08:箒に乗って

 その後、少しの間探してみたのだが、やはり見つからず。

 かといって、春彦の足で遠くにいけるわけもない。あんまり離れたところを探すのも変かと思い、つい教室のほうへ戻ってきてしまった。

 「夏樹!」

 「あっ、真子さん」

 真子さんが、廊下のむこうからやけにいい姿勢で走ってくる。

 「見つかったの?」

 「いや、あんまり遠く探しても意味ねえかなって……戻ってきたんだけど、そっちは?」

 ふるふるっ、と真子さんは首を横に振った。

 「一度、新たな目で見直してみましょうか」

 俺たちは、教室に入った。自分たちの机を見直す。

 「君が寝てる間に、いなくなってたのよね」

 「あぁ、うん。でも、もし……床に落っこちたとかなら、絶対泣くと思うから、気づくよな。それに、そんな状態で遠くにいっちまうわけないし」

 「そうね……。でも、もし……泣くこともできないほど、大怪我をしているとしたら?」

 「うっ……そ、それは!?」

 それは。……確かに、考えられないわけではないけど。

 真子さんの瞳は、責めるわけではなく、追及するのでもなく、ただ俺に問いかけていた。

 なんか、こういう時って、女性側のほうが感情的になってしまいそうなものだけど。

 真子さんは、ぜんぜんそんなことがない。むしろ俺のほうが、よほど焦っているような気がした。

 「そこまで大怪我したなら、遠くにまでハイハイなんてできないんじゃないか?」

 「それもそうね」

 「やっぱり……おかしいよ。たかがほんのちょっと、俺が目を離した隙に、あっという間に消えるなんて。でも、教室には他の生徒もいたし、誘拐されたってこともないだろうしな」

 「君が寝てる間に、春彦が立って歩くことに目覚めて……散歩に出かけたとか」

 「いや、成長早過ぎでしょ春彦!」

 下らない冗談を言っても、気分は晴れなかった。

 俺のせいで。

 正義の味方の格好をしているくせに、赤ん坊一人見張れないのか、俺は。

 机に手をつき、うなだれる。

 「夏樹……」

 「ごめん。俺……春彦に何かあったら!」

 真子さんは、手を伸ばした。多分、俺の肩を叩こうとしたのだろう。途中で、俺の体質のことを思い出したのか、ぱっと手を引っ込めた。

 「君のせいじゃない。もともと……春彦の世話を私たちに押し付けた、母も悪いんだから」

 「ま、まぁ、それはそうだけど」

 「君が落ち込んでも、どうにもならない」

 冷静な表情の中に、かすかな笑みを真子さんは浮かべていた。

 この人、最初は、ただ怖いだけかと思っていたけど、本当は……。

 装甲複眼ごしに目を見合わせる。俺は、強張った顔を少し崩した。

 「真子さん……」

 「夏樹」

 「はい?」

 「……笑ってるのかもしれないけど、装甲ごしだと分からない」

 「あ、そっすね」

 そういえばそうだ。笑いかけても、意味ないじゃないか。

 「でも、ここまで見つからないなら、もう、警察に任せるしかねぇのかな……?」

 「……」

 真子さんは、急に黙り込んだ。

 「いちおう……手がなくはないけど」

 「え、どんな手?!」

 いくら探しても見つからない赤ん坊を、いったいどんな「手」で見つけるというのだろう?

