ずいぶん用意がいい」
「備えあれば憂いなしってやつだな」
「……ふん」
真子さんはおずおずと立ち上がった。
「っつーか、なんか怒ってる? 俺、変なことやっちゃったかな……?」
「別に」
台詞は淡白だったが、真子さんの口調はかなり弱弱しかった。こんな彼女は見たことがない。
「……とにかく、急に走り出したら、危ないじゃん」
「そうね。それじゃあ」
と言うや否や、真子さんは走り出した。
遠くで、既に到着していたバスに乗り込んでしまう。
「ええっと……『急に』じゃなきゃ良いってもんでもないんだけど……」
何をスネているんだろう……やっぱり昨日のこと?
一緒の家から出たのに、別々に学校へ行くというのもおかしい。バス内でも、俺たちはいちおう寄り添っていた。
さっきから、真子さんは窓の外をじっと見ている。時おり、俺のほうを振り返っては、すぐにまたそらすということを繰り返していた。
何かこう……かまってほしそうなオーラを感じるんだけど。どう声をかけたらいいか分からない。
ふと、バスの前を急に自転車が横切った。急ブレーキがかかり、車内が大きく揺れる。
「あ」
俺はバランスを崩して、壁に手をついてしまった。
真子さんも同じく体勢を崩してしまう。俺のほうに、正面から体を押し付ける形になった。
混んでいるから、別に目立ちはしない。
でも、これじゃ抱きつかれているみたいだ。
「……ごめん」
真子さんは、ぼそっと囁いた。
「い、いや……。な、ななななんなんだろうな今の自転車。危なすぎだし?」
「そうね」
バスが発進した後も、抱きつくような体勢は保たれたままだ。ここまで密着されると、装甲着てなかったらヤバかったな。
「えっと……真子さん?」
「何」
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