第二章

01:足をからめてイチャイチャ

 4月も終わりに差し掛かった、ある日。

 カラス事件が終わった後も、俺たちの生活はさして変わらない。

 「はい、真子さん」

 俺は淹れたばかりのコーヒーを差し出した。

 「ありがとう……あ、熱っ」

 あわてて、彼女はそれをテーブルに置く。

 「あ、悪い。熱かった?」

 「少しね」

 真子さんは「ふー、ふー」とコーヒーに息を吹きかける。

 「君こそ、こんなの持って熱くなかったの?」

 「俺は装甲で守られてるからね」

 俺は手をぱっと開いてみせた。

 「便利ね。……鍋つかみをつけているみたい」

 「だから手先が不器用なんだけどな」

 ほとんど同時に、俺たちはくすっと笑った。

 なんとなく、居心地のいい雰囲気の朝だった。

 気のせいだろうか? 真子さんの雰囲気が、少し柔かくなった気がする。

 その時、電話の鳴る音が唐突に響いた。

 「俺の携帯だ」

 発信者は……「親父」とある。俺は通話をタップした。

 『よう夏樹ィ! どうだ調子は? 上手くやってるか?』

 久しぶりに聞く、親父の声だった。俺はすぅっと息を吸い込み、

 「いったい、そこでずっと何やってんだよ! さっさと帰ってこい、クソ親父ッ!」

 開口一番、思い切り怒鳴った。

 この親父こそ、俺たちに赤ん坊の世話を押し付けて去った張本人だ。俺が怒るのも当たり前。

 高校生ふたりで家事を全て済ますって、じっさいけっこう辛い……。俺は、普段の不平を思い切りぶつける。しかし、親父はどこ吹く風だ。

 『――なるほど、それなりに上手く言ってるみたいだな。へぇ、赤ん坊をカラスからとっかえすなんて、すごいじゃねぇか! この分なら――』

 親父が「この分なら」と言いかけたが、俺は怒っていたので口を挟むことを優先してしまった。

 ……どうせ、「この分ならもう少し二人だけで暮らしても大丈夫だな!」とか言うつもりだったんだろう。

 「別に、あんたに採点してもらったって嬉しかねぇよ。こっちに来てから、もう2、3週間は経ってるぞ? いったい、いつまでそっちにいるつもりだよ」

 『そうさなぁ』 

 親父は考え込んでいた。

 『もう2、3週間ってところか?』

 「遅過ぎだよ!」

 『とにかく、家事はまめにやれよ。じゃあな!』

 親父は俺の返事を待たずに通話を打ち切った。

 「はぁ……自分では家事なんかやらないくせに、偉そうに言いやがって……!」

 「隆英さん、なんて?」

 「あと2、3週間は帰って来ないってさ」

 「そう」

 コトン、と何事もなかったかのように、コーヒーカップを置く真子さん。

 彼女の目から、光が消えた。

 「ちょっ……真子さん!? 目がやばくなってる! とりあえず……枯死にしないように、もうちょっと頑張ろうぜ。……二人で」

 「うん……頑張ろう」

 真子さんは、少しだけ目に光を取り戻し、微笑した。

 こんな生活、いったいいつまで続くのだろう?

 

 学校に行っても、俺たちの気苦労は変わらない。というのも、晴彦の面倒を見なければいけないからだ。

 変わったことと言えば……毎日、余計なのがくっついているってことくらいか。

 「はいっ、コンマさま! 私のあんぱんひと口食べる?」

 「え……えぇ」

 真子さんシンパなクラスの女子が一人、わざわざ机を持ってきていた。

彼女にむけて、あんぱんを差し出す。

 真子さんは、さほど気乗りしているわけでもなさそうだったが、ともかくそれに食いついた。それ間接キスじゃね?