 真子さんはしばし、俺が何を聞いても答えなかった。なにか苦しそうにくちびるを噛んで、両のこぶしをぎゅっと握る。

 今にも、ジャブを繰り出してくるんじゃないかとビビらされてしまったが……。

 やがて、決心したように顔を上げる。その目は、いつもと違って大きく見開かれていた。

 いったい、何を言い出すのかと思えば――

 「夏樹……あの……他の誰にも、絶対に見られない場所ってある?」

 「……は?」


 校庭、体育倉庫の裏側。

 塀との間に微妙な隙間が存在している。が、その体育倉庫自体ふだんは使われないということもあり、周囲にまったく人の気配はなかった。

 「夏樹、誰もいない?」

 「あ、あぁ……いないけど」

 「じゃあ、やるから……」

 真子さんは、うつむき加減に言った。

 別に、何か怪しげなことをしようというのではない。

 俺はただ、ハラハラしながら見守るばかりだ。真子さんは、スカートのポケットからステッキを取り出す。が、その手は震えていた。

 俺のせいで、こんなことをさせるのは申し訳ないが。正直、これからどんなことが起こるのか興味があって、止めようという気はなかった。

 「真子さんも、へっ変身できるんだよな。そういえば……」

 「あまり見ないでくれる?」

 「はぁ。じゃあ……えぇっと……う、薄目にしとくよ」

 「ばか」

 珍しく、ぶすっとむくれた顔で言う。

 彼女はステッキを両手できゅっと握り締めた。

 そして、始める。

 魔女っ子・マコ(仮名)の、変身の儀式を。

 真子さんは、目を閉じた。くちびるをそっと開く。

 「我は命じる。全一(ぜんいつ)無限創造主の名において。無限知性の愛と光の名において。謙虚なる伝道者ラーの名において――」

 うわ、詠唱してる。

 なんだか本格的な変身だな。と、単純な感想を抱く俺。しかし、そんなばかな感想は、すぐ喉元に引っ込んだ。

 「――エーテルの輝きよ、星を超え、我が器に満ちよ」

 ごぅっ――と、辺りに風が吹きはじめ、木々の葉が揺れる。

 目に見えないエネルギーが真子さんの体に満ちるように思われて、俺は目を丸くした。その不可思議な力を、目に焼き付けようと努める。変身するところなんて、滅多に見せてもらえなさそうだし。

 「――成れっ、ミラクル・マテリア・チェンジ!」

 「うぉっ!?」

 不思議な光が真子さんの周囲に具現化し、彼女をすっぽり包み込む。セーラー服、スカート、彼女のまとっているものが消え去るのがちらりと見えたかと思うと、例の桃色のワンピース(?)が自動的に身につけられる。

 さらには、彼女自身の身体が変化していった。

 黒い短髪は、優雅なウェーブのかかった長い金髪へ。

 身長も、体の輪郭も、中学生ていどにまで縮まり。

 化粧気のなかった顔に、色鮮やかな装飾が施され。

 短かったステッキは、長い魔法のほうきに。

 彼女は、腕を下ろすと、凜と顔を上げた。

 そこにいたのは、もはやただの高校二年生・榎真子(えのきまこ)ではない。誰もがそれと聞いて思い浮かべるような、魔法少女、あるいは魔女っ子そのものだった。

 「うわっ……。えっと……す、すげぇっ」

 「……感想はいらない」

 どうやら、キリッとした表情でまっすぐ前を向くのは、変身ポーズの一部に過ぎなかったらしい。

 ひとたび変身を終えると、マコさんはすぐ顔を落としてしまう。ぎりぎりと歯ぎしりしながら、グラウンドを睨んでいた。

 「つーか、やっぱり……こっ、声もぜんぜん違うんだなぁ」

 「あんな低い声じゃ……どうせ、この姿には似合わない」

 「いやいやっ、そう卑屈にとらないでっ!」

 実際、声も別人かと思うほど高くなっている。ハスキーな痺れる声から、耳を切るようなかん高い声へ。まず、同一人物とは気づけない。現に、俺も初遭遇のときは気づかなかったわけだし。

 「そんなに、めずらしい?」

 「そりゃめずらしいに決まってるよ。変身するのを見るなんて、真子さんがはじめてだし」

 「君は四六時中してるじゃない」

 「……ってもなぁ。俺と真子さんじゃあ、同じ変身でもぜんぜん質が違うといか?」

 かたや、メタリックな真紅の装甲ライダー。

 かたや、メルヘンチックなピンク色の魔女っ子。

 この二人が同じ空間に存在していること自体、人の美意識ってものに対する冒涜じゃないか? ――と、思えるような組み合わせだった。

 「いっておくけど。普通の人間からかけ離れているのは、夏樹、君のほうだから」

 「いや……そう怒んないでよ」

 魔女っ子姿を人目に曝すのが、よほど嫌らしい。

 ……誰もいないところでは、あんなにノリノリだったくせに。

 「……もういい。とにかく、春彦を探す」

 真子さんは、箒を片手で巧みに回転させた。そして、それを地面に突き刺す。一瞬の沈黙、そして。

 「視えた」

 「え、マジ? 早いな~っ……よかった。で、ドコにいるんだ?」

 「春彦は、今……空の上にいる」

 と言って、マコさんは空を眺めた。大まじめな顔で。

 「え、ええぇぇっ!?」

 マコさんは説明してくれる。

 どうやら、俺が寝てる間、ほんの数分間の間に、教室の外にカラスがやって来ていたらしい。

 たまたま開いていた窓から、カラスが侵入。

 そして、春彦を捕まえて飛び去ったというのだ。

 「ず、ずいぶんパワフルなカラスだな。……いい迷惑だよ」

 「うん。とりあえず、春彦が学校にいないのは分かった。他の子に手伝ってもらっていたんでしょう? もう必要ないって、連絡して」

 マコさんは、スマホを俺に差し出した。なんだか、スマホまでもがまるっこいピンク色の魔女っ子アイテムみたいに変形しているのだが……それはつっこまないとして。

 「え……。マコさんが電話すればいいじゃん。なんで俺? 女子とか怖いし、なるべく話したくないんだけど……」

 「私も、女子なんだけど」

 マコさんは般若のような表情になった。

 「ちっ、ちがっ……! マコさんが女子らしく見えないとか、そういう意味ではぜんぜんなくってっ?!」

 「君のどもり方にも、慣れてきた」

 マコさんは、めんどくさそうに目を閉じる。

 「私は……この声だから。今は、みんなと話したくない」

 「あ、そういうこと……」

 確かに、この声じゃ真子さんとは認識できないよな。

 「じゃ、まぁしょうがないか」

 やむなく、スマホを受け取る。

 それにしても、マコさんは、自分の声がかなり恥ずかしいらしかった。ピンク色に塗られたチークの上からでも分かるくらい、頬が紅潮している。

 いつもは、クールでかっこいい真子さんだが。それがこんな表情をされると、なにかモヤモヤする。

 俺はマコさんを見ていられなくなり、早々に背を向ける。

 電話をかけると、茜という例の女子が電話に出た。

 『あら~っ、ごきげんようコンマお姉さまっ! どうなさったんですか? 弟さんの件でしたら――』 

 「あー、俺だ。人見夏樹だ」

 『いやああああぁぁぁあっ!?』

 「うっ!?」

 鼓膜が破れそうな叫びを、耳元で発されてしまった。

 「なんだよいきなり、う、うるさいぞ!」

 『なななな何故貴方が、コンマお姉さまのお電話をっ!? まさか……お姉さまに不埒な行為を働いて、強奪したんじゃないでしょうねっ!?』

 「なわけねえだろ! れ……連絡先を知らないから、真子さんの電話借りただけだ! とにかく、春彦はいちおう見つかったから、もう探さなくていいぞ。ままマコさんがお礼言ってたぜ。じゃあな!」

 相手の返事を聞かず、それっきり通話を切る。そして、マコさんに突っ返した。

 「いったい、何を話していたの」

 マコさんは、胡散臭そうな顔で俺を見ていた。

 「あいつの妄想だよ。それにしても、マコさん、春彦どうする? 場所は分かっても、空を飛んでるなんて。いくらなんでも、取り返しにいけないじゃんか」

 「いえ。行ける」

 マコさんは箒にまたがった。すると、箒が徐々に浮き上がり、地上1メートルくらいで滞空する。

 俗に言う、空飛ぶ箒か。

 「乗って」

 おいおい、こんなことまでできるのか――と、俺は舌を巻いた。

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