 一斉に真子さんに押しかけるのはダメだと、彼女たちは気づいたらしい。だから、毎日一人ずつ一緒に食べにきているのだとか。

 真子さんの正面ポジションは、今までは俺のものだったんだけど。

 ちょっとだけ、もやっとする。が……まあ大したことじゃない。

 「ん?」

 とつぜん、真子さんの靴が、俺の頑丈な装甲靴に当たった。内股気味に座っていたから、足先が外にはみ出し、たまたま当たっただけのようだ。

 なぁんだ……。

 ふと、俺は気まぐれを起こした。今当たったのをお返しする感じで、真子さんの足先をつっついてみる。

 「?」 

 真子さんは、横目で俺のほうを見た。

 俺はにやっと歯を見せて――装甲兜をオープンにしているので、口もとが見える――さらに、親指を立てて合図した。

 真子さんは、女子生徒に色々話しかけられて困り顔だったが、こんどは苦笑いになった。

 ……いま、よく考えたら俺、女子に足先で触れてた。どうも、俺の体質は、ちょっと改善したっぽいな。

 装甲をまとっているなら、触れても問題ない。

 けど、装甲を脱いだらどうなるか、試してみる度胸はない。

 ……う~ん。こんなんだから、ダメなんだなきっと。

 「ん?」

 食事に戻ろうとした瞬間、再び俺の足先がつつかれる。真子さんの足だ。ただ、顔は女子生徒のほうを向きっぱなしだ。

 触れ方はごく優しいものだった。別に、いやがらせとかじゃない。遊びのつもりだろう。

 そっちがその気なら……もうちょっとつきあってやる。

 最初につっついてきたのは、そっちなんだからな! と、誰にしているのか分からない言い訳をしつつ、真子さんの足をつつき返す。

 真子さんは、どこ吹く風という体で無視した。

 あれ? もう飽きたかな? と、俺はまたフォークをつかみなおす。

 「んっ?」

 ……あ、まただ。

 また、足先をつっついてきた。

 心なしか口の端が上がって、真子さんは笑っている気がする。

 な、なんだ……? この、子どもみたいな反応は。

 いわゆる、「イチャついている」とまではいかないだろうけど……なんと呼んだらいいんだろう? こんな遊び、聞いたことがない。

 少々おもしろくなってきて、またつっついた。すると向こうも、やっぱりつっつき返してくる。

 「ふっ……」

 と、つい笑ってしまった。

 よし、こうなったらやるところまでやってやる!

 真子さんもそんなつもりだったらしく、互いの足先がとんとんと何度もぶつかる。さらに、かかとや、足の側面までぶつかりだしていた。

 いったい、飯の時間に何をやってるんだ、俺たち……?  

 しかし……ちょっと妙な気持ちだ。

 なぜか、足先がぶつかるたびに、ワクワクする。

 「……うぅん」 

 こんなほんのちょっと触れるだけの遊びで、ここまで楽しくなるなら……いったい、今まで女子を避けてきたのはなんだったんだろう?

 「女子が怖い」だなんて、ひょっとして、俺の思い込みだったのでは?

 真子さんとイチャつく(未遂)と、足どうしが一回一回ぶつかると、その度ごとに、俺の人生観みたいなものがガラガラと崩壊していく音が、聞こえる気がした。

 真子さんは、微笑を俺に見せつける。

 「もっとやってみたら?」とか、そんな感じのクールな台詞が、勝手に頭の中で再生された。

 くっそー、やってやる!

 さらにぶつけ合う内に、こんどは俺のすね(装甲)と、真子さんのふくらはぎがぶつかった。

 「っ?!」

 思わぬ大接触にたじろぐ。

 真子さんは、さらに調子に乗る。こんどは足を鉤状に曲げ、俺の足とがっちり組み合わせたのだ。

 「あ……ぁ……っ?!」

 「……」

 真子さんは、なおもおしゃべりを続けている。が、こっちを見て含み笑いをした。なんといやらしい笑い方……。

 こんどは、引っ張り合いだ。絡ませた足先を、お互いにぐいぐい引っぱるのだ。

 とくに、痛くはない。

 でもやっぱり……こんな行為、同性相手にやったところで面白くもなんともないと思う。異性が相手だから、こんなに楽しいんだろうな……。

 「あっ」

 ぱっ、と足どうしが離れてしまった。

 ちょっと寂しい。よし、もう一回! と、足先を組み付かせる。

 「!?」

 びくっ、と真子さんの背中が、少しだけえびぞりになる。 

 ふふっ……やってやった。

 しかし、真子さんの反応は、俺の予想をさらに超えた。

 なんと、今度は足ではなく、脚どうしを絡ませてくる。

 おいおい!

 ここまでくると、ぜったい他のやつにバレちゃうだろ。どうしよう……脚同士が大きく触れているのは……実は、けっこう気持ちいいのだが、でも……これはちょっとっ……! 

 その時、予鈴がなった。

 「あっ」

 はたと我にかえって、俺は弁当箱を見下ろす。

 ……まだ、半分も残っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る